今週、やはり一番大きなニュースは人質事件だったと思う。
大多数の日本人が無意識のうちに、
多から少なかれ考え方の中心にすえているものを「宗教」と呼ぶのなら、
今回のこれもまた、ひとつの宗教の衝突と言えるかもしれない。
ちょうど月曜から『国体の本義』を読みはじめたところだったので、
その印象を私が強く感じたという側面もあるだろう。
『国体の本義』は、戦前に発行された本で、
敗戦後、真っ先にGHQが禁書とした、日本が拠り所としていた真髄が書かれた本だ。
よく「自己責任」と言われる。
私が上海にいたときに起きた中国の官製反日デモのときも、
「中国なんかに住んでるお前の、自己責任だ」とよく言われた。
これが他宗教ではちょっと角度が違い、
世界中のどこにいようが、神とあなたの契約は変わらない。
どこであろうと「神」があなたを最終的にはお救い下さる、となるだろう。
実は、ほとんど同じことを言っていて、
「人間には解決不能なことばかりなので、あとは運命だと思って頑張って」
という意味なのだが、聞いた人の受け止め方がまったく異なると思う。
一見、日本人の態度は冷たく思えるが、これは日本の宗教を考えるときに
しょうがないことなのだと思う。
天皇についてよく言わない日本人も、ほぼすべての人が日本の自然は好きだ。
日本の食べ物は素材がおいしい。空気も水もいい。やっぱり日本だ、と言う。
でも、その自然を崇める気持ちが天皇に帰結するのはちょっと、と言うくらいだろう。
だから、ほとんどの日本人の気持ちは、こんなに素晴らしい国から出て行ったのだから、
多少の不便は我慢しなさいよ。だって、自分で選んだんでしょ、となる。
「神州」という言葉を使うかどうかは別として、「日本が一番いい」と思っている
心理自体は、昔も今もあまりかわらない。
日本人の宗教は、日本の自然と一体となる信仰だから、
日本という土地から離れた時に、その神通力のほとんどを失ってしまう。
それはつまり、日本人同士なのだが、外国に行った人は「よその人」となり、
日本国内にいる人から見たら「他人だ。関係ない」と思われるということだ。
まあ、本当の肉親はそうは思わないだろうが、一般的な繋がりではそんなもんだろう。
いま、身代金を払って解決すべきだという人たちもいるが、
彼らはいったいどこまでをその対象範囲とすべきか、本気で考えたのかと疑問に思う。
もしいま、中国が、戦後70周年ということで大々的に、
「日本人は全員罰を受けるべき。中国にいる日本人は全員帰国禁止で奴隷化。
企業も工場も、預金もすべて接収」と言ったら、
日本人は中国人のパスポートを闇で買って、日本に密入国するくらいしか、
帰る方法がなくなってしまうし、
日本という国が何万回破綻しても払いきれない身代金を認めなければならなくなる。
それは、戦勝国の機関である国連が、中国を国家と認めた国であるために、
私たちは正当な要求として向き合わなければならなくなるからだ。
だから、他国からの人命を盾にとった交渉には、
論点をすりかえる交渉こそが必要なのであって、
「はいそうですか」と、相手の要求をのんではいけないのだ。
常識的に、そんなバカを中国は表立ってはやらないけれど、
実質的にやってることは、同じようなことだ。
中国では、法律よりも共産党のほうが上位なのだから、
共産党がそう一言言えば、そうなるのだから。
これが、日本という国が敗戦した当時、満洲や南洋の島々に取り残された日本人の
帰還の際に生じた問題とは、近くて、異なる点だ。
そもそも日本の領土だから行ったのと、外国だとわかってて行くというのは違う。
だから、日本の宗教観から見たときに、
外国で人質となった人たちと、国内の原発問題の被害者や災害避難民は、
同列で論じることはできない。
これを同列で論じようとした時には、自衛隊が戦争をできる軍隊になることを容認することになる。
あのようなショッキングな映像を見せられれば、誰もが動揺するが、
これを一度中国という国を相手として置き直してみれば、
何をやるべきなのか、どう行動すべきなのかは、わかりやすいと思う。
大多数の日本人が無意識のうちに、
多から少なかれ考え方の中心にすえているものを「宗教」と呼ぶのなら、
今回のこれもまた、ひとつの宗教の衝突と言えるかもしれない。
ちょうど月曜から『国体の本義』を読みはじめたところだったので、
その印象を私が強く感じたという側面もあるだろう。
『国体の本義』は、戦前に発行された本で、
敗戦後、真っ先にGHQが禁書とした、日本が拠り所としていた真髄が書かれた本だ。
よく「自己責任」と言われる。
私が上海にいたときに起きた中国の官製反日デモのときも、
「中国なんかに住んでるお前の、自己責任だ」とよく言われた。
これが他宗教ではちょっと角度が違い、
世界中のどこにいようが、神とあなたの契約は変わらない。
どこであろうと「神」があなたを最終的にはお救い下さる、となるだろう。
実は、ほとんど同じことを言っていて、
「人間には解決不能なことばかりなので、あとは運命だと思って頑張って」
という意味なのだが、聞いた人の受け止め方がまったく異なると思う。
一見、日本人の態度は冷たく思えるが、これは日本の宗教を考えるときに
しょうがないことなのだと思う。
天皇についてよく言わない日本人も、ほぼすべての人が日本の自然は好きだ。
日本の食べ物は素材がおいしい。空気も水もいい。やっぱり日本だ、と言う。
でも、その自然を崇める気持ちが天皇に帰結するのはちょっと、と言うくらいだろう。
だから、ほとんどの日本人の気持ちは、こんなに素晴らしい国から出て行ったのだから、
多少の不便は我慢しなさいよ。だって、自分で選んだんでしょ、となる。
「神州」という言葉を使うかどうかは別として、「日本が一番いい」と思っている
心理自体は、昔も今もあまりかわらない。
日本人の宗教は、日本の自然と一体となる信仰だから、
日本という土地から離れた時に、その神通力のほとんどを失ってしまう。
それはつまり、日本人同士なのだが、外国に行った人は「よその人」となり、
日本国内にいる人から見たら「他人だ。関係ない」と思われるということだ。
まあ、本当の肉親はそうは思わないだろうが、一般的な繋がりではそんなもんだろう。
いま、身代金を払って解決すべきだという人たちもいるが、
彼らはいったいどこまでをその対象範囲とすべきか、本気で考えたのかと疑問に思う。
もしいま、中国が、戦後70周年ということで大々的に、
「日本人は全員罰を受けるべき。中国にいる日本人は全員帰国禁止で奴隷化。
企業も工場も、預金もすべて接収」と言ったら、
日本人は中国人のパスポートを闇で買って、日本に密入国するくらいしか、
帰る方法がなくなってしまうし、
日本という国が何万回破綻しても払いきれない身代金を認めなければならなくなる。
それは、戦勝国の機関である国連が、中国を国家と認めた国であるために、
私たちは正当な要求として向き合わなければならなくなるからだ。
だから、他国からの人命を盾にとった交渉には、
論点をすりかえる交渉こそが必要なのであって、
「はいそうですか」と、相手の要求をのんではいけないのだ。
常識的に、そんなバカを中国は表立ってはやらないけれど、
実質的にやってることは、同じようなことだ。
中国では、法律よりも共産党のほうが上位なのだから、
共産党がそう一言言えば、そうなるのだから。
これが、日本という国が敗戦した当時、満洲や南洋の島々に取り残された日本人の
帰還の際に生じた問題とは、近くて、異なる点だ。
そもそも日本の領土だから行ったのと、外国だとわかってて行くというのは違う。
だから、日本の宗教観から見たときに、
外国で人質となった人たちと、国内の原発問題の被害者や災害避難民は、
同列で論じることはできない。
これを同列で論じようとした時には、自衛隊が戦争をできる軍隊になることを容認することになる。
あのようなショッキングな映像を見せられれば、誰もが動揺するが、
これを一度中国という国を相手として置き直してみれば、
何をやるべきなのか、どう行動すべきなのかは、わかりやすいと思う。