佐渡の翼

佐渡の観光名所紹介、佐渡の宿泊施設の宿泊記、佐渡の全飲食店と東京都内高級レストランの食べ歩記、ヨーロッパ及び国内旅行記事

i8ロードスターのPR動画を記事の最後尾に貼り付けました

動画に登場するi8ロードスターと全く同じ車体カラー、ホイール、内装、の右ハンドル車が、8月6日に千葉港へ到着し、通関手続きが完了いたしました。そして、新車整備、車両登録も完了し、9月2日に無事納車されました。従いまして、日本上陸第一号となったi8ロードスターの全貌を、9月6日に当ブログ上で公開いたしました。9月18日には、Keiyo BMW千葉北支店のフェイスブック(https://www.facebook.com/keiyo.bmw.chibakita/)でも紹介されました。このフェイスブックには、スマートキーをリモコン代わりに使用して、i8ロードスターの屋根を開閉する動画も掲載されています。更に、7月6日に発売されたホンダS660のcomplete modelである、ModuloXは、9月23日に無事納車となりました。 2018年9月24日現在

i8ロードスターPR動画

https://twitter.com/i/status/988688999794409472

片野尾歌舞伎定期公演(来賓挨拶編)    投稿者:とある旅人

2010年07月16日 06時00分34秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

アミューズメント佐渡などで不定期に映画が上映されることはあるものの、佐渡には常設の映画館などはまだ無いのが現状だ。その昔、娯楽の少なかった佐渡には両津に常設の映画館があったようだし、金井には芝居小屋などもあり、けっこうな賑わいだったそうだ。佐渡では様々な伝統芸能が伝承され今日に到っている。能、鬼太鼓、佐渡おけさなどがその代表格だ。歌舞伎も役者が来島した折に伝えられたらしく、ここ片野尾の地でひっそりと受け継がれて来た。一時期小木にも歌舞伎小屋があったらしいがこちらはすたれてしまい、今では佐渡で歌舞伎の定期公演を楽しめる集落は片野尾だけになってしまった。ありとあらゆる娯楽が手に入る現代では、歌舞伎は銀座の歌舞伎座へ行けば超一流の歌舞伎役者の大向こうを唸らせる大芝居を堪能できるので、何もわざわざ佐渡まで歌舞伎を見に行く必要はない。しかし、銀座歌舞伎はプロの役者が演ずる有料の都会派お芝居なのに対し、片野尾のそれは地元民が演ずる素朴な無料の田舎の出し物である。片野尾では、2年毎に歌舞伎の定期公演が開催されており、2年前に第16回目が開催されるはずであった。ところが波浪災害の復旧作業が優先されたためその年の開催は延期となり、今年4年ぶりに定期公演の開催にこぎつけられたと、片野尾歌舞伎保存会会長がしみじみと語っていた。

私は4月18日の午前10時に片野尾ふるさと館に駆けつけ、開幕を今や遅しと待ち構えていた。保存会会長の開会の挨拶の後、来賓祝辞なる退屈な30分が続いた。退屈と言うのは一般の人にとって退屈だろうという意味で言ったのだ。ところが私にとっては、地方自治体の首長や落選議員、地方議会議員などの来賓祝辞にかこつけた、これみよがしの政策アピールパフォーマンスと政治成果誇示の臭い田舎芝居を見物できる格好の舞台であった。

まずは佐渡市長のご挨拶。慶応ボーイらしく控えめでソツがない。人当たりの良さが功を奏し離島の市町村会長などをお勤めになったのであろう。佐渡市議会で佐渡の文化芸能に関する議連を形成する予定があるという趣旨のお話をされていた。次いで先の総選挙で落選の憂き目を見た地元選出の前代議士がご登壇。相変わらず「農林水産副大臣を勤めていたおかげで波浪被害の復興に何とか貢献できたかな」と言いながら自慢話を始め、自公政権下ではほとんど権限がないに等しい副大臣という肩書きに、さもご威光があるかのような幻想を選挙民にふりまき、傍目には、ひたすら虚勢を張り続ける笠張り浪人の悲哀を漂わせていたように思えたが、次回の総選挙では是非とも捲土重来を期して頂きたいものである。次いで男女の県議会議員が交互にご登壇。「これだけの人々が集まるのだからこの建物はもっと大きなものを建設すべきであった」とか「佐渡の伝統芸能を守るためにはそれなりの予算措置も必要。微力ながら努力していきたい」などと、箱、物、金の利益誘導型のどぶ板地方政治の一面を垣間見せてくれ、どさ回りの歌舞伎役者も顔負けの大根役者ぶりを皆さんいかんなく発揮してくれていた。


加茂神社    投稿者:とある旅人

2010年07月15日 06時00分09秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

1月中旬のとある日、私は、畑野栗野江にある加茂神社を訪ねてみた。県道南線を両津方向から向かうと、畑野のセーブオンの斜め向かいに左斜め方向に入る道がある。案内看板があるので場所を間違えることはない。この道をしばらく南下すると、やがて右手に大きな本殿らしき建物が見えてきた。これが加茂神社だ。佐渡の加茂、雑太、羽茂の旧3郡の境にある神社。神社正面の鳥居の所まで回りこみ、そこに車を停めた。鳥居近くの狛犬には何らかの特徴があるそうなので、デジブックの画像をとくとご覧頂きたい。それほど良い顔でもない親と同じような顔立ちの子を親が大事そうに抱え込んでいる狛犬がいる。この子は玉を持っているので、多分子孫繁栄と招福を祈願したのであろう(越佐旅の絵本による)。この神社が変わっているのは、正面から入るとまず本殿があり、次いでその向こうに拝殿があり、しかもその拝殿に向かう階段部には雨よけの小屋根がくっついている事だ。江戸初期の名匠、水田與左衛門作の手の込んだ建築物だそうだ。そしてその向こうに金立神社の小さな建物がある。京都の上賀茂神社と下賀茂神社に擬せたのだという。拝殿の廊下部分にある擬宝珠に施された「クモ」の彫刻のセンスがいいという評判だ(越佐旅の絵本によると)。ま、神仏学的には有名にして重要な神社らしいのだが、島民には意外に知られていないようである。

割烹「萬代」(ANAクラウンプラザホテル新潟)   投稿者:佐渡の翼

2010年07月14日 06時00分59秒 | 国内高級ホテルレストラン・料亭食べ歩記
4月中旬のとある日、筆者は、ホテル新潟の1階にある割烹「萬代」にお邪魔した。ここは2日前までの完全予約制のお店である。午後8時半丁度にお店に到着した。靴を脱ぎスリッパに履き変えてから入る形式の料亭である。筆者には入り口に程近い「菊」の間という10畳ほどの個室が用意されていた。営業時間は午後9時までなので先客はほとんどいなかった。お部屋からはライトアップされた日本庭園などを見渡す事ができ、地元政治家の会合用に格好の料亭のように思えた。メニューは「春の宵(8400円)」を事前に依頼しておいた。

お酒はいつものように〆張鶴と八海山を注文した。前菜は「蛍烏賊の有馬煮、わらびの山かけ、姫サザエの化粧焼き(サザエの表面に溶き卵を刷けで塗ってから焼いたもの)、手長海老の焼き物、田楽、天豆」であった。いずれも手の込んだ美味しい先付けである。椀物は「姫皮豆腐、海老の葛打ち、うど、ぜんまい」、若布のすり流しを入れた丁寧なダシ味で上品に食べさせる一品だ。味のレベルは非常に高い!御造りは「旬の三種盛り」。真鯛、本鮪、甘エビである。鮪はこの時期本鮪が獲れるには少し早いかなという感じなので、多分冷凍解凍鮪かもしれない。色があまりよくなかったからだ。焼き物は「桜鱒の山椒焼き、焼き筍、焼きうど」である。火入れ加減は抜群の美味さだった。温物は「蛸のさくら煮、里芋、南瓜、桜麩、蕗」である。いい甘さに煮含められた蛸と春のお野菜の数々であった。揚げ物は「桜海老を何匹かまとめてからしその葉でくるみ、それを春巻きの皮で巻いて揚げたもの」これにアスパラと椎茸の天麩羅が付いていた。お食事は鯛茶漬け(画像)。厚めに切った鯛の上には胡麻だれがかけられ、銀座の★日本料理屋「うちやま」ばりの仕上がりようだった。これに昆布と鰹で丁寧に取ったダシをかけて食べるのだが、いや実に美味かった。ダシ汁も残らず全て飲み干してしまった。お運び担当の着物姿のおねーさんは、小股の切れ上がったいい感じの熟女系の新潟美人ときている。筆者の食べ進む速度はかなり速かった。

にも関わらず、お料理は絶妙なタイミングで出され、しかもスピーデイーきわまりなかった!まるで部屋の中に隠しカメラを設置し、それで客の食べ進む様子を厨房からモニターしているかのようであった。筆者は部屋の中をぐるりと見渡してそのような物が無い事を確認はしたのだが。。。

食後のデザートはイチゴとメロンとパインのシャーベット。お酒二本とサービス料込みのお代は12,012円。お大尽気分で美味しい会席料理を堪能させてくれる、ホテル新潟の割烹料理屋「萬代」さんだった。

ブラッスリー「レカン」(東京上野)   投稿者:佐ガット覆面調査員

2010年07月13日 06時59分42秒 | 国内高級ホテルレストラン・料亭食べ歩記
4月下旬のとある祝日、私は、上野駅構内にあるアトレ上野のレトロ館1階にあるブラッスリー「レカン」を訪ねてみた。ブラッスリーとは、気軽に食事やお酒を楽しむ庶民派レストランの事である。東京駅がどことなくハイソな雰囲気なのに対し、上野駅は地方から上京してくる田舎の人々が多く集まる場所という印象を持つのが一般的ではないだろうか。このブラッスリー「レカン」は、新幹線の東京駅乗り入れで皇族方が利用しなくなったのを機会に閉鎖された、昭和7年竣工の上野駅の貴賓室を改装して8年前に開店したレストランだそうだ。銀座の老舗フレンチ「レカン」の姉妹店として営業する際、あえて「ブラッスリー」の名を冠したのは、手頃な値段で多くの人にフレンチを楽しんでもらおうという意図があったからなのだろう。

午前11時半丁度にお店にお邪魔した。お店は上野駅の正面玄関を入ってすぐ右手の所にあった。入り口が一段高くなっているのが元貴賓席の証だ。店内はL字型になっており、天皇が御休憩になった部屋は奥の方らしく、そこには4人掛けのテーブル席が幾つか置かれていた。高い天井、アールデコ調の内装、大理石をちりばめたようなキラキラ空間などはまさに「レカン(宝石箱)」と言えようか。私は入り口に程近いベンチシートの空いている好きな席に座るよう指示された。私が来店した時は、ベンチシートもその真向かいの4人掛けのテーブル席も空席であった。ランチコースは4種類ほど用意されていたが、私は一番軽い、スープ、メイン(めかじきのポワレを選択した)、紅茶からなるコース料理を注文した。注文後わずか2分ほどでカボチャのポタージュスープが運ばれてきた。予め作り置きしておいたスープを皿に注いで持ってきたような感じではあったが、意外にも美味しかった。スープを飲み干すと、今度は5分ほどでメインのポワレが運ばれてきた。遅くとも10分以内にお料理を提供するのが駅中や駅前のレストランに共通する現象のようである。それはそうだろう、優雅にお料理を運んでいたら列車に乗り遅れかねないからだ。急いで作ったポアレにしてはまずまずのお味だ。ソースはラズベリー風味のドロっとした物で、色があまり綺麗とは言い難い!しかし、ま、全体として標準以上の味のレベルは維持していた。これで1600円の安さだ。それもそのはず、パンに付属するバターは安っぽい物だし、テーブルクロスは布の上にビニール製の物をかけて二重にしてあった。ただし、銀座の本店は男性はジャケット着用でジーンズは不可という敷居の高いドレスコードだが、こちらはTシャツ・サンダル履きもOKの気楽さだ。銀座のようにめかし込んだ客などは皆無だったが、お安い値段で気軽に本店さながらの味わいが堪能できる貴重なお店だと思う。上野駅から上越新幹線を利用して新潟に向かう時、時間に余裕があれば是非訪ねてみてはいかがでしょうか。

喫茶とパン工房「クレアーレ」    投稿者:佐渡の翼

2010年07月12日 06時00分09秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記
4月中旬のとある日、筆者は午後5時35分発のジェットフォイルの最終便まで1時間ほどの時間の余裕があり、丁度小腹が空きかけた頃に、両津の外城橋の麓にあるパン工房「クレアーレ」さんにお邪魔した。以前はガソリンスタンドだった所を改装して開店したようであった。パン、スイーツ、ピザが主流だが、サンドイッチやチーズフォンデユーなども提供しているようである。入り口を入って左手がパン工房になっており、ここで好みのパンやスイーツを選んでから右手の喫茶部門で食べるというしかけになっていた。筆者は飲み物を飲むのが目的だったのでいきなり右手の喫茶室に入った。先客は地元の女性三人組だけ。メニューを見たら、クイニーアマン、ベルギー風ワッフル、小マカロン、エクレア、パンプリンなどの洒落たスイーツメニューが並んでいた。ブッシュ前大統領が喉につまらせたというプレッツエルなどまであった。しかもどれも実に安い!高いのでもせいぜい350円程度だ。この安さとおやつ感覚で食べられる気軽さから、部活を終えて小腹を空かせた地元の女子中学生御用達のお店のようで、その手の女子集団がほどなくして来店した。彼女らのgenerationの共通の特徴は「意図的に標準語を話そうと背伸びする事」であろう。新潟あたりにでかけて田舎者だと思われたくないという見栄がそうさせるのかもしれまい。しかし彼女らの会話を注意深く聞いているとどこかに佐渡アクセントが混入して来るので、相当背伸びしているのは間違いない。

ま、それはともかく、筆者はジャスミン紅茶を注文し、次いでメニューの上方にある「食べてみてからのお楽しみ!パンドラの箱」というスイーツに目が留まった。何が入っているのだろう?本当に興味本位でそれを注文してみた。するとおねーさんは「まだあるかなあ~」と言いつつ奥へと消えていった。どうやら人気のスイーツらしい。やがて「あと5個残っていました。私の方で選んでもいいですか?」と言いながら戻ってきた。出された「パンドラの箱」なるスイーツは5センチ四方の食べ切サイズでアーモンドが入ったパン生地でできていた。その中身とは「粒あんこ」であった。「パンドラの箱」と言う大仰なネーミングとの落差が大きかったが、小腹を満たすには丁度いい分量で、夕食前だと言うのに、一個丸まるを食べてしまった。

だけど、「パンドラの箱」というネーミングには無理があるように思う。「パンドラの箱」とはそもそも禁断の箱であり、開けてはならぬものの総称だ。「開けてみてからのお楽しみ!」と言う意味を込めたいのならば「玉手箱」の方がしっくりくるだろう。

ま、そんな事は実に些細な事であり、食べて美味しければそれで良かろう。表参道前のカフェ顔負けのお洒落で美味しいスイーツ&ブレッドが楽しめるお店、それが両津の「クレアーレ」さんだ。スイーツ好きの女性にはお勧めのお店です。

天厨菜館(新宿高島屋)      投稿者:佐渡の翼

2010年07月11日 06時00分32秒 | 国内高級ホテルレストラン・料亭食べ歩記
新宿高島屋の14階にある中華料理レストラン、「天厨菜館」、ここは銀座にもお店を展開している。天厨とは「天子の台所」即ち皇帝の料理番を意味する。つまり宮廷料理の腕利き職人が多数いるお店ということなのだそうだ。しかし、だからと言って必ずしも美味いというわけでもない。筆者は昨年12月31日のお昼にこのお店を訪ねてみた。当日の東京の天候は快晴だったが風が強く、最高気温は11度とけっこう寒かった。天気予報によれば、当日の越佐海峡の波高は7メートルで、両津発の12時台のカーフェリーが出た(新潟発は欠航)のを最後に終日欠航という、佐渡は大荒れの大晦日だったようだ。午前11時40分頃にお店に到着。暮れの都心のレストランは大抵どこも空いているがここも例外ではなかった。店内に入ってから、ようやく以前来たことがあるお店だということに気づいた。布製ではないオレンジ色のテーブルクロスに見覚えがあったからだ。確か以前訪ねた時もお料理はそこそこだったように記憶している。

筆者はランチAコース(1450円)というのを注文した。注文後7分ほどでお料理が運ばれてきた。「烏賊、海老、牡蠣(三陸産)、きのこの中華炒め、土鍋入りマーボー豆腐、海老餃子、漬物、卵スープ、ご飯」のセットである。まずスープを飲んでみた。少し胡椒が効きすぎているがまずまずのお味。しかし、中華炒めのお味は、都心の高級ホテルの中華レストランのそれに見られるような繊細さを全く欠いていた。されどマーボー豆腐は激辛で、こちらは美味しかった。ご飯はまるでもち米のような感じであった。何と言っても1450円という安さだ!止むを得まい。ホテルペニンシュラ、グランドハイアット東京、マンダリンオリエンタルホテルなどの中華料理と比べられるはずもなかろう。昨日が高級ホテルでのランチだったので今日は少しグレードの低いところで大人しくしていようと思ったのが間違いだった。やはり年末は豪勢にやった方がいいな。そう思いつつ、セールの前倒しにも関わらず人気(ひとけ)の少ない衣料品売り場を見やりながら、歳末の新宿を後にした。




藻浦崎公園(佐渡市北片辺)    投稿者:とある旅人

2010年07月10日 06時00分52秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

外海府海岸に沿って県道45号線を走行すると、南片辺の長いトンネルを抜けて道路が右へカーブするあたりに「夕鶴の碑」という看板が見えてくる。ここには村の集会場があるだけだけだが、その真向かいにちょっとした雑貨屋のようなお店があり、その横に海岸へと向かう小道がある。ここを歩いて行くと「藻浦崎公園」に突き当たる。この公園では植物の採取が禁じられており、キャンプも許可されていない。しかし、芝生があるのでピクニックや海岸での海水浴は可能である。藻浦崎は入崎ほど大きな岬ではないが、外海府海岸から日本海に突き出た岬の一つである。岬の西側は漁港になっていた。この公園をまっすぐ歩くと、やはりと言おうか当然と言おうか、神社の祠があった。佐渡では岬には必ずと言っていいほど、航海の安全と豊漁を祈願するための神社が建立されている。ここも例外ではなかった。海からの潮風が心地よい公園である。ふと見たら、一組の家族連れが楽しそうに海水浴に興じていた。



フォニックフープ(新宿5丁目)   投稿者:佐渡の翼

2010年07月09日 07時04分17秒 | 国内高級ホテルレストラン・料亭食べ歩記
4月下旬のとある日曜日、筆者は新宿5丁目にあるカフェバー「フォニックフープ」を訪ねてみた。このお店、靖国通りを越えるとオネーサマの巣窟新宿2丁目だし、明治通りを越えると歌舞伎町という絶妙な立地にある。午後12時開店で翌朝の午前5時まで営業している。従って、終電に乗り遅れた人々の貴重な溜まり場とも成っている。一階はカウンター席、二人掛けの席、8人ほどが座れるソファー席から成っており、レゲエ調のBGMが流れていた。先客は皆無で、筆者は二人掛けの席へと案内された。足踏みミシンの足台のようなテーブルだ。アラビアンナイトのような内装か?地下もあるらしいが、見るのは憚られた。ランチはどれも850円!筆者は「ローストビーフ、ポテトフライ付き」を注文した。ライスかバゲットを選べたが、バゲットを選択。まずコンソメスープが運ばれてきた。次いで5分ほどでお料理ができあがった。ローストビーフが4切れ、これにサラダとじゃがいもをザックリ切って素揚げにした本物のポテトフライが付いていた。まずローストビーフを味見してみた。美味しいな!ポテトフライもよろしい。バゲットはフランスパンが3個あったが1個食べただけで終了。最後にアイステイーをガムシロップを入れずに飲み干した。お代は1000円丁度。適量だったな。

トイレに入ってびっくり。トビラを開けるとトイレの便座カバーが自動で開くというサテイ製だ。イルミネーションまであって怪しく瞬いていた。あっち系もこっち系も懐深く包み込む新宿の癒しの安らぎ空間、それがここカフェバー「フォニックフープ」だ。

フォニックフープ
東京都新宿区新宿5丁目10−1
03-6380-6604

割烹中庄(佐渡相川)   投稿者:メシュラン覆面調査員

2010年07月08日 06時00分52秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記
僕は佐渡国相川雛祭りの最終日にあたる3月下旬のとある日のお昼、相川の天領通りに面した割烹中庄さんにお邪魔した。丁度「りき寿司」さんのお隣近くにこのお店がある。僕のお目当ては、雛祭り期間中だけに提供される千円の雛祭り御膳だった。午前11時半丁度にお店に到着。店内には、10席ほどのカウンター席と、座敷席が5~6卓あるようであった。白と黒で統一されたインテリアだ。この時期のランチは雛祭り御膳だけのようで、先客の4人の観光客風の皆さんは、それの出来上がりを待っていた。

注文後10分ほどで雛祭り御膳が出来上がった。お弁当箱の中は6区画に分かれていて、それぞれに色とりどりのお料理が詰まっていた。これにご飯、茄子の浅漬け、なめこのお味噌汁と餡入りのおこしかたが付いていた。僕が「お造りの白身は何ですか?」と尋ねたら、お運びのおねーさんは「さあ~、後ろの方で作っているので私には分かりません」と答えたが、鯛っぽい味がして非常に美味しかった。同様にやりいかも美味。焼き鮭には玉子焼きとポテトサラダ風の何かが付属していた。天麩羅は茄子、ピーマン、そしてれんこんだが、れんこんの穴に魚のすり身を詰めて揚げていた。これらも美味しい。めかぶの酢の物、茶碗蒸し、甘エビのしんじょ、いずれも文句無く美味しい!このお店、味のレベルは相当高いな!佐渡の他店でお弁当を食べると、東京のお店で食べても無論そうなのだが、必ず一品二品、僕の口に合わない微妙な代物が混じっているものだが、このお店ではそういうものが一つも無く、全て美味しかった!割烹「中庄」さん、店名は控えめだが、お味の方は最高級だな。僕の評価は文句無しの★★★だよ。この調子なら夜の一品料理も期待できそうである。

中華料理の「達磨」(東京新宿)   投稿者:メシュラン覆面調査員

2010年07月07日 06時00分08秒 | 国内高級ホテルレストラン・料亭食べ歩記
昨年の9月中旬のとある日、僕は新宿3丁目にある中華料理の人気店「達磨」さんにお邪魔した。午前11時23分頃にお店に到着した。このお店は家具の大塚屋の真向かいにある。裏手は丸井シテイに面しているので、客層は丸井の従業員が多いが夜ともなると歌舞伎町のホストがやってくる。店内を流れるBGMは威圧感ゼロのポール・モーリア系イージーリスニング。先客はおばちゃんとおじさんの二人連れだけ。僕は蟹肉あんかけ炒飯(千円)を注文した。僕が「ご飯は小盛りで」とお願いしたら、法被を着たウエイターのおじさんは、その言葉を無視するかのように、「こんな店で小盛りなんて注文するなよ。ちゃんと普通盛りを食べな」と眼鏡の奥の目が語っていたように思えた。

8分ほどで普通盛りの蟹肉あんかけ炒飯が出来上がった。まず付け合わせのスープを一口飲んでみた。う~ん、美味い!こりゃあ~期待できるなと思った。あんかけ炒飯ゆえ、炒飯はパラパラ感のあるものに仕上げないと美味くない。炒飯は卵炒飯だったが、期待どおり、パラパラ感のある極上品だ!あんかけの蟹肉は、新宿3丁目の大衆中華料理屋ゆえ当然缶詰を使用していたが、椎茸、ピーマンを加えてほどよい塩加減に調節されていた。あんかけと炒飯がよく絡み合って実に美味しいなあ~。全量を完食!この「達磨」さん、平日の昼時ともなると行列ができるほどの繁盛店!一度お試し下さい。


尾平神社(七浦海岸大浦)    投稿者:とある旅人

2010年07月06日 06時00分24秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

七浦海岸沿いに「大浦」という集落がある。この集落に安産と子供の健やかな成長を祈願する神社として知る人ぞ知る神社がある。それが尾平神社だ。本殿の軒下には二十四孝の彫刻が彫られていて、これらは佐渡の彫刻の水準の高さを感じさせるもので必見とのことだ。デジブックにアップした画像をご覧頂きたいが、中央部の彫刻は「母の飢えを救うため子を捨てた両親が金塊を得る図」で左側の彫刻が「捨て身で母に食べさせる鯉を得た」図だという(越佐旅の絵本の説明によれば)。どういう意味かお分かりであろうか?彫り師は沢根の間島家の先祖で、日光東照宮造営の技術を伝承した人だそうだ(越佐旅の絵本の説明によれば)。大浦には旧道があり、私はこの道路沿いの民宿のおじさんにこの神社の場所を教えてもらった。

賽銭箱の上の鈴振り用の縄に昨年の七五三の折にぶらさげたとおぼしき、成育祈願のための七歳の女の子、五歳の男の子、三歳の女の子の三人分の可愛らしい絵馬があった。そのうちの一枚には「七歳 小川彩花」と書かれていた。



越後屋八十吉     投稿者:メシュラン覆面調査員

2010年07月05日 06時00分23秒 | 国内高級ホテルレストラン・料亭食べ歩記
昨年の12月下旬のとある日、僕は銀座4丁目、丁度歌舞伎座の隣にある、炭火焼干物食堂「越後屋八十吉」にお邪魔した。開店は午前11時だが、僕は11時14分頃にお店に到着した。先客は皆無!店内には6席ほどのカウンター席以外に奥の方に4人掛けのテーブル席が幾つかあった。2階と3階にもテーブル席があるようだった。店に入ると、まずいきなり注文お会計を済ませる方式。まるで観光地の食堂のようだ。ちょっと銀座らしくないが、これも客の回転を良くするための方法なのだろう。メニューは店外に掲示されているが、全国から取り寄せた様々な魚介を使用した干物を炙り、それにご飯、漬物、味噌汁を付けた干物定食のみ。実にシンプルで分かりやすい。店員さんは、旬はめばると寒鰤ですと言ったが、僕は関サバの開き定食(1200円)を注文した。

店の入り口の横の所に魚の焼き台がある。通りに面したオープンキッチン形式だ。鉄製の網の下には備長炭が燃えており、ここに魚の干物を乗せてじっくりと焼き上げる。焼き方はこの道何十年のベテランのようだ。待つこと11分ほどで定食が完成した。まるで築地場内食堂で出される定食のようだが、味もまた素朴で実に美味しかった。大分から直送した関サバは脂が乗り、更に干物にすると、この旨みが一挙に凝縮されるため、えも言われぬ美味さに仕上がる。ご飯と味噌汁がこれまた美味いのだ!

食べ終わるまでの20分間に、常連らしきおじさんが二人とおばさん二人組みが客として来ただけ。無論、めかしこんだデートカップルなどは来なかった。


本典寺(佐渡相川下寺町)    投稿者:とある旅人

2010年07月04日 06時00分48秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

本典寺は下寺町の豪商、山田吉左衛門が建立した寺とされている、法華宗のお寺である。この寺が有名になった理由は、質の悪い小判を鋳造し、元禄時代の日本の経済を混乱させた張本人として悪名高き荻原重秀親子の墓が存在する事による。しかし実際の荻原重秀は、財政破綻寸前の江戸幕府の建て直しに努め、小判を単なる貴金属としか扱わなかった時代に、「貨幣=政府保証のある交換品」という概念を導入し、世界に先駆けて斬新な経済システムを構築しようとした、経済再生化の一大功労者である。認識を新たにする必要があろう。政治家と言う者は後世の歴史家により、治世当時よりも高く再評価される事がままあるという典型であろうか。重秀は、「貨幣は国家が造るもので、たとえそれが瓦であっても造るべきである。近頃の小判は、これまでのものより粗悪であるが紙よりはマシだ」という名言を残している。

荻原重秀は元禄3年(1690)に佐渡奉行に任命されると、生産量が落ち込んでいた佐渡金銀山の再生を試みた。重秀はまず、江戸から莫大な資金を投入し、南沢疎水道の掘削や、鶴子・新穂・西三川等の諸鉱山の再開発を行った。それにより金の産出量は一時的に回復した。また、佐渡で初めてとなる田畑の実測検地を行い、島内の年貢米を増加させる事に成功した。元禄9年には佐渡奉行のまま勘定奉行を兼任し、近江守の称号を賜った。今で言う財務大臣と佐渡市長の兼任である。佐渡が幕府の天領であったからこそ可能な兼業人事であった。こうした佐渡での手腕は高く評価され、荻原奉行支配の時代は「近江守様時代」と呼ばれ、多くの佐渡島民から賞賛されるに到った。しかし、当時の政治顧問であった新井白石と対立し、正徳2年(1712)に奉行職を失い、その翌年に江戸で死亡。息子の乗秀も佐渡奉行を勤めたが在島わずか11か月で相川で病死した。寺の裏側に荻原重秀の五輪塔(右)と乗秀の石塔婆(左)がある。それらが何故この寺にあるのかは不明だが、豪商と重秀との間に何らかの関係があったのかもしれない。

以上は、佐渡市教育委員会、世界遺産・文化振興課発行のPDFに記載された歴史的事実を踏まえ、独自の見解を交えながらそれらを引用改変する形で分かりやすくまとめたものである。それにしても大久保長安といい、荻原重秀といい、佐渡金山の再興に貢献した名奉行達の末路は、いずれも、権力闘争に敗れた末に時の政権から見放され、哀れな人生を転げ落ちたかのように思える。




小田急ホテルセンチュリーサザンタワーのラウンジ(新宿南口)  投稿者:佐渡の翼

2010年07月03日 06時00分27秒 | 国内高級ホテルレストラン・料亭食べ歩記
4月中旬のとある日、新潟や佐渡では桜が開花したその日に東京では桜が散った。今年の東京は桜の開花から満開までの間低温傾向で推移した。それゆえ桜の花の持ちもよかったようで、その名残の桜を肴に今年最後の花見を楽しもうという人々が多数朝早くから新宿御苑に押し掛けていた。筆者は、その御苑の桜を真近に見おろせる「小田急ホテルセンチュリーサザンタワー」の20階にあるロビーラウンジ「サウスコート」で昼食を食べる事にした。午前11時半に到着したが、生憎と禁煙席は満席で、10分ほど待たされた。窓際からは西新宿の高層ビル街がよく見えた。

メニューを見ながら「サンドイッチ」でいいかなと思ったが、何となく思いつきで「シェフのお勧めオードブル」と「野菜ステイック」を注文してみた。飲み物はジャーマンカモミールテイー。お料理の到着まで15分を要した。スモークした魚には、サーモンと白身の魚の二種類があり、実に手が込んでいた。胡瓜やアンテイチョークを生ハムで巻いたもの、ソフトサラミ、ポルチーノのマリネ、クラッカーの上にシーチキンといくらをトッピングした物など、いずれも高級ホテルのオードブルでいいお味だった。野菜ステイックのお野菜はいずれもみずみずしく新鮮で、これを洋辛子が効いたデイップにつけて食べたら、とても美味しかった。お代は4千円ちょっと。お休みの日の昼食には炭水化物を取らないという原則を維持しつつちょっぴりリッチな気分を味わえたホテルセンチュリーサザンタワーだった。


神宮寺(新穂井内)    投稿者:とある旅人

2010年07月02日 06時00分02秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

3月中旬のとある日、旧新穂村井内にある神宮寺を訪ねてみた。南線沿いにある民宿「おはな」の真向かいに新穂ダムへと向かう道路がある。ここを南下してしばらくすると、カーナビに「神宮寺」の文字が現れた。それを頼りに右へと入る道を進むと、右手に神宮寺の山門が見えた。このお寺は佐渡百選にも指定されている。このお寺は国指定重要文化財である、「銅鐘」を所蔵することで有名だ。「この銅鐘は、永仁3年(1295)の銘を持ち、高さは83cm、鎌倉時代末期、国守北条宣時の武運を祈り、羽吉の羽黒神社の別当である正光寺に奉納されていたが、後に神宮寺へ移された」と伝えられている。銅鐘はお堂の中に収められ、外からはほとんど見えない構図になっている。

ところで、この神宮寺は、佐渡が生んだ稀代の天才画家「土田麦僊」の檀家寺であり、本殿内には、土田麦僊が小学生の頃に描いたとされる、京都五条大橋での弁慶と牛若丸の決闘図がある。この事は意外と知られていないようである。私は、住職さんに案内されてその絵を拝見させて頂いた。とても小学生が描いたとは思えないくらい見事な絵である。この頃から麦僊はその有り余る画才をいかんなく発揮していたのであろう。

この寺には、本堂や薬師堂に秘密の逃げ道があると言われており、実に不思議な寺である。

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