ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

なくなったもの

2013-06-30 12:51:29 | Weblog
朝起きて、持って帰ってきた仕事をやろうかと、チラリと思ったけど、
いやいや今日は日曜日だしとか、お腹すいたしとか、まあグダグダと考えていて、
一向に手をつけていない。

最近は春雨にハマっている。
日本の福神漬けや漬け物をトッピングしても美味しく、
日ごろの脂っこい中華料理に疲れた胃にはちょうどいい。

ただ、緑豆、じゃがいも、さつまいもなどの澱粉を原料にしているから、
いまひとつダイエット効果はない。
見た目は痩せそうなのに、さすが中国のもの。
食事とは栄養を摂ることであるという大原則を思い出させてくれる。

さて、現実逃避として、
今度の金曜日に回ってくる朝礼で話すネタを考えることにした。
今回は、私の留学時代(93年)にあって、いまの中国にないもの。

・外貨兌換券
・外国人用価格
・長距離列車駅の外国人専用窓口と外国人なら誰でも入れるVIP待合室
 (いまもVIP用待合室はあるが、金を払えば基本的に誰でも使える。金がない私は使えない)
・外国人を泊めてはいけないホテル(政府から許可されてない、という意味で)
・市外・国際電話の交換手(昔は市外・国際電話をかけられる電話が決まっていた)

外貨兌換券は私が留学していた93年にちょうどなくなり、
それに付随して外国人用価格もなくなっていった。
後の3つは、きっとそのあとも残っていただろう。そして徐々に消えた。
たった20年なのに、本当にまったく違う国みたいだ。

1980年代は、経済の交流よりも早く、文化交流が始まっていた。
当時、父は映像の仕事をしており、中国の視察団を受け入れる側だった。

たまに家に帰ってくると、父は、よく中国人の悪口をコミカルに語っていた。
「国家が派遣してきた人たちなのに、まったくひどいもんだ。
 中国人が視察に来ると、撮影の機材や事務所の文房具が盗まれる。
 咎めると、日本が繁栄しているのは中国から盗んだからだ。
 だからこれは取り返しているだけにすぎないなんて、盗人猛々しいことを言う。
 まったくボールペンごときで、セコい奴らだ。
 だから、日本側で中国人の受け入れを拒否するところが増えて、日本政府は困ってるよ」と。

私と父が最初に話した中国に関する話は、およそ上のような内容だった。

そして、その後は海賊版の問題があって、
少しずつ関係は改善されてきているとはいえ、
日本のコンテンツ界と中国は、なかなか仲良くなれない状況が続いていると思う。

いま日本は、中国の資本が欲しくてたまらないし、
中国では未だに外国映画やドラマの公開本数を限っているから、
合作にして、なるべく規制にひっかからないようにしたいと考えるけど、
かれこれ40年以上、いろいろとイヤな思いをしてきている日本人は、
おいそれと中国と握手をする気にはならない。
わざわざ過去のことを持ち出すようなことは、日本人はしないけど、
それくらい中国に対する不信感は根強い。

まあ、そんなことを知らない世代が日中関係を変えていくんだろうから、
あまり変なことは朝礼で言わないようにしよう。
本当のネタは、何か理不尽なことを言われたときに、
中国人をぎゃふんと言わせる技として温存しておく。

距離感

2013-06-30 03:27:21 | Weblog
パスポートが戻ってきたら、久しぶりに北京にでも遊びに行こうかな、と思っていたのに、
どうやら大気汚染がまだまだひどいらしい。

もうすべて20年くらいまえの記憶だけど、
晴れた日の天壇公園は結構好きだった。
頤和園の長廊に座ってボーッとしたり、円明園でボート遊びもよかった。

そういえば、昨日バスに乗ったら移動テレビで、
アロー戦争(第2次アヘン戦争)のときに英仏連合軍によって円明園から盗まれた宝物が戻ってきた、
といったようなニュースをやっていた。
チラリと見ただけだから、よくわからなかったけど。

まあ、それでも北京には2000万人以上が住んでいるんだから大丈夫なんだろうけど、
ノドが痛くなるとイヤだからなあ。

さて、寝落ちするかと思いきや、
やはり長過ぎる昼寝が祟って、全然眠くならない。
多田等観の『チベット滞在記』を読み終わってしまった。

1913年から10年間に及ぶ滞在の記録を読みながら脳裏に広がったのは、こんなチベット。
・仏教国。なにもかもが仏教中心。
・寺では、仏教の勉強がいやになっても、いろんな役割があるので残っていける。
・チベットにいれば、チベットの食事がおいしく感じるようになるらしい。
・悪いヤツも結構多くて山賊も多い。保身のために刀は必需品。
・貴族がいて、乞食がいる。

そしてなぜか、白黒時代の黒澤映画みたいな映像が浮かんだ。
つまり、結構日本に似てるじゃん、という感じだろうか。

共産党にとっては「解放」の格好のネタだ。
地下資源が豊富なチベットを侵略するには、バッチリすぎるくらいハマる状況。

モンゴル語、チベット語、朝鮮語、日本語は、文法が近く、
チベット語には「てにをは」があるようなので、
日本人は単語さえ覚えれば、比較的すんなりとチベット語は話せるようになるとか。

中国語は、文法が英語に近いとよく言われるけど、
私は結構日本語に近いと思っている。

そう感じる最大の理由は「的」。
これは、日本語の「の」と同じで、日本人にとっては非常に便利な助詞だ。

英語だと、いろいろと前置詞を使い分けなければならない「の」だけど、
「的」でどんどん繋げていけるから、
日本人が話す中国語は、「的」だらけになることが多い。

例えば「住在上海的日本人的喜歓的菜是羊肉的火鍋!」と言ってしまう日本人は多い。
これの意味は、「上海に住んでいる日本人が好きな食べ物は羊肉の火鍋です!」だ。
日本語では1回しか使っていない「の」なのに、中国語では強引に「的」で繋ぐ。
ダラダラした印象のある日本人の中国語ではあるが、一応意味は通じるし、
繋ぐことができてしまう。
やはり日本語で一番難しいのは「の」に置き換えられる「が」と「は」の使い方だなあ。

ちなみに、羊肉の火鍋が好きだと言う日本人は結構多い。

まあ、近いと思っていたら遠く、
遠いと思っていたら結構近く感じるものだ。
それは、そもそも心の中にあったイメージを基準に遠い、近いを感じるものだから、
人によって違う。

おそらく私にとっては、日本語の次に近いのは中国語で、
他の言語は、その文化的な親近感とは関係なく、中国語よりも遠いものだろうと思う。

ゴロゴロ

2013-06-29 21:24:33 | Weblog
就業ビザの更新のため、労働局にパスポートをとられてしまっているので、
今週末はどこへも行けない。
中国では、長距離列車のチケットを買うときと
飛行機に乗る際に身分証の提示をしなければならないから。

とはいえ、長距離列車のチケットの場合は、
長距離列車の駅でチケットを買ったり受け取る際には、パスポートが必要だけれども、
街の代理店で買うときには身分証はコピーでもいいという、へんてこなシステムなのだ。
さすが中国、こういった矛盾はいいんだな、と感心する。
ただ規則性が読めず、「なんだよ~!」を連発することになる。

このへん、言語が不明瞭なわりには構造は論理的に考える日本人と、
言語は明瞭で自己アピールも強烈ながら、構造は気分や既得権で考える中国人の
違いなんじゃないかと思ったりする。

ともあれ、久しぶりに家で読書でもしようと思い、
多田等観の『チベット滞在記』を取り出してみたものの、
数日来の疲労が祟って、すぐに寝落ちしてしまった。
爆睡すること4時間半。昼寝の長さではない、と思う。

不眠のススメなるものがあるそうで、旅行中は私もそう思う。
見知らぬ土地で、短時間であってもサッと熟睡できる大胆さと、
基本的に健康な身体があれば、旅行中のハイテンションも助けて、
睡眠時間はかなり短くても、通常の1.5倍くらいは動ける。

ただこれは、楽しいことをやっているからOKなのであって、
「まだまだ私も若いじゃん!」と勘違いして仕事をしようとすると、そうはいかない。
睡眠の間に、潜在意識にたまった、ときに思考のバグとなる情念のカケラを、
うまいこと圧縮したり、クリーニングしないと、
睡眠不足はそのままストレスとなり、あるときフリーズする。
基本的には好きな仕事であっても、仕事である以上はしょうがない。

ということで、歳をとり、自分の限界に向き合う経験が増えたおかげで、
パソコンに対する思いやりも深まった。

最近、会社で使っているWindowsの調子がすこぶる悪い。
ウイルススキャンしても何も検出されず、メモリも余裕があることから、
正規版の日本語OSなのに、中国の海賊版Winや海賊版ソフトたちの中でがんばって、
きっと疲れてしまったんだろうなあ、と思っている。
中国語の海賊版MicrosoftOfficeには、それこそいろんなバージョンがあり本当にカオスだ。

そして、小さいころから海賊版に囲まれて育った中国人は、
海賊版を当然のものとして使う。
罪悪感はないし、本物を使ったことがないから、
自分が使っているもののパフォーマンスがどれくらい悪いかを考える基準がない。

さて、本当は仕事も持って帰ってきたのだけど、今日はいいや。
読書の続きをしよう。そして、たぶんまた寝落ちする。
ひさしぶりのゴロゴロだ。

わかったふり

2013-06-28 23:39:44 | Weblog
日本人が中国人と一緒に仕事をして戸惑うことのうち、
必ず上位ランキングに入るのは、「わかったふりをする」じゃないだろうか。
話の内容を理解してないくせに、さも当然のような顔をする、というやつだ。

中国人が日本語を話す場合、特にその傾向が強い。
中国語の場合は、知ったかぶりをしたとしても顔に出るので、
だいたい理解してないポイントがこちらにわかる。

ということで、最近は、特に日本語科卒業の人と、
日本に留学した経験がある人に対し、中国語で話すことにしている。

一方、仕事のなかで日本語を覚えた中国人は、
あまり変にごまかさないので、日本語で話す。

表面上の流暢さにごまかされないようにすると、
ちょうど上手い具合に意思の疎通ができる。

日本語が好きで勉強した人は、日本語を使いたいし、
せっかく日本人と働いているのだから日本語でと思うのだろうけど、
私は語学の勉強に付き合う気はなく、
仕事の話は確実に伝わることを最優先する。
相手が私に対して日本語で返してきても、こちらもかたくなに中国語を使う。
「いやいや、論点はそこじゃない。ちゃんと聞け」と。

でもたまに、日本語好きな人が変な言葉遣いをしているときには、
その人の日本語のレベルに応じてアドバイスしたりはする。
ただ、その基準は私にとって不快かどうかなので、
あまり相手のことを慮っているわけではない。
それほど人はよくない。

最近はつくづくある種の中国人の「そうですよね」ほど、
信用できない受け答えはないと思う。
それはつまり「聞いてない」ということだから。

そういう人とは、なるべく会話する回数を減らすに限る。

理想

2013-06-28 02:17:41 | Weblog
最近、私の下に、中国人の新卒が入った。
日本語はまったくできない。
でも、上海の有名大学の中文科卒業なので、中国語力は人並み以上でエリート。
しかもその人は、両親の仕事の関係上、東トルキスタンに住んだことがある。
東トルキスタン、つまりは、現在の中華人民共和国のウイグル自治区。
そんな人と知り合う機会は、そうそうない。

だから、まったく日本語ができないながらも、
部下として受け入れることにした。

それでもやはり、少し日本語を話す努力をしてもらわないと、
他の日本人の受けが悪い。
ということで今日は、少し日本語を教えた。

とはいえ、私が教える日本語なわけなので、
教科書とはまったく違う日本語。もちろんだ。

私はまず、音読みと訓読みの話をし、
音読みの中でも呉音と漢音がある話をした。

そして、「え~、あなたが唐時代の人ならすぐわかったはず。
古代漢語の要領で見てごらん。日本語が読めるはず」と言ったら、
さすが中文科卒業、すぐにわかった。
「漢字の意味では、そうだ!」と。

で、納得したところで話した。
中華人民共和国のうち、「人民」「共和国」は、日本人が作った新しい言葉だと。

「人民」を表す言葉として、古くから使われていたのは「百姓」だ。
しかし、近代化を果たそうとしている国家にとって「百姓」は概念が違う。

だから「人民」という言葉、「共産主義」「資本主義」という言葉、
そして「共和国」という言葉を作った。

それは、日本人が中国から学んだ漢字の概念をもとに、
それをヨーロッパの近代化に合わせるための言葉として作り上げた
新しい言葉なんだ、と言ったら、
「なるほど~」と納得した。

結局のところ、学がある人は、日本と中国の真の交流関係を
すんなりと納得することができる。
だからこそ、中共は、知識人と日本人が接触するのを嫌がる。

なぜなら、中華民国も中華人民共和国も、
その土台を作った人のほとんどは、日本留学経験があるから。

今日、『パール博士の日本無罪論』を読み終わった。
日本の大東亜共栄圏に対する思いは、本当に素晴らしかったと思う。
しかし時に、やり方を間違った部分もある。
それは、戦争という形態をまとったとき、不可避となる。

それをふまえ、真の意味での大東亜共栄圏の理想は、
いまだにアジアにとって、価値があるものだと思う。

だからこそ、中国という地において、
私個人の力では本当にたった1人としか話ができないかもしれないけど、
日本近代化の黎明期における真の理想を、
一緒に共有できる仲間を中国で見つけたいと思う。

新卒の彼女が子どもを産んだとき、
日本人の上司と一緒に働いた経験を必ず語るだろう。
そのときに、真の日本、
アジアの独立の真の概念を少しでも共有できたなら、
私が日本人として生まれてきた価値が出てくると思う。

それは、暗黒の歴史を凌駕する日本の理想。
東京裁判の茶番に負けない、真の理想だ。

それは、虐げられ、危機に瀕したアジアの民の理想。
アヘン戦争以降の暗黒の歴史は、いまだにアジアが背負っている負債。

だからこそ、日本はかくあった。

それで、いいじゃないか。そう思う。

6月23日 山西省 雲岡石窟

2013-06-27 01:07:54 | Weblog
6月23日午後は、大同郊外の雲岡石窟へ。
ここも20年ぶりに訪れるのだが、あまりに整備されていて、驚いた。



なんだ、この明の十三稜のパクリのようなモニュメントは。
こんなのなかったぞ。
中国人のおばさんが、ちょうどポーズをとっていたが、
そんな気分にさせられる入り口だ。

ずんずん歩いて行くと、またもや変なモニュメントが。



木の枝を黄金で作るの、中国人は大好きだよなあ。
私はもちろん悪趣味だと思うけど。

気を取り直して、石窟にひたる。



とはいえ、あまりに整備されていてビックリだ。
20年の月日を感じるなあ。



昔は入れなかったところにも入れる。



なんだか、どれも頭でっかちで、若干コミカルな感じがする仏像たち。



この坑全部にぎっしりと壁画が描かれ、仏像がおさめられている。



雲岡石窟は北魏の時代にはじまり、近くは清の時代まで補修が行われていた。
そして、その後、人民共和国になってしばらくの間は、誰も見向きもしなかった。
20年前なんて、本当に無造作な感じだったし、
そのとき私と友人以外に訪れていた人はいなかった。

それが、観光資源になると気がついた途端に、政府が整備を始めてこうなった。



イケメンだ。



ただただ感嘆。



でかい。



そして、雲岡石窟でもっとも有名な仏様。



20年ぶりにお会いしたら、やはりイケメンだった。
歳をとらなくて、うらやましいなあ。
私はすっかり中年になりました。



撮りまくり。



20年前、友人と訪れた時、仏様と鼻の高さを競ってみようと、
横向きになって、同じ角度で写真を撮ったことを思い出した。
あの写真は、いまでも日本の我が家にある。

飛天が舞う仏の世界。



完成当時はどんなに美しかったことだろう。



この仏様は、知り合いのような気がする。



心をこめて手を合わせたくなった。
そして、自分のためだけではなく、世界中の人が幸せになれるよう祈りたくなった。

北魏、すごい。
ということで、がぜん鮮卑に興味をもった。
私はやっぱり北方騎馬民族が好きなんだなあ、と。

その後、大同市内に戻る途中、
石窟のすぐ横が、人民解放軍の大掛かりな演習場であることに気がついた。
そういえば、石窟で、変な音が聞こえてきて「なんだろう」と思っていたのだけど、
軍の演習だ。

世界遺産の隣が人民解放軍の演習場なんて。

まあ、富士山にも自衛隊の演習場はあるわけなので、
他国のことは言えないが、
ふと、写真を撮ろうと思って「危ない」と気づき、
すんでのところで、カメラを構えるのをやめた。

その後、市中心にある九龍壁を見に行こうかと思ったのだけど、
まったく大同市内の変化に戸惑うばかり。

タクシーの運転手さん曰く、
大同は急ピッチで旧市街の区画整理を行っていて、
市中心に住んでいた人たちは強制的に郊外に移住されている。
そして、通りを統合、拡張して、名前まで変えてしまったので、
代々大同に住む人ですら、道がわからなくなってしまったのだとか。

九龍壁の周りは、むかしはごみごみしていて、
いい感じの中国のローカル路地だったのだけど、
すでにがらーんと地ならしが行われ、観光資源になるらしき建物が建てられていた。



ザ・共産党という政策だ。
で、結局興ざめして、九龍壁も見なかった。

そして、あまりにも作り物めいていて、さすがの私ですら、
まったくグッと来なかった城壁。



きっと1000年くらい経てば、味が出てくるだろう。

夕飯を市中心で食べようと思っていたのだが、区画整理のおかげでアテがはずれ、
有名な大同賓館へ。
空港へのシャトルバスが出ているホテルにもかかわらず、レストランがつぶれていた。

ということで、しょうがなく道をさまよい食堂を探す。
一番近かったお店は、なんと人民解放軍用の食堂。
一般人でも、敵国日本の国民でも、食事をすることは可能だ。
軍には儲けさせたくないものの、しょうがないので食事をさせてもらった。

この日、上海に戻る飛行機は、
大同発20時40分、上海浦東着23時20分の予定が、
上海が暴風のため乗る飛行機が上海を飛び立てず、3時間待ち。

結局、夜中の0時ごろに飛び立ち、浦東についたのは2時30分過ぎだった。
そして、浦東のタクシー事情は悪い。
3時すぎに帰宅し、シャワーをあびて、翌朝ちゃんと、9時に会社に行った。

苦行過ぎる、ような気がする。
元気な身体に生んでくれた母に感謝だなあ。

6月23日 山西省 懸空寺

2013-06-26 02:42:45 | Weblog
6月23日の朝4時30分ごろに、大同駅に到着。
乗った電車は、なんと深圳から来ているものだった。



すごい長旅だ。

まだ夜が明けていなかったので、駅舎の横にある食堂で朝食。
豚肉の肉まん、ゆで卵、そして豆乳。



渾源行きのバスに乗ってお目当ての懸空寺に向かった。
着いてみると、時間が早すぎて開いていない。

地元のタクシー運転手のおじさんがしつこく営業してくるので、
だまされた気になって、時間つぶしのために恒山に登ることにした。

これがすごい登る。
運転手さん曰く、登る高さは500メートルくらいだというのだけど、
中国の山は見事に階段が設置されているので、
延々と階段を登らなければならない。

まあ、それでも結構いい景色が見られた。
山の上の方に、たくさん建物がある。



仏教や道教の神様が、それこそ雑多に祀られている。
ご利益がある神様を拝むという、中国人らしい合理的な考え方だ。

あまりにも辛いので、頂上まで登ることはあきらめた。
それでも、かなり景色はいい。



霧が立ち上っていく。



で、寝不足の身には下りもきついので、ロープウェイに乗ることにした。
高所恐怖症を忘れるために、ひたすら写真を撮る。



ファインダーは、感覚を麻痺させる。

そしていい時間になったので、懸空寺へ。



20年ぶりだ。

20年前に比べ、寺の周りはかなり公園として整備されていたものの、
寺の景観は、ほぼ変わっていなかった。



相変わらず、どうなってるのかわからない造り。

そこまでつっかえ棒をして、なぜここに寺を建てたのかと思う。



よく壊れないものだと改めて感心する。



通路は狭く、欄干は低く、落ちそうな気がしてこわい。
思わず壁側に重心を置いて歩く。



床の下がどうなっているかは、考えないで歩く。



お寺なので、仏像もあったのだけど、
とにかく、ゆっくりお参りするような心の余裕はない。

5世紀の北魏の時代に建てられたお寺で、すでに1600年の歴史をもつ。
20年ぶりに来たけど、よく残っていたなあ、と感じるような時間の単位ではなく、
その歴史はもっともっと遥かに長い。

中国の人たちは、こんな建築物を造る人たちだったのに、
なんで今は、手抜きばかりなんだろうと思う。

北魏は鮮卑の人たちの国。
漢族とは違うと言ったらそれまでだけど、
1000年以上の時をかけて、混血しているだろうから、
彼らの遺伝子は受け継いでいるだろうに。

さて、帰りのバスを待つ間に腹ごなし。



涼皮という麺が非常に美味しかった。

6月22日 山西省 平遙

2013-06-25 00:24:44 | Weblog
2時間の遅れを取り戻すべく、大急ぎで平遙へ。
世界遺産の街で、今回の中国滞在中に必ず行きたいと思っていた場所の1つ。
15年くらい前に日本の新聞に大きく写真が載っていて、とても印象深かった。

あのときの写真と同じように朝焼けの時間帯から行きたかったのだけど、
日程上そうも行かず、昼間のしかも雨降りの平遙だったけど、
やはり城壁は素晴らしかった。



むかし写真で見た時よりも、かなり観光地化されていた城壁の中の道。



それでも、全体的な景観は損なわれていなかったので、
まあ、よしとしよう。



飴屋さんは、いまだに手づくりだった。



けっこうな重労働だ。

そして、土産物屋がずらっと並ぶ。



名物らしいけど、形容詞さえ思い浮かばなかったくらい微妙な味の肉巻き。



土産物屋ばかりでなく民家もある。やはりのぞいてみたくなる。



犬も雨宿り。



子どもたちが帰路につく。



すぐに雨は上がり、おじいさんが西門の前で野菜を売りに来ていた。



まだ修復中の城壁。なかはこんなふうになっているらしい。



子犬がたくさんいた。



壁が傾いてきて、つっかえ棒していた家。



城壁に登りたいと思い、どこから登れるかを聞いたところ、
「北門と南門からだよ」と、すごい捲舌音で言われた。
この捲舌音を聞くと、北方に来たなあ、と思う。

ということで、南門まで。



南門の前では、切符確認係のお兄さんたちがバトミントンをして遊んでいた。
「どこでチケットを買うの?」と聞いたら、「門の外の右の方だよ」との答え。

で、延々と歩いた。
券売所と門までは、こんなに距離がある。
南門、小さい!



せっかくだけど、城壁に登るのはあきらめ、
ゆっくり夕飯を食べることにした。
昼食が機内食だったから、空腹に勝てなかったのと、
チケットは平遙の統一チケットだったため、
もうその他の観光スポットに入る気はなかったから。



名物の牛肉刀削麺と、やはり北といえば水餃子。
ビールもフルーティで美味しかった。

その後、太原駅まで戻って夜行列車で大同に移動。
平遙から大同までのチケットは買えなかったため、しょうがない。



太原駅は、周囲がほとんど街灯もなく暗いのに、
列車の案内を告げる電光掲示板が外壁につけられていて、
非常に明るい、というか、落ち着かない雰囲気だった。

太原発22時14分→大同着4時10分ぐらいのK732便の軟臥。
なんだか大学生みたいな旅だ。

6月22日 山西省 喬家大院

2013-06-24 23:29:02 | Weblog
週末に山西省へ行ってきた。
6月22日 喬家大院と平遙
6月22日 大同
なかなかの強行軍。

6月22日(土)上海虹橋8時10分発→太原10時10分着のはずが、
太原空港の天気が悪いとかで、2時間遅れ。

着いてみると、確かに濃霧だったし、雨が降った後があったけれど、
中国の飛行機は、よく遅れるし、本当に天候不順が理由なのか、
いまひとつ信じることができない。
誰かが寝坊しただけじゃないか、など、勘ぐってしまう。

さて、気を取り直して、観光。
雨上がりでも、上海に比べて湿度が低い気がする。

喬家大院の入り口。
清末から民国初にかけて、金貸しで儲けた大富豪一家の邸宅。
参観料は72元。
なぜか山西省の観光地の参観料は、端数があるところが多かった。



屋台では「石頭餅」というのを売っていた。



「石頭」と書かれているわりには割れてるじゃん、と突っ込もうと思ったら、
そうではなくて、焼いた石の上に小麦粉を伸ばして焼くことから、
名前がついたようだった。



邸宅の入り口。立派な門構えだ。



中も広いし、1つひとつの造りが凝っている。



錠前も素敵だ。



これが一個人の家だというのだからすごい。

 

きっと軍閥、清朝、中華民国、諸外国と、方々にうまいことお金を貸して、
がっぽり儲けたんだろう。
日本もお世話になったかもしれないなあ。

この邸宅は、映画「紅夢(大紅灯篭高高掛)」が撮影されたところとして有名。
1991年の映画で、張芸謀監督、鞏俐主演。
私も大学生の頃に見て、すごく印象深かった映画だ。

それで、きっと日本人の観光客もちらほらいるから、標識があったのだろうけど、
ここの日本語は、これまでになく爆笑ものだった。

  

翻訳ソフトを使ったんだろうなあ。
確かに「出口」は「輸出」という意味だけど、
これだったら、中国語をそのまま読んだ方が、日本人にも意味が通じるんですけど。

  

チャチャチャ、と言われたら、踊らないといけないような気がしてくる。

さて、梅雨の花、ねむの木が花を咲かせていた。



そして、犬も爆睡していた。


映画祭

2013-06-22 01:35:06 | Weblog
友人にチケットを譲ってもらい、
上海国際映画祭で「東京家族」を観てきた。



中国人は、ただでさえ他人との距離が近く、
知り合いじゃない人とぶつかったり、
男女関係なく、触れたりすることに、まったく無頓着だけど、
そんな人たちがカップルでいるときは、本当に近過ぎる。
公共の場で、抱きついたりキスしたり、男性が女性の胸に顔をうずめたり、
夏は本当に暑苦しい。

さて、中国の映画館の座席は、日本人には非常にわかりづらい。
奇数と偶数で左右に分けられている。
横一列同じ番号なのではなく、縦一列で同じ番号だったりする。
だから、いつも合っているか自信を失う。
今日は満員というわけではなかったので、一番後ろの席に移動した。
中国人の反応も見たかったから。

相変わらず、時間どおりには始まらないし、
始まっても、中国人たちはおしゃべりを続けているし、
自宅の居間の延長のような映画館の雰囲気だったけど、
「東京家族」には、非常にマッチしたかもしれない。

小津安二郎監督が昔撮った映画を山田洋次監督がリメイクしたもので、
久しぶりに懐かしい東京の風景と、
静かでゆるやかな日本の空気に、すごく癒された。

やはりタイミングが合っていない字幕があって、
まだ、そのセリフ言ってないよ!というタイミングで
中国人たちは字幕を見て大笑いしていた。
あと、妻夫木さんは相変わらず中国の女子に人気だった。

私が一番面白かったのは、
横浜のインターコンチネンタルらしきホテルの中で、
中国人が大声でクレームを付けているシーン。
観客の中国人たちが苦虫を潰したような、声にならないうなり声を
かすかに上げていたのがよかった。
そうだ。君たちは、日本ではかなり浮くのだ。自覚してくれ。

一番感情移入したのは、
お母さんが亡くなった後に、お父さんが屋上で朝陽を見ているシーン。
そして、きれいな日の出だったと言った後に、母さんが死んだ、と言う。

この非連続の連続。

私も母が亡くなった翌朝、朝陽のきらめきがあまりに美しいので驚いた。
あのときのことを思い出した。

中国では、朝陽なんてモヤってて、よく見えないことが多いし、
きっとよほどの田舎出身の人でないと、そんな美しい夜明けを見たことがないだろう。

そして、畳の上にきちんと座って、頭を下げるって、
本当に美しい姿だと思った。
そういう私は、すぐに足がしびれてしまうので、ぜんぜん正座できないけど。

エンドロールになると、中国人から拍手が上がった。
いつもはエンドロールが始まると、すぐに立ち上がって帰る中国人たち。
でも今日は、半分くらいの人がエンドロールの最後まで座っていた。

そして「小津安二郎に捧げる」という字幕でもう一度拍手が上がった。

ああ、帰りたくなったなあ。

さて、今週末はまた旅に出る。