どんな小さな行いでも、いざ実行しようとするとわたしはしばしば非常な障害にぶつかるのだが、それもわたしに対して示された恩恵のひとつのしるしなのだ。というのは、それだからこそ、ごく平凡な行いによって、人目をひくこともなく、わたしは木の根をたち切ることができるからだ。どんなに世間の風評からは超然としていても、並みでない行いには、人を刺激するものが含まれていて、それをとり去ることはできない。こういう刺激するものは、平凡な行いにはまったく見られない。平凡な行いをするのに、並みでない障害に出会うというのは恩恵であって、それを感謝しなければならない。その障害がなくなるようにと求めてはならない。恩恵によってそれを役立たせてくださいと切にねがわねばならない。
さらに広くいって、自分のかずある不運がただのひとつでもなくなるようにとねがい求めずに、それらの不運を光り輝くものとしてくれる恩寵をねがい求めることである。
シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)』田辺保訳、筑摩書房、1995年、64ページ。
役立たないことはない。
さらに広くいって、自分のかずある不運がただのひとつでもなくなるようにとねがい求めずに、それらの不運を光り輝くものとしてくれる恩寵をねがい求めることである。
シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)』田辺保訳、筑摩書房、1995年、64ページ。
役立たないことはない。