ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

バッサリ

2011-09-30 23:00:32 | Weblog
会社の営業さんと目があった瞬間に、「髪を切ろう」と思い立った。
そしたら、同じ部の中国人スタッフも切りに行くと言う。
「今度、日本に行ったときに切ろうかと思ってたんですけど、
日本人美容師さんのところに行くなら、一緒に行きます」と。
おおっ。日本人美容師さん、さすが人気じゃないか。

女性は、何歳になっても、髪を切ると「何かあった?」と聞かれるものらしいけど、
それほど大きな理由はない。

・椅子の背もたれと背中の間に髪の毛が挟まるようになったので面倒。
・先日、日本から持ってきた水陸両用みたいな
 100ボルトと220ボルトの両方で使えるドライヤーが壊れた。
 そして、ドライヤーを買いたくない。
・約半年間、放置していたのと、上海の水のおかげで毛先がパサパサになってきた。

ということで、
「きれいに伸ばしてるじゃないですか~」という日本人美容師さんの言葉とともに、
ショートまでバッサリと切った。
「ここまで思い切りがいいのは久しぶりだな~」と、美容師さんの達成感もひとしお。

で、非常にいい気分になって美容室を出て、
ぴゅーっと風が吹いてきて気がついた。
なにも、秋になってから、耳を出すほど短くすることもないじゃないか、と。
それに、会社のビルの空調が寒く、髪の毛をショール代わりにして
肩をカバーしていたのを、すっかり忘れていた。

まあ、いいや。
これから1週間ほど国慶節のおやすみ。
そして連休が終わると、怒濤のスケジュール。
とりあえず明日は寝よう。

それにしても、上海には何でもあって、何でもできる。

恥ずかしい

2011-09-29 23:43:38 | Weblog
Facebookが、ご丁寧にも「お友達があなたの返事を待っています」というタイトルで、
「こんにちは。最近Facebookをあまりご利用いただいていないようです。
Facebookからお知らせが届いています。」
というメッセージをくれるのだが、
中国では、合法的な利用をしている限り、Facebookには入れないので、
どうにもできないのだから、せっつかないで欲しいと思う。

こういうおせっかいは、あまり好きではない。
自分のペースで利用させてほしい。

ま、それはそれとして、今日もにぎやかな一日だった。

日本女性は大人しく、中国女性は感情が激しいとは言い切れない。
今日は、日本女性が日本男性に向かって吠えていた。
その剣幕に、中国女性が「目瞪口呆」という顔をしていた。
あの吠え方を見たら、そりゃあ、誰でも呆気にとられる。

これまでの社会人経験で、
「すごくプライドが高いがゆえにブチ切れる」という人と、
近くで働いたこともある。
だから、私としては、そんな場に居合わせる耐性はあるほうだと思う。
ふいに、その時の要領を思い出し、
なんとなくその場に介入して収めてみたのだが、
ああいう人って、いったん切れると、
いつまでもブチブチと自分の正当性を言うんだよなあ。

そして、澱のように、私の中にネガティブな感情がたまっていく。
ということで、いま、ここで、吐き出しているわけだ。

自尊心というのは、コントロールが難しい。
よい向上心となる場合もあれば、他人を攻撃することもある。
そして、自分を攻撃することもある。

ただ、ブチ切れた人は、自分の正当性を疑わないので、
どれだけみっともないかに、たぶん自分では気づいていない。
恥を恐れて他人を攻撃するのに、自覚しないところで恥をかいているという・・・。
まあ、自覚していないのなら、「ない」のと同じことだから、
本人は幸せなのかもしれないけれど、
そんなにブチ切れたという事実だけで、十分、自分も傷ついていると思う。

それにしても、会社の空調は、あいかわらず効きすぎで、寒い。
もうすぐ10月だから、暖房に切り替えてほしいなあ。


苦手

2011-09-29 01:33:39 | Weblog
私には、あまり中国にいるという実感がない。

これは、住むうえでは違和感が少なくてラッキーと言えるし、
逆に、「中国だぜ~! 冒険してるぜ~!」という盛り上がりがなく、
せっかく外国に住んでいるにもかかわらず、たいへん残念とも言える。

上海は、もう十分すぎるほど便利だし、
会社の同僚の中国人は、なかなか日本人に対する理解もあるので、居心地がいい。
唯一、ネットの規制だけ、どうにかしてほしいと思うくらいだ。

ということで、街にひるがえる中国の国旗を、
非常に不思議な気持ちで眺めてしまうこともある。
「ああ、ここは、中国なんだな」と。

それにしても、日本のバブル世代のおじさんたちは、
どうして1人で「冒険」ができないのだろうか。
「冒険」をしたがって、いい恰好をしたがるわりには、
「これを手配して」「ここに連れてって」と、臆面もなく人に頼ってくる。
そして、中国に来ると、わがまま全開になる人も多い。
基本的には、「安全な冒険」がしたいんだろう。

日本国内の閉塞感から離れ、欧米ほど萎縮する必要もないから、
中国だとあんなになっちゃうのかな、と思う。
上海だと、日本人も多いし、日本人に慣れている中国人も多いから、
うまい具合に転がしてもらえて、いくらでも勘違いできるし。

ということで、上海あたりだと、
みっともない日本のおじさんがウヨウヨしてて、
こういう人は国外に出してはいけません、という気分になる。

自分が中国語を聞きとれないからと言って、
周囲にいる人が、日本語を分からない人だとは限らない。
私なんかは、外見上は中国人に見えるかもしれないけれど、
OSは日本人だから、君たちの会話は聞きとれるのだよ、と、
たまに驚かせてやるのが、最近は楽しい。

それにしても、バブル世代は苦手だ。

交通事情

2011-09-27 20:17:06 | Weblog
上海の地下鉄で事故が起きたようだ。
10号線は、会社の人がよく使うラインなので、
思わず社内を見回し、外出先を確認してしまった。
とりあえず、知り合いは巻き込まれていないと思う。
同僚の10号線利用者たちは、みな迂回して帰って行った。
他の地下鉄も同じ設備を使っているからイヤなので、バスで帰ると言う人もいた。

地下鉄も、日本に比べると運転が荒いけれど、
人身事故でストップすることは、あまりない。
日本の電車は、飛び込み自殺さえなければ、本当にいいと思う。

中国では、道路を走るバスや一般車も、かなり自由奔放だけど、
つくづく、変えてほしいなあと思うことがある。
横断歩道が青のときは、直角の関係にある道路は、すべて赤信号にしてほしい。

というのも、
こちらでは、直進方向が赤信号でも、車の右折はできることになっているらしい。
ちなみに、中国は左ハンドルで右車線だ。

ということで、交差点を渡るときに、横断歩道が青信号でも、
左側から堂々と右折車が突っ込んでくる。
しかも、歩く人優先なんていうことはなく、車優先だから、かなり危ない。
そして、右側から赤信号無視の車が突っ込んでくることもあるので、
とくにみんなが急いでいる朝はカオスだ。
バスなんて、カーブでも最小限の減速しかしてくれない。
運転手さんが、携帯電話で話していることもザラだ。

公共の概念が日本と中国は違うとはいえ、やっぱり、いただけないなあ、と思う。

昨晩遅くに『菊と刀』(ルース・ベネディクト著、長谷川松治訳)を読み終わった。
改めて、仕事で知り合った年配の方の考え方を、
客観的に捉え直すことができたのと同時に、
私は日本らしい「恥」を捨てつつあるなあ、と思った。

戦後間もない頃に、アメリカ人によって書かれた日本人の姿だから、
当然、いまの日本とは大きく違う部分もあるけれど、
日本人のもっている「自尊心」について、整理できたのはよかった。

あなたは「無礼者!」って、怒るけど、
そんなことで、いちいち目くじら立ててどうするの? と思わず、
そんな価値観も尊重したいなあ、と、今日のところは思っている。

2011-09-26 22:11:12 | Weblog
会社の同僚が朝からニコニコしていた。
どうやら子どもが生まれ、お父さんになったらしい。
そして朝、その同僚からお祝いの品をもらった。

漢族では、男の子が生まれると卵を配り、
女の子が生まれるとキャンディを配るらしい。
同僚のうちは男の子だったので、卵をもらった。真空パックの。



日本人は、「なぜ卵?」「人間って胎生だよね」
「もしかして恐竜時代の名残り?」と、非常に不謹慎な会話。

そして、この卵、かなり日持ちするというウワサ。
真空パックだからか、食品添加物がたくさん入っているからか、
そこでまた憶測が飛び交う。

お祝い事なのに不謹慎だ。

私が2週間前にスーパーで買ったキャベツは、
まったく痛む様子がなく、相当農薬漬けであるらしい雰囲気。
いつまで持つか、観察している。
と、食べ物は、本当に話題がつきない。

もうすぐ国慶節だし、中国人たちは、なんだかお祭りモードだ。
でも、1週間休むということは、それだけ仕事はタイトになるということで、
国慶節の休みのあとは、2週間くらいぶっ続けで仕事して、
そのまま年末の追い込みに入るということか。
バテないように、気をつけよう。

留学中とは違う

2011-09-25 20:06:07 | Weblog
最近、留学中とは違うなあ、と思うことがある。

上海に来て、もうすぐ3ヶ月。
いろんな日本人と出会ったけど、上海に来ている目的は様々なので、
留学中のように、みんなが中国語を話せるようになろう、と
努力しているわけではない。

だから、最近よく、
「中国語を話せる人と一緒だと安心だから、今度一緒に出掛けよう」と言われる。
上海は都会とはいえ、まだまだ暗黒大陸のような印象の人も多く、
また、「中国語を話せないことがこんなに不便だとは思わなかったし、
漢字もこんなに読めないとは思わなかった」と、驚いたように言う人も多い。
ローカルのお店に入ったり、小旅行にも行きたいけど、正直言って怖い、
だから、話せる人がいると安心だから連れて行って、と。

私にとっては、天国のように便利になった上海なんだけど・・・、
同じ日本人でも、受け止め方は様々なんだなあ、と、つくづく感じる。

友だちとしてすごく好きで、ぜひ一緒に上海を歩きたいと思う人は、たくさんいる。
その場合は、その人がまったく中国語を話せなくても、喜んで出掛ける。
でも、相手が上海に住んでいる人で、まだそれほど親しくない人だったり、
知り合ったばかりの出張者だと、まず最初に「ちょっと面倒だな」と思ってしまう。

当然、私も仕事で疲れていることが多いわけで、
誰とも話したくない心境のうえ、特に中国語は面倒!というときはある。
しかも週末はほとんどがそんな気分だ。

もともと、日本でも休日は家に引きこもっている方だったし、
仕事でないときは、まずもって団体行動ができない。
出掛けた先で、「○時にあそこで集合ね、それまで自由行動!」と
気兼ねなく言える人でないと、一緒に出掛ける気になれない。

ただ、中国での外食は、大人数があたりまえの食事になっているから、
何かを食べるために集まるのは、嬉しいし楽しみだ。
誘ってもらえてありがたい、と思う。
ただ、それを超えて何かを一緒にする、というのは、身構える。

というのも、日本人の場合、
相手にドップリお任せになる人が多いので、まるでタダ働きのツアコン状態になる。
それに、予想外のことが起きたときに、その人がどんな反応をみせるか、すごく不安だ。

あと、面白いと思うポイントは人によって違うわけなので、
私が行きたいところに、納得するだけ時間がとれるとは限らない。
得てして、自由に動ける立場の人のほうが、相手に合わせることになる。

特に私の場合は、庭園に座ってボーッとするのが好きなので、
それほど親しいわけではない人が一緒だと、安心してボーッとできない。
相手が日本人だからといって、安心できるわけではないし、
逆に、何を話しているかわからない中国人の中にドップリつかっているほうが、
よほど自由な気持ちになれることも多い。

なので、やっぱり一人がいいなというのが、これまでに学んだこと。

私は私で、上海歴の長い先輩たちに、いろいろ助けてもらっているわりには、
あまり他の人の役に立とうと思っていないわけで、非常に自分勝手だという自覚はある。

まあ何と言うか、日本人は団体行動ができる民族だけれど、
それはイコール「誰かに付いて行く」という文化でもあるわけだから、
当然、その際の安全とかいろいろなことについて、
先導役はかなりの責任を感じるわけで、何かを仕切る役目は大変だ。
何が起きても、私のせいじゃない、と思えればいいんだけれど、
日本人だから、どこかで責任を感じたり、申し訳なかったと思ってしまう。
ということで、仕事以外は一人でいたいと思うんだろう。
欧米の人って、どんななんだろうなあ。

安全

2011-09-25 16:13:57 | Weblog
中国の人は、朝早くて夜遅い。
アパートの上の階の女性は、室内でもハイヒールを履いているらしく、
家にいるときはコツコツコツコツ、音がしている。
夜遅く帰ってきて、朝早く出掛けて行く。
どんな人か知らないけれど、そんなに長時間ハイヒールを履いていたら、
きっと外反母趾になっているだろうと、勝手に心配している。

ということで、日曜日だけれど比較的早く目が覚め、
午前中のうちに掃除と洗濯が終了したので、
昼過ぎから、歩いて、片道20分くらいの距離にあるお茶屋さんまで、
人参烏龍茶を買いに行った。
日曜日にずっと引きこもって読書をしていると、
夜眠れなくなるので、いい運動だ。

スーパーで売っているお茶は、
食品添加物が満載で、味や香りをつけていると先日聞いたので、
やはり、故郷が茶畑というお茶屋さんで買う方が安心だ。
とはいえ、そこで農薬をわんさか撒いていたら、もうしょうがない。
食の安全は、考えすぎると何も口にすることができなくなる。

それにしても、ここ数日、とにかくネットが重い。
G-mailもやたらと時間がかかる。
Yahoo!JAPANのトップページを開くのすら一苦労だ。
国慶節が近づいているからだろうか。

ロシア製の放射線量を測る機械を持っている人がいたので、
上海の線量を測ってみた。
よくわからないけれど、パッと見では、
3月下旬の東京よりも高いような気がする・・・。

こういうとき、ツイッターでつぶやきたくなる。
そして、だから中国にはネット規制があるんだよなあ、と思う。

その機械は日本の通販で買ったようなのだけれど、
中国でも売ってみたら、すごく売れるんじゃないだろうか。
Amazonは海外発送を始めたし、もしかしたら取り寄せられるのかな。
それに、中国人のことだから、もう「なんちゃって測定器」を作って、
売ってるかもしれない。

散財

2011-09-25 00:44:22 | Weblog
今日は散財の一日だった。

昼過ぎから上海のIKEAに行き、冬用の掛け布団を買い、
その後、ユニクロに行って、秋冬物を買い、
本当は、ホテルのオランダチーズフェアに行って、
極めつけの美食をするはずが、満席で入れず、
ローカルの火鍋屋に行くという、
ものすごくホットな上海ライフ満喫モードだった。

今日行ったユニクロは、南京西路のお店だったけれど、
相変わらず、品数も豊富だし、
店員さんの態度も日本並みでとても気持ちがよかった。
お客さんも、中国人、日本人、欧米人と、たくさん入っていた。

先日、会社の中国人スタッフ「80年代生まれホワイトカラー女性」に、
ユニクロのダウンジャケットを買うつもりだと言ったら、
彼女が驚いたように、「日本人でも、ユニクロ好きなの?」と言う。

だから、
「私が普段来ている服の半分くらいはユニクロだよ。
ユニクロは、日本でも中国でも、同じ品質のものをほぼ同じ値段で売ってる。
中国で作っているくせに、日本に持って行ってタグをつけたあと、
また中国に運んできて、
日本製と言いながら運送料や関税などでコテコテと高くするブランドが多いけど、
その点、ユニクロは良心的だから、安心して買ってる」と言ったら、
彼女は喜んだように、
「私、夏にたくさんTシャツを買ったよ」と言っていた。

きっと彼女は、日本人と言うと、
「伊勢丹あたりで、品数が少ない割に超高いブランド服を買う人たち」
だと思っていたのだろう。

そうそう。
梅龍鎮というところにある伊勢丹は、テナントで入っているだけだと
今日、友人に教えてもらった。
なるほど。それで、導線を考えていないレイアウトだったのか、と納得。

それにしても、付加価値って何だろうなあ、と改めて思う。

そして、いま、しみじみと飲む人参烏龍茶の美味しいこと。
寝る前にお茶を飲むと、眠れなくなるという人もいるけれど、
不眠は読書にハマったときしか経験したことがないという
単純な人間なので、難なく眠ることができる。

さて、読書がしたい気分なのだが、どうしようかな。

せっかちな性格

2011-09-23 23:51:44 | Weblog
基本的にたいへん「急性子(せっかち)」なのだが、
最近は、抑えるように努力している。
でもやはり納期が近付くと、すっ飛ばした話し方をしがちだ。

すっ飛ばすというのは、
通常なら、
私の発言「A」→相手の発言「B」→私の発言「C」→相手の発言「D」と
順序よく進むところを、
私の発言「AプラスC」で相手に「D」の回答を求めようとしてしまう。

で、結局、相手には唐突過ぎて、
私から「B」の内容を補い、「A、B、C」すべてを言いなおすことになるので、
結果的には、余計に時間をとるばかりか、
自分にも相手にもストレスの残る会話になる、という悪循環になる。

もちろん、そうならない相手も多く、
ふだんから2段抜かしくらいの会話をできる人もいる。
そういう人は会話の相性がいい。

いっぽう日常的な雑談のときに、ループした話し方をする人や、
仕事の仕方が、どちらかというとシングルタスクの人と話すときは、
なるべく、話をすっ飛ばさないように気をつけている。

これは、国籍や年齢はあまり関係なくて、
個々人がもっている話し方の癖の問題なので、
相手のペースを尊重したいと思うのだけれど、
やっぱり納期が近付いているようなハイのときには、なかなか難しい。

ハイになると、AB型全開だなあ、と
自分でも思うような性格が前面に出るので、
これ以上「AB型=変人」という周囲の評価を裏打ちしたくない、と思う。
が、そうそう止められない。

ハイなときに自分を抑えることができる人って、偉いよなあ。

斜め読み

2011-09-22 23:09:11 | Weblog
最近、何冊か中国語の歴史系の本を読んだ。
といっても、斜め読みだが、
私が留学していたころに比べて、変わったなあと思うことがある。

それは、著者の観点が明確に記されているということ。

例えば、歴史や人物の評価で、
「確かに、○○という性格だった」というような表現がよく出てくる。
これは、1990年代前半の書物にはあまりなかったと思う。
どちらかというと事実を淡々と記すのみで終わり、という雰囲気だった。

そのかわり、読者は行間を読む余裕があった。
いまは、作者の考え方がわかりやすいぶん、
作者の感じ方が自分と同じかどうかにばかり気がいってしまい、
読みながら、自分の思考が本筋とは少しずれているような気分が
なんとなくつきまとうため、少しさめる。

中国の書物に、作者の主観が入るようになったことを喜びつつも、
論理や分析よりも、個人的な好悪が先に立っているような印象も受けるため、
家でテレビドラマを見ながらツッコミを入れているような
気持ちになってしまう。

以前は、小説は難しいけれど、歴史書は読める、と思っていた。
でも、最近読んだ数冊の歴史書は、作者の感情が入ってきているので、
逆に小説のほうが読みやすいんじゃないかと思えてきた。
今度、試してみよう。

なぜか、中国の本は、欧米の本に比べて感情的に思えてしまう。