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ならまち格子の家 F4
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奈良 興福寺北円堂 F4
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ならまち 店舗
興福寺・南円堂創建1200年記念 南円堂、北円堂同時公開 (4/12 ~ 6/2)に行って来た。
記念に配られていた「にほひ袋」の香が今、パソコンの周りに漂っている。
普段の公開は、南円堂は年に一日、北円堂は二日だけであるから、是非この機会に無著・世親両菩薩像を
拝観したかったのである。
南円堂(重文)創建 813年 再建 1741年 には
本尊 不空羂索観音菩薩坐像(国宝)木造 鎌倉時代 康慶(運慶の父)作
四天王立像(国宝)寄木造 鎌倉時代 が
北円堂(国宝)創建 721年 再建 1210年 には
本尊 弥勒如来坐像(国宝)木造 鎌倉時代 運慶作
無著・世親菩薩立像(国宝)木造 鎌倉時代 運慶作
四天王立像(国宝)木心乾漆造 平安時代
が祭られていた。(配布されていたチラシによる)
これら運慶派の手になる仏像は、1180年の平重衝の兵火によって一山焼失した後の再建の際のものであるけれども、
それ以後にも大火が重なり、現存の南円堂の再建は1741年とあるから、大きな本尊(座高336㎝)のその都度の避難や
保管は大変なことであっただろう。
また、北円堂と三重塔を残して他のすべての堂塔を焼き尽くす大火を受けながらも今に残る北円堂の諸仏を拝して
思いの深いものがあった。
お目当ての無著・世親両菩薩像には、2m少々の近くから見ることのできたのは嬉しい驚きであった。
日本彫刻としての傑作などとの解説付きの写真を何度も何度も見ていたから、懐かしさすら感じたほどであった。
それにしても、本尊に比べてなんとその表情が寂しげで哀しそうなことかと思った。
信仰に徹する者の厳しさと、人の世の生きることの辛さ、苦しさを見知っていて、衆人を置いて自分だけが
真っ先に幸せになることの出来ない覚悟の表れなのだろうか。
終わって訪れた興福寺国宝館では馴染みの山田寺仏頭。
4,5年前になろうか、東京、九州を回って大評判を取った八部衆の阿修羅像も近くで大人しく立っていた。
遅い昼飯のあと、「ならまち」へ廻って行った。