A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

借りた場所、借りた時間

2005-07-07 23:47:38 | 美術
借りた場所、借りた時間
photographersユ gallery横浜展
2005年6月25日(土)~7月10日(日)
BankART Studio NYK
photographers' gallery

 新宿にある写真家によるフォトギャラリーphotographersユ galleryの横浜展。ギャラリーの移動展のためなのか「借りた場所、借りた時間」というタイトルがつけられている。思えば、展覧会というメディアはすべて「借りた場所、借りた時間」である。一定期間ひとつの場所で同じ作品を展示する。期間が終われば、撤去して真っ白な壁なり床が出現する。つまり、美術作品とは、その「借りた場所、借りた時間」のあいだに何ができるか、ということだ。
 では、この10人の写真作家による展覧会で、何ができたのだろうか。本山周平の「2005年4月1日」は9枚の同じ場所を写したものと思われる写真が一枚のプリントに並んでいる。撮影行為のつながりも感じられるこの連作からは、一つの場所を複数の視点、位置からとらえ、それを一つのプリントに並べることで、一つの写真への情報の読みとりを拡散させる。4月1日という日に見たであろう、景色を連続してみるような心地にさせる。別にそれが4月1日でも、7月7日でもかまわないのだが、そう規定されることで、ひとつの4月1日のドキュメントとなる。例え、エイプリルフールだからとこれらが別々の日に撮られた写真でも、違う場所の写真が混じっていても、かまわないのだ。同じ白黒の色調の9点の作品からもうひとつの「場所」を再構成し、一つの場所を形作ること。そう、1日が複数の出来事によって成り立っているように。
 北島敬三の「PORTRAITS」は白いシャツを着た人物を白地を背景として撮影されたシリーズである。定点観察のようなこのシリーズは、時間がたつにつれて、それぞれ人によって髪型が変わり、しわが増え、痩せたり太ったりする。もちろん生きてる限り、髪はのびるし、飲み食いするのだが、極端に抑制された白シャツに白地の背景がそれら顔に刻まれた時間の痕跡をより際立たせるのである。モデルとなる人物が無表情であるのも、容易に人物の特徴が読み取れないことに作用しているだろう。今までの展示では、時間軸を通して展示することはせず、バラバラにして展示していたようだが、今回は比較的時間軸にそった展示であった。時間軸上に展示することによって、より顔の変化に気付きやすいと言える。このような「PORTRAITS」シリーズは、人の顔を注視すること、些細な変化に眼をむけることを要求する。つまり、「見る」という行為の奥深さに気づかされるのだ。