Illuminations 筑紫拓也展
2005年6月25日(土)~7月20日(水)
ツァイト・フォト・サロン
東京都中央区京橋1-10-5松本ビル4階
日本庭園の池の水面を撮った写真作品である。それだけなら美しい写真はいくらでもあるだろう。だが、筑紫の切り撮った写真は見たことのない像をわれわれに見せる。べつにCG加工したわけでも、赤外線写真などの特殊なカメラを使ったわけでもない。
写真を逆さまにしたのである。
見えていた像は、安定したかたちを失い、上下天地を消失する。くらくらするような、視角の不安定さから、写っている対象を認識するという写真作品特有の見方を消失させるのだ。石がぽっかりと上空に浮かんでいたり、ビルの手前に水の波紋がひろがる、というように非現実感漂う風景が存在するのである。
池というのは不思議なものだ。透き通った水が鏡のように外界の風景を写し取る。もうひとつの壊れやすい現実世界。われわれが池の水面をじっと眺めるとき、同じような目眩にも似た、幻惑感を抱いてはいないだろうか。フレームに切り取る過程を通して、水面と陸の境界は溶け合い、境目がわからなくなる。自分はどっちの世界の住民なのか。モネの睡蓮の作品を思い出すまでもなく、溶け合う世界を相照らし出す池の水面は、もうひとつのカメラアイ(視覚)だったのかもしれない。
2005年6月25日(土)~7月20日(水)
ツァイト・フォト・サロン
東京都中央区京橋1-10-5松本ビル4階
日本庭園の池の水面を撮った写真作品である。それだけなら美しい写真はいくらでもあるだろう。だが、筑紫の切り撮った写真は見たことのない像をわれわれに見せる。べつにCG加工したわけでも、赤外線写真などの特殊なカメラを使ったわけでもない。
写真を逆さまにしたのである。
見えていた像は、安定したかたちを失い、上下天地を消失する。くらくらするような、視角の不安定さから、写っている対象を認識するという写真作品特有の見方を消失させるのだ。石がぽっかりと上空に浮かんでいたり、ビルの手前に水の波紋がひろがる、というように非現実感漂う風景が存在するのである。
池というのは不思議なものだ。透き通った水が鏡のように外界の風景を写し取る。もうひとつの壊れやすい現実世界。われわれが池の水面をじっと眺めるとき、同じような目眩にも似た、幻惑感を抱いてはいないだろうか。フレームに切り取る過程を通して、水面と陸の境界は溶け合い、境目がわからなくなる。自分はどっちの世界の住民なのか。モネの睡蓮の作品を思い出すまでもなく、溶け合う世界を相照らし出す池の水面は、もうひとつのカメラアイ(視覚)だったのかもしれない。