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オセンタルカの太陽帝国

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ヌエとはなんぞや。

2007年01月29日 22時23分27秒 |   源三位頼政

念願だった伊豆長岡の「鵺払い」を見に行ってきました。
伊豆長岡ではこの鵺踊りは、年初の厄払いとして行われております。
ま、もちろん秋に見たものとおんなじなんですが、大分異なっている所もあった。
この町では鵺払いは「毎年1月28日にやる」と決まっているらしくて、きのうはたまたまそれが日曜日だったのですが、平日の場合はどうするんだろうね。人がちゃんと見に来るんでしょうか。そもそも日が「1月28日」に固定してあることには謂れがあるのかな。
ポスターには「第42回」と書いてあります。すごいのね、といいたいところですが、伊豆と鵺のイメージが相容れないものであるがゆえに(←怪獣・鵺は京都の動物ですよ!)、なにかしらじらしいものを無意識のうちに感じてしまったりもするのですが、、、、
けど、先述の『源頼政・菖蒲御前伝説とその回廊』には、「伊豆長岡における鵺を使った厄払いは、さかのぼれば江戸時代初期にまで辿れる」というようなことが書いてありました。ほほほほほほホントですか? 42回どころじゃないじゃないですか。
歴史逸話に乏しい伊豆長岡の住民が、昭和の初期あたりに隣町の韮山町の頼朝伝説に対抗して、「そっちが頼朝と政子ならこっちは頼政とアヤメちゃんで勝負だっ」と適当にでっち上げたイベントかと思っておりました。本当なら凄いなあ。
しかし、伊豆長岡の人はどうしてここまで源頼政とあやめ嬢にこだわっているんでしょう? 源頼朝の方が遥かに膨らませ甲斐があるし歴史的注目度は高いのに。

一応、くだんの本に書かれていることを抜書きしておきます。

四百年くらい前に災難・疫病が続いた年があり、ついに大百姓の佐兵衛さんも倒れた。苦しみながら佐兵衛がしきりに「ぬえ~」、「ぬえ~」と唸るので、父親の角屋茂兵衛さんが疑問に思い、そして昔の源頼政の鵺退治の故事を思い出した。彼は村の衆に「村の災厄や病気の満延は鵺のしわざかも知れない」と話し、猿と狸と虎と蛇を組み合わせた人形を作った。夜、村中を篝火で煌々と照らした中で茂兵衛さんは家宝の弓を引き絞って見事鵺の型代を撃ち抜き、不思議なことに間も無く村の災厄は治まったという。というわけで以後、この村では1月28日に厄払いをする習慣ができたという。

これは古奈温泉で由緒ある温泉旅館だった角屋旅館に伝わる物語だというのですが、残念ながら現在ではこの角屋という旅館は残っていません。
大切なのはこれが長岡温泉ではなく古奈温泉の側に伝わる行事だったということと(長岡温泉は明治に湧いたものですから)、この中での鵺は確実に村人を狙って災いをもたらす物であったこと(ユーモラスな存在ではないこと)、伊豆でも鵺には当初は「狸」の要素が入っていたこと、鵺は頼政が弓で射る事、です。

ちょっと気になっていたのですが、伊豆長岡の鵺祭りのぬえは、いつも「顔が猿、体が虎、尻尾が蛇」なのです。本によって鵺の姿は違うし、イメージが一定しないことこそ鵺っぽいといえばそうなのですが、でも気になる。伊豆長岡ではどうして狸の体を無視するの? 虎の方が強そうだから? 猿と狸の組み合わせを強調した方がより異形っぽいのに。単なる着ぐるみ作りのコストの問題かしら。
参考までに、古今の鵺像の変遷を示しておきます。
そもそもぬえというのは普通のトラツグミのことだったんですよね。だから虎のイメージが入ってきているんでしょうけども。


<MSのエンカルタより借用>
この電子百科辞書ではトラツグミ(鵺)の鳴き声も聞けます。随分力を入れずに心無く鳴く鳥です。

●古事記・万葉集=普通の鳥
    ↓
●新撰字鏡・和名抄(平安時代)=怪鳥
    ↓
●徒然草=「喚子鳥鳴くとき招魂の法を行う方法」
    ↓
●拾介抄=「よみじ鳥」(←黄泉路? 読み時? 夜短?)
    ↓
●十訓抄=「御殿の上で鳴く悪しき小さな鳥」
●平家物語百二十句本=「変化のもの」「怪鳥」「鳴き声が鵺に似ている」
●源平闘諍録=頭が猿、尾は狐、体は猫、腹は蛇、声は鵺
●平家物語屋代本=鵺という鳥
●平家物語長門本=鵺という怪鳥、雨の中の鵺
●源平盛衰記=頭が猿、体が狸、手足は虎、尾は狐、鳴き声が鵺
    ↓
●世阿弥の能「鵺」=

ま、いろいろな姿があるのが鵺だってことです。
もしかしたら、ギリシャ神話の中の合成獣キメラだってヌエかもしれない。確か最も恐ろしいカルデア産のキメラは「頭が獅子、体は山羊、尻尾がサソリで、四枚の翼を持っていて、鵺のような声でヒョウヒョウと鳴く」でしたっけ?


<一般に有名なヌエの絵。『今昔画図続百鬼』より>


<伊豆長岡の鵺踊りの鵺>
顔は勿論、尻尾のへびの部分が一番チャーミングだと思う。
虎の体はまだしも、顔のまわりの白いタテガミはなに?


<伊豆長岡のマスコットとしてデザインされたらしいぬえの絵>
「源氏に退治されたのにげんじ丸」はさておいて、・・・ゆゆ姫?


<何の解説も無しに会場の隅にポツンと飾ってあった鵺の像>
なんだこりゃ? 欲しいッ これすごく欲しいですッ

げんじ丸・ゆゆ姫はともかく、この町で一番重要なことは、鵺の姿とその隠された意味を、広く町民に浸透させることです。マスコットキャラクターのバリエーションは多ければ多いほどいい。そういえば源氏山の展望台にあったヌエの顔出しはこれとは違うデザインのものでしたし、写真には撮りませんでしたが秋の舞のイベントのときには、市内の幼稚園児たちによる、「ぬえのぬりえコンテスト」がずらっと貼り出されていたのでした。・・・・なにげに観光協会、頑張っているなあ。

それならばとわたくしも、わたくしなりの鵺の像をデザインしてみました。
取り急ぎ描いてみたので、未完成、もっと手を入れる予定ですけどね。

伊豆長岡は「七福神の町」「歓楽の町」でもあるので、このぷっくりしたお腹で福々しさをアピールするのです。
「へびの尻尾」と言われたら、こうじゃないとおかしいと思うんですけどねえ。
一応寓意としては、このお猿の顔で伊豆長岡に伝わる幻の温泉“猿渡り温泉”を示し、トラの手足は伊豆長岡が酒宴を主題とする歓楽街であることを示し、腰の酒徳利は伝説の酒“江川酒”の存在も示し、かわいらしいオチン○ンと豊満なオッ○イは伊豆長岡が色の町であることも示し、福々しい腹は恵比寿様の御徳を、巨大な蛇の尻尾は金運を、猿の紅潮した顔は栄えある恋愛運を、お猿のまっ赤なおしりは家庭の円満を、狸が肩から掛けている大福帳は商売運を、そして7丈にも伸び縮みする大きなふぐりはすべてを包み込む大きな包容力を、それぞれ示しているのです。雨が降っても大丈夫。
鵺の身体の狸は大狸と豆狸の複合じゃないといけないんですよー。
以前にチラッと言った事のある「イノシシの身体を持った鵺」もデザインしてみよっと。


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