ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

ウズベキスタン2日目ー午前 サマルカンド観光

2010-04-25 23:41:41 | Weblog
前の日に駅まで迎えに来てくれていた日本語のできるガイドさんに、
1日案内をお願いすることにした。
暑くなる前に、アフラシャブの丘に行きたかったので、7時出発。

ホテルで軽く朝食をとり、サマルカンドの普通の朝食に連れて行ってもらった。
牛のひき肉の串焼きシャシリクを食べた。
中に羊の脂がぎゅっと入っていて、朝から食べるには少し脂っこいけど、スタミナはつく。


その後、地元の人が住む町並みをぶらぶら歩く。
ナンを自転車で運んでいた。


朝のシヤブ・バザールをぐるっと見る。相変わらず、おばちゃんたちは元気だ。


水を買い、アフラシャブの丘へ。
むかしモンゴルが破戒するまで、サマルカンドはアフラシャブの丘にあった。
玄奘三蔵が天竺への旅で通ったのも、アフラシャブにあったサマルカンド。
モンゴルが投石機を使って攻め込み、徹底的に破戒したうえ、
住民の4分の3を殺し、残りの住民は奴隷として売り払ってしまったと言われている。

今回の旅行の目的は、このアフラシャブの丘を歩くこと。
まず、アフラシャブ博物館で有名なソグド人の壁画を見る。


発掘された土器などを見ても、シルクロード全盛のころの
サマルカンドの繁栄ぶりがわかる。土器はどれも薄くて精巧だ。


サマルカンドの歴史は長い。ゾロアスター教の遺構も見つかっている。
真ん中の穴で炎を燃やしたらしい。


その後、アフラシャブの丘を歩く。
いまは春なので、草が美しい。
夏になると暑くて乾燥し、草花は枯れてしまうらしい。
不思議な起伏があり、きっと誰かの家の屋根の上を歩いているのだろうと思った。
いま、城壁には、地元の人のお墓が並んでいたり、丘の上では牛や羊を放牧していたりする。


牛に連れられ、ふもとにおりる。左側はずっと城壁。
旧サマルカンドでは、この川の水が、とても上手に城内に取り入れられていたらしい。
 

次に、ダニエル廟へ。
とてもとても長い柩のようなものがあった。
ダニエルさんの骨は、まだまだ伸びているらしい。
近くのわき水は、聖水らしいのだけど、飲んだら美味しかった。

新しい幹線道路をひたすら歩いて、車に戻り、昼食を食べに移動。
ピラフを食べた。
牛肉と、ゆでたような黄色いタマネギが、お米の上に乗っていた。
お米は、パサパサしている。油が少しきついけど、味付けはあっさりしていた。
 

サラダとヨーグルトのような飲み物を飲む。
サマルカンドの人は、朝、生野菜のサラダは食べないらしい。
生野菜のサラダはもっぱら昼と夜に食べるとのこと。
きっとここの気候では、そのほうが身体にあうのだろう。

熱いお茶が一番おいしく感じたのは、やはりアフラシャブの丘の散策で、
体内の水分が蒸発していたからだろうか。

ウズベキスタン1日目 サマルカンド観光

2010-04-25 23:16:53 | Weblog
4月22日お昼の12時、サマルカンド駅に到着。
駅に着くとすぐに、「サマルカンドのナンだよ~」とナン売りが乗り込んできた。
ホームに降りてもナン売りがいる。
あたり一面、香ばしい匂いが漂っていた。


駅舎には、日本語のできるガイドさんが来てくれていた。
DAEWOOの車でホテルへ。
DAEWOOは、韓国の大宇との合弁で始まり、いまはウズベキスタン法人になっている。

チェックインして、インターネットを使えるか聞いたら、
ホストのコンピューターがダウン中で、修理に出てるから無理だと言われた。
こういうときは、諦めるしかない。

荷物をおいて、さっそく街をぶらぶら歩くことにした。
まずティムール一族が眠るグリ・アミール廟へ。
モンゴルが徹底的に破戒したサマルカンドを再興したのはティムール。
多くの人が訪れていた。


チケット売り場でお金を払い、入り口でチケットを見せたら、
これは写真を撮るためのチケットだから、入場チケットを買うように、と言われた。
引き返して、チケット売り場の人に入場チケットが欲しいと言うと、
「あれ? グループじゃなかったんだ」と言われた。
私の前には、地元の人たちしかいなかったのに、
どうしてグループと勘違いされたのだろう。

廟の中に入ると、お墓の前で、お祈りをしているおばさんたちに取り囲まれた。
どうやらロシア語なら通じると思っているらしく、しきりに話しかけて来る。
いちおうロシア語で「日本人です」と答えたら、
ますます言葉が通じると勘違いされてしまって、ものすごい勢いで話しかけられた。
最終的には、彼女たちはブハラから来ている一行だ、ということだけわかった。

次に、ルハバッド廟へ。
扉の木彫り細工がとても美しかった。
ここには霊が住んでいるらしいんだけど、残念ながら交信できず。


そのまま街を歩いて、レギスタン広場へ。
街の中心で、サマルカンドというと写真が載っているところ。
地元の人も観光客もたくさんの人が来ていた。


主だった建物は、修復されてきれいになっているし、
裏の方も修復が進められている。

前を歩くおばさんたちが、両手にナンを持っている。
歩いてシヤブ・バザールまで行き、ナンを買うことにした。


バザールでは、美味しそうな野菜や香辛料、お菓子、乳製品、
もちろんナン、ソーセージなどが売られていた。
売り場の人に、いろいろと声をかけられるけど、
あまり無理強いされることはない。
「サフラン、サフラン」と、妙にサフランをすすめられたけど、
断りやすい雰囲気で、気楽にぶらぶらできた。


なぜか白人さんたちは香辛料に興味津々で、
しきりに写真を撮っていた。

一番内気そうなおばさんのお店でナンを買い、ホテルに戻った。
サマルカンドのレストランは、表に値段が出ていないので入りづらい。
文字もキリル文字がほとんどで、ほとんど読めないし、読めても意味がわからない。
ロシア語で簡単な会話でもできれば違うのだろうけど、
土地勘も相場もわからないなかで、いきなり飛び込む自信はやはりなかった。

帰り道で、ぎゅうぎゅうのバスに無理に乗り込もうとしている場面に遭遇。
まるで日本の通勤電車のよう。それにナン売りの少年も、色をそえる。
なんだかとても面白くて写真を撮っていたら、誰かが私に気がついて、
みんなが一斉にこちらを振り向いた。
きっと、「あら~、写真撮られているわ。はずかしいわよ」とかなんとか、言ったのだろう。
最後に粘っていた人たちが、笑いながら身を引いた。


基本的に、みんなフレンドリーだし、とても安全な街だと思う。

ウズベキスタン1日目 タシケントからサマルカンドへ

2010-04-25 23:01:28 | Weblog
いまウズベキスタンのブハラというところにいる。
やっとホテルでネットが使える。
サマルカンドのホテルではネットが繋がらなかった。
こういうときは諦めが肝心なので、改めてブログアップ。
とはいえ、ここも通信がポツポツ切れる。

4月21日夜成田→関空→22日朝タシケント空港着。

成田→関空のあいだ、ウズベキスタン航空の客室乗務員は
すごくゆるい感じの勤務だったんだけど、
関空でいったん降ろされて機内に戻ってみると、
雰囲気が一変して仕事モードになっていた。
過剰サービスもなくて快適。よく眠れた。

ウズベク時間の3時過ぎにタシケント空港着。日本との時差は4時間。
現地のガイドさんと出会って、時間をつぶしつつタシケント駅へ。
ガイドさんに中国を旅したことがあると行ったら、「ウルムチ?」と聞かれた。
やはり「ウルムチ」は距離が近いのだろうか。いろいろな意味で。

タシケント駅の朝焼け。


タシケント駅の待合室に座っていて気がついたのは、
たくさん人がいるのに、新聞などの紙ものを読んでいる人がいない。
電話をしているか、誰かと話しているか、ボーッとしている。
これが中国なら、新聞や雑誌、食べ物のかす、向日葵のタネの殻などが
めいっぱい散乱しているのだけど、それもない。
すごくすごく清潔。
ただ、その後、向日葵のタネが散乱しているところを
サマルカンドで見たので、単に朝早かったからだという気がしてきた。

私のことをめずらしそうにじーっと見る人や、
ロシア語で「日本人?」と聞いて来る人もいるけど、
全般として礼儀正しくて奥ゆかしい感じ。

8時過ぎの列車でサマルカンドへ移動。


タシケント→サマルカンドの列車は、グリーン席だった。
まわりはみんなウズベキスタン人。
隣に座ったおばさんは、孫と遊ぶ→クロスワードパズル→食べる→寝る(いびき)
をずっと繰り返していた。

私はガイドさんに勧められるままに窓際の席に座ったのだけど、
どうやら、そのおばさんが窓際、私が通路側だったようだ。
旅行者だとわかったからか、そのまま譲ってくれた。

ウズベキスタンの第一印象は、すごく歩きやすいところだということ。