Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

成長のバロメーター 後縦靭帯

2010-02-12 | 竹斎先生
初めから少し膝を曲げて、バランスをとって立ってみてほしい

そうしておいて体重を前に移動すると、、、当然体は前に倒れそうになる
その時、無意識にバランスを立て直そうとするのは
(既に膝は曲げてあるので)首

腕をバタつかせることもあるだろうけど
それより手前に僕らは首を使ってスッと何気なくバランスをとる
頭部を後ろへもってゆくことで前に傾いた重心をニュートラルに戻そうとする
後ろに重心が偏った時も、自然に首を使って頭部を前に出す

こういう動きにかかせない人間の首の後ろにある2本の靭帯
これが背中を貫いて腰まで届いてる

僕等の身体が前後左右にバランスが崩れた時
それを立て直すためには
この2本の靭帯を伸ばしたり縮めたりして
頭部や上半身の位置を倒れそうな方向と逆方向へもってゆくのだ




先生はハイハイから掴まり立ち
掴まり立ちから手放しへと
身体の重心をとるのが難しくなってくるにつれ
どんどん後縦靭帯が発達してきている



ずいぶん首の後ろの2本の靭帯が太くクッキリしてきた


ここのシルエットがのっぺりとして
2本の靭帯が浮き上がらない間は、肉まんみたいにムチムチして
ホントに「赤ちゃん」っていう感じがするけど
このラインが出てくると、この首の後ろを見てるだけで
何だか「幼児」という雰囲気がしてくる






ハイハイから掴まり立ちへ移行してしばらくした頃
先生はソファによじ登ることが出来るようになった

そしてまたしばらくして先生は
ソファから床に降りることも出来るようになった

でもそれは降りるというより、顔面から床に墜落するといった方がいいようなものだった

そして更に
この首の靭帯が太くなった最近では
不思議なことにソファから降りられなくなってしまったことを
ママが発見した


降りられなくてベソをかきながら親を呼ぶ

これは一回りして
降りることへの恐怖を身につけたのだ
とママが言っている


2本の靭帯が太く強くなってきたおかげで
ソファの上から落ちないようにバランスをとりながら
床を覗くことが出来るようになったのだ
だから
この高さから落ちたらどれくらい痛いか
そういうことも落ちついて判断出来るようになってきたということだろうか



表面的に見ると、一度出来るようになったことが出来なくなる
行ったり来たり寄り道したり逆戻りしたり
ちっともスムーズに成長してゆかないかのように見えることも
実はちゃんと成長の一歩一歩なんだということを
やけに太くなった首の靭帯が教えてくれる
















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仲間

2010-02-12 | 記憶の風景



古い仲間に会った

1週間ほど前に
自分も出た二松学舎の馬頭琴コンサートに訪ねて来てくれたのだ



本番前に声を掛けられ
あ。。。。どこかでお会いしたことありますよね...と言いながら
グルグル頭の中で記憶をたどり
その人からの説明も受けながらすぐに思い出すことは出来た

思い出すと同時に
浦島太郎のような月日が、あっという間に20年ほど経っていたことにも気付いた





20年ほど前
「箱バン」という、飲み屋で毎日演奏する仕事をしていた頃
サポートやレコーディングの仕事なんかが入ると
箱バンには「トラ」と呼ばれる代理の奏者さんに
自分でギャランティをお支払いして入ってもらって
自分は外の仕事をしに行く、というシステムだった


訪ねてくれたのは、当時僕がトラをお願いしていたギタリストのSさんだった



同業者同士、同じ現場に入ることなんてまず無いから
僕は彼と一緒に演奏したことは、多分...無かったと思う

何度かご挨拶をしたくらいだったかと思う

でも挨拶...といったって...
自分が外仕事に行くのに頼んだトラのギタリストさんなわけだから
基本的には「会わない」はずなんだけど、どこで会ったのだろう...
どんな状況で会ったのだろう...
記憶が全く途切れているが
でもSさんの、人並みはずれて穏やかな風貌だけは記憶にしっかり焼き付いていた


穏やかで謙虚で、また非常にシャイな...

なんか
(こんな表現は失礼かもしれないけど)
生き馬の目を抜く都会のギュウギュウした人間関係やら時間の流れの中では
一番、損な役回りを背負ってしまいそうな静かな人...



今、何をやってるんですか?と、こちらから伺ってみると
某、有名な演歌の女性歌手さんの16人編成のバックバンドに在籍しているという

その歌手は一流の人だ

僕はその話しを聞いて、なんだか嬉しくなったのだが
Sさんを目の前にして上手く説明出来なかった


懐かしいだけではなく嬉しい想いも起こってくるのに、何を話して良いか咄嗟に浮かばない
結局大した時間話さず、片付けもあったし、名刺を貰って別れた

名刺を持たない僕は次の日
自分の住所やら電話、メールなんか一式を、彼から貰った名刺に記載されたメールアドレスに送った






箱バンという場所は給料も安く、演奏環境も決して良くはない
いってみれば下積み的な仕事なのだ

当時、その場所に入れ替わり立ち代わり入ってくるトラのミュージシャンの中には
そういう場所を全くの「踏み台」として捉えている人も居た
はなから軽んじていることが態度に出ているような

僕は、幸か不幸かギターを背負ったら
その場所が何処であっても何時であっても
お客さんが居ても居なくても妄信的に演奏してしまうので
自分が演奏しているその場所を(環境の悪い箱バンであっても)
そういうミュージシャンに汚された気がしたものだった


箱バン時代に出会ったミュージシャンの中で
Sさんは一切、そういった奢りを感じさせない人だった

そういう謙虚なミュージシャンが生き残っていたこと
一流の現場に携わっていたことが、なんだか嬉しかったのだ



自分の住所などと共に
訪ねてくれて懐かしくまた嬉しかったことなど簡単に記してメールを送った


Sさんからの返信はなかなか返って来なかったが
その返信が来ない時間の間に
彼のようなミュージシャン(芸術家)が何を考えているか
なんとなく感じられるような気がして僕は静かに待つことが出来た

この返信が1年後に返って来ても、突然10年後に返って来ても
特別不思議なことではないように感じられていた




そして昨日
返信をいただいた








僕にとって

人間には

大して話しもしてないのに
初めから信じられてしまうような人がいる




返信がすぐ返って来ない意味も

返って来た返信の中にある行間に込められた想いも

僕が勝手に信じていたものと食い違わない

やっぱり思っていた通りだった




それを、魂レベルの話としてするなら
今思い返してみれば、20年前に既に信じられていたのかもしれない








いただいた返信にまた返信をしたくなったが
僕は...
それをやめて、今こうしてここに書き留めている

Sさんは僕のブログを知っていると言ってたから
きっとこれを読むだろう

それを想像すると少し照れくさいものもあるが...
でも人間て、面と向かうと、もっと照れが膨らんで言葉が出て来なくなる


この再会が、どんなふうに嬉しかったのか
面と向かったら、しどろもどろになって言葉が出て来なくなって
きっと上手く伝わらないまま、この縁が終わってしまうだろう


そうなりたくないな...
そう思ってここに記すことにしたのだ




この記事を読んだ後
きっとSさんからは返信は無いだろう
(こんなふうに書かれちゃとても返しようがないですもんね)

けれど僕の中でこの縁は続いてゆきます




言葉にならないものが共有出来る相手と会い

久しぶりに言葉に出来ない部分で静かに会話出来た気がしたから






















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2010-02-12 | 竹斎先生



先生はまだ言葉を喋らない


まだ短い距離をつかまり歩きすることしか出来ない

移動の手段は相変わらずハイハイである


こうして言葉で表すと、2ヶ月ほど前と何も変わらなく感じるが
実際はもう乳児を卒業して普通の子供のような仕草を沢山するようになっている







ソファに座った親の足の間に割って入ってきて
クルッと半回転、後頭部と背中をグリグリ押し付けながら甘えたり

隣の部屋からやけに大きなハイハイの音が
パッタンパッタンと近づいてくるな、と思って部屋の入口を見てると
ニヤニヤこちらを見ながら登場する
目が合うと自分を見られてることを確認しておどけた態度をとる

左足は普通の動きなのに右足だけ牡犬の小便のように
一足運びごとに高く上げてハイハイしてくる




時々「おかあさんといっしょ」の動画などを見せるからか
テーブルに乗せたノートパソコンに興味を示して手を伸ばす
触るだけならまだ良いが、叩こうとするので
テービルの上に伸ばした先生の手を掴んで下に降ろす
降ろすというより、わざと邪険に払い落とす
落としておいて代りにパパの手を、チャッカリそこに置いてみる
と、先生はパパの手を掴んで、自分がされたのと同じように邪険に払い落とすのだ
それを何度も何度も繰り返してやりあう

先生とパパは、パソコンを巡って
こういう無言の攻防をほぼ毎日繰り広げている




先生がくすぐったがる脇腹や首筋を攻撃するとぎゃはぎゃは笑う
やりすぎると時々泣く
泣くくせにまた攻撃をせがむような誘いを仕掛けてくる

先生もやられてばかりいられないから
最近はパパが痛がることを明らかに面白がって仕掛けてくる
鼻や耳の穴に指を入れてエイッとばかりに引っ張る(これホントに痛い)

きっと男の子の好きな戦闘ごっこの始まりなのだ








今日、先生はパパと入ったお風呂の中で
パパがお湯をパシャッと叩くと水面に泡が出来ることに気付いた

泡のような小さくて丸い物が先生は大好きなので
早速指先で摘まもうとしたら、その途端パッと消えてしまった

またパパがパシャッとやって泡を作ってそれを先生が摘まもうとしては消える

それを何度か繰り返したら、何かツボに入ったらしい先生はケタケタと笑い出した



この時点で先生はまだ
水面に出来る小さな泡はパパにしか作れないものだと思っている

その証拠に、かなりのウケてるのに自分の手ではパシャッとやらないで
パパが泡を作るのを待っているのだ


先生にも出来るってことを、どうやって教えようか
どうやって学び取るのか、その瞬間を見てみたいな、なんて思いながら
先生の腕を掴んで1回パシャッと誘導してみた

この1回で先生は見事に習得してしまった


自分の手でパシャッとやっても泡が出来ることを一瞬で知った先生は
その後パシャパシャ ケタケタ
パパと長湯をして遊びました





赤ちゃんにとっての「小さな初めて」の瞬間に立ち会えるっていうのは
なんだか感動する
そして穏やかな気持ちにさせてもらえる


僕等はみんな小さな頃から
こうやって点と点を線で繋げながら成長して来たんだな、と思う


















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