古い仲間に会った
1週間ほど前に
自分も出た二松学舎の馬頭琴コンサートに訪ねて来てくれたのだ
本番前に声を掛けられ
あ。。。。どこかでお会いしたことありますよね...と言いながら
グルグル頭の中で記憶をたどり
その人からの説明も受けながらすぐに思い出すことは出来た
思い出すと同時に
浦島太郎のような月日が、あっという間に20年ほど経っていたことにも気付いた
20年ほど前
「箱バン」という、飲み屋で毎日演奏する仕事をしていた頃
サポートやレコーディングの仕事なんかが入ると
箱バンには「トラ」と呼ばれる代理の奏者さんに
自分でギャランティをお支払いして入ってもらって
自分は外の仕事をしに行く、というシステムだった
訪ねてくれたのは、当時僕がトラをお願いしていたギタリストのSさんだった
同業者同士、同じ現場に入ることなんてまず無いから
僕は彼と一緒に演奏したことは、多分...無かったと思う
何度かご挨拶をしたくらいだったかと思う
でも挨拶...といったって...
自分が外仕事に行くのに頼んだトラのギタリストさんなわけだから
基本的には「会わない」はずなんだけど、どこで会ったのだろう...
どんな状況で会ったのだろう...
記憶が全く途切れているが
でもSさんの、人並みはずれて穏やかな風貌だけは記憶にしっかり焼き付いていた
穏やかで謙虚で、また非常にシャイな...
なんか
(こんな表現は失礼かもしれないけど)
生き馬の目を抜く都会のギュウギュウした人間関係やら時間の流れの中では
一番、損な役回りを背負ってしまいそうな静かな人...
今、何をやってるんですか?と、こちらから伺ってみると
某、有名な演歌の女性歌手さんの16人編成のバックバンドに在籍しているという
その歌手は一流の人だ
僕はその話しを聞いて、なんだか嬉しくなったのだが
Sさんを目の前にして上手く説明出来なかった
懐かしいだけではなく嬉しい想いも起こってくるのに、何を話して良いか咄嗟に浮かばない
結局大した時間話さず、片付けもあったし、名刺を貰って別れた
名刺を持たない僕は次の日
自分の住所やら電話、メールなんか一式を、彼から貰った名刺に記載されたメールアドレスに送った
箱バンという場所は給料も安く、演奏環境も決して良くはない
いってみれば下積み的な仕事なのだ
当時、その場所に入れ替わり立ち代わり入ってくるトラのミュージシャンの中には
そういう場所を全くの「踏み台」として捉えている人も居た
はなから軽んじていることが態度に出ているような
僕は、幸か不幸かギターを背負ったら
その場所が何処であっても何時であっても
お客さんが居ても居なくても妄信的に演奏してしまうので
自分が演奏しているその場所を(環境の悪い箱バンであっても)
そういうミュージシャンに汚された気がしたものだった
箱バン時代に出会ったミュージシャンの中で
Sさんは一切、そういった奢りを感じさせない人だった
そういう謙虚なミュージシャンが生き残っていたこと
一流の現場に携わっていたことが、なんだか嬉しかったのだ
自分の住所などと共に
訪ねてくれて懐かしくまた嬉しかったことなど簡単に記してメールを送った
Sさんからの返信はなかなか返って来なかったが
その返信が来ない時間の間に
彼のようなミュージシャン(芸術家)が何を考えているか
なんとなく感じられるような気がして僕は静かに待つことが出来た
この返信が1年後に返って来ても、突然10年後に返って来ても
特別不思議なことではないように感じられていた
そして昨日
返信をいただいた
僕にとって
人間には
大して話しもしてないのに
初めから信じられてしまうような人がいる
返信がすぐ返って来ない意味も
返って来た返信の中にある行間に込められた想いも
僕が勝手に信じていたものと食い違わない
やっぱり思っていた通りだった
それを、魂レベルの話としてするなら
今思い返してみれば、20年前に既に信じられていたのかもしれない
いただいた返信にまた返信をしたくなったが
僕は...
それをやめて、今こうしてここに書き留めている
Sさんは僕のブログを知っていると言ってたから
きっとこれを読むだろう
それを想像すると少し照れくさいものもあるが...
でも人間て、面と向かうと、もっと照れが膨らんで言葉が出て来なくなる
この再会が、どんなふうに嬉しかったのか
面と向かったら、しどろもどろになって言葉が出て来なくなって
きっと上手く伝わらないまま、この縁が終わってしまうだろう
そうなりたくないな...
そう思ってここに記すことにしたのだ
この記事を読んだ後
きっとSさんからは返信は無いだろう
(こんなふうに書かれちゃとても返しようがないですもんね)
けれど僕の中でこの縁は続いてゆきます
言葉にならないものが共有出来る相手と会い
久しぶりに言葉に出来ない部分で静かに会話出来た気がしたから