ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

チェーン・ポイズン

2008-11-30 21:26:31 | Weblog
本多 孝好 著、講談社刊。

先日、ちらりと書名を紹介しましたが『真夜中の五分前』を書いた本多さんが、
講談社100周年を記念して書き下ろした小説です。

1年後、自殺することだけを目標に生きる女性を中心に、お話が展開されます。
『真夜中の五分前』でも思いましたが、今回も小説でないと成り立たないお話。
本多さんは、人の内面に対する考察と表現力が素晴らしいと思います。
物語としての妙と味わいがありました。

印象に残ったのは2つ。
1つは、自殺願望の女性が、暇つぶしにボランティアとして通うことになった
児童養護施設で、子どもたちが人見知りをしないことについて交わされる会話。
人見知りは、守ってくれる人がいて、はじめてできることだということ。

先日仕事で知り合った20代前半の女性が、
会社で、先輩に対して、自分から「仕事を教えてください」と
言えないことに対する言い訳として、
「わたしは、自分から人に話しかけないほうなんで」と言ったとき、
私は心の中で、「それなら組織で働こうなんて無理しないで、
自宅に引きこもって出来る仕事を探したら」と、もう少しで言いそうになってしまった。

別に人に話しかけるのが苦手なのは悪いことじゃないし、
それを自覚しているのは、かえっていいことだと思うから、
話を聞いて率直にそう思ったのだけど、そのまま口に出したらさすがにマズかろう、
と思い、言葉をのみこみました。

そして2つめ。
自殺願望の女性が、末期の方が入る病棟にボランティアに行って、
そこで交わされる会話。

以前、母が同じような病棟にいたころ、
私は正直なところ、ボランティアさんたちが苦手だった。
いわゆる「健常な人」は日常的に、死に行く人と相対するのが難しい。

変に「死」に同調されても、どんなテンションで話したらいいのかわからないし、
かといって「元気モード」で、さも幼児と話すような感覚で接してこられても、
なんだか「痛い」。

患者さんたちが喜ぶ接し方が一番だと思うのだけど、端で見ている私は困った。
それは、私がそういった「死にゆく人」との距離感がわからなくて
困っていた時だったから。
ボランティアさんたちが苦手だったのは、
ただ自分のせいであって、ボランティアさんたちのせいではない。
それがわかっているから、よりいっそう、ボランティアさんとは距離をとりたくなる。
好意は、ときに辛い。

本を読み進めているうちに、いろいろなことを思い出しました。

装幀は、高柳雅人さんという方が担当されています。
この本を買った理由の半分は、著者が本多さんだったから。
そして、もう半分は、ジャケットがよかったから。

装幀がとても上品だし、見返しや扉の紙も素敵だった。
本の内容も面白かったし、装幀もとてもよかったので、大満足でした。
単行本は、こうでなくっちゃ! という一冊です。

七つの海を照らす星

2008-11-27 23:36:23 | Weblog
七河 迦南 著。東京創元社刊。第18回鮎川哲也賞受賞作。

この本の著者は、本当に心のやさしい人なのだと思います。
表現の隅々にまで、他人を思いやる気持ちにあふれ、
そして茶目っ気たっぷりに解かれていくミステリー。

それは、読者に挑むミステリーではなく、
いたずらをした少女が、物陰でくすくす笑っているような
爽やかで愛おしい雰囲気があふれています。

舞台は、児童養護施設「七海学園」。
様々な事情から、家庭では暮らせない子どもたちが生活する場で繰り広げられる
日常生活の中でのミステリーです。
七不思議ですね。

一般的な価値観では「不幸」と言われる境遇にある子どもたちが、
それでも生き生きと一生懸命に暮らしています。
そして、それを優しい目で見つめる大人たち。

私は持論として、
幸せも不幸せも、その量は、誰もが等分に与えられていると思っています。
この世には、特別に幸せな人もいなければ、
特別に不幸せな人もいない。
なぜなら、最後に向き合い、悩むのは自分自身の心に対してだからです。

でも、相手が自分の心だからこそ、一人では、乗り越えられないこともある。
人は誰であっても、その時々で、めぐりあった人たちの
一言や、何気ない仕草に救われていくのだと思います。

この本は、最後に「そう来たのね!」と思わせられたので、
ミステリーとして一流だと思いますが、
それ以上に、人の心を描いた文章として、一流だと思います。
何気ない、ある意味簡単な言葉で綴られていますが、
だからこそ、表現していることの広がりに胸をうたれます。

文章に、たいへんな魅力を感じました。

ラフマニノフ ピアノ協奏曲 第2番

2008-11-26 00:06:13 | Weblog
セルゲイ・ラフマニノフ ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 作品18。
今日のテーマは、音楽です。

先日、スケート選手が使っている音楽について、アレンジをし過ぎなのはどうも納得いかない、
と書きましたが、今日は、もうひとつ「?」なものを見つけてしまいました。

ゴスペラーズの「sky high」という曲は、ラフマニノフのピアノ協奏曲 第2番の旋律を使い、
アレンジして歌っているようですね。
ゴスペラーズは、とても歌唱力のある歌い手さんたちだと思うのですが、
今回は、ちょっと・・・。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、
私の記憶をさかのぼって、ずっとさかのぼって・・・、
幼稚園に入る前から大好きだった記憶があるから、気づけばもう長い付き合いです。
最近は、ラフマニノフ自演のCDをよく聴いています。

昔、よくコンサートを聴きにいって、
女性のピアニストが、肩を出したドレスで、のけぞってお色気たっぷりに弾いていると、
「違う! ラフマニノフはもっと、ひたむきに弾くんだ!」と
文句をつけたくなったものでした。

今回のゴスペラーズの歌に対する違和感は、これに近い感情かなあ。
うまく言えませんが。

もちろんラフマニノフは2番だけでなく3番も同じように好きですし、
パガニーニの主題による狂詩曲、プレリュード系も一通り大好きです。
というか、ラフマニノフは全部大好き!
特に、三連符の使い方がたまらないと思っています。

先日、小学生のときに好きだった映画「ドクトル・ジバゴ」のDVDを
本当に久しぶりに観ました。
その中でロシアの天才ピアニストの演奏が、ちらっと出てくるのですが、
それがラフマニノフだったことに初めて気がついて、猛烈に感動。
映画の中では名前が出てこないのですが、ジバゴの妻トーニャが、
「彼は天才よ」と言う、そのピアニストがラフマニノフだったのです。

と、狂信的に好きな人間の言うことは、
あまりロクでないことが多いので、このへんで止めておこうと思います。

まあ、ラフマニノフの旋律は、美しいということですね。
思わずCDをかけてしまいました。

ヴァンパイヤー戦争

2008-11-24 23:03:40 | Weblog
1巻。永久保存版。笠井潔伝奇小説集成、単行本。作品社。

全3巻の1巻目をようやく読み終えました。
2段組みで約700ページ。読み応えを云々する前に、まず本自体が重いです。
文庫版の4巻までが収録されています。

笠井潔さんの文章は好きなのだけれど、これまで「ヴァンパイヤー戦争」だけは、
読んだことがなかったのです。
なんとなく暴力シーンが多いイメージがあったので、
矢吹駆シリーズの哲学的な側面が好きな私にとっては、
あまり興味をそそられない作品でした。

先日、高橋克彦さんの「竜の柩」を読み、
何となく「そろそろヴァンパイヤー戦争も読んでみるか」
という気になったので、購入しました。
とはいえ、まだ最初の3分の1。
読み終わるまでには、まだ1ヶ月くらいかかりそうです。

想像した通り、暴力シーンと性のシーンが多くて、
食事をしながら読むには、まったく適していません。
文庫版からどのくらい加筆修正しているのか、よくわかりませんが、
かなりきわどいです。

とはいえ、物語の構成は、本当に緻密に考えられていて、
完璧にひとつの世界をつくりあげています。
本当に見事です。

縄文時代の日本や、三種の神器、
トランシルヴァニアのヴァンパイヤー伝説、KGBやCIA、など、
うまく再構成したものです。

ある新興宗教の信者の人が、この作品を愛読していたと、
以前何かで読んだことがありますが、
たしかに熱狂的なファンも出てきそうです。
そのくらい、細部にわたってよく構成されています。

でも、ここまでのところ、
私はそこまで熱狂的にハマることはなさそうです。
今年中に読み終わろう。

黒百合

2008-11-23 23:17:27 | Weblog
多島 斗志之著、東京創元社刊。

久しぶりに本格以外のミステリが読みたくなったので、購入しました。

印象は、とにかく「上品な文章」だということです。
過激な表現で驚かせて、読者を引き込む方法も、
もちろん文章表現としては、あり得るべき方法ではありますが、
この小説は、人の心の機微を、とても慎ましく、
しかも瑞々しく描いているので、読後感がとても爽やかでした。

1952年の夏休みに、当時14歳の少年が、六甲山の別荘地で
一人の少女に出会い、そこからはじまる淡い初恋。
そして、彼らの親の世代の、少し複雑な人間関係。
いつか少年たちも踏み込む、大人の少しかげりのある世界。

すべてがうまく調和していて、本当に素敵な文章でした。

ぜんぜん内容も表現も違うけれども、
久しぶりに宮本輝さんの『錦秋』を思い出しました。
『錦繍』は大人を描いた文章だけれども、
この『黒百合』は、少年を描いた文章。
でも、人の心の機微をうまく描いた小説として、
なんだか通じるものがあるような気がしました。

カラヤンがクラシックを殺した

2008-11-21 23:22:41 | Weblog
宮下誠著、光文社新書刊。

うむ。カラヤンの指揮に対しては、
著者が感じているのと同じような印象を私も受けます。
そして、私もカラヤンの指揮はあまり好きではありません。
といっても、生では聞いたことがなくて、レコードでしたが。

それにしても、久しぶりに出会った読むのがつらい本でした。
何もドイツの哲学者を羅列したり、哲学用語を使わなくても・・・。
アウラやエポケー(判断停止)という言葉ではなくて、
感覚的にしっくりくる日本語を使ってほしかったです。。
日本人のうち何人の人が、こういった言葉に触れたとき、
しっくりくるものなのか。
どんな人を対象に書いた文章なのでしょうね。

そして、今の世の中をそんなに欺瞞に満ちたものだと
かなり断定口調だったのですが、世の中そんなに捨てたものではないと思っているので、
「まあまあ」と言いたくなりました。
いろいろと世の中に対して自分の価値観を表明したい気持ちはわかるけれども、
ものごとのある側面をクローズアップして断言する筆致は、
私の感覚には、あまりしっくりきませんでした。

嫌いなもの、苦手なものを、多くの人に読んでもらう文章として書くときには、
おそらく好きなことを書く時よりも、数倍の注意が必要でしょう。
と思い至ったところで、私もこの本について書くのは終わりにします。

小林秀雄の「モオツァルト」。あれは名文でした。
読んだ後にモーツアルトを聴くと、今までは気がつかなかった新鮮な喜びが
感じられたものでした。
自分では言葉にできない微細な感覚を、小林秀雄が言葉にしてくれたという
感謝の気持ちがわきました。

そして、話は飛びますが、
光文社新書の装丁、とても好きです。
アラン・チャン氏ですね。

朗読者

2008-11-20 00:04:31 | Weblog
ベルンハルト・シュリンク著、新調クレスト・ブックス。

いま長編を読み始めてしまったので、少し前に読んだ本についてです。
世界的な成功をおさめた作品で、映画化もされています。
ニコール・キッドマンが懐妊して降板した作品ですね。

15歳の少年が、21歳年上の女性と出会い、
恋に落ちるところから物語は始まります。
ということは、女性の年齢は36歳。うむ。すごい。

かなり強引にストーリーを要約すると、
2人が付き合いはじめたあと、
女性は少年に本を朗読してほしいと頼みます。
その後ふいに女性は失踪し、数年経って、
この2人は、思ってもいなかった場所で再会します。

読み進めていくうちに、少しずつ見えて来る女性の心情や背景は、
とても理解できるなどとは言えないし、
私には想像もつかないものだけれど、
何ともやるせない気持ちになりました。

ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読み終わった時の気持ちと、
なんだか同じような感じがして、
「恥」や、もっと言うと「原罪」のようなものが
根底で語られていると思いました。
つまり恋愛小説として読むには、私の恋愛に対する想像力が足りませんでした。

毎日、仕事をしていると、「できる自分」というか、
意地をはって自分を鼓舞しているようなところが、どうしてもでてくるし、
逆にそれが責任感にもつながって、よい仕事をうみだすことがあるけれど、
心の底では、「できない自分」や限界を感じている。

そして、もっというと、自分の責任ではないことであっても、
受け止め、引き受けなければならないことがあって、
自分が万能でないことを知らされるし、
それによって引き起こされる心の動きから、高潔でもないことを知る。
見ないふりをすることもできるけど、深いところで知ってしまった自分。

よほど超人的に変なことをしない限り、確実に泣ける映画になる原作です。

ダライ・ラマ、生命と経済を語る

2008-11-18 23:38:00 | Weblog
ダライ・ラマ、ファビアン・ウァキ (共著)。角川書店刊。
フランスの大手百貨店のトップとダライ・ラマの対談集。

経済や性のことなどについて、こんなにダライ・ラマが
ざっくばらんに語ることは、めずらしいかもしれない。
そして、すべてについてちゃんと整合性のとれた回答ができる仏教哲学は、
本当に、世界的に宗教といわれるもののなかでも、稀有のものだと思いました。

「ここに、血の入ったグラスと、ミルクの入ったグラスがあります。
どちらが好きですか」
ダライ・ラマが茶目っ気たっぷりに繰り出す比喩はとてもユニークだ。

それにしても、対談相手はフランス人。
幼少期はユダヤ教、その後仏教にであって心服し、キリスト教にも興味があるらしい経済人。
そして、とても、とても、とーっても、仏教が、特にチベット仏教が好きらしい。

ある意味、憧れ過ぎで、仏教を神格化しすぎているような印象も受ける。
なんといっても、仏教へのアプローチがスピリチュアル過ぎるような・・・。
生まれた時から、何となく、仏教的な観念がしみ込んでいる日本人の私にとっては、
ちょっとこのテンションは、不思議に思える・・・。
でも、ダライ・ラマの欧米での評価って、こんな感じなのかしら。
もっとも、ダライ・ラマをアイドルみたいに考えている日本人もいるけど。

日本人による(日本人の)僧侶に対する評価は、現在、それほど高くないと思う。
僧侶がベンツに乗って、かなりの肥満体だったうえに、
法事でダラダラとお経を唱えられると、正直、ゲンナリするし。
こんな時間のために足がしびれるなんて、なんとも理不尽だと思ったりする。
なかには、すてきなお坊さんもいるんだけど。

ここ数日、ダライ・ラマ関連の本を連続的に読んで、少し疲れたから、
次は、少し目先を変えよう。

素顔のダライ・ラマ

2008-11-17 23:52:23 | Weblog
ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ、 ビクター チャン共著。春秋社。

この本の一番よかったところは、カバーの写真。
ダライ・ラマが瞑想している横顔の写真なのだけれど、
深い思索が伺えるその横顔は、通常の日本の生活では、
まず見ることができない人間の表情だ。

著者のビクターチャン氏は香港生まれの中国人。
返還前の香港で育った人は、中華人民共和国の中国人とは少し違うと、
私のような無責任な外国人の目からは、そんなふうに見える。
でも、チャン氏自身は自分が中国人だという意識がとても強く、
初めてダライ・ラマに会ったとき、中国人が嫌いなのではないかと
聞いたそうだ。

ダライ・ラマの回答は、終始一貫している。
そして、チャン氏に会う時は、必ずにこやかに「ニーハオ!」と
話しかけたそうだ。

ダライ・ラマは、活仏だからえらいのではなくて、
長い時間、一人の僧侶として修行を続けているから、
人としてすごいのだと思う。

人はそばに寄ると、だんだん欠点も見えて来るから、
「神」から「人」へと降格され、
時には幻滅されることもあるけれど、
少なくともチャン氏は、ダライ・ラマに会えば会うほど
好きになっていったようだ。
このような出会いは、相手がダライ・ラマかどうかの問題ではなく、
とても大切な出会いだと思う。

最近、「こんな人だと思わなかった。ほんとに幻滅!」と
ある男性の友だちが、別の男性に対してガッカリしているのを
目の当たりにした後だけに、
ダライ・ラマとチャン氏の関係には心が温かくなりました。

ブラックホールで死んでみる

2008-11-16 20:02:02 | Weblog
ニール・ドグラース・タイソン著。早川書房刊。

「タイトル買い」しました。
ついでに、著者近影がとても濃くて、なんともイイ。

語り口調は軽快ながらも、内容はとても真面目。
しかも、真面目な本にありがちな、「訳注の嵐」もなく、
うまい具合に、基本的な知識も本文に織り込んで展開してくれるので、
落ちこぼれ感もなく、楽しく読めました。

読んでみると、確かに、宇宙で最も華々しい死に方は、
ブラックホールに飲み込まれて死ぬことかもしれないと納得。
試してみたいとは思いませんが。

それに、ハリウッド映画における宇宙演出の憤懣なども
飲み屋の愚痴っぽく出て来て、とても面白い。
その中でも、1977年に公開された「ブラックホール」の悪口はよかった。

この映画は、シナリオがと~ってもチープで、
ずっと昔、両親とメタメタに悪口を言った記憶の残っている思い出深い一作。
やはり、宇宙の演出もダメだったんだねえ。

話は変わって、先ほどテレビで見たフィギュアスケートの男子フランス大会で一言。

カナダのパトリック・チャンという選手は、とても強いらしい。
彼は、ラフマニノフのピアノ協奏曲やチェロ協奏曲を、
自分なりに「切り貼り」して使っていました。

演技にあう曲を見つけるのは、たいへんだと思うけれど、
いくら同じ作曲家の曲とはいえ、いくつかの曲をそれぞれ細かく切って、
好き勝手に繋げるのは、正直、どうかと思う。

曲は、自分を表現する一つの道具にすぎないかもしれないけれど、
その曲を愛している人もいるのだから、
曲自体に対しても、ちゃんと敬意を表して欲しい。
きっと彼もラフマニノフの曲が好きだから、
使いたかったのだろうとは思うのだけど、でもねえ・・・。

そういえば、昔活躍した、日本のジャンプが得意だった女性選手も、
ラフマニノフのピアノ協奏曲の2番と3番を自分なりに切り貼りして、
使っていたっけ。
その後、応援するのをやめたことを思い出しました。