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高速道 ひるがの高原サービスエリア より
大日岳 1709メートル
昨日、高山へ日帰りで行って来た。
片道、休憩を入れて5時間のバス走行の、観光でないタイトなものであったけれど、
窓外の初夏の風景は十分に楽しめた。
市内では、短時間ではあったけれど美術館にも寄ることができて、これも大きな収穫であった。
手島右卿氏(1901-1987)の書を収蔵する特別室では、小字数書の素晴らしい作品に出会う
ことが出来た。
書には疎い自分にも、文字全体の姿の美しさは分かったし、浮かび上がる優美さを感じた。
会場で貰った新聞のコピーを帰途読んだけれど、これには氏の言葉がいくつか掲載されていて、
その中に
「書というものは一口で云えば“線活動”です。線がものを言わなかったらだめです。・・・」
「雅のない書というものは/どこに書としての価値があるのか/香りのない花のごときもの」
というものがあった。
この人の書を見て自分が感じたことは、それなりに観ていたのだなぁと思った。
特別展「世界遺産 富士 北斎・広重・大観他」では、北斎の木版画、富嶽三十六景の内、
有名な「凱風快晴」「山下白雨」など8点、歌川広重のもの6点を、そして横山大観の「不二霊峰」
12曲1隻他を観た。
大観の屏風の横にこの人のことばが展示してあった。
「富士を描くということは富士にうつる自分の心を描くことだ。・・・・・己が貧しければ
そこに描かれた富士も貧しい」
このことば、なにも富士を描くことだけではなさそうだ。
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高山行きとはなんのかんけいもないもの
石膏像 教室で 1時間半で描いたもの