ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

ある意味で見事

2014-06-29 21:55:48 | Weblog
ゲリラ豪雨、前は真夏だけだったように思うのだけど、
梅雨の時期ですでにすごい雷雨でビックリした。
着実に熱帯雨林に近づいている印象。

今日は護国寺に行ったので、中国の友人たちに微信で写真を見せたら、
感想はただ一言「人が少ない!」だった。
それに対する私の返事は、「そもそも、日本は人口が少ないから」と。
中国に比べたら、日本の都市はどこも人口が少ないのだよ。

昨晩一気に読んだ本『中国崩壊前夜―北朝鮮は韓国に統合される』長谷川 慶太郎著

中国にいる人たちは、習近平は日本との関係を大切にする、という。
しかし、実際には人民解放軍が日本海でやんちゃなことをしている。
この矛盾は、まさに中国ならではの矛盾だと思うのだけど、
そんな中国を見事に解説してくれる一冊だった。

希望というか願望というか、世の中そんなに甘くないだろう、という気持ちから、
中国もいずれバブル崩壊が表面化して、にっちもさっちもいかなくなると思っているけど、
上海で知り合った漢族たちはみな、このまま何もせずにただ黙っていれば、
政府が右肩上がりのお給料を保証してくれると信じていたのが、非常に不思議だった。

体制が崩壊するなんて誰も思っていなくて、
そのわりに、中国人を一番信用していないのは中国人で、
政府の発表なんて信じてはいない。
でも、来年の自分の給料は、たとえ能力が向上していなくてもアップすると信じているし、
勝ったマンションは必ず値上がりすると信じている。
会社の状況が悪かったら、それはトップただ1人のせいであって、
自分は悪くないから、会社を変わればいい。
そして、会社の先の、国家の一番上にまで想像が達しないのが「人民」という人たちだと思う。

共産党の教育と言うのは、ある意味で、見事だ。

体制が崩壊した後の中国は、想像するだに恐ろしく、
日本はいっさい関わらない方がいいと思うけれど、
いま、人民解放軍で実際に兵隊になっているのは、
貧しい地域の、あまり学のない人たちだと思うと、
結局は、どう転ぶのか、すごく心配だ。

おそらく、清末の群雄割拠のような状態になって、軍閥が幅を利かせて、
結局は核兵器をもっている軍区が勝って、のようになるのだろうか。

どこの国もそうだけど、穏便に、中道で、徐々に変化していけるのがいい。
この世はそもそも、変化するものなのだから。

自然の国

2014-06-28 17:27:50 | Weblog
日本に帰ってから、とにかくお腹の調子が悪い。
きれいな空気ときれいな水に、身体が驚いているような雰囲気。
さっそく髪の毛と肌の手触りが変わり、私の話し声が小さくなったので、
人間は環境に影響される生き物だとつくづく実感した。

我が家は人の話し声や車の音よりも、
外から聞こえて来る野鳥や、散歩している犬の鳴き声のほうが大きく、
先日、家で中国の会社にスカイプを繋いで会議をしていたら、
「家の中にそんなにたくさんペットがいるのか」と中国人に言われた。

残念ながら、うちはそんなに広くはない。

日本に来たことがないけれど、日本に興味をもっている中国人は多いので、
中国のSNS微信で写真をアップするようにした。

元同僚が反応したのは、昨晩食べた大きな餃子の写真。
やっぱりあいつらは食べ物か。

チベット語の同級生の中国人たちが「すてき!」と反応したのは、神社の写真。



確かに、中国にはあまりない雰囲気だろう。
いまの中国の若い人たちは、一部の人たちを除いて、
神社の鳥居を見て「日本帝国主義反対!」などと叫びはしない。

さて、中国に行ってから、Kindleで本を読むようになったのだけど、
紙の本に比べて、集中力が続かないのはなぜだろうか。

ようやく昨日読み終わったのは、『未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命―』(片山杜秀著)

先の戦争は、日本では過去のものとなり、
中国では共産党のプロパガンダのなかで、形を変えて生き続けている。

あの時代の戦争、支那事変と太平洋戦争では、
切り出し方によって、全然違うように見えて来るし、
世界から狂信的と呼ばれてしまった日本の戦争哲学で、
私たち日本人がイメージするのは、主に対アメリカ戦のものだろう。

だから、一言で連合国に対して降伏したと言うと、なんだかしっくり来ないのだけど、
満洲国の建国とアメリカとの戦争は、鏡の裏と表のような関係で、
もっと言うと、ずっと仮想敵国だったソ連との関係、コミンテルンとの関係なくしては、
結局は、何も見えてこないのだと思う。
そして、日露戦争こそが、日本を大きく変えた戦争なのだと思う。
ソ連とアメリカ、そして中国。
いまもパワーバランスを変化させつつも、やはり大国として日本が意識せざるをえない国だ。

いまでも、日本が「持たざる国」であることには違いがなく、
「持っている国」であるウイグルやチベットは、そうそうに中共に取り込まれてしまった。
ある意味で「持たざる国」だったからこそ、これまでは日本に中共が攻めても来なかった。
実際に、海底資源が見つかったと同時に国境紛争が始まっている。

人の精神は、環境が育むものだと思うので、
日本的なファシズムは、何かを強制したり「改造」して変化するものではなくて、
生来のものとして日本人の中に潜んでいる感情であり、
その発現形態は、ゆるやかに変化して行くものだろう。

でももし、日本が「持たざる国」でなくなったら、
もしくは、他国が日本を「持っている国」だと認識したならば、
私たちの立ち位置は、私たちが意識しているのとは大きく違うところで、揺さぶられるだろう。

いまは、ちょうどその過渡期にあるように思うけれど、
日本の右傾化を論じるときには、その背景に必ず資源問題があるのだということを理解し、
もし資源を持っていたら、それをどのように守り、活かすのかを、
世界的な視野で見なければならないのだとう思う。
その視野の広がりこそが、イデオロギーや軍備以前に重要だと思う。

瀋陽

2014-06-26 21:17:03 | Weblog
瀋陽。かつての奉天。

もちろん、大和ホテルに泊まった。



約100年建っても、堂々としている。

 

多くの要人が泊まり、いまは人民たちがホールで結婚披露宴を開いている。



場違いな騒々しさと、あつかましさに満ちていた。
まあ、TPOのない国民性だからしょうがない。



部屋には共産党の要人が泊まったことを示すプレートが掲げられていた。
ダライ・ラマ14世も宿泊しているのだけど、共産党的には悪しき存在なので表示はない。
でも、共産党としては比較的認めているパンチェン・ラマ10世のプレートはあった。
すべては、共産党の価値観に支配されているのが中国の「公」というものだ。

大和ホテルの隣は、旧満鉄病院。いまでも病院。



大和ホテルから奉天駅までの道。
かつての奉天郵便局は、いまでも郵便局として使われている。



久しぶりに見た。自転車に乗っている人民。
最近、上海では自分の足で漕ぐような乗り物は、外国人くらいしか乗っていない。

奉天駅。



駅の中。



改札からすぐにホームに行ける。
日本が設計するとこうなる。
中国が設計すると、人民が一極集中で殺到しないように、
ぐるぐる無駄な道を通るような設計になる。

奉天駅の前の道。



長距離列車駅の駅前にしては、比較的カオスではなかった。

そして、918記念館へ。918は満州事変のこと。



無駄にデカいモニュメント。

こちらは当時の橋脚。



展示館の中身は、相変わらずのパネル展示。
まあ、当時の満洲はそれこそカオスだったわけなので、
中国側にもちゃんと資料が残っていないんだろう。

だが、それにしても、柳条湖の記念碑が、記念館の敷地の外に、
誰からも見捨てられたようにひっそりと立っていたのは、
共産党の歴史観を物語っているようだったぞ。

その後、瀋陽故宮博物院へ。
金の都がおかれ、満州族の皇帝たちは、北京の紫禁城よりもこちらを愛したと言う。



人民とツバメが多かった。



建物の中は、カビの匂いなのだろうか、すごく妙な匂いがしていて、
気分が悪くなって早々に退散。
張作霖と張学良の私邸へ。



西安事変のおかげで共産党の英雄になったかもしれないけど、
張さん、あなたの私邸は、贅を尽くし過ぎです。



やり過ぎでしょう。
今だったら倹約令にひっかかるし、だいたい当時の奉天市民や農民は、
100年分も税金を前納させられて、大変だったと思うよ。

そして、マネロン。
確かに私有の銀行を持っていたら、それこそ錬金術だ。



それにしても、蝋人形が好きな土地柄だ。
ここにもたくさんいた。

その後、ゆっくり昼食を食べて飛行場へ。



相変わらず、遅れる。
1時間待ったのだが、ちゃんとアナウンスもされない。

まあ、これが中国だ。

奉天の人たちは、男性も女性も身体が大きくて、
この人たちにしてみたら、まさしく日本人は「小日本人」に見えただろう。
上海人みたいな薄っぺらい、ひょろひょろ体型の人たちに、
小さいと言われる筋合いはないといつも思うが、
ここであれば、納得する。

奉天は、満洲らしく、大地の広がりを感じる町だった。
でも、観光だったら大連のほうが面白いな。

撫順

2014-06-25 23:18:11 | Weblog
帰国前は本当に忙しかった。
まさか家の片付けで筋肉痛にまでなるとは思わなかった。

それまで大急ぎになってしまったのは、
最後の週末に、友人と瀋陽&撫順の旅に出てしまったから。

土曜日の朝、瀋陽の空港につき、1日チャーターできるタクシーがないことに愕然としつつ、
そのへんにいたタクシーの運転手さんに交渉して、まず撫順から。

撫順と言えば、これ。



いろんな映画やドキュメンタリーで見たことある。
中に入ってみると、結構見慣れたような雰囲気の建物。



学校みたいだと思いながら進むと、変な標識が。



立ち止まりましょう。ちゃんと。

どうやら、戦前、日本が作った監獄を、そのまま流用しているようなので、
やっぱり雰囲気が日本の学校みたいなんだ。

で、お決まりの共産党宣伝パネルが並ぶ展示室へ。

玉音放送の中国語訳が飾られていた。細かいツッコミは入れてもしょうがない。



溥儀がいたという部屋。



牢獄だった部屋に、たまに蝋人形が置かれていて驚かされた。
きっと中国人にも評判が悪かったのだろう。
部屋の前には「ここには蝋人形がいるよ」という貼り紙があった。

お決まりの感じの「締め」。



人を「改造」ねえ。



ああ、溥儀さんは「龍」でしたから、人ではありませんでしたか。

こんな展示ばっかりだと、正直飽きる。



まあ、「行ったぞ」という満足感だけで出てきた感じだ。

お腹がすいたので腹ごなし。



次に、日本軍が虐殺を行ったという平頂山の博物館へ。

愛国教育基地なので、入場無料。
ただ、身分証の番号を書かされる。
その部屋にいた子犬。



とにかく、「箱もの」。



博物館の名前から館の入り口までの距離が長過ぎ、一緒に写真を撮れない。
ついでに、入り口までは日陰がなく、暑い。

愛国教育の前に、干上がりそうだ。
まあ、お決まりのパネル展示しかなく、生き残りの人の証言というのも、
本当なのか言わされてるのか非常に曖昧な感じで、
まあ、こんなもんだろうと思う。

さっさと切り上げて、露天掘りへ。
撫順と言えば炭鉱の町。町の空気も少し悪い。

展示室には1920~30年代の写真があった。



満洲時代のマンホール。満鉄マーク。



つい数年前まで現役だった機械も展示されていた。
80年以上現役だったって、すごい。



日本は本気の機械を持ってきたんだなあ。満洲に。



そして、塔の上から見下ろす露天掘り。圧巻。
なのだが、窓ガラスが汚くて、写真が上手く撮れない。

 

今でも掘り出しているようだ。

撫順で一見の価値があるのは、この露天掘りぐらいかな。
さすが土地がある国。上から掘れる。

そういえば、上海の地下鉄も露天掘りをやって、あとから蓋しているのだと聞いたけど、
そういう文化なんだろうなあ。中国は。

格差

2014-06-16 23:22:28 | Weblog
あともう10日ほどで帰国するのだけど、
会う日本人がみんな「あなたの性格は、ぜったい日本は無理だよ。
またどうせ、出てきたくなるんだから」と言う。

私も、そうかもしれないなあ、と思う。

すでに、ぐだぐだの中国式仕事法に慣れてしまい、
我ながら、非常にヤバいと実感している。
中国に順応したように、日本にも順応できるのだろうか。

そして今日は、荷造りによる筋肉痛。
重量挙げによる身体の裏側全般の痛みが激しい。

こういうとき、やはり日本に帰ってゆっくり湯船につかりたいと思う。
中国の人たちはどうやって疲れを取っているのだろうか。
マッサージかな。
と、思ったら、上海マダムいわく、
私は力仕事はいっさいやらないから、筋肉痛にもならない、とのこと。

さすが旦那さんが公務員で土地成金、
一人娘をアメリカ留学に出した人は言うことが違う。

この恐ろしいまでの格差社会とも、あともう少しでお別れかと思うと、
農村戸籍で、どうがんばっても上海でのし上がれなくてあえいでいる同僚と、
ただ上海に生まれたからというだけで、
労せずしていい生活をし、外省人をバカにしている上海人のギャップも、
少しやさしい目で見ることができる気分だ。

そして日本に帰ると、また違った格差社会が待っているのだなあ。

杭州

2014-06-14 21:32:11 | Weblog
会社の代休がたくさん余っていたので、休みなさい、ということになり、杭州に行ってきた。
こんなメジャーな場所なのに、
これまでは工業園区にしか行ったことがなく、
いわゆる杭州に行くのは、今回が初めて。

行った人がみんな「いい!」と言う霊隠寺に行った。
広い。



左下のほうの梵字は「オンマニペデフム」と書いてある。

そして、いつも納得いかない布袋弥勒。



弥勒様~。そんなに肥満体になっちゃって。

まあ、雰囲気がすごくいいので、ゆるすとするか。



カメの甲羅干し。
スゴい勢いで群がっている。



なんだか「人民ガメ」という気分。お国柄が出るのかしらねえ。

仏様たちは、どんなふうにこの世を眺めていらっしゃるのだろうか。



そしてこのあと、流されるがままに、山登りをしてしまった。
中国の山は、どこもきれいに階段整備されていて、すごく疲れる。

麓に広がる龍井茶の畑。



空気がなんだか白いのが気になるが。

翌日は西湖。
やっぱりなんとなく白いが、ハスの花が咲き始めていた。

 

休みとは言っても、会社からの電話に追いかけられつつ、
上海よりもちょっといい空気を吸うことができた。

その後、浙江省博物館に向かって街をぶらぶら歩いていたら、
浙江呉越古陶磁博物館という非常にさびれた場所にたどりついた。

なんとなく入ってみたら、民家を改造したような博物館で、非常に怪しい。
どうやら近くの農村で発掘された陶磁器を鑑定して、
お墨付きを与えている機関のようだった。

陶磁器をいろいろと眺めていたら、すごいおじいさんの館長さんが寄ってきて、
いろいろと説明をはじめてくれた。

どこで働いてるんだ?と聞かれたので、正直に、
上海で働いている日本人です、と答えたら、
日本が置いて行ったという陶磁器も取り出して見せてくれた。
お皿の裏に「大日本」と書かれているのには、顔を見合わせて爆笑してしまった。

で、ますます仲良くなったようで、
2階のふだんは未公開部屋というのに案内してくれた。ますます怪しい。

そして出てきたのは、今から5000年前に杭州のあたりで栄えた良渚文化の土器。
本物、らしい。らしいと書いたのは、言った人が中国人だったから。



持たせてくれた。

これが、すごく軽い。
この見た目からは想像もつかない軽さで、両手の人差し指だけで持ち上げられる。

持った時点で、これは本物と確信。
だって、いまの人民がどんなにコピーが上手くても、まさかこれは作れっこないもの。

思わず、どうやって作ったの???と声を上げたら、館長さんがニヤリと笑った。
そしてすごい勢いで館長さんが語り始めた。

5000年前の人たちは、本当にスゴい。
完全な円を立体で表現しただけでなく、ものすごく高温で焼かないとこうはならない。
いまの私たちが見ても、これは完璧なもので、
こんな完璧なものは、逆にいまの私たちには作ることができない!

なのに、農民たちはまったく価値がわからず、
土の中から出てきても、簡単に壊してしまう。
こんなに素晴らしいものなのに、まったく価値がわからないんだ。

良渚文化のころ、日本とは地続きだったと言う。
日本の人たちと私たちは、遠い祖先が一緒なんだ。
だから、私たちの遠い祖先が作った素晴らしい遺産に、
あなたにも触れてほしいんだ。

何ともアツいおじいさんだった。

これが、自衛隊機と解放軍が云々と言っている昼下がりに、
杭州の一角で繰り広げられた会話だ。

普段は博物館のガラスケースの中に入っているものに触れる感動。
いや~、触ってみないと、わからないものって、ある。

不思議

2014-06-10 23:05:52 | Weblog
私はピアスの穴を開けていないのだが、
まさか開けていないなんてと思ってもみないらしい友人たちが、
いろいろとピアスをくれるので、
いまさらだけど、やっぱり開けようかなあ、と思う今日この頃。
でも、開けるとしたら、日本に帰ってからにしよう。

さて、中国はそろそろ新卒の人たちが社会人になる季節。
リクルートスーツのようなものはないので、
誰が新人で、誰がそうでないかは、一見した感じではわからない。
老いも若きも、みんな普通に短パンやジャージで来るし、
形式なんていうものは、ないのが中国だから。
女子は化粧すらしていない。

今日、日本人の友人と、
どんな人だったら採用するかね、という基準を話していて、ふと気がついた。

中国人は、面接に来た時が、マックス出来る状態で、
入社してからは、能力がゆるやかに下降して行き、
最後には仕事をしない人になる、という共通項があることだ。

1年経って成長したね~という人はごくわずか、ほんのほんの一握りで、
あれれ?新卒の頃は真面目にやってて、そこそこできてたのに、
なんでいま、できなくなっちゃったの?という人が続出する。

仕事はできたら損だ、というか、できる人は損をする、というか、
頭のいい人は仕事をしない、という感覚なんだろうと思う。中国人は。
で、頭がいいわけではないのに、頭がいいふりをして、仕事をしないから、
どんどん能力が0に向かって下降して行くことになる。

でも、本人は「仕事をしない」という面子を保っているわけなので、
そんな自分に結構酔っている。

本当に不思議な人たちだと思う。

ただし、履歴書に書けるような英会話とか経理とか、
単体の資格系には結構一生懸命になる。
仕事中でも、勉強していることがある。

つまり、面接がマックスだからだ。
不思議な社会だなあ、と思う。

計画

2014-06-09 23:05:28 | Weblog
日本に帰る準備をしなければ、ということで、旅行の計画を立てている。
このままだと、結局いちども杭州に行かずに帰ることになりそうだ。
近いからいつでも行けると思っているところに限って行けない、というパターンだ。

中国の就労ビザ滞在中最後の旅行は、瀋陽と撫順の予定。
土日で行くにはちょっとボリュームがあるが、しょうがない。
なんとか効率よく回らなければ。

瀋陽、というか、奉天では、やはりヤマトホテルに泊まりたい。
と、言わずもがなで通じるノリの人と一緒に行かないと面白くない。
結局、中国での3年間で、最後に残った日本人の友人は、
日本の近現代史に興味がある友人と、一緒にチベットまで旅してくれる友人、
そして、繰り出してくるキーワードが仏教の友人くらいになった。

最近、めっきり日本人が減ったと言われる上海だけど、
まだそこそこの人数がいるわけで、
そんな中でこれからも続くだろうと思う友人は、
やはり片手の指で数えられるくらいだ。

中国へは、2週間はノービザで行けるので、
きっとこれからも、旅になると呼ばれるだろう。
「じゃあ、○○ホテルで待ち合わせ」みたいな感じで。

こういう自由がきくところが、私にとって中国のよいところだ。
さて、満洲の歴史でも読むか。予習だ。

理解したくない

2014-06-07 15:11:47 | Weblog
久しぶりにクラシックが聞きたくなり、
リムスキー・コルサコフのシェヘラザード第3楽章を聞いている。
この次は、ラフマニノフの交響曲第2番の第3楽章にしよう。

人民解放軍が戦闘機を買うと言っているロシアの、
赤い革命の前に生まれた作曲家たちの曲だ。

上海に来てから、すっかりクラシックを聞く心理状態ではなくなったのだけど、
最近、周囲から中国語が減りつつあるため、内省的な感覚が戻ってた。

上海の会社では、毎月、その月生まれの人のお祝いして、ケーキを食べる。
老若男女、みんなの前でハッピーバースデイの歌をうたってもらい、
誕生日の人は一言はなして、ケーキのロウソクを吹き消す。
それを写真に撮って、みんなで喜ぶ。

幼稚園みたいなので、私は嫌いだ。
だが、中国人は大喜びだ。

上海在住の日本人の友人にこの話をしたら、
「中国人って、なんでそういうのが好きなのか未だ理解したくない」という返事で、
思わず爆笑してしまった。
理解できない、ではなく、理解したくない、という点。私と同じだ。

もう1つ、理解したくないことが昨日あった。
朝、私の席の固定電話が外線の転送を受けられないことが発覚した。
10時すぎに電話会社の人が来て、上海語であれこれ大騒ぎしていたんだけど、
私が聞き取れた範囲の上海語では、不思議なことを言っていた。

先週の終末、レイアウト変更後に電話配線を直したんだけど、
そのときに、私の席の周りだけ、ちゃんとやっていなかったらしい。
その理由は、先週末は雨が降っていたから、というもの。

え? 私の席は室内ですけど。
配線盤も屋外じゃないでしょう?

もう、まったく脈絡がなくて、よくわからない。
とにかく、自分の仕事が不完全だったことを他人に突っ込まれると、
何でもかんでも言い訳の材料にして、とにかくごまかそうとする。
で、社員の上海人のおばさんが、もっと言い返す。
それを、座って仕事をしている私越しに大声で行う。

彼らは、人が仕事をしていようがお構いなしに、どかどかやってきて、
ガーガー騒いで、荒らしまくる。

理解したくないので、とりあえず、
逃げた。

レイ変

2014-06-06 00:10:26 | Weblog
チベット語を学び始めて約1ヶ月。
ようやく文字のかたまりらしく見えるようになってきたけれど、
いまだに全ての文字が読めるところまでたどりついていない。

しかも中国語でだから、理解にワンクッション入るので、
なんだか、腑に落ちない感覚が残る。
語学はあくまでも母国語を基本に重なって行くのだなあ、と思う。

先週、会社のレイアウト変更があり、
私は「日本に帰る人席」というか、「もういないものとみなされている席」になって、
周囲からは人の気配と中国語が消えた。

脳内のOSが日本語のままでいられるので、
非常に心穏やかで、かつ、のんびりとしている。

今日、同僚から「普通の人だったら、落ち込むような席だけど、
あなたは、ずいぶん楽しそうですね」と言われ、そう言われてみるとそうだなあ、と思った。

いっそのこと、部下も全部はずしてくれたらいいのに、と思い、
新しいレイアウトが発表になってすぐ、
社長に「組織変更はしないんですか」と自ら聞いたくらいなので、
私にとって、中国人の部下をもつというのは、本当につらい経験だったのだと
つくづく思った。

肩書きはいらないから、解放されたい気分だ。
それでも、日本に持って帰る中国での仕事があるようなのだけど、
さて、日本に帰ったら、実際のところどうなるのかなあ。

仕事はともあれ、とりあえず、チベット語は続ける予定。