ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

結晶

2015-03-22 21:48:32 | Weblog
3月はイベントが多い。

友人の誕生日、その翌日が私の誕生日、
私の誕生日の翌日が祖父の命日、祖父の命日の3日後が父の命日。
そして、お彼岸。

この週末はお墓参り。
両親が離婚すると、父と母を別々に供養しなければならないのが、面倒だと思う。
父も母も、どっちも大好きだから、なおさら困る。

檀家制度は、日本の仏教ならではのシステムで、他の国にはないけれども、
父の家の方のお寺は、親戚の話によると、どうやらお金にがめついという。
母の家の方は、そんなことはない。

中国のように、お墓が繋がっているのが「家」だけだと、
家の繁栄こそがお墓に入っている人のメンツ、となり、
一人っ子で無縁となったら、そのまま打ち捨てられるのだろう。
もっとも、中国人は来世なんかを信じるほど、信心深くないと思うが、
メンツは気にするので、無縁仏になるのはいやがるだろう。

チベットの場合は、鳥葬だから、そもそもお墓がない。
輪廻転生して、古い身体は脱ぎ捨てていくのに、なんで骨に執着するの?
それって生まれ変わろうとする魂の足を引っ張るんじゃない?と、
逆に聞かれたことがある。

私は、お墓はあまり重要視しないが、魂というか、念は、残ると思っている。
相手を思いやる気持ちも、恨む気持ちも、
そのとき、その気持ちが強かったら、それが結晶となって、宙に浮かび残り続ける。
生きている人がその結晶を見ることは、ふだんはないけど、
あるとき、機が熟したら、その結晶に触れることになる。

私の両親は、たくさんの「なぞなぞ」のような結晶を残した。
母は9年半、父は8年になる。
これまでなんども小さな結晶を受け取ってきた。

人が生きるというのは、すごいことだと思う。

透明

2015-03-06 22:31:16 | Weblog
人間が作り出すのが最も難しい色。
それは透明ではないだろうか。



先週末に行った修善寺の梅。

まるで浮世絵のような色の変化。
そして自然には、まったくの当然な存在感として透明がある。
それが見事に写った。iPhoneのカメラは優秀だ。

太陽の光に透かした時だけに見える透明な色。
「そこにある」のに、光が透過する「ある」もの。

ここのところ、病気の検査が続き、
病気そのものよりも検査が苦痛で、いっそのことサッパリ諦めたいと思った。
なんとまあ、引き延ばされた「生」であることか。

目には強固な肉の塊に見える身体も、
違う光をあてると、いろいろな体内の状況を映し出す。

どこまで続くかわからないけれど、
一瞬でも長く、感謝の気持ちを持っていたいなあ。
身体と同じくらいには、透明な心でありたい。

美しい海と

2015-03-01 16:11:05 | Weblog
ここのところ体調が悪く、
病は気からなのか、それとも本当に体調が悪いのか、
相乗効果でどんどん辛くなっていた。

そのわりには旅行に出ていたので、ちゃっかりしているとは思うが、
人生は有限だと、しみじみと考える1ヶ月だった。

ずっと行きたかった沖縄。
上海に住む友人が春節休みで帰国するので、那覇空港で待ち合わせた。



沖縄がすごいと思うのは、長く日本と中国と付き合ってきた人たちの知恵が残っていて、
日本人と中国人がなるべく顔を合わさなくていいように動線が引かれていることだろう。

人民たちは、目当てである買い物施設に直行だ。
旅行中、少数の個人旅行者は見かけたものの、日本人よりも数が多いと言われる人民には
ほとんど会うことはなかった。
まあ、私が行きたいところは、人民が行かないところではある。

もちろん戦跡めぐりだ。
海軍司令部壕、陸軍病院壕、ひめゆりの塔、平和祈念公園、読谷村の旧飛行場跡地、嘉数高台公園など。
そのほか、グスクや聖地、オリオンビールや星空観測も行ったが、メインはやはり沖縄戦。



美しい海が、アメリカ海軍で真っ黒に埋め尽くされた写真を思い出した。



「沖縄県民斯ク戦ヘリ」

修学旅行の高校生が「きゃーきゃー」騒いでいたので、
思わず「静かにしなさい!」と怒ってしまった。
最近の学校の先生は注意しないのか。

絶望的な気持ちで南へ逃げた人たち。



解散命令で途方にくれたひめゆりの方々の気持ち。



琉球の聖地から望む海は、青く美しく、多くの祈りの言葉が空気に溶けていた。
しかし、アメリカ軍の砲撃で、聖地の一角の巨石が崩れ、いまもそのままだ。

どうしてもシャッターが下りなかった嘉数高台公園の砲台跡。
その先には、いまも普天間基地が広がっている。



たぶん、まだ魂が残っている。

城壁好きな私にはたまらないグスク。

 

琉球が平和だった頃の思い出だ。

アメリカ軍によって、焼き尽くされた島には、戦後70年、美しい緑が蘇っている。



でも、まだ基地はある。
でも、基地がなかったら、人民解放軍が来るかもしれない。

陸軍病院壕では、当時の匂いを再現した匂い玉を嗅ぐことができる。
見学前に嗅ぐと気分が悪くなるかもしれないと思い、壕の見学後、最後に嗅がせてもらった。

すごく構えて嗅いだのだが、友人と「あれ?この匂いって」と。

これは、10年くらい前の中国の、トイレ、市場(鶏とかをしめてるところの近く)、
ついでに、終点近くなったときの寝台列車を混ぜた匂いだ!

中国で、さんざん嗅いだことがあった。。。