ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

来し方行く末

2010-04-07 19:21:32 | Weblog
今日、これまでの自分を否定して、
あり得たかもしれないけど、決してあり得なかった人生を
頭の中で想像してみた。

やってみたかったけど、もともと能力がなくてできなかったことや、
努力する精神力がなくて、実現できなかったことをたくさん思い出した。

そんなことをしたのは、いまの自分に納得がいかないからなのと、
私なりにしてきた努力は、他の人から見るとまったく価値がなくて、
いいも悪いも評価基準にすらならず、まったく無意味なんだということが、
本当にこわかったから。

いまは、なにがやりたいのかをイメージしようとしても、
まったくなにも思い浮かばないくらい、心が涸れてしまったけど、
20歳ごろには、やりたいことがたくさんあった。

それを実現できなかったのは、すべて私の責任。
わがままな生き方だったけど、最後に一番重要な扉は叩けないまま、
あがくだけで来てしまった。
だから、後悔が残っている。たくさん。

私は、うちが貧しいにもかかわらず、大学に進みたかったら、
よく考えないまま母に無理をお願いして、結果、母は過労で倒れ、
そのまま永遠に失ってしまった。
私が我を通すということは、誰かに何かを押し付けることで、
我慢をしてもらい、その人の人生を少し奪うことだと思っている。
だから、「やりたいようにやったら?」という言葉をかけられると、
励まされていると思う以前に、また大切な人を失う、と恐怖にかられる。

結局のところ、私が甘えて、無理を強いる相手は家族みたいに近い人だけ。
それよりも遠い人には、害が及んでいたとしても、私には見えない。

なぜ、私が生き生きと暮らすことによって、
周囲の人を元気づけることができる、と信じられないのだろうか。

もしかしたら、そう信じたとしても、
それもまた、しょせんは儚い幻想だと思っているからかもしれない。

ならば、この一点については、越えられるはずなんだが。
観音経の続きでも読むか。