ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

ことば

2016-02-20 22:43:24 | Weblog
最近、あれだけ苦手だった英語に、追いかけられている。

小学校4年生の時、母と奈良に行った。
その時、東大寺の境内で、アメリカ人のバックパッカーの女性に
母が英語で東大寺の話をしていた。
聖徳太子のこと、光明皇后のこと。行基菩薩のこと。

あの時、かなわないと思った。
だから、私は英語じゃなくて、中国語を選んだ。
賢かった母と、唯一、対等に渡り合えるかもしれなかったから。

でも、漢文は、きっと、今でも母の方ができる。
生きていたら、話したかった。
今なら、母を超えられないことを、喜びを持って、向き合えたかもしれない。

最近、英語に追いかけられている理由は、仕事だ。
タイのスタッフとの協業で、英語が必要だから。

違う国の人と一緒に仕事をすると、言葉とはなんだろう、と考えさせられる。
わかる、わからない、常識、非常識、それらはどこから来るのか。
これらは、言葉ではなくて、文化だと思う。
言葉がわからないと、意思の疎通はできないけれど、
言葉がわかったからといって、通じ合えるとは限らない。
それは、日本人同士でも同じことだ。

でも、意思疎通にかかる時間は少し違うと思う。
効率を考えると、どちらかの母語でコミュニケーションした方が、かなり速い。

決して、仕事は効率を求めるだけのものではない。
でも、効率を求めないのであれば、それを抱えられるだけの体力を
会社は求められる。

そんな体力、今の日本で、一体、どれだけの企業が持っているだろうか。
体力がないのに、そんな中、気がついてしまう日本人が、
個人的に吸収していくことになる業務量。

虚しくなる。

そして、日本語は、
個人の心の中から、業務の伝達まで、
あらゆる情報を伝えるのに、なんと適した言葉なのかと、すごく感嘆する。

ある意味で

2016-01-19 16:42:28 | Weblog
昨日の大雪は、なかなかな試練だった。

朝起きた瞬間に、月曜の朝、首都圏で積雪、という条件によって、
遅刻しないで会社に行く可能性は消えたと思った。

ということで、あせらず、普段どおりに準備をして家を出たのだが、
まさか会社まで3時間もかかるとは思わなかった。
ふだんなら、京都まで行ってるよ。

長蛇の列でいちやく有名になってしまった京王線の千歳烏山駅は、
東日本大震災の翌日よりも長く、人の列ができていた。
震災の後は、当然のことながら必要最低限の人しか外出しなかったわけで、
「まあ、遅れてるとはいえ、動いてるから、そのうち着くだろう」という
軽い気持ちで駅に着いてしまった人たちは、
多くの気持ちを胸に秘めながら、静かに並んだ。
このへんの日本人の忍耐力は、本当にすごい。

なんせ、1時間半くらい氷の上、かつ大雨の中、
立って並んだわけなので、いろんなことを考えた。

まず、頭に浮かんだのは、スターウォーズの最新作。
ヒロインがノースリーブで、雪の上で戦うシーンだ。
相手方の男性は、もこもこに着込んでいるのに、めちゃめちゃ薄着。
撮影、たいへんだったろうなあ、と同情した。

そして、スケート選手というのは、
動いてないと寒いだろうから、自然と練習しちゃうよな。
そしてこけると冷たいから、早くうまくなりたいよな、と思ったり、
戦後の配給のために並んだお母さんたちは、毎日大変だったろうな、と想像した。

京王線の情報で、若葉台と調布間が運休と出ていたので、
これは、若葉台の車庫から車輌が出せないんだろう。
天気予報を見て、前の晩に凍結しないような対策をするか、
全部若葉台に戻すなよ、と思ったとき、
大東亜戦争中、作戦の決断ミスからゼロ戦が飛び立てず、
船と一緒にたくさん沈められたのは、ミッドウェー海戦だったっけかなあ、と思い、
きっと今頃、復旧しようと思っている社員さんたちは、
あのときのゼロ戦乗りのような気持ちなんだろうと同情したりした。

あるのに飛べない、これは、せつない。

そうこうしているうちに、心底冷え切ってきたら、
今度はスターウォーズ、エピソード3で、
オビワンとアナキンがちゃんばらやってたシーンが、
真逆の環境として思い浮かび、

そして、モンゴル人が、小さい頃から大酒のみで馬に乗るのが
すごーく理解できたような気になった。

案の定、叔母からは「なんだ。あなたのことだから、
きっと一杯ひっ掛けながら待ってると思ったのに」とメールをもらったのだが、
人生、ほんとうに、いろいろあるなあ。生きてさえいれば。

最新作を観た

2015-12-27 14:42:00 | Weblog
間に合った。

2015年の年初に病を得たことを知って、それから治療。
辛かった時、いつも、スターウォーズの最新作を劇場で観るまでに治す。
そして、エピソード9が完結するまで、絶対に死なない。
そう思ってた。

私が一番最初に、映画館に観に行った映画は、スターウォーズの最初の3部作。
当時、映画の仕事をしていた父と、私を産むまでは映画の仕事をしていた母が、
私に本気で言った。
「静かにしていられる? いい子にしていられるなら、一緒に連れて行くけど、
 約束できないなら、おばあちゃんのところでお留守番」

もちろん、絶対静かにしてると言って、連れて行ってもらった。
父は信じなかった。母は、もし嘘ついたら次はないよ、と怖い顔で言った。
それでも、絶対に見たい!と言った。そして連れて行ってもらった。
今はもうない、テアトル東急。あの時、まだ幼稚園生だった。
字幕なんて、何が書いてあるのか、わからない。
でも、以来、スターウォーズの大ファンになった。

最初の3部作の時、父と母がいた。
次の3部作の時には、父だけがいた。
そして今は、私しかいない。

先月から週末を使ってちゃんと復習して最新作を観に行った。
金曜日の夜は、クリスマスで空いてる映画館で、2D。
昨日は、たまたま会った友人がスターウォーズファンだったので、急遽3D版を。

今、両親と心の中で、最新作のストーリーと、この後の2作の予想を語り合っている。
ギリシアからローマに至る歴史、そして世界大戦の大量死を乗り越えるための壮大な物語。
それは、自分たちの出処証明と、勝者としての誇りをかけた物語。
第二次大戦の勝者であるアメリカだけが描ける、アメリカが描かなければならない映画。
私はスターウォーズをそう思っている。

そんな映画を、黒澤映画に憧れたアメリカ人が、日本へのリスペクトを持って撮る。
ジェダイは柔道着を着て、共和国のえらい偉い人たちは着物を着る。
日本人にとって変だな、と思ったエピソード1から3までの女性たちの髪型やメイクは、
日本かぶれした西洋人の変なアレンジと思うかもしれないけど、
中国の人民解放軍が侵略する前のチベット貴族たちの盛装に、よく似ている。
パドメ・アミダラは、
チベット語による観音菩薩のマントラ、「オン マニ パドメ フム」を
アミダラは、サンスクリットから、中国語、日本語に受け継がれた「阿弥陀」連想させる。

今生を究極に救ってくれる阿弥陀様が産み落とした子供が、ダークサイドに堕ちる。
これは、六道輪廻に苦しむ人間と、神の世界から堕ち、原罪を背負って生きる人の姿そのものだ。

スターウォーズは、みんな、それぞれの入れ込みが非常に強い作品なので、
好き嫌いはそれぞれだし、みんな色々と語りたいものだろうと思う。

そのすべての感想がいいと思う。やっぱり面白くなかったと言う感想もありだ。
私が今、一番語り合いたい人たちは冥界にいる。
もしくは輪廻して違う姿をしている。
でもフォースは光として私を包んでいる。
その光は、冥界にいる両親と私の心を繋いでくれる。

お父さん、お母さん、最新作、観たよ。
ありがとう。私を愛してくれて。

名月

2015-09-28 22:32:45 | Weblog
暑いのか寒いのか、日めくりで変わる気温。
輝く太陽と美しい月。体調管理は難しいけど、いい季節だ。

今年の夏は、親戚と過ごす時間が多く、
久しぶりに、両親のことをたくさん思い出した。

最近、自分は若年性アルツハイマーじゃないかと思うことが多いのだけど、
家族のことを思い出す機会がないというのは、全般的な記憶力を低下させると思う。
すでに元気だった頃の母の顔を思い出せなくなっているのだけど、
親戚はみな、わたしの顔を見て、母を思い出すらしい。
わたしが思い出せないのに、まったくずるいと思う。

それでも、母がどんなことを言っていたか、
そして祖父や祖母がむかし住んでいた家のことや
好きだった食べ物のことなど、
わたしが3歳になる前のことも断片的に思い出したりすると、
ふわっと時を超えて、温かい気持ちになる。

そういう瞬間が人には大切だと改めて思った。
思い出を共有できる人がいるということこそが、安心。

やっぱり家族がいるっていいよねえ、と思ったところで、
きっと、ここんとこの芸能ニュースのおかげで、
自分も一回り以上若い美人と結婚できると
妄想している同世代の独身男子が増えたんだろうと思ったりする。

一回り以上若い美女をつかまえた男性というのは、
若い頃からモテモテだった人たちだし、
ずっと目上のイケメンと結婚した女性というのも、
かなり選択肢をたくさんもった人たちだと、
今日のスーパームーンを見ながら、ぼんやりと思った。

中国では、中秋の名月のときに、一家が集まって月餅を食べる。
日本も、中秋の名月だなあ。

一滴 一刻

2015-09-18 00:04:26 | Weblog
わたしの世代の人たちなら、きっと知っているだろう。
「ああ、ときが見える」というセリフを。

「とき」には、時か刻か、どちらかの漢字が当てはまるのだろうけど、
そのシーンに、ザブーンという水しぶきが当てられていることから推測すると、
たぶん「刻」なんだろうな、と思う。

そして、このセリフは、一刹那が愛おしいという意味なんだろうと思う。
生きているこの瞬間、わたしをとりまくすべてを愛おしいと思うこの瞬間、
この執着にとらわれたすべてを、わたしだと思う。

それは死を前にし、有限を実感したからこその一刹那。
ありのままの自分を、自分が受け止めた瞬間。
それが「ときが見える」ということなんだろう。

決してエスパーとしてのセリフではなく、生きているたった一人の
ちっぽけな人としてのセリフ。

これをニュータイプとして描かれたララァに言わせたところに、
このセリフの重みがあるんだと思う。

ニュータイプだから見えたのではない。
人だから見えたんだ。

そんなことを考えたのは、
今日飲んだお酒が美味しかったから。

一滴に、すべてが宿る。そんなお酒だった。

夕陽

2015-09-13 21:08:08 | Weblog
朝起きて、ふと老後の生活が不安になった。
でも、よくよく考えてみれば、老後はいまの延長。
あと20年ある。いまから準備すれば、なんとかなるだろう。

きっと夢の延長。
久しぶりに亡き母が出てきた。
母は坂のてっぺんにある家に住んでいて、家の両端が下り坂になっていた。
この台所、使いづらい、斜めじゃん!と思いながら使っていたら、
母が、そのあいだに家の中をすごくきれいに掃除した。

古くなったものを取っておいてもしょうがないわ。手伝ってもらったの。と。
そして、わたしは会えなかった美しい顔をした弟と微笑みあった。
生前の母は、ものが捨てられない人だったのに。

久しぶりに母の気配を感じて、
ああ、こんなだったな、むかし、と思っていたら、
いつの間にか母が別人になっていた。
また、抱きしめる前に失ってしまった。

そうだ。秋のお彼岸だ。
毎年、団地に咲く白の彼岸花。
赤い花は亡き人を導く炎。白い花は亡き人を包む光。そう思う。



秋の七草の萩。鈴虫の音も美しい。



しばらくぶりに、ゆっくりと夕陽を眺めた。



光があって、初めて、ものはかたちを結ぶ。
その光は、お日様からくる。
この世はお日様によってかたちとなる。



母なる大地の地球ですら、太陽という他力によって生かされている。



いわんや、人をや。

カモ

2015-07-12 13:59:20 | Weblog
中国株の報道を見るたびに、日本とのちがいに驚き、
よくもまあ、こんな国と貿易取引をやったり、現地法人を作って商売してると思う。

中国の同僚たちと、株の話をしてみたいけれど、
彼らは思ってることを文字では書かないし、電話でも話さないので、
行って話してみなければわからない。

話してみたいのは、元わたしの部下で、いまは会社を退職した二人の女性だ。
一人は、杭州の土地成金と結婚した共産党員の娘。(一人っ子ではない)
そしてもう一人は、中国の石油閥に勤める父を持つ共産党員の娘。(一人っ子)

前者は、両親が学校教師で両親ともに共産党員。
両親からは、今後、共産党がどうなるかはわからないので、共産党には入るな。
とにかくお金持ち結婚をし、共産党以外の枠組みで生きろ。
そして、何かあったら両親とともに国外逃亡だ、と言われ育った美貌の持ち主。

旦那さんは、土地成金の御曹司よろしく、
20代ではあったが事業熱や投機熱がすごかった。
彼が持っていた株はどうなったのだろうか。聞いてみたいものだ。

後者は、天真爛漫に育った野生児。
石油採掘のために、ウイグル自治区の兵站のようなところにいたこともある、
中央政府にルートをもつお偉いさんの一人娘=お姫様。
自分は株なんて危なくてよくわからないことはやらないし、
お父さんを頼ればいくらでもいい仕事(手当がたくさんついて、暇な仕事)、
いい結婚ができるが、当分は、お父さんの資金援助のものとに自由に暮らしたいという女性。

そうだな。あともう一人、社員の上海人男性の意見も聞いてみたい。

たぶん、三者三様に、今回の株で踊らされた個人投資家は「あほだ」という
落ちになるのだろうけど、そのときの上から目線のコメントがぜひ聞いてみたい。

そして三人とも、政府批判に行き着くと思う。
政府の介入を、成熟していない資本主義の典型ととらえ、
こんなんだったら、いつまでも国外の投資家の格好のカモで、
結局のところ外国に搾取されている図式は、この100年変化ないとか言うだろう。

残念なことに、ここ数年、その搾取する外国の中で、日本が占める存在感が下がっている。
中国にとってのカモに日本がなってしまったこと、本当に残念だ。

しあわせ

2015-07-09 02:46:48 | Weblog
わたしは確実に「オレオレ詐欺」に引っかかるタイプだ。

幸いなことに、親兄弟、配偶者と子どもがいないので、
このままいけば、引っかからなくてすむ。
が、妄想力が結構強いので、実は子どもがいた、というありえない記憶に支配され、
引っかかるかもしれないと、少し心配している。
まあ、そこまで生きられればの話だが。

こうなると友人だけが頼りなので、
もう何でもかんでも相談してしまおうと思うのだが、
たまに自分の直感だけで動いてしまうことがあり、
それがたいていトラブルの元になっていると、最近気がついた。

思い切り体調が悪い時は、すべてが判断保留というか寝落ちするしか選択肢がないので、
逆に変なことが起きない。
時代からは確実に取り残されるが、それを苦と思わなければ結構快適だ。

ちょっと元気になった今みたいなときが最も危ない。
体力が戻ると読書欲が出てきて、結局この時間になる。
明日は仕事で体力勝負だとわかっていても、眠ることができない。
貪欲極まりない。

母が植物状態だった頃、もちろんわたしはその状態が悲しくてたまらなかったが、
実は母は全然違う境地にいるのではないかと、
しかも結構幸せなのではないかとうっすらと思っていたが、
いまはそれが確信となった。

母は、身は現世にありつつ、精神は現世を超える状態を、
結構楽しんでいたに違いない。
なぜなら、体調が悪くて寝落ちしたときに見る夢は、わたしはいい夢が多い。
幸せで、光に包まれ、キラキラしている場合が多い。
つまり起きたくない状態だ。

母が本当にそんな14年を過ごしたのなら、よかったと思う。

逆もまた

2015-07-08 23:24:32 | Weblog
ようやく中国株のテレビ報道が始まったけれど、
以前、個人投資家のフィーバーぶりを報道していた時にくらべ、
中国政府の介入方法についても言及しないし、
ずいぶん淡々としていると思うのは、わたしだけだろうか。

ま、次の特派員の記者ビザを、出してもらえなくなるかもしれないから
日本の報道が中国に気を使うのはしょうがないか。
中国というのは、そういう国だ。

それにしても、上海でインタビューに答えている個人投資家が、
みんなガラ悪く見えるのは、わたしが日本帰国して1年。
かなり日本に慣れたことの証左だろう。

さて、心身が弱まると、遺伝というか、親から引き継いだものを多く意識する。
爪や手のかたち、思わずいってしまう一言、そして食べたくなるもの。
自分で気づくものもあれば、他人から指摘されて気づくものもある。

最近いちばんショックだったのは、立ち姿が父親そっくりだというものだった。
父は男性で、わたしは一応女性だし、立ち姿が同じというのは、
女子としては、あまりよくないような気がする。

両親とずっと仲が良かった人が、
まるで幽霊を見たような顔をして、歩み寄り話しかけたわたしの顔を見上げ、
「あなた、いま、まるでお父さんだったわよ」と。
「一緒に暮らした時間は短いのに、似るもんなんだね」とわたしが言ったら、
「それが血っていうものよ」と。
歩き方も含め、存在感が父親そっくりというのは、まったく。。。

父のことは好きだけれど、お金との縁は薄そうだなあ。
これが遺伝というものなのか。

自分を愛するということは、両親を愛することであり、
逆もまた然り、と思った瞬間だった。

2015-07-07 21:53:59 | Weblog
上海株は、正直、面白い。
自殺者も出ているので笑い事ではないのだけど、中国人民らしいなあと思う。

友人から借りた茅盾の『子夜』。
株に一喜一憂する中国人がたくさんでてきて、
誰一人として登場人物に感情移入できない、珍しい本だ。

中国人というのは、なるべく労働をしないで、
一気に賭けて儲けて、一気に逃げる人たちなんだな、と思う。
逃げ先は、国外も多い。
ピンチがあっても、コネを使ってなんとか乗り切る。
相手を信用はしないが、とことん利用はする。
愛国心は皆無。お金が大好き。

共産党が中国をおさめる前から、中国はずっとこうだった、と思わされる。
日本のように、和をもって尊しとするという精神はない。

日本と中国が気が合わなくても、これはもうしょうがないことだ。
根っこが違いすぎるのだから。

中国の会社で、前任者からの引き継ぎはまず、ない。
きれいに引き継ぎ書を作っても、使われることは、ない。

そういえば、宋が臨安に逃げ南宋をたてたとき、
多くの書物が失われ「散逸して見えず」がたくさんあったことを思い出した。
戦火で失われたわけだけど、たぶんこの南宋への遷都と文化大革命が
中国史や中国思想史の大きな断裂なんだろうと思う。

毎回新しく作っては、ぺんぺん草が生えないくらいまで搾り取って、
そして移っていく人たち。それがわたしにとっての中国人のイメージだ。

それにしても、上海株のニュース、テレビでやらないのは、なぜだ。