ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

ギリシャの十字架

2010-04-01 17:06:45 | Weblog
昨日「モンゴルの至宝展」でわくわくした景教(ネストリウス派キリスト教)の十字架。

ふと思い出して、以前ギリシャに行った時の写真を見返した。
ミコノス島の教会の入り口の上に、同じような形をした十字架を見つけ、
なんだか嬉しくなって撮った写真があった。
4本の棒が同じ長さをしていて、それぞれの先が少し広がっている。

ネストリウス派キリスト教は、
チンギス・ハンの一族にも信奉者はいて、一時期、草原の遊牧民に広がったけれども、
その後、衰退していったという。
でも、人の思想は、少しずつ形を変えながら、受け継がれてのこされているもの。
マニ教にしても、ネストリウス派キリスト教にしても、人の心にとどまったものであれば、
どこかに何かがのこっている。
キリスト教の流れについて詳しくはないけれど、ギリシャでこの十字架を見た時は、
一瞬にして、モンゴルの草原まで心が駆けた。
ギリシャからモンゴルまで伝わった、その道のりを思った。

本当は、教会の中にも入ってみたかったのだけど、
仕事の取材旅行の途中で、たまたま前を通りかかっただけだったので、その時間はなかった。
この写真を撮り終わったときには、他のメンバーから遠く取り残されていて、
迷路のようなミコノス島の真っ白な町並みに恐怖を覚え、すぐに走って追いかけた。

一瞬、このままはぐれてしまおうか、どうせホテルに帰れば合流できるし、とも思ったけど、
結局その勇気はなかった。
知らない土地で一人になることが怖かったのではなくて、
他の人から、後で、何を言われるかが怖かったから。
でも、その日はオフで、明確な目的があって行動していたわけではなかったのだから、
わがままを言っておくべきだった。
もうこの先、ミコノス島に行く機会はないだろうし、教会に入っておくべきだった。
いまになって、すごく悔やまれる。

ふと、自分の人生を振り返り、そしてこの先を思った。
なんと人生は短くてはかないのか、と思う。