ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

一人笑い

2014-10-29 23:20:09 | Weblog
ここのところ仕事が忙しく、だいぶ疲れ気味だ。
体力の回復に時間がかかるようになった。

どうやら、私の労働とそれへの対価は、
普通の日本人にとって、驚愕するほどの「不平等条約」のようだ。
私が聞かれたままに事実を答えると、
それだけでネガティブキャンペーンになると、前に上司から言われたことがあったが、
最近は、逆じゃないかと思う。

みんなが口を揃えて「他の会社に行ったほうがいいよ」と言う。
特に新しく入った人が、口を揃えてそう言う。
それを聞いて、傷口に塩を塗られたような気持ちになるのは、
私の方だ。

それでも、いろいろな理由があって、人はその会社にいるわけで、
それは誰もがそうなのだから、いいじゃん、と思う。

来週になれば、この忙しさもひと段落して、
またチベット語を1日30分は勉強する体力と気力が戻ってくるだろう。
自分でペース配分して、この時間が持てるのだから、あながち悪い環境でもない。

こうして、組織を少し離れたところから眺めてみると、
いろんな人のいろんな側面が見えてくることがある。

むかしから、おばさんに一目置かれない男は、大成しないと思っていたが、
40代の後半以上の年齢になった男性には、見事にその法則が当てはまる。

この「一目置かれる」の基準は、若い女性とおばさんで、まるで違う。
若い時にモテた、というか、遊んだ男は、
たいてい真っ逆さまに女性の評価が落ちる。
しかも、本人がそれに気がつかないオマケ付きだ。

おじさんに求められるのは、懐の深さと、ふとした言葉の重み。
そして、感情に流されず、踏みとどまる精神力だ。

おばさんにとっては、自分の旦那でもない男が、
いくらお金を持っていたって意味がない。
ご馳走してもらう喜びよりも、自分のお金でちょっと背伸びした食事をする方が
自分で本当に食べたいものが美味しく食べられると知っているからだ。

そして、それを「かわいくない」と言う男性がいる。
そしてそういう男を、頭悪いと思う女性がいる。

結局、年をとればとるほど、ライバルは同性になる。
でも、異性にもてている自分もキープして、もっと同性に差をつけたいという気持ちも残る。
この構図は、少し遠くから眺めると、けっこう一人笑いができる感じだ。

あまりにも疲れたので、久しぶりに発散で書きたくなった。

なんとかハラ

2014-10-26 15:33:14 | Weblog
この時期、ボーッとベランダにいると、ふと視線を感じそちらを見ると、
たいていカマキリがこちらをガン見している。
妊婦のカマキリが、お産できる場所を探しているのだ。

頼むから普通のところに産んでくれ、と思う。
一番嫌なのは物干し竿だ。

マタハラという言葉を、帰国後はじめて聞いた。
女性が出産後も仕事を続けられる環境をつくっていくことは大切だと思うが、
私が知っている友人の中で、
出産後、明らかに人格が変わった人が何人かいる。

当然のことながら、頭の中は120%が子どもで占められ、生活も子どもが中心となる。
そして、ある程度の役職にある人の中で、
部下の了解もないままに、出産を当然の権利として、
今まで以上に、部下に仕事を押しつける人も多い。
これは、現実だと思う。

だから、一般社員が出産するのと、役職者が出産するのでは、少し違うと思う。
出産後、職位に見合った仕事ができなくなるのであれば、
それは、その席を他の人に譲るべきだし、
そして何年かして子どもが手から離れたら、もう一度役職に戻るトライができること、
準備が整った時のトライが、何歳でもできることのほうが重要で、
ある職位にある人の職位を守ることが重要なんじゃないと思う。

私からすると、子どもを産みました。残業はできません。朝も遅くなることがあります。
でもお給料は元のままがほしいです。職位も降ろさないでください。は、
単なるワガママにしかみえない。

もしこれが、中国の国営企業のように、
朝はまず新聞を読んで茶をすするところから始まり、
お昼やすみが2時間以上あって、退社時間を勝手に早くしても怒られない、なんていう
いわゆる「共産主義国家」なのであれば、別だろうけど、
日本は資本主義なのだから、そうはいかないだろう。
言われたことをやるのではなくて、付加価値を生み出せる人が、
会社の中でどんどん取り立てられるべきだ。

いま、付加価値を生み出す余裕がないのなら、いったんその余裕を持っている人に譲る。
でも、その間の経験をもって、数年後には、
もう一度会社や社会のために、付加価値を生み出し貢献する。

本当に必要だと周囲が思ってくれているのであれば、席は失わない。
一度誰かに渡しても、また新しい席が回ってくる。
でも、こいつ、美味しいとこ取りしやがって、と思われれば、いずれ席を失う。

楽そうに見える共産主義国家だって、内ゲバでいずれは席を失う。
情けは人の為ならず。
人生はいずれ、帳尻が合うのだから。

参詣

2014-10-25 17:18:23 | Weblog
大学で中国文学を専攻した。中国留学もした。
いまでも中国語を話す。仕事でも中国と関係がある。
ついでに、ついこの前まで3年間中国で暮らしていた。

と言うと、たいていの人は私のことを「中国が好きな人」と思うのだが、
最近はきっぱりと「私は中国が嫌いです」と言うようにした。中国人にも。

正確に言うと、中国から漢民族がいなくなったら、きっと中国が好きになるだろう、という感じなのだが、
なかなかうまく表現できないので、中国が嫌いと、シンプルに表現している。

私が大学で中国語をやりたいと言ったとき、母は高校生の私にこう言った。
「たぶん、あなたが思うような中国人は、いまの中国にはもういないし、
 あなたの興味がある中国は、もう中国に残ってないわよ」と。

母は、もちろん中国には行ったことがなかったわけだが、この的中率、すごい。

それでも勉強したいという私のために、母は身を粉にして働いた結果、倒れたわけなので、
私はずっと中国が嫌いとは言えず、なんとか好きになろうと思っていたのだが、
1992年に初めて中国に行って以来、そして今日まで一貫して、やっぱり中国を好きではなかった。

先日、母の位牌の前で、「ごめんなさい。お母さんの言った通りでした」と報告し、
非常に肩の荷が軽くなったところだ。
嫌いなものは嫌いでしょうがない。

まあ、何と言っても、母が最終的に彼女自身を納得させた理由は、
「中国語ができれば、これから先、仕事には困らないんじゃない?」だったから、
仕事で使っているので、許してくれ。

母は、サルトルやマルクスを読んだ上で、阿呆らしいから毛沢東語録は読まないと言い、
その後、万葉集に戻った。
中国の思想家では、韓非子を「かんぴー」と黄色い声で呼び、漢文を白文で読めて、
東大寺でばったり会ったアメリカのバックパッカー女子に、
奈良時代の歴史と天皇を中心とした日本の歴史について、英語で説明できちゃう人だった。
これで高卒だったんだから、いったいどんだけすごいんだよ。

母と一緒に小学生の頃に見たドキュメンタリー映画「東京裁判」。
あの証言台に立った愛新覚羅溥儀の姿を見て、嘘をついてる。この人の言葉を学ばなければ、
とさえ私も思わなければ、
私も中国語をやることはなかったわけなので、責任の一端は母にもあるし、
私も30年かけて一巡して戻ってきたから、まあいいか。

今日は、中国からの帰国後、はじめて靖國神社に参詣した。



ここの境内に入ると、いつでも背筋が伸びる。



ピシッと美しく二礼、二拍手、一礼ができると、気持ちがいい。

そして約15年ぶりに、遊就館へ。
そう。私たちの国は、大東亜戦争と呼んだ。



零式艦上戦闘機。

 

リニューアルしてから初めて訪れたけど、訪れている人には、若い人も結構多かった。
高校生くらいの子供と両親、または若い女性一人、あとが白人が今日は多くて、
最近増えているという、中国人民と朝鮮人は少なかったと思う。

もともと明治維新の際の烈士を祀ることから始まり、
国に殉じた人を英霊として祀る神社となった靖國神社。

おかげさまで、かろうじて、いま日本は平和です、と報告するとともに、
改めて中国大陸の動乱に翻弄されているのが日本なんだと思った。
植民地時代、赤い時代、そしていまの拝金主義時代。

この百年の中国大陸の地図を見ると、ここ2年くらいで訪れた中国の風景が思い出される。
日露戦争時代の旅順や奉天。上海事変の際のクリーク。
敵も味方も、多くの人が亡くなった。
そして、太平洋の海。絶対国防線。

A級戦犯の写真が、他の英霊と分けて展示されるようになって初めて行ったけど、
東京裁判史観を脱する意志を感じるといえば、感じられた。
パール判事も祀られていたし。



そして、靖國神社には、軍犬と軍馬の像もあり、
その前でも手を合わせる日本人がたくさんいた。



いまもむかしも、人間を消耗品として扱う上司というのはいる。
別に昔の日本人が悪かったわけでもなければ、
アメリカナイズされたいまのカタカナ言葉多用のサラリーマンが先進的なわけでもない。

私たちは、何も変わっていないし、変わりたくても、変われないのだ。

北京色

2014-10-21 21:23:03 | Weblog
香港の学生たちの主張を見ていて、
そういや、もとから共産党の支配下で生まれた人以外で、
「中国人民」になりたいと言う人はいないと思った。

私が知ってる上海人は、自分を「上海人」だと思っていて、中国人民とは思っていない。
外省のアホどもと一緒にするな、ぐらいな勢いだ。
ついでに、香港人は自分たちよりも「ハイカラ」なので、目の上のたんこぶくらいな感じ。
中国人民だと思うのは、抗日のスローガンを叫んでいるときくらいじゃないだろうか。
それすら、上海人はダサいからやらないだろう。
だから上海だけで独立したい、などと言い出す。

それにしても、香港の学生は、粘るし、すごいなあ、と思う。
大陸の大学生たちは、もうすっかり、あきらめきっている。
天安門事件のようなパワーの発露はなく、長いものに巻かれつつ、
もうバブルは終わった後の世代なので、とりあえずなんとなく、という感じだろうか。

バブルのツケと言うべきか、北京はすごい大気汚染だ。
今日は上海も空気が灰色だったらしい。
上海のスタッフが、灰色のことを、「北京色」または「PM2.5色」と言っていた。
それでイメージが共有できるくらいだ。

そんな昨今、日本と中国が違うなあと思うことがある。
日本では、もし首都東京が北京並みの空気汚染だったら、東京人は差別されるだろう。
日本は1945年の頃から、被爆者に対する偏見と、
原爆の被害地の人たちには言われのない差別があった。
高度経済成長期には、公害発生地区の人も。
そして、いまは福島の原発が同じような差別を生み出しているという。

でも、中国ではそういう話を、あまり聞かない。
もっとも、ぜんぜん違う差別はある。
出身地による差別は、それこそ日本よりひどいだろう。
でも、環境汚染をネタに、その地域すべてを差別する、
しかもそれが都市レベルであることは、あまり聞かない。

とにかく、汚染がひどい地域からは「逃げ出せる」人が勝ち組、
逃げ出せない人は負け組、くらいな違いだ。
だから、一番は、中国という国から逃げ出せる人が勝ち組だ。
香港の人たちとは、自分の生まれ育った土地に対する愛着心が全然違うと思う。

だからこそ、中国人が日本に対して抗日運動をやると、
最近はすごく猜疑的に眺めてしまう。
あんたらそこまで、愛国心あるっけ? 自分の故郷に愛着あるっけ?と。

でもそれは、実際に抗日戦争を戦った人たちの想いとは違うと思う。
あの時代の人たちは、どこの国の人たちも、
自分の国のために一生懸命戦ったと思う。
日本も、中国も、韓国も、そして他の国の人たちも。
それは、否定されるべきことではないだろう。

充実

2014-10-18 19:29:30 | Weblog
今日は有意義な1日だった。台風が来ない週末は、いい。
洗濯、掃除、そして、macへのYosemiteインストール。
もしまだ中国にいたら、Yosemiteのダウンロードとインストールで丸2日必要だったろう。
日本にいると、物欲が高まる。

いまのところ、Yosemiteのインターフェイスは好きだ。軽やかな感じで。
機能は、まだよくわからない。。。
そもそも、ふだんの生活で電話もかかってこないので、
iPhoneにかかってきた電話をmacで受けることもなく、あまり感激もなければ、
この機能いらない!と思うこともない。

iPhoneがあれば、デジカメはいらない、と思う瞬間。



先日、会社の裏で撮った白い花の写真。
iPhone5で、十分じゃないか。



微妙な色合いもちゃんときれいに出るし、



透明感もバッチリだ。

モニターで見る分には、十分すぎる品質。

次に6sを買うときには、メモリが一番大きいのにしよう。

相変わらずだ

2014-10-11 21:32:26 | Weblog
中共と人民の悪口ならば、いくらでも言えてしまう、というか、
無意識のうちに悪口を言っているので、
新人さんが会社に入ったことから、かなり発言には気をつけている。

先日は、国慶節のお休みで日本に来ていた中国人のファミリーが、
新宿駅で大きな荷物を持ち、非情に迷惑な動きをしていたので、
その中で一番周囲を顧みないおばさんを、思わず手で制した。
そのあとに、気がついた。あ、こんなこと日本人ならすべきじゃなかった、と。

でも、今日はもう1つ悪口を言おう。

中国語版の百度で、般若心経のチベット語版を検索した。

が、ない。
漢族も「どこでダウンロードできますか?」と書き込んでいる。
漢語とチベット語の対訳をみんな探してるけど、やっぱりない。

アップされた痕跡はある。
が、アップされると削除されるんだろう。
相変わらず、人民解放軍の検閲部隊は頑張っておる。
こういう無駄、やめてくれないか。中共よ。
まったく。。。

しかし、もともとのサンスクリット語版は出てくる。
特に、サンスクリット語から玄奘三蔵が翻訳した偉業は、いーっぱい出てくる。

でも、いま中華人民共和国の国民であるチベット人が話すチベット語と
漢語の対訳版般若心経は出て来ない。
いったいこれ、どういうことよ。まったく。
本当に腹立たしい。

そして、友人から聞いた久しぶりの話題。

上海から帰ってくるときに、飛行機に預けたスーツケースから、
お菓子とお茶が抜かれた、というもの。
箱ごとではなくて、箱を開けてその一部。

気持ち悪過ぎる。

中国は生活水準が上がったかもしれないが、相変わらずだ。

天橋立

2014-10-07 20:51:32 | Weblog
舞鶴の2日目は、天橋立。
あいにくの雨模様。



海の彼方から、雲がわき上がるよう。



雨は雨で、風情があるじゃないか。←やせ我慢。

その後、文殊様にお参りした。



文殊様の猫である。

それにしても、ありがたいことだ。
私は、この1年で、ハルピン、長春、瀋陽、大連、旅順と満洲の都市を旅行し、
上海から空路、悠々と日本に帰国した。
そして、いつでも中国に行ける。

日本より若干サバイバルで気が抜けないとはいえ、
いちおう中国では、生命の危険も感じない。
理不尽に全財産をとられることも、日本人同士の不平等さを感じることも少なく、
私は自由意志で、中国と日本を行き来できる。

でも、私の祖父母の代では、満洲と内地は、近くて遠く、
そして、多くの方が亡くなった。

月曜日、会社で舞鶴に行ったと話したら、
会社の上司がふいに、「うちの両親は満洲から舞鶴に引揚げたんだよ」と言った。

ふだん、語られることは少なくなった満洲だけど、
日本人の生活には、確実に満洲が織り込まれているのだなあと、改めて思った。

舞鶴

2014-10-06 21:33:39 | Weblog
土曜日の朝、京都から舞鶴へ。



西舞鶴駅は、こぢんまり、のんびりとしていて、とても静かだった。



観光案内センターで勧められた「舞鶴かまぼこ手形」1000円を購入。
市内バスに乗り放題で、一部の施設の入館料が無料になったり、半額になったりする。
かまぼこが名産なんだなあと思いつつ、結局、かまぼこは食べずに終わった。申し訳ない。

まず、引揚記念館へ。



今年は2月に大連港に行ってきたので、こちら側も、と思ったのだが、
展示品のほとんどは、シベリア抑留とその引揚げで、
満洲からの、一般の人の引揚げに関する資料はすごく少なかった。

前にウズベキスタンのタシケントで見たナヴォイ劇場と、その近くにある日本人のお墓の写真があった。
ナヴォイ劇場で、ウズベキスタンの人に呼び止められたときのことを思い出した。
「お前は日本人か。これは日本人が造った劇場だ。何十年経ってもびくともしない。
日本人の仕事は本当に素晴らしい! あそこのお墓に、必ずお参りして帰るんだ。
日本人に会えて、彼らも喜ぶだろう」と。

お墓さえなく、そこにいた痕跡すら残っていない多くの人が、満洲に眠っている。
もう少しその人たちを思うための展示があってもよかったと思う。ちょっと残念。

で、すぐに見終わってしまって、赤れんが博物館まで戻ってきた。
赤れんがの作り方とか積み方など、地味に面白い展示物だった。

カレーで腹ごなしし。
地元のお年寄りが、熱心に絵を描いていた。いい老後だなあ。



舞鶴湾めぐり。

とにかく、たくさん自衛隊の船が見られる。



引揚げの方が見た景色と、たぶんあまり変わっていない祖国の山。



日の丸だなあ。軍艦旗だなあ。と、ここが日本であることを再認識する。

 

戦前から使われている山肌をくりぬいた倉庫。



約30分のクルーズは、なかなか見応え十分だった。

次に歩いて自衛隊桟橋へ。



満洲でよく見かけたレンガの建物と同じだ。
もっとも満洲に残っている建物のほうが大きくて立派だったが。

桟橋で間近にしらせを見る。



若い自衛隊の人が、道案内や写真を撮ってあげたりなど、すごく親切に立ち働いていた。

最後に、海軍記念館へ。



近寄り難く、人民を睥睨している人民解放軍の雰囲気とは違い、
日本の自衛隊の人たちは、私たちと等身大だ。
そういえば、むかしネパールの軍人さんたちは、すごーくゆるゆるで、
警備といいつつ銃すら持っていなかった。

軍隊と言ってもいろいろあるよなあ。

安心

2014-10-05 20:57:47 | Weblog
ノドの調子がよくなってきたのと、中国の国慶節休みで友人が帰国したので、
一緒に日本再発見の旅に出掛けることにした。

金曜日の午後、約20年ぶりに京都へ。
なんといって、新幹線の安定感は抜群だ。
中国の高速鉄道とは違う。

音は静かで振動も静か。
乗っている人も、へんな匂いのものを食べてゴミを散らかしたりしていない。
まあ、日本人がほとんどだから当たり前なんだけど、
この当たり前を普通にできるのが、日本の素晴らしいところだ。
安心して爆睡。

京都に着いてからは、あまり時間がなく、
京都駅周辺ということで、西本願寺と東本願寺へ行った。

まず西本願寺へ。

 

掃除が行き届いている。
お参りする人も雰囲気が穏やかだ。

そして、東本願寺。
門の上に、サギがとまっていた。



あまりに動かないので、置物かと思った。



境内も、すごく静かで美しい。
この、清潔感が素晴らしいんだ。日本は。

やっぱり日本はいいなあ、と、つくづく思う。
なんといっても、安心だ。