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第407回 ゴダール式読書法

2021-02-05 | エッセイ

 永年読書に親しんできましたから、本のタイトルや著者名を見れば、好みに合うかどうかは、ほぼ間違いなく判断できるつもりです。それでもハズレはあります。
 そんな時は、作家・立花隆の「どんなつまらない本でも、何か得るところはあるから、最後まで読むべき」とのアドバイスに概ね従ってきました。

 でも、読書人の中には、いろんな本の選び方、読み方をする人がいるものだなあ、と「不良のための読書術」(永江朗 筑摩書房)を読みながら感じました。

 とりわけ著者が奨める「ゴダール式読書法」(著者自身の命名)というのがユニークです。
 ゴダールは、フランスの映画監督で、「勝手にしやがれ」、「気狂いピエロ」などの作品で知られ、1960年代を中心にヌーベルバーグの旗手として活躍しました。こちらの方です。

 著者によれば、ゴダールは、映画を観るのも好きだったようです。ただし、1つの作品を見るのは、せいぜい20~30分くらい。やおら席を立って、次の映画館へ、という繰り返し、つまり短時間での映画のハシゴをもっぱらにしていたと伝えられています(もったいないなぁ)。

 で、永江は、読書もこの方式でいけ、というのです。「本はテキトーなところを20~30ページ読めばいい。こんな簡単なことを発見した瞬間、ぼくの人生は変わった。」(同書から)

 とてもじゃないですが皆様におススメできません。私も実践する気は毛頭ないのですが、著者の「過激な」主張にしばし耳をお貸しください。

 この方式に出会うまで、著者にとって読書は苦痛だったといいます。「本は買ったら必ず読まなければならないもの、必ず最後まで読み通さなければならないものだと思い込んでいたから」(同書から)というのです。せっかく買ったのだから読まなければという貧乏性が足を引っ張っていたと告白しています。これは、私も全く同感。が、そこで、彼が出会った、というか発見したのが「ゴダール式」というわけです。

 そこまで割り切れた理由は「1冊の本を選ぶことは、同時に他の本を読む可能性を棄てることである。」(同書から)という言葉に集約されています。
 人生で読書に当てられる時間は限られている。それなら、1冊あたり20~30ページだとしても、もっともっと多くの本を読む道を選ぶのが本当の本好きだ、というわけです。

 とはいえ、とても我々にはできません。ムダを承知で、永江の方法論に、興味半分でもう少しお付き合いください。

 本を手に入れたら、適当にページを開き、20~30ページ読むだけでいいというのです。小説の場合だとやや長めで1章まるごととか、短編集だと1編だけというのもありですが、それでも、50~100ページ、時間にすれば1時間くらいで「これぐらい読めば、たいていの小説は「わかる」」(同書から)というのが彼の主張です。う~む。

 一方で、ゴダール式読書法で一番難しいのは、その本のどこを読むかであるとも書いています。それじゃあ「適当に」というのと矛盾してると思うんですが、専門書とか、啓蒙書なんかだとそれも大事かも。
 で、その手の本の著者が一番力を入れるのは、書き出しだから(永江はこれを「ツカミの法則」と名付けています)、最初の方だけ読めばいい、というわけです。落語だったらマクラ、漫才だったら、最初のやりとりでいかに客を笑わせるかが勝負だから、とちょっと強引な理屈も持ち出しています。
 で、少しでも多くの本を読むためのゴダール式ですから、著者は、さらに速読のテクニックにも触れています。

 テクニックその1は、小説とかエッセイなら、会話文だけを追えというもの。その2は、専門書とか実用書の場合は、キーワードだけを拾っていけというものです。
 う~ん、そこまでしてたくさんの本を読みたいとは思いません。面白い本に没頭するーームダな時間の過ごし方のようですが、それが読書の醍醐味ではないか、と思ったりします。

 結局、永江の主張、方法論を私なりに解釈して、「ハズレの本は、あれこれ考えず、早めに「見切る」」ことにしました。

 先日も「すごい物理学入門」(カルロ・ロヴェッリ 河出文庫)を、このブログのネタにでもなれば、と、あまり中身も確かめず軽い気持ちで購入しました。結果は残念ながらハズレ。
 アインシュタインの一般相対性理論は15ページ、量子論は13ページで済ませています。とても理解できません。というわけで、早々に「見切り」ました。
 永江の過激な本も、ワタシ的にはこんなところで役に立ったようです。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。

‹追記›2022年9月14日、ゴダール氏が91歳で亡くなったことが報じられました。ご冥福をお祈りします。