中村亮太の活動日記

加古川市のために走り回る中村亮太のブログです

帰ってきました

2011-08-24 23:15:52 | 活動
23日にボランティア活動を行い、本日帰ってきました。
活動地は石巻市雄勝町。
行きに16時間をかけ、午前10時に到着。


ICを出たあたりの町並みは普通だったのですが、山を越えると景色は一変。
一言で言うと、「何もない」です。


私も阪神大震災を経験しましたが、崩れた家でも何かしらそこにありました。
(火災で焼失した家はありますが)
しかし、行けども何もありません。
あるのは更地と基礎のみの家の跡。それと瓦礫のみです。

なにより、雄勝町は遅れている地域で、ほんの一週間前に津波があったような状態でした。
現地の人が言うには、4000人いた人口が今は1000人程度だそうです。

瓦礫撤去が進んでいない原因は、政治の怠慢です。
国政レベルで与野党ゴタゴタしているのはもちろんですが、地元でもいろいろとあるそうです。

県議会では、「瓦礫撤去は県内業者に限る」という条件のもと活動を行っています。
現地の企業を復興しようという思いの表れでしょう。
ですが、現地の雄勝ではそのような企業が2つしかなく、しかも個人経営だそうです。
そのため瓦礫撤去がボランティア中心となり、進まないそうです。

現地の状況を理解し、提言する政治家がいないことが原因だと感じました。
(雄勝町は石巻市に合併され、今は地元選出議員はいないそうです。)
撤去を行った家の方も、「市長も議員も一度も来ない」とおっしゃっていました。
自治体が大きくなると地域の声が届きにくくなるということが、現実になっています。


活動自体は、雄勝町の一般家屋の瓦礫撤去。
22名で行ったのですが、3チームに分かれて活動を行いました。

行ったお宅は、海岸沿いではありますが、海抜は10m以上あるところでした。
そこでも、屋根まで浸かったそうです。(平屋です)

家の中はぐちゃぐちゃ。服・テレビ・本、それらが木材とともに散在していました。
半年たっても、状態がそのままなのに驚きます。

早速作業を行いました。
木材・ガラス・家財道具・家電、関係なく軽トラにどんどん積み込みます。
天気は曇り。気温はそれほど高くないですが、すぐに汗ダクになります。

お宅のお母さんは、「一通り見て、いるものは避難所に持って行ったから、全部すてていいよ」と
おっしゃいますが、出てきたものを見せると名残惜しそうに「これは旅行に行ったときの・・・」と
思い出を話されます。

見つけたものでご主人ものは、「これ出てきたけど、本当に捨てていいの?」と電話をされます。

それくらい、本当は何も捨てたくないんです。
できれば全部持っていきたいでしょうが、それができません。。

やりきれない思いを持ちながら、瓦礫を撤去していきます。
瓦礫は確かに多いのですが、何より厳しいのが悪臭。これはテレビでも写真でも伝わりません。
津波が来てからそのままなので、海水がお風呂や衣装ケースに残っています。
それが半年経つ中で腐り、悪臭を放っていました。
それは、本当に半年前からそのままであることを現していました。

時計は、おそらく津波が来た時間のまま止まっています。



結局16時すぎまで活動を行い、ようやく1軒のお宅がきれいになりました。

お母さんは、我々に何度も「ありがとうね、ありがとうね」と言って下さいました。
「これだけ綺麗になれば、もう一度住みたくなっちゃうね」とも・・・。

出発する前は、たった1日でどれだけ出来るのかと思っていましたが、お母さんの言葉を聞くと
「やってよかった」と思います。

自己満足かもしれませんが、お母さんにとっては唯一の家であり、人生において大切な場所を取り戻す
手助けが少しでも出来たかと思うと、価値があったと思うのです。


活動が終わり、海岸線を集合地に向かって歩きます。

そこから見る海は透き通り、穏やかな波が来るだけです。
海岸から海に入り、汚れた長靴の泥を流しました。

しかし海の反対側に目をやると、道のアスファルトは剥がされ、一車線しか無くなっています。
この穏やかな海が町を襲ったかと思うと、恐ろしくなります。


活動後は汗を流し、帰路に着きました。
三宮到着は、少し遅れたこともあり10時に。

揺れるバス内ですが、疲れもピークで全員眠り続けました。


0泊3日の強行軍でしたが、自分にとって大変大きな経験となりました。
何より、被災地の方のお役に立てたのが嬉しかった。
ですが同時に、政治がやるべきことも多く見つけられました。

私の人生において、非常に大きな意味のあるボランティアとなりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする