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第344回 司馬遼太郎の目配り

2019-11-08 | エッセイ

 司馬遼太郎の小説、エッセイが好きで、幅広く読んできました。


 




 先日、古書店で、「歴史のなかの邂逅」(2011年 中公文庫)という(私には)見慣れない彼のエッセイシリーズの1冊が目にとまりました。歴史上の人物をキーに、作品のあとがき、エッセイなどを、時代区分、テーマ別に、8巻立てに編集したものです。

 誰もが知ってる有名人、彼が取り上げたおかげで有名になった人物のエピソードも盛りだくさんですが、作品化には至らなかった無名の人物にも目配りを忘れない司馬の心根に引かれて、残る7冊も古書店巡りでゲットしました。その中から、無名、ほぼ無名の人物2人を紹介することにします。

 まずは、「所郁太郎(ところ・いくたろう)」(第6巻「「美濃浪人」あとがき」ほか)から。

 幕末、長州に身を寄せていた人物です。当時、この藩は、倒幕派と保守派の対立が激しく、高杉晋作を筆頭とする倒幕派の一員に「井上聞多(もんた)」という男がいました。彼が、ある日、藩での会議が終わって、自宅近くまで帰ってきたところで、数人の凶刃に襲われ、さんざんに切られ、瀕死の重傷を負うという事件が発生します。

 家族が駆けつけた時は、虫の息で、駆けつけた二人の医者もさじを投げ、本人も兄に向かって、首を落としてほしいと手真似で懇願するに至ります。そこへ母親が、井上の背中に抱きつき、兄に向かって「この母とともに切れ」と叫んだため、兄も刀を納めざるを得ませんでした。

 そんな騒ぎの中、偶然、家に入ってきたのが「所」です。井上に励ましの声をかけ、激痛を伴う手術を受けることを承知させます。13カ所にも及ぶ傷の大手術が終わって、井上は命を救われます。当時、なぜそれほどの技術を持った人物がいたのかを調べていた司馬は、見つけたのです。

 幕末を代表する科学者緒方洪庵の「適塾」の入門帳に、本人らしき筆跡で、
 <万延元年八月十五日入門 美濃赤坂駅 所郁太郎>
 とありました。当時の「適塾」の外科医術のレベルの高さをうかがわせるエピソードです。

 さて、その後の所と井上です。
 所は、この事件の翌年、チフスで病没しています。
 一方、井上は、馨(かおる)と名を改め、維新政府の中枢に昇りつめます。大蔵大輔(副大臣相当)時代には、汚職事件に関与し、辞職する一方、のちに初代外務大臣として、不平等条約の改正にも取り組むなど、良くも悪くも、独特の存在感を発揮しました。
 そんな井上の命を救ったことになる郁太郎は、泉下で何を思うのでしょうか。

 さて、もうひとりは。「金六」(第3巻 「要(い)らざる金六」から)です。

 徳川家康が、秀吉から関八州の大守に任じられ、江戸に開府したばかりの頃のことです。まだまだ粗末な江戸城の大手門の前に「金六」という名の男がいつもうずくまっていました。60歳代で、家業は息子にでも継がせていたのでしょうか。家康が行列を組んで外出する時には、声をあげ、おおげさに平(へい)つくばります。それが趣味だったのです。
 家康も、彼の顔と名前を覚えてしまって、見かけると乗り物の戸を開き、「金六」と声をかけながら、その大仰な様子に可笑しさを隠しきれす、微笑んだとあります。
 「(金六は)この微笑を待っていたかのように飛びあがり、行列の先頭へゆき、行列を先導するのである。(中略)「上様のお通りであるぞ。町の者ども、おがみ奉れ」とどなりながら」(同書から)

 それまで関東の地にまったく縁のなかった家康にすれば、これを「政治的に」利用しない手はありません。「金六」と声をかけるだけで、民衆のウケも期待出来るし、下々の者にもやさしい人柄というイメージ(あくまでイメージですが)を与えられますから。
 金六の方はといえば、家康の覚えがめでたいということで、すっかり町の人気もの、実力者にのしあがり、喧嘩の仲裁にまで乗り出す始末。その辺まではよかったのですが、増長した彼は、勝手に町内を巡回し、落ち度があれば、厳しく咎めたてたり、ひとから頼まれもしないのに横合いからあれこれ指図するようになります。
 誰言うとなく「要(い)らざる金六」という言葉が江戸中で広まるほど嫌われ者になったといいます。それでも、「権力」を維持する目的で、月に何度かしかない家康の外出のために、毎日、大手門外でうずくまり続けた金六。

 つかみどころのない権威・ご威光を笠に着るのが庶民。それにすがったり、おもねったりするのも庶民。そんな上に立って、ホンモノの権力を巧みに操る為政者ーそんな構図をくっきり浮かび上がらせる示唆に富むエピソードです。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。

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