佐渡の翼

佐渡の観光名所紹介、佐渡の宿泊施設の宿泊記、佐渡の全飲食店と東京都内高級レストランの食べ歩記、ヨーロッパ及び国内旅行記事

i8ロードスターのPR動画を記事の最後尾に貼り付けました

動画に登場するi8ロードスターと全く同じ車体カラー、ホイール、内装、の右ハンドル車が、8月6日に千葉港へ到着し、通関手続きが完了いたしました。そして、新車整備、車両登録も完了し、9月2日に無事納車されました。従いまして、日本上陸第一号となったi8ロードスターの全貌を、9月6日に当ブログ上で公開いたしました。9月18日には、Keiyo BMW千葉北支店のフェイスブック(https://www.facebook.com/keiyo.bmw.chibakita/)でも紹介されました。このフェイスブックには、スマートキーをリモコン代わりに使用して、i8ロードスターの屋根を開閉する動画も掲載されています。更に、7月6日に発売されたホンダS660のcomplete modelである、ModuloXは、9月23日に無事納車となりました。 2018年9月24日現在

i8ロードスターPR動画

https://twitter.com/i/status/988688999794409472

本典寺(佐渡相川下寺町)    投稿者:とある旅人

2010年07月04日 06時00分48秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

本典寺は下寺町の豪商、山田吉左衛門が建立した寺とされている、法華宗のお寺である。この寺が有名になった理由は、質の悪い小判を鋳造し、元禄時代の日本の経済を混乱させた張本人として悪名高き荻原重秀親子の墓が存在する事による。しかし実際の荻原重秀は、財政破綻寸前の江戸幕府の建て直しに努め、小判を単なる貴金属としか扱わなかった時代に、「貨幣=政府保証のある交換品」という概念を導入し、世界に先駆けて斬新な経済システムを構築しようとした、経済再生化の一大功労者である。認識を新たにする必要があろう。政治家と言う者は後世の歴史家により、治世当時よりも高く再評価される事がままあるという典型であろうか。重秀は、「貨幣は国家が造るもので、たとえそれが瓦であっても造るべきである。近頃の小判は、これまでのものより粗悪であるが紙よりはマシだ」という名言を残している。

荻原重秀は元禄3年(1690)に佐渡奉行に任命されると、生産量が落ち込んでいた佐渡金銀山の再生を試みた。重秀はまず、江戸から莫大な資金を投入し、南沢疎水道の掘削や、鶴子・新穂・西三川等の諸鉱山の再開発を行った。それにより金の産出量は一時的に回復した。また、佐渡で初めてとなる田畑の実測検地を行い、島内の年貢米を増加させる事に成功した。元禄9年には佐渡奉行のまま勘定奉行を兼任し、近江守の称号を賜った。今で言う財務大臣と佐渡市長の兼任である。佐渡が幕府の天領であったからこそ可能な兼業人事であった。こうした佐渡での手腕は高く評価され、荻原奉行支配の時代は「近江守様時代」と呼ばれ、多くの佐渡島民から賞賛されるに到った。しかし、当時の政治顧問であった新井白石と対立し、正徳2年(1712)に奉行職を失い、その翌年に江戸で死亡。息子の乗秀も佐渡奉行を勤めたが在島わずか11か月で相川で病死した。寺の裏側に荻原重秀の五輪塔(右)と乗秀の石塔婆(左)がある。それらが何故この寺にあるのかは不明だが、豪商と重秀との間に何らかの関係があったのかもしれない。

以上は、佐渡市教育委員会、世界遺産・文化振興課発行のPDFに記載された歴史的事実を踏まえ、独自の見解を交えながらそれらを引用改変する形で分かりやすくまとめたものである。それにしても大久保長安といい、荻原重秀といい、佐渡金山の再興に貢献した名奉行達の末路は、いずれも、権力闘争に敗れた末に時の政権から見放され、哀れな人生を転げ落ちたかのように思える。




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