筆者は神輿を送り出した後、ホテル大佐渡に戻りチェックインを済ませ、午後4時17分にお部屋に入った。シャワーを浴び、着替えた後にセーブオンで購入したおにぎり2個を食べて夜の祭り撮影のためのエネルギーを補給した。そして午後6時にホテルを出て、相川の街へと向かった。時鐘楼の坂を登って来るお神輿と夜の鐘楼のツーショットを狙おうと版画村美術館へ行ってみた。時刻は6時43分頃であったが、人っこ一人いないし、神輿独特の「チョーサヤ」と言う掛け声も聞こえて来ない。相川博物館前の坂を上がって来る途中なのだろうか?いや時間的には佐渡奉行所前を通過した頃だ。しまった、神輿は既に時鐘楼を通り越し、大工町の北野天満宮か夕白町大神宮あたりに行っているのかもしれない。そう思いながら、京町通りを北上し、通りがかったおばさんに「神輿は今どの辺りでしょうか?」と尋ねたらば、「そこそこ、その路地の突き当りを右へ曲がった所で休んでいます」と答えた、どうやら神輿は夕白町大神宮の御旅所で休憩しているようであった。路地を右へ曲がったら、善知鳥神社の提灯を乗せた台車があり、その向こうに休憩中の神輿軍団の姿を見つけた。皆さん長旅と暑さで疲労困憊の御様子で、酒を飲む者、足首をさする者、タバコを吸う者、屈伸運動をする者と皆さんそれぞれの休憩方法で次の神輿担ぎのための英気を養っていた。
神輿の「ちょーさや、ちょーさや」の掛け声は
・千代に栄 ⇒ ちよにさかえ
・町 栄 ⇒ ちょうさかえ
と諸説有るが、定かではないそうだ。 関西に同じ掛け声の神輿が存在すると言う話もある。ちょー(左足)と、さや(右足)と、担ぎ手が躓かないように、掛け声で足を揃えているのだと言う。
善知鳥神社の提灯
この神社の別名は神明神社である
休憩する神輿の担ぎ手達
一服する人
やビールを飲む人
屈伸運動をする人
総代のおばさん
社務所で休憩する担ぎ手集団
腹が減っては戦は出来ぬと
新しい草鞋を抱えた祭りのスタッフのおじさん
談笑する地元のおばさんと説明役のおじさん
切れた草鞋
何となく哀愁が漂う
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