ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

生きがいについて

2009-05-30 15:46:53 | Weblog
神谷美恵子著、みすず書房

こんなにすごい本があったんだなあ。

友人はもちろん、全世界の人に読んでもらいたい名著中の名著だと思う。
でも、私のように共感しながら読む人ばかりとは限らないから、
やはり、あえて誰かに薦めることはしないでおこう。

親しい人を失った人とか、肉体的な苦痛の中にいる人とか、
どうにもならない虚無感にさいなまれている人に、こっそり読んでもらいたいと思う。

私が自分自身に対して不思議に思うのは、
いま、まったく何かを生み出したい、という欲求がないこと。
もう少しで何か光が一筋みえてくるような気がするんだけど、
この虚脱感はかれこれ2年つづいている。
そろそろ、長いと思えて来た。

この本を読んで、冷静に我が身を振り返り、私にも心の片隅に、
何かを表現する欲求がうまれつつあると、その気配を感じることはできる。
そして、その時の表現は、
以前とは違う、根底に悲しみや苦しみがある上での表現になるだろうと思う。

でも、きっと、それだけでは自分として納得できないんだ。
もっと昇華したいと、心のどこかで期待しているのかもしれない。

そうはいっても、いま、もがいて苦しみながら表現しなければ、
結局は表現しないままで終わってしまうかもしれない。
かっこつけのエゴを正面から見据えるべきときが来たのかもしれない。

今朝の通勤電車 その2

2009-05-29 21:56:32 | Weblog
雨の日、朝の通勤電車は、ふだんよりも少し混んでいる。
乗り馴れていないような人もいて、雰囲気も少し違う。

みんないろいろな時間の使い方をしている。
ストレスを紛らわして、なんとなく自分の世界を確保している。
距離は近いのに、はるかに遠い隣人。

私が苦手だなあ、と思うのは、携帯電話のキーを操作している音。
すごく小さくて、リズムが一定ではないポツポツいう音は、
まるでヒソヒソ話に、ついつい聞き耳をたててしまうような感覚がある。

携帯電話を顔の高さまで上げて、耳のそばでキー操作をするのは、
正直、やめてもらいたいと思っている。

例えばイヤホンから漏れる音は、リズムがあったり、メロディがあったりするので、
曲の好みは別として、まだ、なんとなくその背景を想像することができる。
好き嫌いは別として、人に聴かれるための音だから、しょうがないか、という気になる。

でも、キー操作の音は、まったくの無機質だと思う。
ああいう音は苦手だ。

今日は、途中駅の乗降時に、そういったキー操作の音を逃れることができた。
ホッとしたそのとき、ある女性が降り遅れそうになった。

おそらく大学生だと思う。
降りようとしているのに、うまく戸口まで行けなくて、もがいていた。

でも、「降ります」の一言もない。
鞄を前に抱え、ひたすら前に突っ込むのみ。
次第に、気づかない人たちが、外から乗って来てしまう。

まさに扉が閉まる瞬間、乗ろうとしていた男性が「降りるの?」と聞いて身を引き、
閉まりかかる扉を手で必死におさえながら、その女性を通してあげた。

いろんな音があり、いろんな音がないと思った朝の通勤電車だった。

終電後の新宿駅

2009-05-28 21:00:49 | Weblog
先日、久しぶりに終電に乗り遅れた。
しょうがなく新宿からタクシーに乗って帰ろうとして、びっくりした。

新宿西口の人口が増えてる。
大勢の人が、すごく整然と、横になっている。

あれは壮観。
みんな身なりも比較的きれいだし、居住まいが正しい。
スーツ着て泥酔状態で電車に乗っている人より、よっぽど仲良くなれそう。
なんだかとても、治安がいい街のような印象すら受けた。

そして、タクシー乗り場はガラガラ。
並ばずに乗れた。
タクシーは、ずっとずっとずーっと「空車」で繋がっていたけど。

日本は不況なんだなあ、と思った瞬間。

そして、それでも、ヤケを起こす人が少なくて、
どんなとき、どんな状況でも他人を思いやることができて、
共同生活を営める日本人の気質にすごく感動したし、
本当に日本人でよかったと思った。

歌舞伎町なんかはどうなっているのかな。
最近、夜、歩いていないからよくわからないけど、
ちょっとのぞいてみたくなった。

逃げてゆく愛

2009-05-27 22:38:45 | Weblog
ベルンハルト・シュリンク著、松永美穂訳、新潮クレスト・ブックス

『朗読者』もよかったけど、この本もよかった。
全7編が収録されており、それぞれの文章量はそうは多くないけれど、
どれも、とても内容が濃いものだった。

「少女とトカゲ」は、なんとなく三島の「金閣寺」を思い出したし、
「割礼」は、私が知り合ったイスラエル人の女の子たちを思い出させてくれた。

そう。「割礼」は、ユダヤ人の女性と恋に落ちたドイツ人男性のお話。
私が2000年に一人旅をした中国雲南地方でのことを思い出させてくれた。
その旅ではドミトリーに宿泊し、
同じ部屋には、ドイツ人の女性と、イスラエル人の女性が宿泊していた。

ドイツ人の女性は、ドミトリーの部屋の中をとても礼儀正しく使っていたので、
私は一緒に暮らせる人だと思った。
いっぽうイスラエル人の女性は、兵役を終えたばかりの若い女性で、
集団生活というか、兵隊の生活に馴染んでいるはずの人だったけど、
脱いだ下着を床に広げっぱなしだったり、公共スペースも使いたい放題だったし、
とにかく荷物が散乱していた。
同じ部屋に男性がいても、一向に気にするふうではなかった。

ドミトリーには、オーストラリア人、カナダ人、日本人、ドイツ人などなど、
いろいろな人がいたけれども、そのイスラエルの女性のことを、かげで、
兵役を終えたばかりで、開放感にあふれてるんだよ、と好意的に解釈する人もいれば、
ユダヤ人は放浪の民だから、整理整頓が苦手なんだ、と揶揄する人もいた。

ドイツ人が一生懸命イスラエルの彼女のことをかばっていたのに、
他の国の人の方が、人種は問題ない、個人の問題だ、といって手厳しかったっけ。
その時は。

そして、そのドイツ人の女性とは、たまたま2人きりで話しをする機会があった。
ドイツとユダヤの関係、日本と中国の関係を話したとき、
私たちには、背負いきれない過去がある、という、なんともいえない感情、
共感できるなにかがあると、お互いに感じ取ったのが印象的だった。

いろいろなことを思い出した一冊だった。

ミクローシュ・ペレーニ

2009-05-25 22:43:45 | Weblog
昨日のN響アワーはよかった。

ドボルザークの「チェロ協奏曲 ロ短調 作品104」と「交響曲 第9番 ホ短調 作品95 「新世界から」 から 第4楽章」
ハンガリーのチェロ奏者ミクローシュ・ペレーニ。まさに名演!

年齢を重ねた男性が、ひたむきにチェロを弾いている姿は、それだけで絵になる。
そして奏でる音は、時に強く、時にやさしい。
彼の人生がそのまま映じたような音の風景だった。

ひたすら集中して聴いた。
よかった。すごくよかった。

あ~、クラシックのコンサートに行きたい!

最近、「アーティスト」と言っても、絵を描く人と、音楽の人は少し違うと思う。

絵を描く人は、ひたすら自分の内面世界を、他人に観てもらう人。
でも、作曲する人は、自分が作った曲を、他人に演奏してもらう可能性をもった人。

自ずと他人の感性が自分の作品に入り込んで来ること、
他人の感性に触れることに対する意識が違うと思う。
それに、音楽はセッションが基本だし、チームプレイっぽい。

どちらがいい、とか、すぐれている、ということではなくて、好みの問題。

私はどちらかというと、音楽だなあ。
そういう生き方をしてきたと思うし、これからもそんな生き方をすると思う。
引きこもりではあるけど。

ピエスモンテ

2009-05-23 15:10:09 | Weblog
私は日本女性の標準よりも少し背が高く、おまけに骨格もしっかりしているので、
お気に入りのアパレルメーカーを探すのは難しい。
特にズボンは困る。

ここ10年来、ずっとお世話になっているのは、ピエスモンテ。
特にズボンは、お尻もバッチリだし、裾をあげる必要もない。
タイトっぽいスカートも、お尻と太もものあたりがちょうどよくて、
着ていると姿勢がよくなるような気さえする。
まるで私のために作られているような気になっていた。

少し前、新宿のルミネが改装したときに、どうやらお店がなくなってしまったようだ。
銀座のプランタンにも入っているけれども、ここのラインナップは少し違う。
値段も高めだった気がする。
というか、場違いな気がして、ゆっくり試着させてもらう気になれなかった。
私はルミネ店が好きだった。庶民的で。

そろそろ、以前に購入したズボンも膝が抜けて来た。
スカートも夏物を補充したい。

すっかり洋服難民だ・・・。
新宿のどこかに復活しないかなあ。
ひとまず古着のオークションで繋ぐとするか。

精神分析の抵抗―フロイト、ラカン、フーコー

2009-05-22 23:12:52 | Weblog
ジャック・デリダ著、青土社刊。

結局、この本は2年がかりになった。

デリダの本は、言い回しが独特だし、難解な点が多くて、
そうそう「乗る」ことはできないけど、この本は特に難しかったように思う。

私がいつもデリダのことをすごいな、と思うのは、
いつ、どこで、自分は(誰それは)どんな発言をしたのか、ということを
的確に覚えていて、それから逃げないから。

哲学者にとっては、基本的なことなのかもしれないけど、
ふだん自分の発言をすぐに忘れてしまう軽薄な私には真似できない。
時と場合にあわせ、他人におもねることがない、という生き方を貫き、
生涯をとおしてそのように発言しつづける人は、すごいと思う。

ただ、この本は、それが難解だった理由の一つになった。
私は過去のデリダの発言をすべて的確に認識しているわけではないので、
導入部分で何を言いたいのか、何を問題視しているのかがわからず、
結局、置いてけぼりを喰ったような気分になることがあった。

そもそも、デリダのアプローチは、
心理学や精神分析とは、相容れないのではないかと直感的に感じる。
だから、どこが噛み合っていて、どこが噛み合っていないのか、
素人の私には、理解できないのではないかという印象。

つまり「隠蔽」がない人や、「隠蔽」に立ち向かえる人にとっては、
心理学や精神分析など、無縁なのではないかという素朴な疑問。

デリダの本を読んでいると、自分の学のなさ、というか、
もっと本を読んで、考えなければいけないんだなあ、ということを思い知らされ、
その後の読書熱につながるから、ありがたいのだけれど、
ちょっと苦痛なときもある。

デリダの本であるからには、入門書であるわけがないのだった。

でも、私はデリダの文章が好きだなあ。
なんでだろう。
なんだか好きだなあ。

打ちのめされて、また読みたいと思う。



前巷説百物語

2009-05-21 22:41:07 | Weblog
京極夏彦著、中央公論新社C・NOVELS BIBLIOTHEQUE

小股潜りの又市が、闇の世界に身を投ずるまでの物語。

京極さんは、本当に文章の天才だと思う。
会話のテンポと、間合い。独特で、小気味いい。
一言の中に、登場人物の人間性が凝縮されている。

久しぶりに京極さんの文章を読んだんだけど、とても幸せな気分になった。
うまい。面白い。
いつも分厚くて、通勤に持ち歩くには、ちょっと不便なんだけど、
でも、そんなこと気にならない。

最後のほうで、おぎんさんが出て来たときには、
「きた~っ!」と声を出しそうになった。

私は、京極堂シリーズと巷説百物語シリーズが好き。

京極堂シリーズを読む時は、その背景にしかれている仏教経典の内容を考えながら読む。
巷説百物語を読む時は、京極さんが描く人物を、あれこれ想像しながら読む。
どの文章にも、人の業みたいなものが凝縮されている。
そして、根底には、人間に対する深い愛情があると思う。
だから、こんなに面白い本はないと思う。

いつも夢中になって読んでいると、友人が「面白そうだから、読んでみようかな」と言う。
でも、友人はなかなか読み終わらない。
というか、本のなかみについて、友人たちと語れたことがない。
どうやら、文章にクセがありすぎて、もしくは長すぎて、それとも他の理由でか、
みんなフィニッシュしないようなのだ。

『鉄鼠の檻』なんて、私にとっては面白くてたまらないんだけど、
「あれは禅の解説書ですか」と、宗教嫌いな友人からは、吐き捨てるように言われた。

まあ、人の好みはそれぞれだから、しょうがない。

今は、あえて京極さんの本を友人にすすめないことにしている。

全部紀州産しそ漬梅干

2009-05-19 22:49:10 | Weblog
今日、デパ地下で100グラム=約700円の梅干しを買った。
なんという贅沢!!!

塩分約20%。高血圧なんか気にしない。
しそと塩だけで漬けている。しかも材料はすべて紀州産。

これは期待できる。
夕飯でさっそく食べてみた。

まあ、しょっぱい。
果肉は柔らかいし、おいしい立派な梅だったんだけど、
やはり実際の天日干しをしていないようだ。
ひと味足りない。

リピーターには、たぶんならないだろうと思う。

いろいろ思い返してみると、
吉祥寺でふらっと立ち寄った梅干し屋で買った梅干しが
一番おいしかった。

ただ、残念なことに、場所が思い出せない!

そこのお店のおばさんとした会話がまたよかった。
「昔ながらの梅干し、というのをください」
「そうよね~。減塩なんてダメよね~。梅干しだもの」

今日買った梅干しは、簡単に種を噛み割ることができた。
もしかして、種がやわらかくなるかどうかは、塩分に比例しているのか?

梅干しは奥が深い。

ラフマニノフ 交響曲第2番 その2

2009-05-18 21:05:01 | Weblog
最近、すっかりお気に入りで、よく聞いている。

うちにはCDが2枚ある。
ロンドン・フィル、ヴァルター・ヴェラー指揮。
ベルリン・フィル、ロリン・マゼール指揮。

聴き比べてみると面白い。
ロンドン・フィルのほうは、ダイナミックでドラマチック。
ベルリン・フィルのほうは、清楚で優美。

こうなると、どちらがより好みか、ということになる。
最初は、ロンドン・フィルのほうが派手だったので、
「そうそう、ここで煽ってくれよ」と思った。
でも、聴いているうちに、ベルリン・フィルの「こっそり上手」というような、
細かな余韻の残し方が、とてもいいと思い始めた。

いずれにしても、超一流の演奏なわけだけど、
指揮者と楽団によって、こんなにも受ける印象が違うのだと改めて気づかされた。

ただ上手なだけでは、何も届かない。
どう理解して、どう表現するか。
そして、その場を構成するすべての人の感じ方によって、
いかようにも姿を変えるのが、音楽のすばらしいところ。

この余地が残っているから、音楽は素敵だと思う。