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淡河の町なか F3
在原のこと
先日、湖北(琵琶湖)・在原の貴重な茅葺民家の大半が、6月10日の大火で
消滅したことを書いた。
その2ヶ月ほど前に、仲間とその風雪に耐えてきた姿をスケッチしてきただけに、
大変な驚きであり、水利の悪い中を必死に消火活動をされたであろう方々を思うと
心が痛んだ。
描かせてもらったあの家々は無事だったのだろうかと思う。
実は、50年ほども前に、沢山の茅葺民家が燃える怖ろしい光景を目にしたことが有る。
4回生に上がる春休みに九州旅行をすべく、バイトで貯めていた金を持って、とにかく
金の続くまでとの積りで、均一周遊券と寝袋を持って出発した。
たいした計画は立てていなかったけれど、ただ一つ此処だけはと決めていたのは国東半島の
冨貴寺であった。
怖ろしいものを見たのは、この冨貴寺へ行くバスの窓からであった。
山裾を這うバス道に沿って流れる川の対岸には50戸くらいのかやぶき民家が点在していて、
集落の端っこの家が炎をあげて燃え上がり、火の粉が空に舞い上がっていた。
周辺の家もあちこちで、あんなに遠くまでと思える家までが、飛び飛びに煙を上げていた。
中には炎になっている所もあった。
バスに同乗の数人の婦人が、縁のある人の家でもあるのか、窓ガラスをたたくようにして
泣き喚きだしたが、対岸の火だからバスの運行に差し支えのあるわけも無く、少々徐行
するだけでバスはこの場を通過した。
怖ろしくも、悲しくもあった眺めで、今もはっきり記憶に残っている。