ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

ウズベキスタン6日目ー夜 タシケント

2010-04-27 23:34:53 | Weblog
騒々しい。

ホテルの部屋は11階なんだけど、下の広場で流している音が聞こえて来る。
テラスに出て、下をのぞいてみたら、
広場の樹々が、電飾でピカピカ光っていた。

それにしても、この低音はドンドンと心臓にひびくな。

いやいや、日本の都会に比べたら静かなんだけど、
サマルカンド、ブハラと、拡声器系の音がなかったものだから、
すごくイヤな音に聞こえる。

こんなんで日本に帰って大丈夫なんだろうか。

それにしても、ウズベキスタンのホテルは、
いずれも音に対して無頓着だったなあ。

ああ、この重低音、いつまで続くのだろう。
いまこちらの19時30分。

ウズベキスタン6日目 ブハラからタシケントへ

2010-04-27 20:39:17 | Weblog
朝、9時55分発の飛行機で、ブハラからタシケントへ。
ブハラ空港は、国際空港なんだけど、とてもこぢんまりとしてて、かわいらしい。


空港の中では、銀行の人が、札束を手で抱えて持っている。
強奪される心配なんてないんだろうなあ。

1日にほんの数本しか離発着がないので、どこもかしこも、のんびりしている。
飛行機はプロペラ機だった。
タラップの前で写真を撮っていたら、ダメだよ~、と言われたので、写真は載せない。
でも、注意の仕方もすごくゆるかった。

タシケント空港では、銃を持った人が警備をしていた。
首都なんだなあ、と少しぴりっとする。
荷物を受け取って建物から出ると、あれ、ガイドさんが来ていない。
少し待ったけど来ない。ここからは個人行動だったっけ・・・。

タクシーの客引きが面倒なので、「地球の歩き方」でバスを調べていたら、
とうとうタクシー運転手のおじさんにつかまってしまった。
新市街の中心にあるホテルウズベキスタンまで、5000スムだと言う。
まあいいか、と思って、乗せてもらうことにした。

ホテルウズベキスタンは高いから、もっと安いホテルを紹介しようか、
と言われたんだけど、予約してあるからいいの、と答えた。
ついてみたら、案の定すごくいいホテルだった。
日本で予約したらこんなもんかな。
で、結局6000スム払わされた。


いいホテルなんだけど、部屋のコンセントの形が、これまでのヨーロッパC型じゃない!
意外と不便だった。
インターネットはサクサクつながるだけに、惜しい感じ。

荷物を置き、ウズベキスタン歴史博物館へ。
ガイドブックに載っていた仏像が目当て。
「地球の歩き方」には、写真撮影は7000スムと書いてあったけど、20000スムした!
このほかに入場料3000スム。なんという高さ。

私が換金したレートだと、1円=17スムだった。
お水1本=500スムだと考えると、かなり割高な感じがする。

でも、ここには仏像のほかにも、絶対あるだろうと思っているものがあったので、
ケチらずに払うことにした。たぶん一生に一回だから。

お釈迦様は、静かに座っていらした。
よくきれいにのこっていたものだ。


そして、ぐるっとまわると、おお、あった、あった。


モンゴル帝国時代に使われていた通行証。銀の牌子(パイザ)。

ガラスケースに入っているので、なかなか上手に写真が撮れない。
左右にモンゴル文字が入っているなあ、裏も見たい! 持ってみたい! いっそのこと! など、
いろいろと悪いことも想像しながら、しばしうっとりと眺めた。

これは、たとえ日本の展示会に来ていたとしても、写真は撮れないし、
絵はがきになるほど人気もないし、
写真代、高かったけど、よかったことにする。

展示品は決して多くない。3階建てのうち、1階は半分は閉まっていたし、
3階部分はすべてソビエト時代の社会主義にありがちな展示。
正直に言ってあまり面白くはない。
これから先、展示物が増えるといいけど、もうのこっていないのではないかとも思った。

博物館を後にし、ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場へ。
日本人の抑留者がつくったといわれているところ。
日本に帰りたかっただろうなあ、と思いつつも、自分の空腹に勝てず、
近くのハンバーガーショップへ急いだ。

ふつうに美味しかった。


明朝早いので、ホテルに戻ったら、フロントから電話が。
ロビーにタクシードライバーが来ていると言う。

行ってみると、「空港まで迎えに行けなくてごめんなさい。旅行会社を代表してお詫びします。
明日の朝、迎えに来ますので、どうぞよろしくお願いします」と英語で言われた。
そして、タクシーに払った6000スムもくれた。

いい国だ。


ウズベキスタン5日目ー夜 ブハラ

2010-04-27 01:15:31 | Weblog
ブハラで、雷が鳴っている。
ぴかっと光って、ごろごろと鳴って、大粒の雨が降り出した。

雷は、日本と同じなんだ。
あたりまえか。

いそいで充電していたカメラのバッテリーをコンセントからはずした。
このパソコンはノートなので、充電がある。

おおっ。どしゃどしゃと降り始めた。
向かいの建物の窓ガラスが割れているのだけど、大丈夫なのだろうか。

昼間行ったアルク城の上に、避雷針があったから、
雷があるんだなあ、とは思ったのだけど、
オアシスの雷を体験できるなんて、なんだか嬉しい。

おっ。外で子どもがはしゃいでいるぞ。
というか、もう寝なさい。

いま、ほぼ真上だった。

ウズベキスタン5日目ー午後 ブハラ観光

2010-04-27 00:21:36 | Weblog
お昼ご飯にサムサを食べたかったので、
イスマイール・サーマーニ廟の隣にある大きなバサールへ。
きれいな布地。


ぶらっと肉売り場に迷い込んだ。
 

なぜか男性はカメラを向けると喜ぶ。


お米。


結局、バザールではサムサを食べずに、
値段が店頭表示されていた、通りにある普通のお店に入った。
このお店のおじさんもやさしかった。
私が外国人なので、わざわざきれいなお皿を取りに行ってくれた。
しかも、写真を撮らせて、と言ったら、ポーズまできめてくれた。
 

サムサは、パイ生地の中に鶏肉が入っている。
とてもボリュームがあって、おいしかった。正解!

そしてアルク城の入り口から、城壁を横目に見ながら歩いていたら、
雲の流れがはやくなって、少しずつ空が晴れてきた。
 

そして、改めてカラーン・ミナレットとカラーン・モスクを見学。
カラーン・モスクには昨日も入ったのだけど、2日間ともチケット料を払わなかった。
というか、どこで払うのかわからなかった。係の人、いたのかな。

どうやら、一人旅はめずらしいらしく、ほかの外人さんとグループなんだろうと、
勝手にチケット売り場の人が勘違いしたのだと思う。

カラーン・モスクのなかで、すこし座って休んだ。

なにかにあこがれると、それを見たいと思う。
誰かが見たものなら、同じものが見たいと思う。
私は大学生のときに、チンギス・ハンにすごく興味をもった。
モンゴルの草原で風を受け、ゲルに泊まったとき、とても感動した。

ホラズムは破戒してしまったので、いまこの土地を訪れても、
同じものを見ることがほとんどできない。
モンゴルは町を破壊するとともに、未来の私との繋がりも壊してしまったんだな。
でも、カラーン・ミナレットは、数少ない同じ光景のひとつ。

今回は残念ながら今日は塔の上まで登ることができなかったので、
そこからの光景は共有できなかったけど、
塔の上から下を見おろすチンギス・ハンと、目が合うような気がした。
 

この後は、ブハラの町の中をぐるぐると歩いた。
香辛料のお店の前で、妙に盛り上がっていたフランス人のご一行さん。


路地裏のネコ。


ちゃんと開店した店。
なかなかみんな商魂たくましい。さすが交易の町。
女性の売り子さんが、「おねえさん、きれいね。安いよ」と日本語で叫びながら追いかけて来た。
 

売っている人の中に、楽器を弾いている人もいたんだけど、ちゃんとショーにしたらいいのにな。
レストランでショーをやっているところもあるのかな。もしかして。
 

ブハラでは、ラビハウズというところで、みんな夕食を食べているようなんだけど、
私は一人だったので、いろいろとめんどくさそうだから、ホテルに戻って食べた。

ちなみに夕飯ネタがないのは、私の一人旅のクセのため。
私の場合、外国でお腹をこわす理由は水ではなくて消化不良なので、肉とあぶらには注意している。
消化が終わる前に寝ないようにしているので、朝と昼はちゃんと食べるけど、夜は無難なものを少し食べるだけ。
今回は、ナンのお世話になった。

さて、明朝、タシケントへ飛行機で戻る。寝よう。