Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

天の邪鬼

2010-02-09 | 竹斎先生


膝の上に乗せて離乳食を与えているときとか
僕ら親が食事をしているときとか
先生はテーブルの上を叩いてバンバン音を立てることがよくある

一つの小さな「抗議」なのだろうと思う

遊びとして床や物などを叩くこともするが
それとは何かニュアンスが違う
この行為には明らかに「抵抗」の要素が含まれている

遊びとして叩く場合は、親の方を楽しげに見ながらやるが
抗議として叩く場合は、こちらの方は頑といっていいほど絶対見ない

スプーンで口まで離乳食を運んでもらい
それはそれで美味しそうに食べているくせに
「飯を貰ったって魂の安売りなどするものか」
といわんばかりに決してこちらの方は見ない



抗議する理由は、その時その時で様々だろうけど
例えば、最近しっかり立てるようになり
背伸びをすると少し見えるようになってきた食卓の上には
いろんなものが雑然と乗っている

抱っこされた時は、親の膝を踏み台にして
興味を持ち始めた食卓の上によじ登っていろいろ遊びたいのに
親がそれをさせじと押さえ込むように抱くからイラッとする
だから叩くとか

親というものは自分の望むように100%自分を見てくれてはいない
そういうことへの抗議として
親が自分に食事を取とらせたがってる事は、一つのパターンとしてもう覚えているので
その行為に抗うことで親を困らせ、自分の存在を一段階濃く印象づけようとするとか

とにかく何かの不満の現れとしてやる



その叩くという行為を正面から止めさせようとしても絶対止めないので
むしろ一緒に叩くことにしている

叩きながら更に歌を歌う
「サッちゃんの歌」の名前のとこだけ先生の本名に替えて歌う

更に、必ず先生が叩いてるテンポに合わせて歌う


自分の名前が頻繁に出てくるこの曲を聴きながら、しかもテンポも同じ

当然、自分の事を歌ってるんだろうな、と先生は感じるので
自分に注目を集めたい、という一つの目的は達成され
更に親を困らせる行為を一歩進化させる行動に出る

叩いてる手を急に止めるのだ

先生が手を止めたら、こちらも歌うのを止める


この攻防を繰り返すうち、先生は自分が指揮者となって、
他者(この場合は父親である僕)をコントロールする面白さを感じるようになる


バンバン叩いてる手を止めると同時に歌も止まる
その時先生は、してやったりという表情を浮かべる

こちらは先生が激しく叩いたら激しく歌い、弱く叩いたら弱く歌う

こうして単なる不満を、なんとか生産的な行為へと変換していってみたいのだ


因みにこの遊びは大分前からやっているので
最近ではフォルテやピアニシモの指揮にも熟練してきた先生である







僕にとって、赤ちゃんという生き物の興味深いところは
僕等大人の原型を見せてくれる、ということに尽きる


生物学の専門的な見地から見たらどういうふうに表現するのか知らないけど
とにかく人間ていうのは「好奇心」が原動力になっていて
今それが湧くものは単純に「好き」、湧かないものは「嫌い」

好きなものは、その行為を重ねて行く中で、他の行為と混ざったりしながら
また別な「好き」を生み出して行く

今、好奇心が湧かなくても、ふとした視点の変化でいくらでも湧くようになる

そして生まれる「好き」という感情は
誰か他者との関わりの中で、相手から認知されると急激に成長する
その成長は将来、必ずクリエイティブな行為を生むと僕は信じている

その瞬間瞬間の好奇心さえ封じ込めなければ
それだけで子育てなんてバッチリじゃん
と楽天的に思ってしまうのだ



ただ、赤ちゃんの場合
いや...
もっとずっと大人になって、手に職を持ったり何かのプロになるまでかもしれない

子供のこういう行動って
単なる相手の気を引くための稚拙な行為であったり
単なる「天の邪鬼」と呼ばれたり
大人の邪魔をする行為と扱われたり
社会性に欠ける行為と叱られたり
こういった「良くない行為」のレッテルを貼られがちかもしれない

でもその行為には「好き」の原型、「好奇心」という命の原型が内包されている


古い神話やら民話やらに登場する百鬼夜行の中で
「天の邪鬼」というキャラは、大悪党にも成り切れない
鬼と人間の中間のような存在で、どこか憎めない

死神のように命を奪うような大それた事もしない
人の心を読み取って悪戯をしかける小鬼である



先生は現在、明らかに
人の心を読み取って悪戯をしかける能力を持っている


親バカな話だが
このウチの天の邪鬼が、将来、
多少なりとも人様のためになるような気の利いたことを為すような成長を遂げるには
今、親として
うっかりすると「悪い事」と決められてしまいそうな「天の邪鬼的な行為」から
どんな面白い発展を導き出せるか
ということにかかってる気がしてならないのだ



こういうふうに
普段「良くない事」というレッテルを貼られるような事柄の裏にある
逆の可能性を見付けるのが僕は好きだ


一般論で「良い」とされてる子育てを一切せず
「悪い」とされることばかりやらせて
先生がアインシュタインみたいになったら、さぞ痛快であろうにと
親からしてバカな天の邪鬼的な妄想の中に居る








こんな話しを聞いた


アメリカでは
子供のうちに優しく育てて、大人になったら厳しくする

中国だったか(ちょっと忘れてしまい定かではないので
アメリカじゃないどっか別の国)では
子供のうち厳しく育てて、大人になったら優しくするそうで
二つの国は全く逆なのだが
統計を取っても、結局どちらかの方針が良い結果を得られるということは一切無いそうだ



親が一世代上の浅知恵を駆使したところで
子の持つ、何億年分の生命存続のDNAプログラムが
あらゆる困難の99.9999999999999999999999.........%を見事にクリアーしてくれる








僕の目論む「天の邪鬼転じてアインシュタイン計画」も

大した時間を有せず淘汰されることだろう



















コメント
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