この日は、仲間に誘われて南京町でスケッチをし、その後ひとりで
アートホールでの日本水彩画会「兵庫県支部秋季展」を見に行った。
仲間は8号、10号のものをイーゼルを据えて性根を入れて描いていたが、
自分は3号のショボイ淡彩でお茶を濁した。
いつものことであるが、訪れる人も多く、賑わっていた。
修学旅行生のグループがブタ曼などを店頭で立ち食いする風景は微笑ましい
ものであった。
日本水彩画会の方は、名前だけながら、もう馴染みになっている方々を
含めて55名の出展であった。
見せて貰って思うのは、上手いなあということである。
達者な絵だと思う。
やはり、これは水彩画の進む道なのだろうか。
サイズ F3
目を通してくださりありがとうございました
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今までに紅葉を観るがためだけに出歩くことなどなかったけれど、
最近の新聞に、光明寺の紅葉を紹介するカラー写真が掲載され、
兵庫県観光100選にもなっているというのを見て、近くでもある
ので訪れてみた。
さすがに鄙びた山門と、それを覆うような真っ赤な紅葉の取り合わせは
趣のあるもので、絵心を呼び起こされた。
周辺の山を開発して造られた、お寺が経営主体となる大きな墓地が隣接
しており、山里から敷地への道は、まるでゴルフ場への専用道路を思わせる
ような立派なものであった。
歴史の古いお寺だけれども、一度荒廃し、今では庫裏も無いけれど、
再建を目指しておられるのであろう。 (所在地、神戸市北区道場町生野)
サイズ F3
目を通してくださりありがとうございました
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最近の新聞に、光明寺の紅葉を紹介するカラー写真が掲載され、
兵庫県観光100選にもなっているというのを見て、近くでもある
ので訪れてみた。
さすがに鄙びた山門と、それを覆うような真っ赤な紅葉の取り合わせは
趣のあるもので、絵心を呼び起こされた。
周辺の山を開発して造られた、お寺が経営主体となる大きな墓地が隣接
しており、山里から敷地への道は、まるでゴルフ場への専用道路を思わせる
ような立派なものであった。
歴史の古いお寺だけれども、一度荒廃し、今では庫裏も無いけれど、
再建を目指しておられるのであろう。 (所在地、神戸市北区道場町生野)
サイズ F3
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古い油絵のキャンバスの片づけをした。
若い頃に描いたもの、初心者油絵講座に参加して描いていたもの、そして
仕事の合間に思いついたように描いていたものなどである。
そこそこ貯まっていて、狭い物置の中で邪魔な存在になっていた。
あとに残る者が始末に困るだろうから、古いアルバムの雑多な写真を整理するように、
どうにもならないものを選別して廃棄することにした。
6号から15号くらいまで30枚くらいになっただろう。
懐かしいものを改めてじっと眺めることもあった。
残すことにしたものの内から一枚をここに掲載する。サイズ P10
目ざわりになるかもしれないけれど、HPにこの絵を掲載した時のコメントも添付する。
この正月(2005年)休みに、以前から一度、油絵の具で描いてみたいと思っていた
薔薇の花に挑戦しました。
多くの大家が、この花の素晴らしい絵を多く残しています。
それらの印象があまりにも大きく、それらが私の体の中に巣食っていて、知らず知らずの
間に影響されて、気が付けば結局はそれらを真似たようなものになってしまうのではないかと、
今までに一度も描いたことが無かったのです。
暮れの31日に、深紅の大きな蕾のバラを花屋で買って来て、半日眺めていたのですが、
その内どんどんと花びらが動き出し、もう迷ってる訳にも行かず、キャンバスの前に座る事になりました。
一つ一つの花がめいめいに歌い出したようで、夫々を追い掛け回すようなことになって、
心残りな所はいっぱい有りましたが、三日の夜で終える事にしました。
やはり薔薇はむつかしかった。薔薇の気品を表現するのは大変な事だ。これが実感です。
なんども挑戦して、いつかは自分らしいものが描けたらと思います。
目を通してくださりありがとうございました
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庭に咲いていた白い秋明菊である。
長い間咲いていたが、ここ2,3日で散り落ちた。
先日、新聞各紙で、京都・石清水八幡宮で、江戸初期に小堀遠州が手掛けた茶室跡が
見つかったと報じられた。
この茶室は、清水寺の本堂舞台と同じように空中にはね出した構造で大変珍しいものであるが、
その後焼失して詳しいことが分かっていなかったそうである。
自分としては、この記事の終わり掲載されていた中村昌生○○大学名誉教授(建築史学)の
談話を懐かしく読んだ。
先生は、茶室、数寄屋建築、京町家研究の大家として著作、設計の他集成集の編集、
監修などで活躍され、その名前は印刷物などで常に目にすることが出来ていた。
先生は○○大学藤原義一教授のもと助手として研鑚を積まれている時代に学生であった
自分達は指導を受けたり、一般公開されていないような茶室の見学に引率してもらい、
解説をしてもらっていた。
ますますご活躍の様子、図らずも懐かしく読ませてもらえることが出来た。
目を通してくださりありがとうございました
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長い間咲いていたが、ここ2,3日で散り落ちた。
先日、新聞各紙で、京都・石清水八幡宮で、江戸初期に小堀遠州が手掛けた茶室跡が
見つかったと報じられた。
この茶室は、清水寺の本堂舞台と同じように空中にはね出した構造で大変珍しいものであるが、
その後焼失して詳しいことが分かっていなかったそうである。
自分としては、この記事の終わり掲載されていた中村昌生○○大学名誉教授(建築史学)の
談話を懐かしく読んだ。
先生は、茶室、数寄屋建築、京町家研究の大家として著作、設計の他集成集の編集、
監修などで活躍され、その名前は印刷物などで常に目にすることが出来ていた。
先生は○○大学藤原義一教授のもと助手として研鑚を積まれている時代に学生であった
自分達は指導を受けたり、一般公開されていないような茶室の見学に引率してもらい、
解説をしてもらっていた。
ますますご活躍の様子、図らずも懐かしく読ませてもらえることが出来た。
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溝川典子 展 山本倫子 デッサン教室展
雨の日曜日、三宮へ出て5軒の画廊を回って来た。
お目当てはギャラリーほりかわの「溝川典子展」とダイヤモンドギャラリーの
「山本倫子 デッサン教室展」であった。
前者の溝川典子さんは、大学卒業後5年間、中学で美術教師を務めた後フランスへ
渡り、研鑚を積み、そのまま向こうで本格的に活動されているそうである。
ヌードの輪郭を油性パステルでクロッキー風の線で引き、その上にまるで墨か水彩絵の具
のように油絵の具の黒や茶色を刷毛やナイフで趣くままに引き延ばしている。
白いキャンバスの大きな余白は余韻となっていた。
白髪一雄さんの厳しさとは別のものではあるが、ふと思わせるものがあった。
後者の山本倫子さんは地元三宮で教室をお持ちの方だそうである。団体無所属。
人物、静物のデッサン、パステル画など。
本人の作品も数点出ていたが、生徒の作品もデッサンを通り越した優れた絵画作品
になっていた。
雨滴と人通りを避けながら町並みを一枚描いて帰った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/45/403d86775696ba3a18c031c9adf3e30d.jpg)
目を通してくださりありがとうございました
雨の日曜日、三宮へ出て5軒の画廊を回って来た。
お目当てはギャラリーほりかわの「溝川典子展」とダイヤモンドギャラリーの
「山本倫子 デッサン教室展」であった。
前者の溝川典子さんは、大学卒業後5年間、中学で美術教師を務めた後フランスへ
渡り、研鑚を積み、そのまま向こうで本格的に活動されているそうである。
ヌードの輪郭を油性パステルでクロッキー風の線で引き、その上にまるで墨か水彩絵の具
のように油絵の具の黒や茶色を刷毛やナイフで趣くままに引き延ばしている。
白いキャンバスの大きな余白は余韻となっていた。
白髪一雄さんの厳しさとは別のものではあるが、ふと思わせるものがあった。
後者の山本倫子さんは地元三宮で教室をお持ちの方だそうである。団体無所属。
人物、静物のデッサン、パステル画など。
本人の作品も数点出ていたが、生徒の作品もデッサンを通り越した優れた絵画作品
になっていた。
雨滴と人通りを避けながら町並みを一枚描いて帰った。
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西の京、大池に道路を挟んで接する奈良医療センタ―敷地内の、桜の並木の
下から描かせてもらった。
患者さん達の散策、憩いの場であるから、本来は認められることではなかった
のだろうが、道路から観るより少しばかり高い位置からの眺望を得たし、自動車
や人目を気にせずに描くことが出来て助かった。
ここなら若草山の山焼きもよく見えることだろう。
霞んでいない日には東大寺大仏殿も見えますと通りかかった人が言っていた。
昔、白鳳時代の頃のこと、此のあたりに住んでいた人たちはどんな暮らしを
していたのだろうか。
朝な夕なにどんな思いを持って並び建つ塔を眺めていたのだろうか。
サイズ F6
目を通してくださりありがとうございました
下から描かせてもらった。
患者さん達の散策、憩いの場であるから、本来は認められることではなかった
のだろうが、道路から観るより少しばかり高い位置からの眺望を得たし、自動車
や人目を気にせずに描くことが出来て助かった。
ここなら若草山の山焼きもよく見えることだろう。
霞んでいない日には東大寺大仏殿も見えますと通りかかった人が言っていた。
昔、白鳳時代の頃のこと、此のあたりに住んでいた人たちはどんな暮らしを
していたのだろうか。
朝な夕なにどんな思いを持って並び建つ塔を眺めていたのだろうか。
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