ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

中国なら

2015-01-24 11:53:18 | Weblog
今週、やはり一番大きなニュースは人質事件だったと思う。
大多数の日本人が無意識のうちに、
多から少なかれ考え方の中心にすえているものを「宗教」と呼ぶのなら、
今回のこれもまた、ひとつの宗教の衝突と言えるかもしれない。

ちょうど月曜から『国体の本義』を読みはじめたところだったので、
その印象を私が強く感じたという側面もあるだろう。
『国体の本義』は、戦前に発行された本で、
敗戦後、真っ先にGHQが禁書とした、日本が拠り所としていた真髄が書かれた本だ。

よく「自己責任」と言われる。
私が上海にいたときに起きた中国の官製反日デモのときも、
「中国なんかに住んでるお前の、自己責任だ」とよく言われた。

これが他宗教ではちょっと角度が違い、
世界中のどこにいようが、神とあなたの契約は変わらない。
どこであろうと「神」があなたを最終的にはお救い下さる、となるだろう。

実は、ほとんど同じことを言っていて、
「人間には解決不能なことばかりなので、あとは運命だと思って頑張って」
という意味なのだが、聞いた人の受け止め方がまったく異なると思う。

一見、日本人の態度は冷たく思えるが、これは日本の宗教を考えるときに
しょうがないことなのだと思う。

天皇についてよく言わない日本人も、ほぼすべての人が日本の自然は好きだ。
日本の食べ物は素材がおいしい。空気も水もいい。やっぱり日本だ、と言う。
でも、その自然を崇める気持ちが天皇に帰結するのはちょっと、と言うくらいだろう。

だから、ほとんどの日本人の気持ちは、こんなに素晴らしい国から出て行ったのだから、
多少の不便は我慢しなさいよ。だって、自分で選んだんでしょ、となる。
「神州」という言葉を使うかどうかは別として、「日本が一番いい」と思っている
心理自体は、昔も今もあまりかわらない。

日本人の宗教は、日本の自然と一体となる信仰だから、
日本という土地から離れた時に、その神通力のほとんどを失ってしまう。
それはつまり、日本人同士なのだが、外国に行った人は「よその人」となり、
日本国内にいる人から見たら「他人だ。関係ない」と思われるということだ。
まあ、本当の肉親はそうは思わないだろうが、一般的な繋がりではそんなもんだろう。

いま、身代金を払って解決すべきだという人たちもいるが、
彼らはいったいどこまでをその対象範囲とすべきか、本気で考えたのかと疑問に思う。

もしいま、中国が、戦後70周年ということで大々的に、
「日本人は全員罰を受けるべき。中国にいる日本人は全員帰国禁止で奴隷化。
企業も工場も、預金もすべて接収」と言ったら、
日本人は中国人のパスポートを闇で買って、日本に密入国するくらいしか、
帰る方法がなくなってしまうし、
日本という国が何万回破綻しても払いきれない身代金を認めなければならなくなる。
それは、戦勝国の機関である国連が、中国を国家と認めた国であるために、
私たちは正当な要求として向き合わなければならなくなるからだ。
だから、他国からの人命を盾にとった交渉には、
論点をすりかえる交渉こそが必要なのであって、
「はいそうですか」と、相手の要求をのんではいけないのだ。

常識的に、そんなバカを中国は表立ってはやらないけれど、
実質的にやってることは、同じようなことだ。
中国では、法律よりも共産党のほうが上位なのだから、
共産党がそう一言言えば、そうなるのだから。

これが、日本という国が敗戦した当時、満洲や南洋の島々に取り残された日本人の
帰還の際に生じた問題とは、近くて、異なる点だ。
そもそも日本の領土だから行ったのと、外国だとわかってて行くというのは違う。
だから、日本の宗教観から見たときに、
外国で人質となった人たちと、国内の原発問題の被害者や災害避難民は、
同列で論じることはできない。

これを同列で論じようとした時には、自衛隊が戦争をできる軍隊になることを容認することになる。
あのようなショッキングな映像を見せられれば、誰もが動揺するが、
これを一度中国という国を相手として置き直してみれば、
何をやるべきなのか、どう行動すべきなのかは、わかりやすいと思う。

海は青い

2015-01-18 14:52:01 | Weblog
ふとiPhoneの写真を開いたら、いつ撮ったのか思いだせない写真があった。



ある日、酔って帰る途中、家の前で花が咲いていると勘違いして撮った。
これは葉っぱだ。

さて、昨日は鎌倉に行った。
お目当は長谷寺のマニ車だったのだが、毎月18日しか大きいのは回せないということ。
1日フライングした。

 

立派だ。

壁を取り囲むように18個のマニ車があったのだが、回す方向がチベットとは逆だった。



そして、長谷寺から望む海。

 

帰国してから海を見るの、初めてかも。
美しいなあ。太平洋。

つい先日まで、大量の水というと長江だった私には、
水=濁流という印象が強すぎて、
この海の青さは、本当に心にしみた。

その後、鶴岡八幡宮にお参りして、寒いのを口実に一杯。

日本は美しく、やさしく、住みやすいが、
当然のことながら、家族や本当の日常が追いかけてくる。
私の周囲にはぎっしりと、与えられた何かが付きまとってくる。

そして、あまりにも日本のことを知らない自分に愕然とする。
祖父母たちが当たり前にやっていた家まわりのことは、
両親の代であらかた断裂し、
いまさら祖父母に教わることもできない私たちは、どうしたらいいのかがわからない。
そして、心の奥底で、すごく罰当たりなんじゃないかと思っている。
この点、やはり両親の世代は祖父母の世代に甘え続けたピーターパンだとも思う。

目上の知人に、いまだにマルクス主義こそが最上だと思っている人がいて、
おそらく学生運動を頑張ったような人だと思うが、
いまでも、自分はあまり家族のことは顧みず、
理想をおいかけて、世界中を飛び回っているようなのだが、
奥さんにはそんな自分についてくることを暗黙のうちに求めているようなので、
それって単なるわがままで、やってることは、タチの悪い保守より保守っぽいんじゃないの?
と、いつも突っ込みたくなる。
前に、愚痴っぽい奥さんに対して少し突っ込んだら、それから食事に誘われなくなった。

そんなことを、うつらうつら考えながら帰宅したせいか、昨晩の夢は、なかなか笑えた。

夢の中で、このブログを開いたら、以下の案内が出てきた。
「表現に問題があるブログは、表示を停止しました。
 該当箇所を修正した上で、再アップしてください。
 もし1週間以内に修正がされない場合には、こちらで記事を削除いたします」

夢の中で、こんなことを考えた。
さすが日本では、中国みたいに強制的に削除されたりはしないんだなあ。
とはいえ、これはきっと、検索ワードでヒットする内容も調整しているに違いない。
ならば、ここで日本語力が試されるな。
直接的な言葉を使わず、いかに伝えるか。実質的に無力化してやればいいだろう。
おかげで、もしかしたら国語力の低下に歯止めがかかるんじゃないか。
今日のところは、とりあえず言い回しだけを変えてみよう。
こういうとき、漢字、ひらがな、カタカナ、漢語、和語、外来語を
たくみに使い分ける日本語って応用力が高い。素晴らしい言語だ。

目が覚めた時、なんで、こんな検閲をやろうとしてる「権力」に対して、
正面切って戦おうと思わなかったのかと、ふと思った。

やはり、外国を見ておくって、大切なことだと思う。

復帰

2015-01-15 22:05:12 | Weblog
今週から、11年前に通っていた中国語教室に復帰した。
学校に足を踏み入れた途端、懐かしい匂いを感じた。
学校の匂い。多くの書物がある匂い。

教室に入ると、椅子がよくなっていた以外は、ほぼ当時のまま。
敬愛する中国人の先生は立ち上がって迎えてくれた。
そして11年前からずっと通い続けている同級生が1人。人生の大先輩だ。

授業の形式もむかしのまま。
先生と一緒に、自分のことを話したり、中国の最新ニュースを読む。
今回のニュースのテーマは、習近平が進める「腐敗の撲滅」についてだ。

中央の方針が、地方にはどのような具体的な指示として浸透していくのか。
その流れを追えるような内容だった。

11年前なら、中国語の文章を正確に読み解くことばかり考えていただろう。
でもいまは、どういう説明をしたら中国人は動けるのか、ということが気になる。

中国語の書き言葉は、古来より皇帝の命令を伝達するための言語だった。
それは、基本的にいまでも変わっていないと思う。
しかしいまは、これはおそらく文革後の潮流だと思うが、
非常に具体的でわかりやすく、これだけ守ればいい、という伝え方になっている。

公用車は帰省で使ってはいけない、地方政府の官僚に出迎えをさせてもいけない、
経費で落とせる食事代は、朝ごはんなら20元まで、宴席の場合は1人あたり120元まで、など。
そんなの常識の範囲、当たり前という判断が挟めないようになっている。

ただ、そんな通達があっても、逃げ道を探すのが中国人というもの。
でも今回は少し違う。
これまでは官僚の接待用の店として繁盛していた高級料理店も、倒産が相次いでいるという。

これは、中央で、習近平が各業界のドンたちを
汚職で断罪している影響が、やはり大きいのだろう。

中央と地方を一気に動かすのは、中国のような大きな国では特に、
本当にたいへんな改革だ。穏やかな革命と言ってもいいくらいだろう。
こうしたことができる習近平という人は、本当にすごい人だと改めて思った。

中国はこの先、どんな国になっていくのだろう。

フランスのデモに関する少考

2015-01-13 00:12:09 | Weblog
やはり、中国政府はフランスの事件を利用して、
イスラムへの取り締まりを強化する流れになるのか。

言論の自由で、その行いのすべてがゆるされるのなら、
文化大革命も肯定される危険をはらんではいないのか。
(そももそ、中国政府は文化大革命に対する評価を保留しているが)

そして、テロへの抗議として政治家がデモに参加するというのは、
何か倒錯してはいないのか。

「チベットの焼身自殺もテロの一種だから、これに反対するデモを行います。
 各国の首脳の皆さん参加してください」

もし中共からこんな招待状が届いたら、どうする?
いまフランスのデモへの政治家の参加を賛同している人たち、
それとこれとは違うと、明確に言い切れるのか。

最初に、言論の自由という隠れ蓑のもと、相手を冒涜したのはどちらだったのか。

今回のフランスの事件を見ると、私は南京事件を思い出す。

戦前の日本人にとって、南京事件とは、日本軍が行った残虐行為のことではなく、
駐華日本大使を含む日本人が、中国人によって辱めを受けたこと。
当時の弱腰外交によって、在中国(南京に限らない)の多くの日本人が虐殺されたことに対する
報復の民意があった。

そしていま、南京事件は、中共によって、
日本軍が南京の人民を30万人も殺したことになっている。
当時の人口は、南京陥落前20万人という統計があるにもかかわらずだ。
そして、陥落後1年経った当時の人口もやはり20万人という発表。
すべてを鵜呑みにしてはいけないとはいえ、新生児も増えてはいない。
日本軍はよく避妊したようだ。

今回のフランスの事件、
言論の自由が、他方の言論を封じる権利をもつ、というように、
拡大解釈されてはいないか。

それとも、そもそも西洋で言うところの言論の自由は、
勝てば官軍で、負けた方の主張はすべて却下となるのか。
東京裁判のように。

もしいま、言論の自由の名の下に、ある言論を退けるならば、
それは、毛沢東の行った百家争鳴となるだろう。

そもそも、政治家がデモに参加するという倒錯はどうなんだ。
政治家というのは、軍隊を動かす、国民の生活を守る主権を司る役職のことだ。
それが、デモに参加してどうする。政治家としての役割を果たせ。

その役割とは、武力による制圧ではなく、対話の道をひらくということだ。
武力を背景とした、対話の道。
これは政治家にしか敷けない道。
それをデモか。職務放棄も甚だしい。

日本の政治家が、デモに参加しなかったならば、それは正しい。
それは主張の問題ではなく、役割の問題だからだ。

いったい左翼はなにを血迷って、見当違いの批判を日本政府に向けているのだ。
それは、自分を守ってくれないお父さんに対する倒錯した想いとなんら変わるものはない。
精神的に自立せよ。
常に大きなお父さんがいないと反抗できないだけの左翼は不要だ。

「フランスのデモに各国の政治家が参加」という報道を見て、
なんだ白人だけじゃん!と思った、これが私の感想。

もし、すべての戦争が内戦化し、国軍を動かせない、
戦争の形態が変わったから政治家もデモに参加だというのなら、
税金でお給料をもらうのをやめたらいい。
哲学上の腹もくくれないうちに、
デモに参加するなんていう票集め的パフォーマンスはやめてほしい。

そして、これに参加したほうがいいと日本政府にいう人は、
単なる脱亜入欧の変異系亜種にすぎない。
これは、あなたたちが毛嫌いする大東亜共栄圏の思想と、根っこが同じではないかね。

十把一絡げ

2015-01-10 23:53:45 | Weblog
先日、会社近くの定食屋で昼食を食べていたら、
隣席のおじさん2人がサザンオールスターズに関する「炎上」の話をしていた。

おじさん、と言っても、たぶん私と年齢が大して変わらない。
私はあまりハマらなかったけれど、若いころサザンにハマった友人は多い。

正直言って、年末年始は精神的引きこもりだったし、
テレビもほとんど見なかったので、どんなことがあったのか、よくわからない。
ただ、そのおじさん2人の会話がすごく気になった。
「・・・みたいな批判を、安倍さんや自民党支持の人たちがしてて、
 それで炎上したみたいなんだけど、桑田はそんな意図じゃなくって・・・、
 なのに、ほんとに理解力が低いヤツらが自民党を支持してる」と。

いや、その発言の前に気になったのは、
そのおじさんのうちの1人が、ごはんをクチャクチャと音を立てて食べており、
一瞬「あ、となりに中国人がいる、嫌だな」と思ったのがきっかけだった。
よくよく聞いてみると、話している言葉が日本語だったので、
「まったく日本人のくせに、なんだ」と思い、
その時に話していたのが、その炎上のことだった、というのが正しい順序だ。

その後、彼らは自民党や安倍さんが好きではないような会話で盛り上がり、
私よりも一足先に帰っていった。
先日の選挙では、共産党が躍進と言われたけれど、
その後しばらく、自宅の最寄駅の駅前で共産党の人が街頭演説をし、
ビラを撒いていたが、それを受け取る人はほぼ皆無で、
単に他に選択肢がなかっただけだと、ある朝に感じたことをふと思い出した。

私にも拭いがたい偏見があり、彼らにもそれがある。
中国人は、クチャクチャ音をたてて食べたほうが美味しく感じると思っているし、
しかも、それが下品だと思われていない文化の中で育ったから、
美しく若い女性にもクチャクチャ食べる人がいる、というだけのことだ。
もちろん中国人が全員、そういう食べ方をするわけではない。

桑田さんの発言に対して噛み付いた人が、全員、安倍さん礼賛でもなければ、
安倍さん礼賛の人は、すべて理解力が低いわけでもないだろう。

自分が好きな人は、その個性を好きになるが、
嫌いな人のことは十把一絡げで考えてしまう。

今日は、憲法十七条に関する本を読んだけれど、
私たちの国が最初に定めた憲法が、「和をもって貴しと為す」から始まるもので、
それを学校で学べるということは、本当に誇りをもつべきものだと思う。

蘇我氏と物部氏が激しい殺し合いをしていたとき、
聖徳太子がどんな思いで、この憲法を作ったのか。
個性を持ち寄って和を生み出していくこと。

日本のことをもっと知りたいなあ、と最近つくづく思う。

東京

2015-01-02 00:50:06 | Weblog
明けましておめでとうございます。

上海の外灘で人が亡くなる事故があったが、
中国人も、新暦の元旦を随分盛大に祝うようになったのだと、違う感慨を覚えた。
とりあえず上海にいる友人の生存は確認したが、
私の友人は、そんなとこ行くわけないじゃない、と回答する人ばかりだった。
類は友を呼ぶ。

上海に住んでいる日本人の友人に、
「今日は朝から近所の神社にお参りして、
 お雑煮食べて、これから日本酒を飲む」とメッセージを送ったら、
「いいな~」と本気のメールが返ってきた。

日本にいると見えないかもしれないけれど、日本の新年は美しい。

今日は神社で、高校生くらいの兄弟が、
まず境内に入るときに一礼、
そして神前で「二礼、二拍手、一礼」をピシッと決めた後、
最後、境内から退出するときに一礼をして、
足早に家族の待つ車に乗り込んでいった。

受験のためのお参りかもしれない。
でも、少し照れながらも、真面目にお参りしている姿は、
その後ろ姿が美しかった。

昨年最後にぎりぎり読み終わった本は『チャイナセブン』。
これは、渡辺一枝さんのメルマガで紹介されており、
私が上海に行ったばかりに報道された薄煕来のことを、
一番信頼できる情報として発信をしていた遠藤誉さんの著書だったことから
2014年中に読まねばならないと思った一冊だった。

読みながら、反日の後ろにある、習近平の本物の覚悟に社会主義国である中国の
最後のチャンスを感じた。
共産党の一党支配は、決して賛成しないけれど、
共産党としての意義を守りつつ、
みなが最低限の生活をできるようになるための最後のチャンスだと思う。

そして、今年最初に読んだ本は『日本の宗教 本当は何がすごいのか』。

神道では、最初に日本の自然があり、そこから神が生まれた。
よく中国人に、神道は軍国主義とイコールで、
経典はなく、経典となるようなものは、戦前の法律だと言われ、
「神道はそうじゃなくて自然で、その自然を歌に詠んでいた昔の人がいて、
 万葉集は言霊の世界で、そこには」と反論するものの、
文字で書かれていないものはないものと同じという中国人の価値観を
打ち破るだけの論理を私はもたなかった。

これは、中国人に対してだけでなく、
他の外国人と話すときにも、いつも言葉に窮するところだった。
でも、自然から神が生まれたという点、一神教とはここが違うということが、ものすごく納得できた。

私はいつも上海から帰ると、羽田からリムジンバスで新宿に向かった。
その理由は、富士山を見ながら、首都高を通って、
東京におわします神に触れながら帰りたかったから。

富士山を見ると、背筋が伸びた。
だからリムジンバスの中で大声で騒ぐ中国人の子供たちを、
「ここは日本です。静かになさい」と、中国語で一喝したこともある。

中国人に、東京から富士山は、新幹線で約1時間くらいの距離で、
まあ例えるなら、上海から杭州にある山を見るようなもので、と言った途端、
「ありえない!」という答えが返ってくる。
上海の大気汚染はひどくて、100メートル先が見えないくらいなのに、
杭州の山なんて、絶対見えるわけない、と。

日本と中国はすごく近くて、しかも全然似てない。

日本に帰国して、いま、はじめて勇気を出して、
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を聴いた。

東京の復興能力を見るたびに、家康ってすごかったんだなあ、と思う。
私の母が、私を産むとき、すでにレコード盤のラフマニノフを持ってたんだ。
これは、東京が守られてるからだと思う。
守りたいよなあ。東京を。