ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

ロイズ アイスクリーム

2009-06-30 21:20:47 | Weblog
ロイズの通販で、アイスクリームを買った。

届いて、開封し、改めて思ったけど、パッケージって大切だよなあ。
アイスのカップを見ただけで、頭の中に「美味しいに違いない」という言葉が浮かんだ。
実際、美味しいのだけど、通販である以上、見た目の満足感はとても大切。

カップから出してお皿に盛ったら、
もしかしたら、もっとずっと安いアイスクリームと、味の差をそんなに感じないかもしれない。
実際、安くて美味しいアイスはたくさんある。

というか、けっこう安いアイスのほうが味は好きだ。

でも、ロイズのアイスは、カップと味で、わざわざ買ったのだ、という総合的な満足感がある。
これが通販の魔力なのか。

さて、話は変わって、今年の夏も韓国出張がありそうだ。
去年、ソウルの出張があったのだけど、食べ物は正直言ってつらかった。

からいものは得意なのだけど、
何を食べてもキムチとごま油の味がするので、2日目には早くも飽きた。
それに、盛りつけも、わりと単調・・・、だと思った。

大のキムチファン、焼き肉ファンならウハウハなのかもしれないけど、
前回、一番美味しく感じたのは、ホテルのフランス料理という結末だったので、
今回はどうかな~、と思っている。

年齢とともに、味覚は変わるからねえ。
きっと、韓国ファンは、もっといろんな楽しみ方をしているんだろうなあ。

バイオリン協奏曲 リゲティ作曲

2009-06-29 22:24:18 | Weblog
昨日のN響アワーは、バイオリン協奏曲(リゲティ作曲)だった。
バイオリンは、庄司紗矢香さん。

20世紀のクラシックは、本当に難しい。
不協和音の連続、メロディはない。
こんなの暗譜できない。絶対に。

前衛的というのか、この曲は、正直どこがいいのかがまったくわからなかった。
もし私が弾いたら、きっと弾いているうちに、
「むきゃ~!」と叫びながら、舞台を走り回ったりしてしまうだろう。
ホールで座って聞くのすら、苦行のような気がする。

でもでも、天才は違う。
ちゃんと指揮者とタイミングをあわせている。
どこがタイミングのあわせどころなのか、私にはわからなかったけど。

そして、曲が終わり、やっと終わったか~、と私が思った瞬間、
舞台の上の庄司さんには美しい笑顔が浮かんでいた。
満足、充実、音楽のなかに開放感を味わったような至福の笑み。

もう、まったくわからない。
でも、何か音楽がそこにあったような印象は残る。
これが天才の腕なのか。

そういえば、「2001年宇宙の旅」でも、キューブリックがリゲティの曲を使っている。
確かに、映画界の天才も、見事にリゲティの曲を使いこなしていた。
難しい世界だ。

本、そして人

2009-06-27 16:29:42 | Weblog
神谷美恵子著、みすず書房刊。

ついに、このコレクションの最終刊を読み終わってしまった。
ここから先は、心に残ったことばをもとに、自分で考えていかなければならないのだなあ。

私は、いつも迷っているけれども、この半年くらいは特に何をどう考えたらいいのか、
またこの虚無感をどう転化していったらいいのか、
八方ふさがりな気分で過ごして来たので、神谷さんの文章を読んで、
本当に救ってもらったと思う。

むかしは何かを表現すること、
文章を書いたり、ピアノを弾いたり、踊りをおどったりといったことが大好きだった。

でも、20代のころから、私が表現をすると、
なかに閉じ込めておいた「悲しみ」や「不安」も一緒に出てしまうから、
それで他人を傷つけてしまうと思って、だんだん表現することをしなくなった。

いい意味でも、わるい意味でも、その場の雰囲気をもっていく、
と、よく周囲の人から言われたので、
つとめてポジティブにしようと心がけていたけれども、
本当に、つきつめて考えて乗り越えたいことは、もっと違うことだから、
だんだん疲れがたまったのだろう。

それでも、いつかこの気持ちをもっと客観的に、
そして穏やかに見ることができるようになって、
荒れていた時期でも一緒にいてくれた友人たちに、恩返しができたらいいなあ、と思う。

私は、経済的にうるおうことでも、社会的な地位をえることでもなくて、
本を読み、考え、人と接し、感じ、
そして誰かが私を思い出すとき、それは笑顔であるような人間になりたい。

そうだ。これはいつも母が私に言っていた、
私にどんな女性になって欲しいか、ということばだ。
神谷さんの本を読んで、いろいろなことを思い出した。ありがとう。

ひとつの時代が過ぎた

2009-06-26 21:14:01 | Weblog
今日の訃報。もちろんマイケル・ジャクソン。
NHKの21時のニュースでも、トップで伝えていた。さすが世界の大スター。

先日、ちょっとした縁があって、YouTubeでマイケルのプロモーションビデオを見た。
見ていたらとまらなくなって、寝不足になった。
すごく懐かしかったし、いま見てもカッコよかった。
マイケルの踊りは、流行をこえている。本当に天才。

80年代、特に大ファンというわけではなかったけど、
マイケルの歌と踊りは、なんだかんだ言ってよく見ていたなあ。

日頃はポップスを嫌い、テレビを見ている私の隣で、
「こんなののどこがいいの?」と、超辛口のプレッシャーをかけてきた母も、
マイケルの踊りとプロモーションビデオの出来には、いつも感心をしていた。
だから、私も堂々と楽しむことができた。

マイケルが亡くなったか。
50歳なんて、はやいよな。
でも、よく生きたいい人生だったんだよな。きっと。
会ったことはないけど、ありがとうと言いたいし、なんだかさびしい。
ひとつの時代が終わったんだなあ、とも思う。

なんだか先日読んだダンテの『神曲』を思い出した。
暗い森から始まった苦しい旅をこえ、いまごろ天の高みに登っているころだろうか。

ベスト盤が出たら買うと思う。
お願いだから、安くしといて。

区役所の廊下

2009-06-25 21:44:27 | Weblog
このところ仕事の都合で、区役所に通っている。

区役所の廊下は、なんだか味気ない。
観葉植物でも置かれていたらいいのになあ、と思う。
いろいろと規則が厳しくて、そういう訳にはいかないのだろうけど。

私はなぜか区役所の窓口の方と相性がいい。
よく親切に案内してくださる。

何か許認可の権限をもっている「お役人様」と話す時は、
必ずしも、相性がいいとは言えないけど、
区役所の窓口は、比較的どこも親切だと思う。

でも、それでも、役所は少し苦手。
知らず知らずのうちに緊張してしまうので、観葉植物でもあれば助かるのになあ、と
他力本願なことを考えたりするのだ。

今日ふと思い出したことがある。
私が18歳のとき、母が身体障害者になったので、いろいろな役所に手続きに行った。
当時はインターネットも発達しておらず、
役所の窓口をいろいろと回って、窓口の方にあれこれ教えてもらいながら手続きをした。

私が住んでいる区の役所に行った時、
窓口を担当してくれた女性が、最後に一言、
「あなた、一人でいろいろとたいへんでしょう。
あなた自身のことでも、何でも相談していらっしゃい」と声をかけてくれた。
あの時は、思わず涙ぐんでしまった。

こういう一言は、本当に人を救う。
効率だけを重視している団体では、なかなか発せられることのない言葉だろう。
官公庁の改革は必要だと思うけど、
でも、こういった心の優しさ、ゆとりの一言がなくなってしまわないように願う。

遍歴

2009-06-24 21:40:00 | Weblog
神谷美恵子著、みすず書房刊。

神谷さんが晩年に、自分の「遍歴」を書いた本。
他の本に収録されていることもあれば、ここで初めて語られることもある。

神谷さんは、私の祖母と同じ世代の女性。
海外暮らしの経験があって、すごい秀才で、
履歴書を見たら、「恐れ入りました」と言いたくなるだろう。

もし私の祖母だったら、と想像してみる。
きっと私も上流階級で・・・、なんて月並みな想像は無理だな。

私だったらきっと、祖母と自分を比べ、
なにも為さず、自分の人生をただ漫然と過ごしていることで、
いま以上に自己嫌悪感が、どんどんどんどん、どんどんつのって、
きっと、もっともっとひねくれていただろう思う。

自分のことを書くなんて、
きっと神谷さんのような人には大変な作業だったろうと思う。
文章を書くのが好きだとは言っても、それとこれとは別問題。

でも、おかげで、いま私は神谷さんの文章を読んで、元気づけられている。
自分の過去のことも、いろいろと思い出すことが増えた。
私のように、両親も兄弟もいないような人間には、
自分の幼い頃のことを話す機会がないので、過去は急激に失われる。
そして、未来が見えなくなる。

ふと、数人の友人の顔を思い浮かべた。
彼らは、いつか自分史の本を出そうと思って、
若いうちから日記を書きためているような人たちだ。
付き合うには面白い人たちなんだけど、でも・・・、
そう言う人って押し付けがましいんだよなあ、と、ちらりと思った。

よしず

2009-06-23 20:53:52 | Weblog
先日友人が、「今日は、よしずを買いたい」と言った。

「え、すし酢?」と思わず聞き返した。
そう。この歳になるまで、「よしず」という言葉を知らなかった。

「すだれ、とは違うの?」
「いやあ、よしず、だよ」

解決のない会話。
いま、NHKで、よしず作りの光景が映った。
やっぱり「すだれ」じゃん。どこが違うんだ。

国語辞典を引いてみた。
「よしず」
葦の茎を編んで作った、すだれ状のもの。立てかけて日除け、目隠しなどに用いる。よしすだれ。

「すだれ」
細い葦(あし)や細く割った竹を、糸で編み連ねて垂らすもの。日よけ・目かくしとして使う。

細かさの違いがあるのね。そして、すだれは竹を使うこともある、と。そういった違いなのか。
遠目じゃ、見分けがつかないじゃん。

滋賀県出身の母が「よしず」という言葉を使っていた記憶はない。
もしかして、「よしず」は、関東でよく使われる言葉なんじゃないか?

この夏、ひとつ語彙は増えたけれど、きっと私は、これまでどおり「すだれ」と言うだろう。
だって、「よしず」よりも「すだれ」のほうが雅な感じがするし、王朝絵巻っぽい。
言葉がつややかだと思うから。
主観の問題だけど。

話はかわって、今日、久しぶりの友人に会ったら、
「あれ~? 子どもでも産んだ?」と言われた。

てっきり、太ったと言われたのだと思ったら、
どうやら「雰囲気がやわらかくなったね」と言いたかったらしい。

太った自覚はあるけど、子どもは産んでない。
でも、これまで周囲からは「きつい」と言われつづけてきたので、
「やわらかくなった」という評価は、かなり嬉しかった。

いくつになっても、人は変われるということか。励みにしよう。

夏休み

2009-06-22 23:02:40 | Weblog
すでに今年は夏休みがないだろうと思っている。
思い返せば、去年も夏休みはなかったし、しょうがない・・・。

最近、少し仕事が忙しくて、読書量も減っている。
なんだか見る夢も、会社や仕事関係ばかりだし、
フラストレーションがたまってるんだなあ、と感じている。

宝くじもはずれちゃったしなあ。
そういえば、今年はまだJリーグも観に行っていない。
たまにテレビをつけると、いつの間にか世の中は進んでいる。
きっと、ふと気がついたら首相が変わってるんだ。

私なりの平和ボケか。

少しずつだけど、通勤電車のなかで神谷美恵子さんの本を読んでいる。

私も、学生時代に考えていたこととか、チベットへ行った時のことなどを、
文章にしてみようかな、と思う。
GWに、チベットのサキャに行った時のことを書いてみたけど、
その後、少しずつ記憶が戻って来たことがある。
書くことによって、見えてくることがある。

その価値を、自分なりに見つめてみようか。

さっきテレビに、あるフェンシング選手が出ていた。
鬱一歩手前というスランプを乗り越え、自分に向き合う準備ができたらしい。
素晴らしいことだ。本当にすごい。

自分に向き合う、か。
少しずつやってみるか。私も。

音が浮かぶとき

2009-06-20 01:04:08 | Weblog
私は、好きな人のことを思い出すとき、音のイメージも一緒に浮かぶ。

いま会える人も、会えない人も、その人が私にとって大切な存在だったら、
その人のしぐさ、言いそうなこと、そして過去の思い出を思い浮かべると、
なぜか音もついてくる。

むかし、飼っていたイヌのことをよく音にした。
ピアノで弾くと、母が「もしかして、いまのリョウ?」と言ってくれたものだ。

リョウは、イヌの名前。メスの雑種。
私のよき友。
そして、リョウはピアノが大好きで、私がピアノの練習をはじめると、
いつもそばに寄って来た。
間違えると顔を上げるし、イヤなくらい、とてもイイ耳をもったイヌだった。

私が一番音にしたのはリョウのことかもしれない。
そういえば、母のことも音にした。
そして、いま好きな人たちのことを思い浮かべると、やはり音がする。
音そのものよりは、音のもっているイメージかな。

この人はパイプオルガン、この人はバイオリン・・・、など。
そして、なんとなくメロディーの破片がついてくる。
私にとっては、音がするかどうかが、ある意味、親密さのバロメーター。

そして、今朝、ふと気がついた。
私は父の音を、感じたことがない。
思い浮かべられない。ほぼ、毎日、父のことを思い出しているのに。
いっぽう母のことは、いろんな音で思い浮かべることができる。

父のことは好きだけど、もっと昔、その気持ちを封印していたからかな。
結局、父の気持ちまで、あまり近づくことができなかったからかな。
私たちは仲が良かったけど、お互いの距離は、
ものすごく神経質にはかっていたから。

父はどんな音がするのだろう。
父が大好きだったパスカル。「パンセ」でも読んでみるか。

色の見え方について

2009-06-18 22:55:02 | Weblog
どうも私は、他の人よりも見えている色の幅が狭いのではないかと思う。

最初にそう思ったのは、いまからおよそ10年前。
出版社で編集をしていたときに、カバーに使われている色が、よくわからなくなった。

苦手なのは「黒」。
「黒」が、「濃い紫」「濃い灰色」に見えてしまう。
あと、「深緑」から「黒」にかけてのグラデーションが苦手。

その後、すっかり忘れていたので、検査を受けていないからよくわからないけど、
先日、ある映像を見ていて、「黒」が「黒」に見えなかった。
自覚はなかったので、見終わった後、
「なんだか、色が薄かったですね。白い霧のなかで見ていたみたい」と言い、
他の人から「そんなことなかった」と言われ、「もしかして」と思い出した。

熱っぽいときは、白が黄色く見える。
基本的には眩しがり屋なので、晴れた日の屋外は苦手だし、南の島の白い砂浜はもっと苦手だ。
そういえば、幼稚園の頃、父が私の色の見え方について疑問をもって、
「これ、何色に見える?」と聞かれたような記憶がある。

先日、蛍を見に行ったときも、暗い道がまったく見えなかった。
色盲の人は、モノトーンの世界のために、かえってジャングルのなかで、
地雷などのトラップを見破る。だからベトナム戦争のときに、
アメリカの各小隊には、必ず色盲の人を入れていたと、どこかで読んだことがある。

私の場合、闇夜では、まったく視界がきかなくなるので、
どちらかというと鳥目に近い。
そういえば、母もそんなことを言っていた。

栄養のバランスのせいかな。
それとも疲れのせいかな。
まあ、自覚したということはいいことだ。