ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

楽しい気持ちでやる仕事

2010-04-30 21:17:22 | Weblog
今日は久しぶりに仕事だった。
すっかり体内がサマルカンド時間になっていたので、
町を歩く人がとても速く感じられた。
いつもより空いていたとはいえ、やはり通勤電車にはストレスがある。
なんだろう。この空気は。

サマルカンドで絨毯工場を訪問したときに、
工場の方が、こんな話をしていた。
「絨毯は、他人に喜んでもらって長く使ってもらうもの。
だから、楽しい気持ちで作ることが大切。
もし悲しい気持ちだと、悲しい絨毯になってしまう」

日本では「真面目にやりなさい」と注意されそうなくらい
笑い声に満ちた職場だった。

私は楽しんで仕事ができるかなあ、と思いながら仕事場に行った。

日本では、必死な顔をしていないと真面目にやっていないように思われることも多い。
決して結果をださなくても、必死な顔をしているだけで免罪符になることもあるし、
やせ我慢でへっちゃらな顔をしていると、余裕があるならもっとやってよ、と仕事が増え、
結果は出していても、それに比例するほど給料は増えないことがよくある。

だから、目一杯やっているように演出して、
自分のやったことが最大限の評価を得られるようにと願うこともある。
なんとも本末転倒だ。

すべては、他人とのパワーバランスから出てくることにすぎない。

だから、少し、全般的にペースを変えてみようと思った。

ウズベキスタン まとめ2

2010-04-29 15:03:26 | Weblog
サマルカンドでお世話になったガイドさんから、
「帰国したら、日本の友だちに電話してよ」と頼まれた。
もちろん私はまったく面識がない人。
ガイドさんだって1日お世話になっただけで、プライベートなことはお互いよくわからない。
でも、一緒にいたときの立ち居振る舞いから、変な人ではないことはわかった。

こういうときに安請け合いしてしまうのは、自分としてどうかと思うけど、
人を見る目は、それなりにあると思っているのと、
海外では、1対1の連絡が取りにくいこともあって、
人づて、というのが、結構いまでも効力を発揮する。
というか、そういったネットワークに頼らざるを得ない。
それを実感したので引き受けた。

そして、とりあえずいま電話をして「サマルカンドに来て!と言ってました」と伝えた。
ああ、少し荷が軽くなった。
あと、もういくつか宿題があるのだけど、少しずつやってみよう。

さて、ウズベキスタンの思い出。

●美しいタイルたち
イスラムの建築、とくにサマルカンドは青の都と言われるだけあって、
青いタイルがとても美しく映える。
青い空ときらめくタイル。絶妙だ。


天井を見上げていたら、おもわず平衡感覚を失ってくらくらしたんだけど、そのときにふと思った。
これは、満天に輝く星空を見上げているときの感覚に近いな、と。

昼の空もあれば、夜の空もある。
どちらにも光がある。
そのすべての表情を閉じ込めようとしたのが、このイスラム建築のタイルではないかと思った。
サマルカンドのレギスタン広場には、天文学者としても有名なウルグベクが建てた神学校がある。
アッラーというと、私は昼の太陽のようなイメージがあったのだけど、
夜でも見守ってくれているのがアッラー。
天そのものが再現されているのがイスラム建築。
この解釈は、違うのかもしれないけど、でも私はそう思った。

●サマルカンドのナン
ウズベキスタンでも美味しいと有名なサマルカンドのナン。
サマルカンドからブハラへ向かう列車に乗った時は、
みんなお土産としてナンをたくさん持って来ていた。

外はかためで、中はもっちり。
なるほど、こんな炉で焼いているのなら、そうなるだろう。
  

結構かみごたえがある。
日本のふわふわな食パンとは違って、「ザ・小麦粉ねってます!」という味。
咀嚼することが味わいにつながると、改めて教えてくれた一品。

●お墓
ティムール一族のお墓はとにかく美しい。
廟となっていて、訪れた人は手を合わせていく。
それにしても、棺桶はずいぶんスリムだな、と思っていたら、
白い部分は、棺桶ではなく、墓石だった。
お墓はこの下に広がるという。そりゃそうか。


そして、いまの人のお墓。
アフラシャブの丘、旧サマルカンドの城壁に、地元の人がお墓を作っていた。
写真だと小さくてわからないけれど、墓石の黒い部分に、故人の顔が彫られている。
ガイドさんは、「ムスリムでは、偶像崇拝しないはずだから、本当は故人の顔なんかを彫るものではないんだけど、
最近はけっこう、こういうことをしたがる人がいる」と、なかば嘆いていた。

ウズベキスタン まとめ1

2010-04-29 01:23:01 | Weblog
時差の影響、帰りの飛行機で5時間も昼寝したので、まだ眠くない。
当日のブログでは書かなかったけど、印象に残っていることを書いておこうと思う。

●列車の2等席
タシケントからサマルカンドへ向かう列車の席は、2等のなかでもいい席だった。
前に広い机があり、新聞まで置かれている。読めないけど。

机の上に、ペットボトルが2つ乗っていて、
あら、気が利くわね。と思ったのだけど、これを飲むとお金を払うということを後で知った。
飲まなくてよかった。
まあ、飲んだとしても、たいした金額ではない。きっと50円くらい。
コップは、この車両の人はタダで借りられるのと、お湯は自由に飲めるのはすばらしい。
あと、モニタでDVDを流している。
ミュージックビデオや、演劇などがかかっていた。


●列車からの風景
放牧と、とても大規模な農場をよく見かけた。
大勢の人数で一緒に農作業しているところもあり、ソビエト時代の名残かな、と思った。
あと、サマルカンドからブハラへ向かう列車からは、
遠くに、何かの採掘場のような大規模な建物をよく見かけた。
ウズベキスタンは地下資源が豊富だというから、そういった施設だったのかもしれない。


●ティムール
ウズベキスタンにとって、一番の英雄は、やはりティムールなのだろう。
どこへ行ってもティムールは人気だったし、像があった。
もしかしたらソビエトから独立して、よりティムールがクローズアップされているのかもしれない。
建国の父として。

ティムールのお墓であるグリ・アミール廟で、はじめてイスラムのお祈りに参加させてもらった。
両手を顔の前でお椀のようなかたちにする。
お祈りが終わると、両手で顔を洗うように上から下へなでる。
おばちゃんたちのお祈りの声を聞きながら、その真似をしていると、
手のひらの上に暖かいなにかが宿るような、不思議な感覚があった。


●鳥
ウズベキスタンでよく見かけた美しい鳥がいる。
でも、なんとなくカラスの親戚のような気がする。
黒、白、青の3色が美しい鳥なんだけど。
ネパールのカラスは、羽だけが灰色で、日本のカラスより少し小さく、
あまりこわい印象ではなかったことを思い出した。


●排水溝
昔の建物は、石畳のどこかに排水溝がある。
とてもオシャレで、建物の一部として美しい。
もしかしたら地下に水をためる施設があるのではないかと思ったけど、確かめていない。
サマルカンドは、とても自然が豊かな土地で、その自然をとことん愛している人たちが住んでいる。
共存していると感じた。
そして、共存しているからこそ、みんなの自然であり、
遠く旅を続けて来た旅人には、きっと一番いい木陰を笑顔とともにすすめただろうと思う。

ウズベキスタン7日目 タシケントから成田へ

2010-04-28 23:45:22 | Weblog
朝5時にホテルのロビーでガイドさんと待ち合わせて、タシケント空港へ。

妙にノリのいいガイドさんで、日本製品が大好きだと言っていた。
彼の雰囲気といい、昨晩のタシケント新市街の雰囲気といい、いまから約20年前、
改革開放が始まったころの上海を思い出した。
つまり、馴染めない。

さて、さすが首都の空港は物々しい。

まず、空港ビルに入る際に手荷物検査。
並ぶ。ぎゅうぎゅう並ぶ。
人がたくさんいる。でも、係官はゆっくりと作業する。
そして建物の入り口に並ぶ人の列が長くなる。

出国審査で再び手荷物検査。
さすが元社会主義国だなあ、というスピードと、係官の仏頂面。
いままで、サマルカンドとブハラで、笑顔が満ちあふれていただけに、
同じ国とは思えないくらいだった。

いまの日本の出国手続のスピードでは、
2時間前集合は早すぎだろう、と突っ込みたくなるけど、
この国のスピードだったら、2時間は見ておかないと、
日本人はやきもきしてしまうだろう。

そして、搭乗口付近では、靴まで脱いでボディーチェックともう一度手荷物検査。
結局、合計3回のセキュリティチェックを通った。

出入国の際に、所持金も申告しなければならないし、
どちらかというと、入国よりも出国が面倒な感じ。

次に来る時は、帰りにタシケント空港を使わなくてもいいように日程を組もう、
と思っていたところ、
ふと気がつくと、搭乗口がわからない。

普通は、1番ゲート、2番ゲート、のような表示があるけれど、
モニタでの案内もなければ、ゲートの表示もない。

でも、耳をすますと、館内放送で、
「東京行きをご利用の方は、2番ゲートにお進みください」と英語で言っている。
近くにいた空港の係官にチケットを見せて、「搭乗口はどこですか?」と聞いたら、
「あと5分くらい、そこで待ってて」と言われる。

もういいや、と思っていたら、
「トキヨ~!」と言いながら、空港の係官が呼びにきてくれた。
その人について行くと、無事に飛行機に乗れた。
最後は「人」ということですかな。

タシケントからシルクロードの天山南路の上空を通って、東へ。
窓の外を見ていたら、なんだか感慨深かった。

飛行機はがら空きで、シートの上に横になって眠れたから、
昨晩、騒音で眠れなかった分を取り戻した。

と、思って、ふと顔を上げたら、
前の列に、航空会社の制服を着た人が、思い切り横になって寝ている。

ウズベキスタン航空の人はハードワークだ。
7時40分のフライトでタシケントから成田へ。
成田には19時30分頃着く。
その後、成田を20時20分に飛び立って、関空経由でタシケントへ戻る。

日本の空港が高いからだと思うけど、かなりのハードワークだと思う。
今ごろ彼らは北京上空あたりだろうか。
またお世話になるような気がする。

ウズベキスタン6日目ー夜 タシケント

2010-04-27 23:34:53 | Weblog
騒々しい。

ホテルの部屋は11階なんだけど、下の広場で流している音が聞こえて来る。
テラスに出て、下をのぞいてみたら、
広場の樹々が、電飾でピカピカ光っていた。

それにしても、この低音はドンドンと心臓にひびくな。

いやいや、日本の都会に比べたら静かなんだけど、
サマルカンド、ブハラと、拡声器系の音がなかったものだから、
すごくイヤな音に聞こえる。

こんなんで日本に帰って大丈夫なんだろうか。

それにしても、ウズベキスタンのホテルは、
いずれも音に対して無頓着だったなあ。

ああ、この重低音、いつまで続くのだろう。
いまこちらの19時30分。

ウズベキスタン6日目 ブハラからタシケントへ

2010-04-27 20:39:17 | Weblog
朝、9時55分発の飛行機で、ブハラからタシケントへ。
ブハラ空港は、国際空港なんだけど、とてもこぢんまりとしてて、かわいらしい。


空港の中では、銀行の人が、札束を手で抱えて持っている。
強奪される心配なんてないんだろうなあ。

1日にほんの数本しか離発着がないので、どこもかしこも、のんびりしている。
飛行機はプロペラ機だった。
タラップの前で写真を撮っていたら、ダメだよ~、と言われたので、写真は載せない。
でも、注意の仕方もすごくゆるかった。

タシケント空港では、銃を持った人が警備をしていた。
首都なんだなあ、と少しぴりっとする。
荷物を受け取って建物から出ると、あれ、ガイドさんが来ていない。
少し待ったけど来ない。ここからは個人行動だったっけ・・・。

タクシーの客引きが面倒なので、「地球の歩き方」でバスを調べていたら、
とうとうタクシー運転手のおじさんにつかまってしまった。
新市街の中心にあるホテルウズベキスタンまで、5000スムだと言う。
まあいいか、と思って、乗せてもらうことにした。

ホテルウズベキスタンは高いから、もっと安いホテルを紹介しようか、
と言われたんだけど、予約してあるからいいの、と答えた。
ついてみたら、案の定すごくいいホテルだった。
日本で予約したらこんなもんかな。
で、結局6000スム払わされた。


いいホテルなんだけど、部屋のコンセントの形が、これまでのヨーロッパC型じゃない!
意外と不便だった。
インターネットはサクサクつながるだけに、惜しい感じ。

荷物を置き、ウズベキスタン歴史博物館へ。
ガイドブックに載っていた仏像が目当て。
「地球の歩き方」には、写真撮影は7000スムと書いてあったけど、20000スムした!
このほかに入場料3000スム。なんという高さ。

私が換金したレートだと、1円=17スムだった。
お水1本=500スムだと考えると、かなり割高な感じがする。

でも、ここには仏像のほかにも、絶対あるだろうと思っているものがあったので、
ケチらずに払うことにした。たぶん一生に一回だから。

お釈迦様は、静かに座っていらした。
よくきれいにのこっていたものだ。


そして、ぐるっとまわると、おお、あった、あった。


モンゴル帝国時代に使われていた通行証。銀の牌子(パイザ)。

ガラスケースに入っているので、なかなか上手に写真が撮れない。
左右にモンゴル文字が入っているなあ、裏も見たい! 持ってみたい! いっそのこと! など、
いろいろと悪いことも想像しながら、しばしうっとりと眺めた。

これは、たとえ日本の展示会に来ていたとしても、写真は撮れないし、
絵はがきになるほど人気もないし、
写真代、高かったけど、よかったことにする。

展示品は決して多くない。3階建てのうち、1階は半分は閉まっていたし、
3階部分はすべてソビエト時代の社会主義にありがちな展示。
正直に言ってあまり面白くはない。
これから先、展示物が増えるといいけど、もうのこっていないのではないかとも思った。

博物館を後にし、ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場へ。
日本人の抑留者がつくったといわれているところ。
日本に帰りたかっただろうなあ、と思いつつも、自分の空腹に勝てず、
近くのハンバーガーショップへ急いだ。

ふつうに美味しかった。


明朝早いので、ホテルに戻ったら、フロントから電話が。
ロビーにタクシードライバーが来ていると言う。

行ってみると、「空港まで迎えに行けなくてごめんなさい。旅行会社を代表してお詫びします。
明日の朝、迎えに来ますので、どうぞよろしくお願いします」と英語で言われた。
そして、タクシーに払った6000スムもくれた。

いい国だ。


ウズベキスタン5日目ー夜 ブハラ

2010-04-27 01:15:31 | Weblog
ブハラで、雷が鳴っている。
ぴかっと光って、ごろごろと鳴って、大粒の雨が降り出した。

雷は、日本と同じなんだ。
あたりまえか。

いそいで充電していたカメラのバッテリーをコンセントからはずした。
このパソコンはノートなので、充電がある。

おおっ。どしゃどしゃと降り始めた。
向かいの建物の窓ガラスが割れているのだけど、大丈夫なのだろうか。

昼間行ったアルク城の上に、避雷針があったから、
雷があるんだなあ、とは思ったのだけど、
オアシスの雷を体験できるなんて、なんだか嬉しい。

おっ。外で子どもがはしゃいでいるぞ。
というか、もう寝なさい。

いま、ほぼ真上だった。

ウズベキスタン5日目ー午後 ブハラ観光

2010-04-27 00:21:36 | Weblog
お昼ご飯にサムサを食べたかったので、
イスマイール・サーマーニ廟の隣にある大きなバサールへ。
きれいな布地。


ぶらっと肉売り場に迷い込んだ。
 

なぜか男性はカメラを向けると喜ぶ。


お米。


結局、バザールではサムサを食べずに、
値段が店頭表示されていた、通りにある普通のお店に入った。
このお店のおじさんもやさしかった。
私が外国人なので、わざわざきれいなお皿を取りに行ってくれた。
しかも、写真を撮らせて、と言ったら、ポーズまできめてくれた。
 

サムサは、パイ生地の中に鶏肉が入っている。
とてもボリュームがあって、おいしかった。正解!

そしてアルク城の入り口から、城壁を横目に見ながら歩いていたら、
雲の流れがはやくなって、少しずつ空が晴れてきた。
 

そして、改めてカラーン・ミナレットとカラーン・モスクを見学。
カラーン・モスクには昨日も入ったのだけど、2日間ともチケット料を払わなかった。
というか、どこで払うのかわからなかった。係の人、いたのかな。

どうやら、一人旅はめずらしいらしく、ほかの外人さんとグループなんだろうと、
勝手にチケット売り場の人が勘違いしたのだと思う。

カラーン・モスクのなかで、すこし座って休んだ。

なにかにあこがれると、それを見たいと思う。
誰かが見たものなら、同じものが見たいと思う。
私は大学生のときに、チンギス・ハンにすごく興味をもった。
モンゴルの草原で風を受け、ゲルに泊まったとき、とても感動した。

ホラズムは破戒してしまったので、いまこの土地を訪れても、
同じものを見ることがほとんどできない。
モンゴルは町を破壊するとともに、未来の私との繋がりも壊してしまったんだな。
でも、カラーン・ミナレットは、数少ない同じ光景のひとつ。

今回は残念ながら今日は塔の上まで登ることができなかったので、
そこからの光景は共有できなかったけど、
塔の上から下を見おろすチンギス・ハンと、目が合うような気がした。
 

この後は、ブハラの町の中をぐるぐると歩いた。
香辛料のお店の前で、妙に盛り上がっていたフランス人のご一行さん。


路地裏のネコ。


ちゃんと開店した店。
なかなかみんな商魂たくましい。さすが交易の町。
女性の売り子さんが、「おねえさん、きれいね。安いよ」と日本語で叫びながら追いかけて来た。
 

売っている人の中に、楽器を弾いている人もいたんだけど、ちゃんとショーにしたらいいのにな。
レストランでショーをやっているところもあるのかな。もしかして。
 

ブハラでは、ラビハウズというところで、みんな夕食を食べているようなんだけど、
私は一人だったので、いろいろとめんどくさそうだから、ホテルに戻って食べた。

ちなみに夕飯ネタがないのは、私の一人旅のクセのため。
私の場合、外国でお腹をこわす理由は水ではなくて消化不良なので、肉とあぶらには注意している。
消化が終わる前に寝ないようにしているので、朝と昼はちゃんと食べるけど、夜は無難なものを少し食べるだけ。
今回は、ナンのお世話になった。

さて、明朝、タシケントへ飛行機で戻る。寝よう。

ウズベキスタン5日目ー午前 ブハラ観光

2010-04-26 22:12:39 | Weblog
とにかくブハラはいい。
観光のメインとなる地区は、あまりクルマも入ってこないので、とても静か。
てくてく歩くにはちょうどいい広さだし、サマルカンドよりも観光地化している。
地元の人にとっては、迷惑な話かもしれないけど。

泊まっているホテルはマリカ・ブハラ。とてもきれいで快適。
部屋が1階でフロントに近かったので、部屋のなかでWi-Fiがつながった。
この点だけでも、サマルカンドより外人に慣れているような印象を受けた。

ただ、これはサマルカンドのホテルも同じだったんだけど、防音はほとんどない。
昨日は夜中の2時に、上の階の人がドタバタ走り回っていて、その音で起きてしまったし、
ロビーの話し声や、外の道を歩く人の声(サマルカンドやブハラの人の声は決して大きくない)、
クルマやクラクションがよくよく聞こえる。
まあ、長屋にいると思えば、こんなもんか。
警戒心の強い人には、夜は決して快適とは言えない環境だと思う。

ホテルの朝食は、サマルカンドと似たような感じだった。

今日は8時30分から散策開始。午前中は曇っていた。
まずは、カラーン・ミナレットヘ行く。
お店の準備中。


チンギス・ハンも見上げた同じカラーン・ミナレット。
ブハラのシンボルで、多くのキャラバンがこの塔を目指してやってきた。


次に、アルク城へ。城壁をぐるっと回る。
おそらく本当に古いもの、比較的新しいもの、最近修復されたもの、の3層が見えて、
裏側もなかなか面白い。
 

入り口にいた切符売りのお兄さんがとても親切で、
アルク城のビューポイントまで連れて行ってくれた。

アルク城は、モンゴルが攻め込んだとき、住民も立て込んで応戦したところ。
モンゴルによって破戒された城をその後修復し、
そして20世紀、ソビエト領となったあと、ボルシェビキによって再び破戒された。
いまは何も残っていない。
ただ、昔と同じように、ブハラの町を一望することはできる。


がれきをよく見ると、たまに色や模様がついた破片があった。

次に、バラハウズ・モスクへ。ここは、ブハラ・ハン専用のモスクだったらしい。
天井を見上げたら、すごく北京の故宮と似ているような気がした。
 

チャシュマ・アイユブという予言者ヨブの泉へ行くと、中にわき水が出ていた。
白人さんたちが、すごい勢いでガブガブ飲んでいたので、遠巻きに眺め外へ。
イスマイール・サーマーニ廟へ向かって歩いていたら、かわいい女の子に英語で話しかけられた。
10歳だと言っていたけど、今日は学校ではないのだろうか。
道ばたに咲いていた花を摘んで、プレゼントしてくれた。私はお返しに、キャラメルをあげた。
そして、一緒に廟に入って、イスラム式のお祈りを教えてくれた。

廟から出ると、前にアメリカ人のグループがいて、
その女の子は、そちらに向かって走って行ってしまった。
やはりどこの国でもかわいい子は移り気だな、と思いながら、もらった花とともに写真を1枚。


すると、女の子がいそいで走って追いかけて来る。
口の中でなにかをころがしているから、どうやらキャラメルが威力を発揮したようだ。

ブハラの入り口が復元されているタリバチ門と城壁の前で、写真を撮らせてもらった。
慣れてるなあ。


写真ではよくわからないけど、ずっと先の方で、男女がイチャイチャしていた。
無粋にも、横を通らせてもらいました。でも、気にせず続けていたから、まあいいでしょう。
私は外国人だし、異教徒だから、風紀がどおの、とは申しません。

それにしても、10歳の少女と私の英会話力がほぼ同等って、やはりマズいと思った。

ウズベキスタン4日目 サマルカンドからブハラへ

2010-04-26 01:47:03 | Weblog
12時の列車で、サマルカンドからブハラヘ移動。
11時にホテルでガイドさんと待ち合わせだったので、
午前中は、ホテルの中庭でブハラ予習をしていた。

泊まったのは、シェルドルというホテル。
これが、ホテルの朝食。


そういえば、3日とも同じメニューだった。
でも、このソーセージはおいしい。

ホテルの中庭と部屋の扉。
 

11時にガイドさんと一緒にサマルカンド駅へ向かう。
駅へ入る前に、駅前で昼食。マントウを食べた。
中国のものよりも皮がうすい。すごくおいしかった。


列車では、今回はおじいさんの隣の席だった。
おそらく、ブハラへ行くのか? タシケントじゃないな? ブハラだな? と、
心配して聞いてくれたのだと思う。

私は、車内がとても暑かったので、おじいさんは大丈夫かと少し心配だった。
おじいさんは、少しつらそうだったけど、お湯を何杯も飲み、
ブハラに到着する前には「ブハラ」と教えてくれた。とても親切だった。

15時30分ごろ、ブハラ駅に到着。
ガイドさんは、カタコトも英語を話さないけど、人の良さそうなおじさんだった。
ホテルについて、荷物を置き、とりあえず決して見逃してはいけないところだけ行った。


あとは明日。