法然寺の隣には慶長九年の開基である法輪寺がある。このお寺の住職さんは女性だそうで、どうりでベンチシートや、高原のリゾートホテルのテラス席などによくある白い椅子やテーブルなどが巧みに配置され、細やかな女性らしい気配りが感じられるお寺であった。山門を入ってすぐの右側に大きな石燈籠がある。表面には「江戸小屋場中世話人 八蔵」と書かれていたが、これは水替え無宿人達が寄進したもので、その立派さを見ると、地獄の底を見ながら日夜働かされた無宿人達のせつなさが伝わってきて万感胸に迫るものがある。一方左手には五輪塔がたくさん並んでいるが、これらは山師(金山経営者)、味方与次右衛門一族の墓である。更に興味深かったのは、真野の妙宣寺の五重塔を建築した棟梁の墓がその五重塔の大きさに似つかわしくないくらいちっぽけな墓だった事だ。更に、鉱山の溶鉱技術者である「山西敏や」の墓や我が国初の洋式帆船建造に関与した人物の墓など、比較的歴史上マイナーな人物の墓などもあった。本堂内には入らなかったが、所蔵する「金掘り絵馬」は市の民族文化財に指定されているそうだ。