淡彩スケッチ ひとりあそび

  へたはへたなりに 楽しんでいます    ( by satoyama )
  

奥能登スケッチ いろいろ  [644]

2014-09-28 21:52:43 | 淡彩スケッチ
      
          奥能登(3) 能登中島駅(演劇ロマン駅)
          七尾駅と穴水駅を結ぶ能登鉄道七尾線の途中駅である。
          すぐ近くに仲代達矢の無名塾「能登演劇堂」が近くにあり、「演劇ロマン駅」とも
         呼ばれている。今回この中島駅より穴水駅までの、眺めの良いローカル線に乗った。
          中島駅舎は昭和3年の建設、3番線には郵政省所有だった郵便車(オユ10)を
         引き込み、仕分け室もある内部を見学させている。
          電車を待つ間、この郵便車を描いた。

      
          奥能登(4)能登金剛巌門洞窟
          日本海の荒波によって浸食された洞門を観た。
          幅6メートル、高さ15メートル、奥行60メートル。
          オプションで、周辺の奇岩、断崖を観光船で見て回るとき、自分は船には
乗らず陸地からスケッチをした。
          階段、斜面の歩行にはかなり疲れた。

      
          奥能登(5)道の駅狼煙(のろし)
          「奥能登 地のはて狼煙」と大書した看板のかかっている緑剛埼灯台への
         のぼり口である。
          昔からのろしを焚いて海難防止にあたっていたこの集落は、のろしという
         地名になっていたそうである。

          灯台は海抜50メートルの断崖絶壁に立っているそうであるが、急な登りに
         恐れをなして、灯台の近くまでは行かず、漁港や道沿いの家のスケッチをして、
         一行の戻ってくるのを待った。
          
          灯台への道はそれほど急な坂道でもなく、眺めも素晴らしかったと登った人
         から聞き、残念な思いをした。

      
          奥能登(6)見附島
          その姿から軍艦島とも呼ばれている。
          長さ150メートル、幅50メートル、標高30メートル。
          松林の続く遠浅の海岸から、島まで歩いて行ける石積の道も付いている。

          

奥能登 輪島朝市  [643]

2014-09-24 23:21:05 | 淡彩スケッチ
        
          テントの下で働く人たち   サイズ SM

        
          客を待つテント   サイズ SM

        
          厄除け唐辛子

         輪島の朝市は1000年も続いているという。
         平安時代の頃から、最初は神社の祭礼の日に、近在の人々が集まって来て、
        物々交換をしていたのが始まりだそうである。

         商店街の店先に、200以上の露店が並んでいる。
         朝市組合に加入し、営業権利を得るそうであるが、祖母、母そして娘へと、
        その場所を先祖代々引き継いで営む露店もあるという。

         輪島塗の箸や器、民芸品、干物などが並んでいたけれど、きれいな顔をした
        お婆さんの、厄除け唐辛子を買っただけで、ラフスケッチに没頭した。

         テントの内と外から、それぞれサイズはSM
         着色は帰宅してから。

奥能登 白米千枚田   [642]

2014-09-21 21:27:49 | 淡彩スケッチ
       
          能登半島  白米千枚田  サイズ SM

       「奥能登ぐるり周遊」という一泊二日のバスツアーに参加してきた。
       この日程ではかなりの強行軍であることは承知の上で、とにかく能登の風物、海に
      触れたかったのである。

       海へ流れ落ちるような山裾に沿う周遊道路は、眺めの良いものであったけれど、冬の
      風雪時は如何ばかりかと思われた。
       港に向く入り江も少なく、狭い平坦地に住む人たちの生業は一体何だったのだろうか。

       絵や写真あるいはTV画像でなじみの白米千枚田にも立ち寄った。
       高低差60メートルの斜面に残る1005枚の田に稲穂が色づいていた。
       一時は休耕田も出てきたけれども、高校生のボランテイア活動をきっかけに耕作が続け
      られているそうである。
       今は完全な観光地となり高い位置にある道路に合わせて駐車場、展望台、休憩施設などが
      揃っている。
       昔は耕して山に登るであったのであろう、平坦地の少ない土地に住む人たちの営みが
      偲ばれた。







風の盆    [641]

2014-09-09 19:41:47 | 淡彩スケッチ
       「風の盆」にツアーで行って来た。

        富山市八尾町(最寄駅 高山本線、越中八尾駅)で毎年9月1日から3日間行われている祭
       である。
        
        三味線、胡弓の哀調のある音色で奏でられる越中おわら節の哀切感に満ちた旋律に乗って、
       地元の人達が披露してくれる艶やかで優雅な踊りが人気を呼んで、人口2万人の小さな坂の
       町に、祭りの期間中20万人の観光客が訪れている。

        本来、地元の人達の、豊年を願う祭りであったものが、高橋治著「風の盆恋歌」や、石川
       さゆりの同名演歌「風の盆恋歌」がブームに火をつけたそうである。

        踊りは、11の地区毎に、町流し、輪踊り、舞台踊りのスタイルで催されているが、あまりの
       観客の多さに、宵のうちは、踊り手も、訪れた者も、共に祭を楽しむという雰囲気にはほど遠く、
       予告なく始まる各所の町流しに巡り会おうとする人の熱気は強かった。

        夜も更けて、観光客も少なくなって、日付が変わらなければ本当の「風の盆」は姿を見せない
       のかもしれないが、残念ながら今回のツアースケジュールでは駄目だった。
       それでも、聞名寺の回廊での風の盆講中の人達の踊りのバックに流れるおわらのメロデイーは
       耳に熱く残っている。

        この夜は、金沢で宿泊し、翌日は、ひがし茶屋町や兼六園、金沢城の散策だった。


        写真をクリックしていただくと拡大します
        
          越中八尾の街には、商店とは見えないが、この様な興味ある造りの家が沢山建っている。  

        
          日本の道百選の通り  道の両側に、この街の特徴のある家並みが続いていた。
  
        
          聞名寺の回廊で踊る「風の盆講中」の人達
        

        
          町流し  シャッター禁止で、私のカメラではこの程度まで

        

        
          翌日、金沢の町で  ひがし茶屋街
          重要伝統的建造物群保存地区で、「志摩」は国重要文化財に選定されている。
          観光案内書や小説を読んで、以前から、遊郭の雰囲気を残す出格子がある古い街並みを期待していた
          けれど、当然のこと、軒並みに2階の雨戸が閉まっていて、ぞろぞろと観光客の流れる通りは、想い
          とは違っていた。