ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

フライングブラボー その2

2010-04-05 18:44:12 | Weblog
昨晩、クラシックコンサートにおける
フライングブラボーについて考え始めたら、止まらなくなった。

いまから20年以上前、芥川也寸志さんがテレビで
フライングブラボーをたしなめていらした。
音楽は、終わった後の余韻の時間が美しいのだから、
早過ぎる拍手やブラボーという声など、
余韻を乱すような行いは慎むべきだ、というようなことをおっしゃっていた。
すごく共感した。

最近は、「小さな子どもでも気軽にコンサートへ行けるように」というようなことを、
テレビ局や主催者側の人が言うことがある。
というか、昨日、由緒正しいクラシックの番組で言っていた。

そういう発言を聞くと、
いつも私は「いやいや、それは違うだろう」とツッコミを入れたくなる。

何でもかんでも「子どものうちから」は、違うと思う。
もちろん家で聴く分には、子どものうちからがいいだろうと思う。
クラシックだろうが、ジャズだろうが、興味の幅を広げてやることは重要だ。

でも、外で、コンサート会場で聴く以上は、
最低限、他人に迷惑をかけないマナーを覚えてからであるべきだ。
「大人の仲間入りする」ことについて、ある程度のハードルがあるのは当然だし、
そのうえで参加できることがあって当然だと思う。

もし、それ以前なら「子どものためのコンサート」に行けばいいし、
そういう機会は、いまはたくさんあるのだから。

音楽以外のところであっても、「大人になってからね」は、とても魅力的な言葉だと思う。
逆に、この言葉がないと、子どもは大人になる意味がわからなくなる。

私は幼稚園に入る前から、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番が大好きで、
ずっとコンサートに行きたいと思っていた。
でも、母が、周囲の方の迷惑になるからと、なかなかゆるしてくれなくて、
結局連れて行ってもらったのは、小学校5年生の最後のほうだった。
その時の母のセリフはいまでも覚えている。
「そろそろ、静かに座っていられるようになったわね。
静かに座っている、というのは、口をきかない、というだけではないのよ。
あるべきところで、立ち居振る舞いに落ち着きがある、というのは、
そんな表面的なことではないの」

当日は、ものすごく嬉しかった。一音たりとも聞き逃すまい、と思った。
何かに興味をもち、それをずっとその先の人生でも愛し続けるということは、
気軽さと必ずしもシンクロしないことだと思う。

そして、愛し方は人それぞれなのだから、
公共の場では、他人の心を乱すような行為は慎むべきだと思う。