佐渡の翼

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長崎グラバー園その2(旧ウォーカー邸)       投稿者:佐渡の翼

2014年08月26日 05時16分29秒 | 国内旅行記

グラバー園の入場料は610円である。筆者は昼と夜と二回入場したので1220円を支払った。切符売場の前にはミスト(霧)が降り注いでおり、売り場前からして早くも異国情緒たっぷりである。チケットを購入したら階段を登る。すると動く歩道が二か所に分けて設置されており、最初の歩道は、グラバー邸の屋根瓦と旧自由邸を右に見ながら、そして二つ目の歩道は旧長崎地裁長官舎を右に見ながら上昇して行った。動く歩道を降りると、「旧三菱第二ドックハウス」から見学しろとの案内看板が出ていたが、辿り着くまでにかなりの距離がありそうだったので、見学は夜の部とし、Uターンした後「レトロ写真館」になっている「旧長崎地裁長官舎」とウオーカー邸へ向かった。ウオーカー邸は、ウォーカー商会を設立したロバート・ネール・ウォーカーJrの旧邸で木造瓦葺平屋建で4つの部屋がある。もとは大浦天主堂のそばに建っていたのを移築したそうだ。

この家の主は、イギリス出身の船長ロバート・N・ウォーカーの次男、ロバート・ウォーカー・ジュニア。彼は、明治中期に建てられたと考えられるこの建物を大正4年に購入し、昭和32年に亡くなるまでここに住んでいた。その後、彼の妻シゲコ・メーベルが母屋の一部を市に寄贈し、昭和49年にグラバー園に移築された。ロバート・N・ウォーカーの兄、ウィルソンは明治元年に来日し、グラバー商会(後のホーム・リンガー商会)で船長を務めた。その後日本郵船会社に勤務した後、横浜でトーマス・B・グラバーと共にジャパン・ブルワリ・カンパニー(麒麟麦酒㈱の前身)を設立。筆頭株主であるとともに、同社の支配人も勤めている。明治27年、家族共々長崎へ移り住み、南山手10番地でクリフ・ハウス・ホテルの経営を行った。ロバート・N・ウォーカーは、明治7年に来日。明治9年に日本政府より甲種船長の免許を受け、三菱系列の会社と日本郵船に勤務した。退社後、一旦イギリスに帰国したが、明治28年に再び来日。明治31年に「R. N. ウォーカー商会」を設立し、海運業を中心とした貿易事業を幅広く展開して行った。また、明治37年には、「バンザイ清涼飲料工場」を開業、ジンジャーエールなどの大量生産に成功した。明治41年に次男であり、この家の主でもあるロバート・ジュニアに会社を譲り、カナダに移住した。

以上は、グラバー園公式HPからの引用文であるが、要するにウオーカー家一族は、清涼飲料水に「バンザイ」などと名付けるくらいの日本通だったし、キリンビールの設立にも関与していたわけだ。ウオーカー邸の内部は見学しそびれたが、歴史の泉前まで戻ると、異人さんのコスプレ衣装で園内を歩き回る観光客らしき女の子に遭遇。いいショットの写真が撮れた。佐渡の観光地で景色写真に偶然写りこむ観光客の姿はどれも凡庸で風景の一付属物にしか過ぎないが、グラバー園には思い出に残る被写体が沢山あった。

この階段を登るとチケット売り場に到達する

ミストが振り撒かれていた

グラバー園のマップ

管理棟とチケット売り場

この階段を登ると最初の動く歩道に至る

右手にグラバー邸の屋根が見える

動く歩道

旧自由亭

第二の動く歩道

旧長崎地裁長官舎

ウオーカー邸

をぐるりと周り

長崎港を見たら大型旅客船が停泊していた

歴史の泉前で見かけたコスプレ観光客




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