Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

普遍

2010-02-08 | ギターの栄養


哲学史というものが起こってから2600年経つそうだが
哲学に於いての普遍的真理の発見は未だ為されていないそうだ

素粒子の集合体であるこの世界は
破壊と構築を繰り返している

エントロピーの法則もしかり
この世に普遍などありえない
今日の善人は明日の悪人
変化そのものがこの世の仕組みであり
その現象を一歩離れた視点から観ることで
皮肉な事に、そこに初めて普遍的な観念が生まれる

いつもどんな時でも
命の営みを模索する時
そこに必ず必要になってくるのはメタ的目線だ

もう一つ外側に視点を置く、という試み


そもそも音楽だってそうではないか

「僕は悲しい」という感情をそのまま表しても
周りは困って手を拱くだけだ

「悲しい、けれど、頑張っている」というように
本人の意識が一つ外側に出ると
初めて相手が関われるスペースが生まれてくる
「頑張っているなら力になりたい」というような共有が生まれる

音楽を奏でたり作ったりする行為とは、更に何段階か外側に出る行為と言える

悲しいという感情を楽器の音色や作曲などの音符に変換して行く作業過程で
幾つものメタ的飛躍を持たざるを得ない

こういうふうにして生まれる音楽というものは当然
相手(聴き手)が関われる幾つものスペースを含んだものとなる

だから共有の多い音楽は、日常的な言葉などより力を持っている

音楽に触れた認知症の人の、
長年の間に凝り固まってしまった筋肉がほぐれたりするのも
音楽がメタ的な視点からの産物だからだ

ということは逆もあり得る

メタ的視点を持ったものならば、
日常会話だって力を持つ事が出来る、ということも出来る

なにも音楽家や芸術家だけが感動を生み出せる魔法使いではない
一億総アーチストっていうことになる

そしてそういう意味で
アートという言語を使って僕は人間全部と友達になれるはずだが
実際はよく孤独に陥る

自分が孤独に苦しくなる時とは
1次元的な会話にしか出逢えないことから生まれる

メタ的多次元で(言葉でなくても良いから)
僕と対話をしてくれる生き物を
僕は常に探している


...恋、も良かろうが
いつか冷めるだろう


生きてる間、ずっと冷めない関係性、対話を
僕は探している



普遍など無い、という対話を
普遍的に出来る相手をずっと探しているのだ













コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする