Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

今、僕が本当に欲しいもの

2010-02-13 | ギターの栄養





100円のノートと120円のノートをあわせて24冊買って

2600円はらいました。



それぞれ何冊ずつ買いましたか。








[解法]



100円のノートだけを24冊買うとすると 100×24=2400(円)・・・水色の面積

はらった金額との差は、2600-2400=200(円)・・・黄色の面積

黄色の部分の横の長さは、200÷(120-100)=10(冊)・・・120円のノート

24-10=14(冊)・・・100円のノート






これこれ
これだった!
自分が数学に追いついていけなくなったのは

数学じゃない、まだ算数だ
小6に出てくる「つるかめ算」





あっ。。。これもだ

[過不足算]




えん筆が何本かあります。
これを何人かで分けるのに、1人に10本ずつ分けると30本余り
12本ずつ分けると18本不足します。
えん筆は全部で何本ありますか。




上の図のように、たてを分けるえん筆の本数、横を人数とすると面積は必要なえん筆の本数となる。
(分けるえん筆の本数×人数=必要なえん筆の本数)
この問題では、図の黄色の面積を求めればよい。

(18+30)÷(12-10)=24(人)・・・人数
24×10+30=270(本)・・・(全部のえん筆の本数)




そしてこれも

[旅人算]

動体視力的な問題に、当時頭がグチャグチャになった記憶も思い出してきた




動いている2つのものの速さ・時間・2つの間の道のりの関係について考える問題。

AとBが同じ地点から反対の方向に進むとき
AとBの間の道のり=(Aの速さ+Bの速さ)×時間






AとBが向かいあって進むとき
出会うまでの時間=AとBの間の道のり÷(Aの速さ+Bの速さ)






AとBが同じところから同じ方向に同時に進むとき
AとBの間の道のり=(Aの速さ-Bの速さ)×時間






AがBを追いかけるとき
追いつく時間=AとBの間の道のり÷(Aの速さ-Bの速さ)















調べてみたらこれら全部小6の課題

同時に自分が小6の時、何やら勉強が嫌いになっていった記憶も甦ってきた

当時、公立の中学ではなく
私立の中学を受験するかどうか、という
子供心に初めての圧迫が押し寄せて来て
その圧迫に押しつぶされて勉強が嫌いになったと思っていたが
そうではなかったかもしれない

勉強が面白ければ受験もある意味楽しいだろう
単なる息苦しい圧迫ではなかったはずだと今なら思える

受験うんぬんより手前に、既に勉強に躓いていたのだな





数学というものは
一つの定理を証明したらそれを使ってまた次段階の問題に挑んでゆく、
ということらしいから
ある一つの定理を理解することに躓いたら
そこから先はず~っと数学が理解出来なくなるのだそうだ

しかも教科書に載っている説明というのは
それらの定理証明を理解することに於いて
必ずしも親切丁寧ではないのだそうだ


「数」を扱ってゆく数学という学問に於いて
一つの答えを導き出すまでには
その過程で幾つもの多次元的考察が生まれてくるのが自然だが
教科書は、そこを紋切り型に「こうだから、こうだ」と言い切ってしまうのだそうだ

だから
その肌触りに異物感をおぼえた子供は
そこで興味を失ってしまうことも多いそうだ


だから理解出来るとこまで遡って
もう一度数学を学び直したい



下手したら、足し算 引き算から本当の意味に於いて理解していかなきゃならないかも
と思いながら、学年別の課題を調べてゆくと
どうやらこの小6のあたりから自分は「数」の面白さを見失ったようだと気付いた

中学の数学になるともう1年の課題から全滅だった



整数と自然数の違いって何だ?

素数って何だ?

因数って?

じゃ、素因数は?


オイラーって何した人だっけ...



πっていうのが円周率の記号だというのを思い出すのも時間がかかった

算数数学用語自体ほぼ忘れてるから
小4で出てくる割り算の答えのことを「商」と呼ぶことも完全に記憶から飛んでいた

かけ算の答が「積」っていうことは、さすがに憶えてたけど...







「球」の定義...

定点Oから一定の距離rにある点の軌跡を球という。
Oを中心、rを半径とよぶ



ふむ...
中心をOと表現するわけか

rが半径か...

じゃ直径は何ていうんだっけ?

それから「定点」ってのは何だ?

いや...これは...「任意のポイントに点を定めた」ということなんだろうけど
こいつに対しては何か定義付けしなくて良いんだっけ?




一つ知ろうとすると、それに関連する用語の意味が判らなかったり
疑問が出て来たりと、いちいち躓く





しかし今になって
なぜ数学を勉強し直したいか


それには理由がある




それは、今自分が知ってるものより
もっと本当の謙虚さが欲しいからなのだ

表面的ではない
ものの条理に添った心の元に
清々しく生まれてくる本当の謙虚さが欲しいからなのだ

人間関係の摩擦にも粟立つことない
自分の身を本当の意味で低く置ける謙虚さが欲しいのだ



理数系の説明にはいつも
自然の摂理に背かない条理が通っている




ベストセラーになった「動的平衡」の筆者である分子生物学者
福岡伸一さんのこういう発言を聴いた


>>>>>>>>>>>>



500年前の科学は、現在よりもっともっと原始的なことを語っていた
ルネッサンス期の最高の頭脳達
当時の最先端の科学者達が集まって何を話し合っていたかというと
待針の玉の上にはいったい何人の天使が乗れるか
ということを大真面目に大激論していた、という

現在、最先端といわれることも500年後にはそういう宿命にある


だから科学者は自戒の意味を込めて
「説明というものは絶え間のない相対的なものである」ということを
知っていなくてはならない

私たちが語っている言葉というものは常に暫定的なものであり
自己懐疑的であることが知性的である最低の条件である



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この真ん中以降の文章

「科学者は自戒の意味を込めて~」から最後まで



僕はこの福岡さんの言葉に
「宇宙全体の中にただ在る、一存在」としてのニュートラルな心を感じるのだ

不動の物理定理の元に
「そこ」に辿り着くべくして辿り着いた
その丘の上から俯瞰した風景を語っている

うねるような大きな流れの中に混じって
ただ流されてゆく一分子に自分を見立て
その自然の流れに背かず、ぽつっと語った飾らない真理

作為の無い大きな謙虚を感じるのだ







この場所に行きたい...






だから

今は

つるかめ算から理数系の勉強し直しなのです











コメント
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