淡彩スケッチ ひとりあそび

  へたはへたなりに 楽しんでいます    ( by satoyama )
  

棚田 岩座神(いさりがみ)   [731]

2016-09-30 17:12:25 | 淡彩スケッチ
         
           岩座神の棚田    水彩  サイズ P10

         
           岩座神  写真(1)

         
           岩座神  写真(2)


           バスツアーの広告を見ていて、ここなら自分の車ででも行けると、スケッチに
        行ってきた。
         片道走行 約2時間であった。

         千ヶ峰(1006m)の南麓、杉原川の支流多田川の最上流域に位置し、幾つかの
        千ヶ峰への登山ルートうちの一つの通過点でもある。
         全域が山裾の斜面にあり、自然の平坦地など皆無の地に、自然石を積みあげて造くら
        れた棚田で耕作が続けられている。
         鎌倉時代から始められたと伝えられており、寺勾配(寺の屋根の反り)といわれる
        反りを持つ石積の姿は美しく、現在もなお崩れを見せていない。

         「日本棚田百選」にも選ばれている。
         地場の石を集めてきたものであろうが、運搬具も釣具も無い時代の苦労が偲ばれる。
         耕作の灌漑にも大変なご苦労があったことであろう。

         2010年(平成22)の国勢調査表には
          人口  41人
          所帯数 18  とある。
   

        兵庫県多可郡多可町加美区岩座神
        中国自動車道滝野・社ICまたは加西ICより自動車で約40分。


三保の松原    [730]

2016-09-23 22:11:20 | 淡彩スケッチ
         
           三保の松原   サイズ F1

         
           清水区三保 鐘庵前より  F4

         
           JR富士駅前 富士本町通り F4

 
          ( 前回の「田子の浦ゆ」の続き )
       三保の松原へも行った。
       もともと絵ハガキになっているような処でわざわざスケッチをするつもりも
      無かったけれど、ああこれが「羽衣の松」かと眺めたり、見事な白砂の浜の向こうに、
      頭だけ出している富士を見ているうちに、ここでも描きたくなった。

       そのあと、街の中から、ふと向こうに富士が見えるという風景を描きたかった
      けれど、雲に隠れて全体が見えなかったり、霞んでいて空か山か分からないような
      眺めが多く、スケッチは2枚がやっとであった。












田子の浦ゆ    [729]

2016-09-21 21:47:53 | 淡彩スケッチ
          
              「田子の浦漁港」  淡彩スケッチ  F4  
            田子の浦漁港でスケッチをしたが、夏場に富士山はあまりよく見えないと
            聞いていたがその通りだった。
            昼は漁協食堂で、採れたてのシラスとサクラエビが盛られた丼ぶりにありつく
            ことが出来た。

          
              「田子の浦港から 富士を見る」   淡彩スケッチ F3  
            田子の浦港岸壁から市街地の方を眺めていたら、ほんの少し山頂が見えてきて
            ここでも一枚を。

              娘夫婦が、所用で静岡へ行くことになって、車で行き一泊するので一緒に行かないかと
          誘ってくれた。
           静岡は、ゴルフや、セミナ―で御殿場へ行ったきりだったから、急な話だったけれど、
          チャンスとばかりについて行った。
           初日は、到着後の半日と、翌日は朝にホテルで分れた後、待ち合わせの3時まで、ひとり
          気楽にぶらついてきた。
           予備知識もなく、土地勘も無いまま、三保の松原、田子の浦そして「富士駅前」周辺を
          回って簡単な彩色もしながらスケッチを楽しんだ。

平戸その他へのツアー (3)    [728]

2016-09-09 21:13:06 | 淡彩スケッチ
        
           柳川川下りの掘り割    F4
           船乗り場はあちこちにあったけれど、季節外れなのだろう、人影は少なかった。

        
           北原白秋生家       F4
           母家。白壁の土蔵造り。
           幕末~明治初期と推定され、江戸時代商家の遺構としても貴重とのこと。

          柳川では、旧柳川藩主立花家屋敷跡で、国指定名勝の庭園のある御花で昼食を
       取った。
        この後、1時間ほどオプションの掘割めぐり(川下り)をすることになっていたが、
       自分は急遽これを取りやめて、散策することにして、スケッチをした。
        船頭さんの話は興味深く、歌もうまかったと後で人から聞いた。

平戸その他へのツアー(2) [ 727]

2016-09-06 22:21:53 | 淡彩スケッチ
   
          「 塩俵の断崖 」 サイズ  F4
           撮影休憩として駐車してくれた時にスケッチ。
           岸壁の玄武岩に垂直方向に亀裂が入って、五~七角形の断面の柱が
           いくつも並び立っているような型になっている。
           延長500m、高さ20m、冬の東シナ海、荒波に面してそそり立つ
           姿はいかほどのものかと思う。

   
           「対岸平戸島を望む」  サイズ A4
           かすかに生月大橋が見えた。

   
           「 生月大橋 」  サイズ F4
           道の駅での、トイレ休憩と買い物タイム15分 の時に描いた
           着彩は勿論帰宅してから。 F4


         平戸から生月島へ渡った。

       まるで平戸島の衛星のように、東シナ海側に、960mの生月大橋で
      繋がっている。
       隠れキリシタンの島というようなことは知っていたけれど、NETで
      少し調べてみた

       「生月島では16世紀に領主の籠手田(こてだ)氏がキリスト教に入信
      したため、島民もほとんどがキリシタンになりました。
       その後禁教令が敷かれると、厳しい弾圧、処刑が行われ、一転して 殉教の
      島となったのです。
       それでも信者達は信仰を守り、潜伏キリシタンや隠れキリシタンとなり、
      今も潜伏時代の信仰形態をそのまま受け継いでいる人も多くいる。」・・と。

       人口約6000人。
       島の面積は平戸島の10分の1。

       平地の少ない地に、生業は何かと思ったら、江戸時代は捕鯨の島として栄え、
      昭和の時代は、東シナ海の巻網漁業に進出し、島の経済は大いに潤ったそうである。

       バスは、島の先端にある大バエ灯台まで案内してくれた。

平戸 その他への ツアー (1) [726]

2016-09-04 18:55:28 | 淡彩スケッチ
                       
       「 幸橋 」 鉛筆 水彩絵の具   サイズ F4
        木造だった橋を、1702年にオランダから伝わった技法を使い、現在の石橋に
        付け替えられた。
        国重要文化財に指定されている。
         石造単アーチ橋
         橋長 19.8m
         幅員  5.2m

        史跡めぐり散策のグループと別れて描いた。
        限られた時間なのに、このスケッチに夢中になり、時間を掛けすぎたのは
        失敗だった。

       
       「寺院と教会の見える風景」 エンピツ 水彩絵の具   サイズ F4
        カトリック平戸ザビエル記念教会。
        平戸を代表する観光名所のひとつ。
        「寺院と教会の見える風景」として、撮影、スケッチのポイント。

       
       「平戸の海」  エンピツ 水彩絵の具   サイズ A4
        夕刻、着いたホテルの部屋からの眺め。
        静かな海だった。
        ただそれだけの風景。


          平戸とその周辺への、1泊2日のツアーに参加してきた。

        平戸のこと。
        長崎県北部の北松浦半島の北西端にある島(平戸島)。
        中国、ポルトガルやオランダからの航行に対して、九州各地の中で一番突出した
       位置にある。

        1550年(天文19年)、平戸港にポルトガルの貿易船が初めて入港。
        同年9月にはフランシスコ・ザビエルが平戸に来航し、キリスト教(カトリック)
       の布教を始めた。
        その後、オランダ、イギリスが商館を設置するなどし、1641年(寛永18年)に
       オランダ商館が長崎出島に移されるまで、南蛮貿易港として栄えた。

        1977年(昭和52年)に平戸大橋(全長665m)が開通し、平戸島と九州本土が
       つながった。