Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

伽藍

2010-02-28 | ギターの栄養


自分の中が何かガランとしている

その空洞の中にいろんなものがほんの少しずつ入ってくる



文学 数学 教育学 社会学 生物学 ...と名付けられているもの達

そしてその元締めとして  哲学 ...と呼ばれるものとか...



それらが垣根無く自分の中に入ってくることに安心したのか
何年かぶりに音楽理論書まで手を出した
(ある時期から、音楽をする自分は音楽を何より自分から遠いところに置き、
むしろ音楽以外のものに目を向けていたので)






何か出過ぎた行為をして、誰かを傷つけただろう
とか
自分が酷い目にあったという想いから逃れられない
とか

そういうものを抱えていると自分の場合
生きるのが忙しい


軋む心に効く薬が必要だから
自分が泣いたり、誰かを泣かせたがったり(感動という意味で)
とにかくそういうことを獲得するのに忙しい


忙しいと感じるから、やはり
しばらく続けると疲れる

感動して泣いたり泣かせたりすることに疲れる


自分の場合
感動が、「疲れる類いのもの」であると
どうも学ぶ力が出て来ない

感動して疲れて、それを繰り返して人生を使い切ってしまいそうになる


それも悪くはないが
学びの世界は、感動より
もっと粛々とした、浪々とした喜びがあるように思う

巷で感動と呼ばれるものとは縁遠い微弱な信号を受け取る喜び

その密やかな感動は、きっと人に悟られるほど大袈裟なものではない







自分の中のいろんな依存を払拭してゆくと伽藍としてくる

依存を払拭してゆくと
イージーに他者と関わらなくて済むようになる





ポツンと一人で居る

ポツンとした自分の中は伽藍堂だ


そこに
天井から落ちてくる雨漏りの滴のように
一滴ずつ
学問が落ちてくる






コメント
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