ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

先人

2013-03-30 00:37:15 | Weblog
ちょっと中国人と行き違いがあったくらいで、
ガタガタ騒いじゃいけないなあと思う。

中国人と本当にわかり合えるのか、いつも不安に思うけれど、
それを為そうとして努力したのは、私が最初でなければ、最後でもない。

今日は、上海豊田紡織廠記念館を見学した。



極力、当時の姿のままに復元された建物は、非常に瀟洒だった。
1921年というと、大正時代。

あの頃の日本人は、本当にスケールが大きかったんだと思う。
上海にいると、それがちょっとだけ自分の体験として共有できる感じがいい。

当時の機械は美しい。



そしてどこまでも創意工夫が詰め込まれた機械。



ちょっと見たぐらいでは、どこがどうなっているのかわからない。

でも、それが美しいということは、見ただけでわかる。
先人は素晴らしい。

ピチピチ

2013-03-29 00:07:55 | Weblog
先日から、会社に、大学4年生の女の子が実習生として来ている。
大学の授業が終わったし、卒論も書いたから、職探しと社会勉強をやりに来ている。

で、今日は一日中、私が打合せやら外出やらで席にいなかったら、
帰り際に「もっと仕事をください。今日みたいに資料を読むだけなんてイヤです。
もっと忙しいほうがいいんです」と言う。

朝、ある仕事のマニュアルを渡し、
「日本語だから、ネットで調べたりしながら、理解しておいて」と言ったところ、
時間があまり過ぎたらしい。
「あなたはこんなに忙しい。私は仕事がやりたい。だから仕事をください」と。

すごい。上海人が決して言わないようなセリフだ。
が、仕事はそんなに簡単ではなく、教えずにできるようなものは、ほとんどない。

ということで、
「そのマニュアルを理解して、少しずつ慣れたら、もっとお願いできる仕事が増えるから」
と言ったところ、「これはわかったから、もっと仕事したい」と。

もう少しで「教えないでできるほど、仕事は簡単じゃないよ」と言いそうになったけど、
それを言ったらやる気のある女子学生がかわいそうだし、
彼女の論点と私の論点がずれてしまうと思い、ぐっと飲み込んで、
「ごめんね。明日はこれをやろうね」と言っておいた。

社内では早くも、もともといる上海人80后男子とチェンジだ!という声もあがった。
私も、正直に言って1ヶ月後は彼女のほうができるようになっているだろう、と思う。

ただ、仕事を学校のテストのように考えていると、
それはそれで、ちょっと違うから、
そのあたりの「手綱さばき」が難しいと思う。

正直に言って、やっぱり日本人と仕事をすると楽なので、
日本人を補充してほしいと思う部分はある。
でも、これからは中国人と協業する時代なんだよな。

それにしても、日本人というのは、役職があがると判断しなくなるものだなあ。
私もそうなるんだろうか。

ああ、女子学生って、ピチピチだなあ。

小人登場

2013-03-28 02:09:00 | Weblog
最近、少し仕事が忙しく、頭がブート状態。
疲れているのに、眠れず、眠りも深くない。
でも、身体的にはごまかされていて、夜、1人で仕事をしていると、
小人さんが出てくる。

今日も中国時間で23時を過ぎた頃から、
次第に仕事をしている状態が気持ちよくなり、
思いのほか頭が冴え、仕事がはかどって、
予定よりも1時間以上早く仕事が完了し、帰路についた。

乗ったタクシーの運転手さんがいい人でよかった。
こういうときの相性って大切だ。

そして上海はタクシーが安いので、
ちゃんと会社でタクシー代を落とせるあたりもいい。

東京だったら、どうせ経費にできないから泊まるか、という気分になるが、
ちゃんと家に帰ってシャワーを浴び、
ついでに全自動洗濯機で洗濯もできる。
(東京の自宅の洗濯機は、いまだに二層式)

仕事をするためにいる上海なのだけど、
最近、だんだん仕事が仕事でなくなってきた。
感覚的には、仕事と趣味の境界がどんどん曖昧になっている感じ。

一方で、自分が日本人だと言う意識は強固になって行く。
今日も、仕事で初めて電話で話した中国人に、
「私は日本人なので、中国語の理解が劣る部分があるから、
 その点は考慮してほしい」と言った。
相手は「そうか、わかった。これからどうぞよろしく」と。

別に日本人だからどうの、とかは言われない。
でも、私は自分が日本人であることを、毎日のように意識する。

日本人で、日の丸や君が代に反対する人たちは、
前の世代が犯した過ちを、受け止めたくないだけの、
単なる甘えん坊のように見えて来た。
そろそろ自分が日本人であることに対して、
覚悟を決めたらよかろう、と思う。

日の丸や君が代を否定し、教育現場から排除しようとして、
それであなたは、実質的に、本質的に、何を否定しているのか、と思う。
別に、それを崇めよとは思わないけど、
否定したって、どんなに否定したって、
外国で1年も暮らしたら、日の丸を見て、きっとホッとするんだから。
それでもなお、日の丸や君が代反対と言うのなら、そのときは話してみたい。

さて、明日も小人さんにご登場願おう。

アツくなるもの

2013-03-27 00:11:15 | Weblog
サッカーの試合を日本から中継してもらっている。
FaceTimeは便利だ。

さて、サッカー観戦とTwitterは私にとってセットなので、
日本にいたときと同じように、Twitterも繋いでいる。
iPadでサッカー中継を見ながら、MacBookでTwitterにログオンする。
そんなことするくらいなら、さっさと日本へ帰れよ、と
自分で自分に突っ込みたくなるような電磁波状況だ。

たまにTwitterを開くと、
すごい勢いで左翼の人たちが「日の丸反対!」「君が代反対!」と連続ツイートしてて、
それを律儀に全部リツイートしている人がいたりする。

日本にいたときは「そんな人もいるよねえ」と流していたのだけど、
ここは上海なので、フォローをはずしてしまう。

「日の丸」と「君が代」がなかったら、
私たちはどこを目指して帰ったらいいんだろう。
国内にいる分には、意識する必要なんかないから、
なくてもいいと思っていたけど。

でも、上海にいると、日の丸があると「何だろう」と足が向く。
そこに何か、欲しくても触れることができない何かがあるような気がする。
わざわざユニフォームのレプリカを着て、日の丸に手を当ててみたり、
国歌斉唱が映ると、涙が出そうになったり。
島国にいると気がつかなくても、外にいるとアツくなるものがある。

だから、それまで、否定してほしくないと思うんだよな。
自虐的な内容の本や報道もそう。

共産党みたいに、夜郎自大に自分を持ち上げる国家も、
必要以上に自らをおとしめる国家も、
そこの国民を冷めさせるだけだと思う。

違い

2013-03-25 23:34:14 | Weblog
ネズミと断定、か。原発の停電。

そろそろ事故後の世代が生まれ「活躍」している頃だと思うけど、
もしかしてゴジラみたいなネズミだったりして。
すごい変異を遂げてて、巨大ネズミが東京を襲う図。けっこう怖い。
ある意味、ゴジラより怖い気がする。

さて、今日、会社で採用面接をやっていた中国人の同僚が、
こんなことを言っていた。
「あの人、まったく社会人経験がないからダメ。
 だって、いちから教えるの時間がかかるじゃない」と。

受けに来た人は、中国と日本の大学を出て、
日本では、けっこう努力して大学を出た人だと思う。
日本人的には、ガッツがあるし、いい、という雰囲気。
でも中国人にはそうではないらしい。

いろいろと聞いてみると、
新しい人を採用する理由は「自分の仕事を減らすため」であり、
最初仕事が増えるかもしれないけど、吸収力があって柔軟な人を採用して、
一緒にいい仕事をしていく、という感覚は、
まったく持ち合わせていないようだった。

日本人は、変な上海の風潮に染まる前の新卒がいい、と言うけど、
中国人は違う。自分もいつまでこの会社にいるかわからないし、
まず直近で、手間がかからない人がいい。

なるほどなあ、と思った。

私の場合は、死ぬまで上海にいるわけじゃないし、
一緒に仕事をしていて、気持ちがいい人と一緒にやりたい。
年齢や経験に関係なく、性格重視。

そう言うと、「そりゃそうだけど、それじゃ早く帰れない」と言われた。
そりゃそうだ。

2013-03-24 15:50:20 | Weblog
桜の咲く頃は、急に気温が下がる。
それは上海も同じで、ここ数日、すごく冷えている。

昨日は、なんとも離れがたい日本人の友人が、
だいたい1ヶ月に1回集まる食事会だった。
コア参加メンバーは「呼ばれて来た人たち」と言う。
国籍、性別、年齢不問。
唯一求められるのは、
自分がどんなに汚くても、それを受け止めたいという覚悟をもっていること、
だろうか。

ということで、2回目以降は、
いくら誘ってもタイミングがあわなくて来られない人が出てくる。

「ここ数日、冷えるね」ということで、火鍋を食べた。

少し早く会場に着いてしまったので、Kindleで小説を読んだ。
坂口安吾の『桜の森の満開の下』。
読んでいて思い出したのは、芥川龍之介の『羅生門』。

私は、ソメイヨシノがすごく苦手。
うすピンクの中に赤い花弁が見える感じが、どうしても人の目に見えてしまう。
大勢の瞳に見つめらている気がして、すごく苦手。
そして、音もなく散るのが、体感できるような風もないのに散るのが、すごくこわい。
ついでに、花見という口実で、桜の下で酒盛りしている日本人の集団もこわい。

そして、場所取りさせられる新入社員は、本当に悲惨。
あんなに、ハラハラと散る、よくわからないけど散って行く花びらの下で、
ずっと何時間も孤独に誰かを待つなんて、本当に拷問。
私は気が狂いそうだった。仕事だと思って我慢したけど、1回が限界だった。

ただ、ソメイヨシノ以外の桜は、結構好き。
もっちりとしていたり、葉とも共存する。

坂口安吾の『桜の森の満開の下』は、
私が恐れる桜という美の狂気そのものだった。

でもきっと、坂口安吾の見ていた桜の狂気は、私のそれとは違う。
惚れた美しい女が、人を殺して首をとってきてくれとせがむ。
せがまれた男は、桜の下に1人坐ることを恐れている。

孤独感と美意識と、あこがれとコンプレックスと、
それが言葉であらわせないことによる、闇のような恐怖。
日本が戦争に進んだ道と、そして終わらせ方への罪。

それは、日本の美しさと、西洋的な論理力の弱さと紙一重。
世界の基準を理解せず、ずるずると決断しなかった罪そのもの。

じゃあ、どこに行くのか。

桜を見て、桜の下で騒ぐ覚悟ができているのか。日本人は。
それは、私たちが守らなければならない美意識と価値観、
それをどのように日本人自身が受け止めるか、ということ。

そこを自問せずに、急にキレる中国人と、
「話し合ってわかる」なんて、絶対無理だと思う。
中国にも賢い人はたくさんいるし、共産党のエリートもいるけど、
基本、数に負けるのは日本と同じ。
暴走する人は必ずいるのだから。

でも、上海にいると、美しいソメイヨシノの桜道を歩きたくなる。

縮図

2013-03-24 00:29:29 | Weblog
今日は、日本のハローワークみたいなところで開催された
合同就職説明会を見学してきた。

6月に卒業する予定の大学生や、
転職を希望している人たちが集まっていた。
主に20代から30代前半。

大学生の場合は、上海以外の場所から、
なんとか上海に仕事を見つけて、上海に住みたい!と思っている人ばかりだった。

上海以外の土地から来ようとする人たちにとって、
一番の問題は、家賃。
初任給の半分が家賃に消える。

それも、ルームシェアして、どうにかなる、という感じだ。
1人で借りるなんて無理だし、
工場のワーカーでもない限り、ふつうは会社の寮がない。
ホワイトカラーでやっていきたいと思う学生にとって、
一番の問題は、スキルではなく、家賃。

そういえば、会社の同僚も、
ルームメイトが、引っ越してきてから、実は定職に就いていないことがわかり、
家賃を払ってくれない、と、困っていた。

外省の人は、上海の人に比べて、真面目で素朴で、やる気もあるのに、
家賃の壁が立ちはだかる。

それに、上海の大学を卒業したわけではないので、
戸籍は依然として変えることができない。
恥ずかしそうに、「農村戸籍です」と答えた女子大生の顔が、
すごく印象に残った。

じゃあ、上海の優秀な人たちはどこにいるのかというと、
大手のトップか、海外にいる。
この格差は大きい。

これが中国なんだなあ、と思った。

うかつ

2013-03-22 22:25:53 | Weblog
今日は上海人男性、80后(1980年代生まれ)が
突然キレて、非常にビックリした。

端的に言うと、単に家庭教育がなってない、ただの小皇帝だという理由なんだけど、
彼の場合は、日本で高校から20代中盤まで過ごした経験もあるので、
言っていることを聞いているうちに、きっと日本でいじめられたんだろうなあ、と
せつなくなった。

20代も後半ともなれば、
家庭環境がどうであろうと、自分が何人だか迷おうと、
そんなことは受け止めるしかないと気づくものだけど、
私も20代のころは、ジェットコースターのような気性だったから、
彼のキレている姿を見ると、自分を見ているようで、つらかった。

だからこそ、私も確信をもって、決して彼に譲らなかったわけだけど、
それに、話題は仕事だったし、
「なぜ? 整理して文章でちょうだい」と言ってただけなのに、
まさか殴られるとは思いませんでした。はい。

私がうかつでした。

子ども相手に、できないこと、言葉で言い表せないことを
「中国語でいいって言ってるのに、なぜ?」と聞き返し続けたら、
そりゃあ、幼稚園児のようになるに決まっている。

差別と偏見があることは、重々承知であえて書くと、
中国は少し前まで文盲率が非常に高かった。
ついでに言うと、戸籍がない子どもたちは、いまでも学校に行けないから文盲だ。

中国はエリートは、エリートとして育てられるので、
公立学校に「飛び級」するような子どもたちを集めた学校もあれば、
そうでない、かなり低い水準のところも残っている。
上海は、いまはかなりハイレベルになったけれど、
正直に言って、80后の親世代、祖父母世代は、それほどではない。
文革もあったし。

そんな中で、小さいころから詰め込み教育を受けた若い世代は、
なんというか、日本人とはまた少し違う意味で、
文章で表現する力が、その感覚がない人も多い。

そんな人に、自分がやっていることを文章で表現せよ、なんて、
無理な話に決まっている。
しかも、一番文章力がつく10年間を日本で鬱々と過ごしたのなら、
成人レベルの中国語が書けなくて当然だろう。

ということで、本当にうかつだった。
ケガしなくてよかった。

ロジカルな文章

2013-03-21 23:57:06 | Weblog
昼間、同僚の日本人から美味しい紅茶を分けてもらった。
香港のものだということだから、本場イギリスのアールグレイだったのだろう。

すごく香りがよくて、おいしかった。

いま、Kindleで読んでいるのがちょうど『空家の冒険』(コナン・ドイル)だったものだから、
「うわ~、19世紀ロンドンって感じ。シャーロック・ホームズだ~」と言ったら、
「ハリーポッターでなく、ホームズ!」とツッコミが入った。

そうか、いまイギリスの小説といったら、ハリーポッターなんだ。

負けじと「版権が切れているものだったら、Amazonで0円でダウンロードできるよ」と言ったら、
「え~、そうなの~」とのこと。
そうです。iPhone使いだったら、Kindleのハードを持っていなくても、
アプリをダウンロードすればいいのです。
上海でも、日本語の名作が読めるのです。

でもそこで、「ってことは、言葉遣いがちょっと古いってことでしょ~」という、
次なる笑いが起こった。

そうよ。美しい日本語よ。
特に感情が動くときの描写が、いまと違う。
恥じらいとためらいがあったころの日本語は、たいへんに美しい。
それらは文字であっても、ある種の気配として感じられる。

ビジネスでは、結果から書く「ロジカルな文章」を求められるし、
私もそれを意識しているけれど、そんな文章ばかり書いていると、
どんどん、文章がへたくそになるような気がする。

たとえどんな文体であれ、
そこに「故意な言い落とし」は、あるものだし、
議事録のような事実の記載でも、それは起きうる。

ロジカルな文章は客観的に事実を伝えるように思えるけれど、
これほど人の意識を導きやすいものもない。
「結論ありき」だから、過去を書き換え、再構築することが可能だから。

ということで、ロジカルな文章を読み、
誰かが「そうか、まとめると、こういうことだよね!」と言い出すとき、
私は思い切り疑り深くなる。

羊料理

2013-03-20 23:32:12 | Weblog
会社に行ったら、一回り以上年下の中国人の同僚たち(女性)が、
「え~、今日はスカートじゃないの! もっとスカートはきなよ~、似合うんだから~」と口々に言う。
からかわれてるんだな、ということぐらいはわかったのだが、
次の中国人同僚(男性)の一言は、
「スカートは一着しか持ってないんだから、リクエストするんだったら、買ってあげなきゃダメだよ」だった。

こういうのを「図星」という。
冬物のスカートは一着しかない。確かに。

会社のなかをフラフラ歩いていたら、同僚が「くるみ」をくれた。
「え~、脳みそ型じゃないの!」と言ったら、
「くるみにもいろんな種類があるの。日本のくるみみたいなのもあるけど、これは山の」と。



味はくるみだった。
殻を割るときに、飛び散るのが、仕事中だと難点。

夕飯は、これまた中国人の同僚3人とウイグル料理を食べに行った。



上海人の同僚曰く「羊くさい~!けど、美味しい」と。
でも豚肉ほど量は食べる気にならないようだった。
いっぽう甘粛省出身の同僚は「故郷の味に近い」とご満悦。

ウイグルの黒ビールを飲んだんだけど、
「これ、ドイツの技術を使ってるって書いてあるけど、全然ドイツの黒ビールとは味が違う!」と
ビール腹の同僚は少し不満そうだった。

私は羊もウイグル料理も大好きなので、「美味しい、美味しい」と
ひたすら食べていたら、
食べることにどん欲な中国人からも「なんでも食べるんだね」と驚かれ、笑われた。



日本人の味覚は広いと思うよ。
それにウイグルの羊料理は、たぶん日本人の好きな味だよ。