宿根木の公共駐車場に車を停め、海岸の方に向かって歩いていくと、地元の人達が「シロボウズ」と称している、その昔、千石船を係留するのに用いた御影石でできた棒状の石がいくつかあるのに気づく。この御影石は、佐渡から遥か遠くに離れた瀬戸内海の尾道から運ばれてきたものだという。大阪で荷物を降ろし、身軽になった千石船は、関門海峡を通り、日本海を北上して、小木の港に寄港した。その間、船を安定させて航海する目的で、重し代わりに御影石を船に積み込み、小木で降ろしたのだという。その石を使用して作った船つなぎ石が都合7本残っている。その後享和2年の地震で海岸が隆起し海底が浅くなったため、この湾内に千石船は入港できなくなり、船つなぎ石の役目は終わった。しかし往時をしのばせる貴重なモニュメントとして、今もその輝きを保ち続けている。
江戸時代以後の宿根木の詳しい歴史をここで開陳するつもりはない。このブログは日本史の授業では無いからだ。早い話が金山が栄えた頃には、この小木や宿根木にも金持ちがいて、更に全国から船大工、回船問屋、船乗りなどが集まり、街は多いに賑わっていた。宿根木の街には豪農、豪商達の栄耀栄華をしのばせる建造物がいくつか残っていて大変興味深い。昔栄えた港町には船乗り達の三大欲望である、「飲む、打つ、買う」を満足させる史跡があるものだが、ここ宿根木近辺には、飲み屋や料理屋はあるものの、賭博場や遊郭の跡は無い。この船つなぎ石のある穏やかな海岸から後方を眺めると、朽ちかけた壁が実に物悲しさを誘う、うら寂れた漁村の船小屋がいくつか見えた。この風景こそが佐渡の佐渡たるゆえんであろう。
船つなぎ石
うら寂れた船小屋
海岸で水遊びに興ずる学生達
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