3日目は、愛知県の長久手町にあるゴジカラ村を視察。
ゴジカラ村は、もともと幼稚園からスタートし、特養も運営する社会福祉法人が、雑木林を利用した
環境を作り、一つのコミュニティを形成している事業です。
もともと「家で産まれ死ぬ」という概念があった土地に特養を作った際に、「それならば、その人たちの
生活の延長上に特養をもってくればよい」と思ったことから始まりました。
そのため、施設は木を多用したり、廊下をわざと小道のように曲げたり、ヤギや豚を飼ったりとしてきた
そうです。
施設を見せてもらいましたが、部屋も自分の家のような工夫をされていたり、ベンチが畳であったり、
屋上菜園があったりしています。
幼稚園も自然をいかしています。
雑木林の斜面に、木造の校舎(ログハウスみたいです)があり、校庭も土のままです。
↑これが幼稚園です。驚きました。
このゴジカラ村を見まして感じたことは、昔の日本の姿はこうだったんだろうな、ということです。
つまり、小さなコミュニティに子どもから高齢者までがおり、互いに影響しあい生きていく世界です。
とはいえ、幼稚園と老人ホームが併設されていたりする事業はありますが、昔の「村」そのままの施設で
やっている点は唯一のものではないでしょうか。
大都市名古屋の近郊にあるということも、重要な点でしょう。
行政がどう関わるかという点はありますが、このような施設があれば、子どもも自然にふれあい育ちますし、
高齢者も落ち着いた余生を過ごせる効果は無視できません。
施設のあり方から、価値観をどこに置くかまで、様々な気づきをいただけました。
ゴジカラ村は、もともと幼稚園からスタートし、特養も運営する社会福祉法人が、雑木林を利用した
環境を作り、一つのコミュニティを形成している事業です。
もともと「家で産まれ死ぬ」という概念があった土地に特養を作った際に、「それならば、その人たちの
生活の延長上に特養をもってくればよい」と思ったことから始まりました。
そのため、施設は木を多用したり、廊下をわざと小道のように曲げたり、ヤギや豚を飼ったりとしてきた
そうです。
施設を見せてもらいましたが、部屋も自分の家のような工夫をされていたり、ベンチが畳であったり、
屋上菜園があったりしています。
幼稚園も自然をいかしています。
雑木林の斜面に、木造の校舎(ログハウスみたいです)があり、校庭も土のままです。
↑これが幼稚園です。驚きました。
このゴジカラ村を見まして感じたことは、昔の日本の姿はこうだったんだろうな、ということです。
つまり、小さなコミュニティに子どもから高齢者までがおり、互いに影響しあい生きていく世界です。
とはいえ、幼稚園と老人ホームが併設されていたりする事業はありますが、昔の「村」そのままの施設で
やっている点は唯一のものではないでしょうか。
大都市名古屋の近郊にあるということも、重要な点でしょう。
行政がどう関わるかという点はありますが、このような施設があれば、子どもも自然にふれあい育ちますし、
高齢者も落ち着いた余生を過ごせる効果は無視できません。
施設のあり方から、価値観をどこに置くかまで、様々な気づきをいただけました。