Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

支え

2010-02-21 | ギターの栄養


この世の中に、自分の期待を絶対に裏切らないと思えるものがある

僕にとってそれは夏目漱石の書き残したもの「全て」である



その理由がもし
漱石の残した文章に自分が感化され尽くして
その中に自分丸ごと内包されてしまったからだとしたら
僕はそれの狂信者ということだろう


だけど自分は特筆するような境遇に育ったわけでもなく
思春期には普通に屈折し
どんな音楽家もそうであるように紆余曲折しながら音楽を続けて来た結果
自然とこうなった


中学の頃は「我が輩」を只の漫画のように読んだだけであるのに
歳を追うごとにこうなってきた


このことは、いったいどういうことなのか
偉いお坊さんにでも訊いてみたい



また、逆に
自分が全くその面白みを感じられないものが最高だと感じる人もいる

故意に意地悪をしてるのではないかと疑うほど真逆な好き嫌いがある



それぞれがここまで生きて来た環境の中で培われたものと
もって生まれた性質との絡みで、そういう違いが出来てくるのだろうが
それにしてもここまで真逆とは...全く不思議な感に打たれる



自分の作品は
自分が惹かれるものを
寄り惹かれる方向へと押し進めた結果の産物である

この先の創作も勿論、そういうふうに進めるつもりである

だから
この嗜好のベクトルが違う人とは音楽を作らない方針をとっている

こういう狭い中で自分は音楽をしている


この狭さが落ちつく

狭い方が内側に広くいられる



残された文章の中そこここで
漱石も同じようなことを感じてることを記している





もし漱石という文学を、世間が評価していなかったら今頃、
僕という人間も
僕の生み出す音楽も
ただの社会性の乏しい未成熟なものとして
行き場の無い闇の中にジタバタしていたかもしれない


かろうじてこうして生きていられるのは
ひとえに漱石という人の価値観がこの世に存在していた時間があった、という事実と
漱石の作品が世の中に評価された、という事実があるからである



しかし何故、漱石の文学が評価されたのだろうか

文系の妻に訊ねてみると
漱石と鴎外が日本文学の二大双璧、ということらしい

二人の共通点は、どちらも理系の定理を重んじているということ

人物の動きを表すにしても背景の移り変わりを表すにしても
物理の定理から外れた表現をしない

言ってみれば
地球の周りを太陽が廻るかのようなことは決して書かない

だから時代が変わっても貫く背骨が揺るがない

時代背景によって刻々と変わる価値観をテーマに書いたものなら
すぐに淘汰されるだろう


自分の音楽も、そういうものでありたい
と思うから
自分の価値観が良きにつけ悪しきにつけ漱石と重なることは嬉しい



ただ
自分と真逆な人達は
どんな普遍性を支えにして生きているのだろう
何を支えに音楽しているのだろう...



こういうことに於いて、ちっとも客観性を持てない自分は
ただただ不思議でしかたない







いつか偉いお坊さんに是非

訊ねてみたいと思うのだ














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無償

2010-02-21 | ギターの栄養



何もしないでジッとしてる

大切な人が発する小さな信号を聴き逃さないように
もうずっとさっきから


自分の立てるノイズの一切を封印して
命の気配さえ消して
そのうち僕はキミに忘れられてしまうかもしれないくらいに




キミの命に僕の命を重なり合わせることだけが
僕に残された最後の...










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12.0

2010-02-21 | 竹斎先生





12.0かぁ...









もうちょっとで要るかな、と期待を込めて買ってきた






ちっちゃくて可愛いなぁ





先生の靴








早く歩け~





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