ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

そろそろリミット

2010-06-30 13:17:06 | Weblog
北海道から戻ってきたら、ゴーヤが芽を出していた。
育てて日よけになってもらう予定。はたして夏までに間に合うか。


このところ、いろいろな人から「子どもを生むならリミットだよ」と言われる。
数年前までは「はやく結婚して、子どもを生みなよ」だったけど、
周囲の言葉の表現が、どんどん余裕がなくなってきていて、なんとも面白い。
確かにその通りだし、子どもを生むことについては、
これまで何度も考えてきたことだから、焦りはしない。

昨日話した大学時代の恩師は、私が考えていることとまったく同じことを言っていた。

私は一人っ子で、小さい頃に両親が離婚し、母は18歳のときに植物状態になったので、
もう人生の半分以上を一人で暮らしている。

私にとって一番変化が激しかったのは、社会に出た直後だった。
学生時代にはない価値観、そして年齢がはるか上の人との仕事。
どれもこれもすごく難しいことだった。
すごく親と話したかった。
正月だけだったとしても、帰れる実家がある人がとても羨ましかった。
自分の仕事のことを親に話せるなんて、すごく幸せなことだ。
たとえ聞き流されたとしても。

30歳になる頃から、自分がいま子どもを生んだとしたら、
子どもが20歳になるころ、自分が何歳になっているかをカウントしている。
もし、母と同じ年齢くらいまでしか生きていられなかったら、
子どもを何歳で一人にしてしまうのかを考えている。

恩師は、「20歳なんてまだまだ子どもなんだから、
もっと長く子どものことは見てやらなければならない。
その時間も考えて子どもを生むべき」と言っていた。

過保護と言えば、過保護だろう。
でも、自分の人生を振り返って、特に社会人になってからを振り返ると、
両親のアドバイスをもらいたかったことが本当にいろいろと思い出される。

子どもは、別に母親一人で育てるわけではないけれど、
実質的に、母が一人で私を育ててくれたわけなので、
あくまでも自分がどうか、という点にしぼってイメージしてしまう。
だから、私が結婚する相手との協力を期待して安心を得られることはない。
確実な未来なんてないんだから、私がすごく元気で長生きするかもしれないし、
生んだら、まったく想像できないような生活がひらけるのだろうとも思う。

だから、結局のところは、私が子どもを生みたいかどうか、なんだけど、
正直なところ、生みたいと思ったことがない。
もし相手が積極的にほしいなら考えるけれど、自分としてはとても消極的だ。

時間のリミットがあることだから、何年も後に後悔してもおそいのだけど、
子どもを抱いている友人を見ても、うらやましいとすら思ったことがなく、
どちらかというと、私には無理だ、といつも思うから、
たぶん本当にそっちにアンテナが向いていないのだと思う。

そして、この「私には無理だ」は、「私にはこんなに子どもを愛せない」という気持ちだと思う。
生んだら自然に愛情がわくものなのだろうか。
母はよく「自分の子どもだけはかわいい」と言っていた。
他人の子どもを見かけても、ちっともかわいいとは思えないし、
だっこさせてほしいなんて、つゆほども思えないと。
でも、女性は子どもを生んではじめて一人前になるともよく言っていた。
そしてやはり、私は、このまま半人前でいこうと思う。

15年ぶり

2010-06-29 16:36:23 | Weblog
約15年ぶりに、大学の恩師と電話で話した。
とても不思議なもので、先週、恩師の著書をたまたま手にとり、
ぱらぱらとめくって、元気にしていらっしゃるのか気になっていた。

週末に先生からお電話をいただき、メッセージを残してくださっていた。
久しぶりに過去の資料を整理していて、私の名前を見つけ、
懐かしくなって電話をしてくださったということだった。

中国で生まれ育ち、その後もう長く日本に住んでいらっしゃるので、
中国語だけでなく、日本語も私の話すものより美しい。
しかも、戦前の貴族の教育を受けた最後の世代の方だろうと思う。
お話をしていると、自然と敬ってしまうような気品と威厳がある。

私は小学生のときに、東京裁判における愛新覚羅溥儀さんの中国語を聞き、
「私は中国語を学ぼう」と直感した。
その後、大学で溥儀さんと同じ中国語を話す先生にめぐり会えたのは、
本当に運命だったのだと思う。

清朝の時代のいわゆる宮廷中国語を話す人は、いまの中国にほとんど残っていない。
言葉は変化するものだから、いいか悪いかの問題ではないけれど、
いま標準と言われているテレビ局のアナウンサーの発音や話し方は、
私が学びたかった中国語と、少しずれている。
すごく感覚的なことなので、上手く言えないけど、微妙に違う。
そして、中国の留学から帰ってきて先生と中国語で話したとき、
「ああ、くずれてしまった」と言われ、すごくショックだったのを覚えている。

いま中国で使っている中国語は、ざっくばらんで、使いやすくて馴染みやすい。
何もかしこまる必要はないし、それでいいと思う。
でも、あくまでも普段使いのような印象がある。
むかし、書き言葉を大切に育ててきた文化や教養が中国にはあった。
文革では、そういったものもすべて壊した。
私は外国人で無責任に意見が言えるからだけど、気品も失われたと思う。

私たちの世代は、貴族と接する距離感を生活上で知ることがないから、
先生とお付き合いするのが難しいと思う同級生も、もちろんいた。
そして、先生も誰に対してでも心を開くような方ではなかった。
でも、私はなぜか気に入っていただけたし、私も先生が好きだった。

約15年ぶりにお話しして、近いうちにお会いすることになった。
私がこれまでの社会人生活に一区切りをつけたこの段階で、
先生からお電話をいただくなんて、また、なんというタイミングだろう。

心の中にあるものを掘り起こしつつ進む。
その勇気が戻ってきた。

北海道4日目ー積丹半島から小樽、東京へ

2010-06-29 01:54:36 | Weblog
月曜日の北海道も暑かった。
積丹半島の岩内に泊まって、ニセコ経由で小樽へ。
ホテルはとてもよかったのだけど、お部屋のクーラーがほとんどきかなかった。
きっと北海道としては、予想外の暑さだったんだよな。

帰る道の途中、湿原の神仙沼に寄った。
水面に空が映って、とても美しかった。
トンボがたくさん遊んでいた。
 

きっと最初にこの沼を見つけた人は感動しただろうし、
神が住むところだと思っただろうけど、
よく湿原のなかを歩いてきたものだ。
足をとられて、そのまま飲み込まれてしまった人も
きっとたくさんいたのだろう。

ふと、雨が降った後のモンゴル高原を歩いたときの気持ちを思い出した。

ニセコではチーズ屋さんに寄った。
北海道は本当にソフトクリームが美味しい。
チーズケーキも買った。


夜の飛行機で東京へ戻る。
気温は北海道と東京、同じくらいだけど、
東京の方がずっと湿度が高い。

家に着くと、留守番電話がピカピカ光っていた。
なんと大学時代の恩師がメッセージを残してくれていた。
卒業してからご無沙汰しているので、もう15年ぶり。

最近、どうしていらっしゃるかと、とても気になっていた。
5年くらい前に、以前住んでいらしたお家を探していったのだけど、
すでに引っ越された後のようで、お家の一角が変わっていた。
その後、ずっと心のどこかで気になっていた。

新しいお電話番号を残してくださっていた。
明日、電話してみよう。

北海道3日目ー積丹半島

2010-06-27 21:11:02 | Weblog
小樽から積丹半島へドライブ。
やはり旬のウニ丼から始まる。


ウニは味が濃厚。
いかも新鮮で、すごくおいしかった。

腹ごなしに積丹岬へ。
海岸に下りると砦があった。
大正六年のものらしい。グッときた。
 

散歩の途中で見つけた、白い藤の花と毛虫。


ホテルについて、温泉に入ったら、夕焼けが広がっていた。


レストランの窓から夕焼けの空を眺めながら、アワビをいただく。
なんという贅沢。


基本的に「食べる」がメインで、腹ごなしで歩く、という一日。
空気がきれいだから、東京でする散歩と全然違う。
最高。

北海道2日目ー小樽・銭函あたり

2010-06-26 22:46:41 | Weblog
暑い。
北海道は、暑いところだったんだ。

今日は、友人にロイズの直営店、あいの里公園店に連れて行ってもらった。
北海道に行ったら、かならず行きたいと思っていたロイズの直営店。


とにかく通販では買えないものを買おう!
ということで、パンを食べきれないくらい買った。
興奮しすぎた。

友人宅に移動して、さっそくいただいた。
ロイズはチョコレートだけではなくて、パンも美味しかった!
 

締めは「ふと美ロール」。濃厚。


ロイズの直営店がある北海道は、本当にしあわせな土地だ。

その後、こだわりのお宅を拝見して、いろいろな時間と生活があることに、
自分とは違う、なにか素敵な空間があることを実感して、なんだかすごく嬉しかった。

夕飯は、ジンギスカンを食べに行った。


北京に留学していた時、よく羊の焼き肉を食べにいったことなどを思い出した。

美味しい夕飯をいただいたあと外に出ると、海にうっすらと夕焼けが広がっていた。


至福のときは、ゆっくりと流れる。

北海道1日目その2ー小樽

2010-06-25 20:59:25 | Weblog
やたらと広東語が聞こえた。小樽。


夕飯を食べるために、小樽の運河沿いを歩いた。
やはり地ビールは飲みたい。


それにお刺身も食べたい。


ほっけの刺身を始めて食べた。
焼いて食べるのと比べても、ぜんぜんクセがなかった。

そのほか、じゃがバターも食べたけど、
なんだか、さつまいものようにみっちりとしていた。

地酒も飲んだし、なんだかいい気分。
夜になると、小樽はさすが涼しいなあ。

北海道1日目ー札幌から小樽へ

2010-06-25 16:52:05 | Weblog
眠い。
朝、3時30分からのサッカーの試合を見て、めちゃくちゃ興奮して、
試合終了と同時に北海道に出発した。
久しぶりの国内旅行だ。

札幌についたら、とりあえず時計塔へ行った。お決まり。


大通公園をぶらぶらしていたら、つけ麺の出店が出ていた。
2店舗のつけ麺を食べ比べできるセットで購入。


千葉から来ていた「とみ田」というお店のつけ麺がとてもおいしかった。
いろいろと賞をとっている有名店らしい。
千葉のお店は2時間待ちとか。
食べてみるとなるほど。納得。
食べることができてラッキーだった。

その後、雪印パーラー本店へ。
スノーロイヤルスペシャルバニラアイスクリームというのを頼んだ。
左側がそれ。右側はチーズ味のアイス。


ものすごく美味しかった。
ふと、中国へ出張に行っている人のことを思い出し、
「いかに中国が発展したとはいえ、この味のアイスクリームはまだなかろう」と思った。
この少し溶けたところが、また美味しい。


昔ながらの正統派アイスクリームの味。大満足。

その後、駅の観光案内で、アイヌの小物を売っているお店を教えてもらい、狸小路をぶらぶらした。
いい散歩道だった。

それにしても、どこにも中国語の表記がある。
中国人観光客が増えているのだなあ。

夕方、札幌から小樽へ電車で移動。
これからもう少し日が傾くのを待って、夕飯にくりだす。
日本は、街を歩いているときに警戒心が不要なので、やっぱり歩きやすい国だ。

それにしても、暑い。北海道も暑いんだな。

分析された

2010-06-24 16:11:42 | Weblog
先日、就労スタイル分析というのをしていただいた。
どんな働き方が私に向いているか、という分析で、結果はこうだった。
1 契約社員 85%
2 SOHO 83%
3 起業家 77%
4 正社員 69%
5 派遣社員 65%

思った通りの順序だったのと、なんとなく仕事をすることじたいについては、
そこそこの適性があるような気がするのでよかった。

それにしても、正社員と派遣社員が下から1位と2位とは。
組織になじめない性格がここまでハッキリ結果として出ると、
かえって気持ちがいいというか、あきらめもつく。

契約社員というカテゴリーの人たちが、
いったいどういった仕事をしているのかよくわからないので、なんともいえないけど、
きっと「業務だけに集中させてくれよ。仕事をしに来てるんだからさ」という
考え方の人が多いような気がする。

正直なところ、決められた仕事を決められた範囲だけでこなしていく、
ということが、すごく苦手だ。
仕事をしていると、こっちにも応用できる。こうもできるんじゃないか。と妄想が広がる。
頭のなかで、あらゆる状況をシミュレーションするから面白いのであって、
そのあとは、思いついたことを誰かに話して意見を聞いてみたり、
実際に試してみたくなってしょうがない。
だから、なんでも指示を仰いで、その通りにやってください。
けっしてほかのことはやらないで、と言われることほど、
私にとって苦痛なことはない。

下手なら下手なりに、バカならバカなりに、試させてくれよ、と思うけど、
企業は効率を求めるし、
とかく上司には一挙手一投足を統括したがる人もかなりいるから、
なかなかうまくバランスがとれない。
なぜ、単に考えたことを確かめたくて言っているだけなのに、
反抗していることになってしまうのかなあ。
話し方の問題なんだろうなあ。きっと。

あと、付き合い、というのが苦手だ。
特に社内の付き合い飲み会やカラオケは、どうしてもダメだ。
カラオケはもう一生分行ったと思うので、プライベートでも二度と行きたくない。

そうなると、会社員は厳しいんだろう。性格的に。
仕事を見つけることより、仕事を覚えることより、もっと難しいのは、
自分を御すことだ。

墓標なき草原

2010-06-23 17:41:35 | Weblog
内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録、楊海英著、岩波書店刊

中国人にこそ読んでもらいたい一冊だ。
文化大革命は、漢民族の文化を破戒しただけではなく、
少数民族の土地においては、明らかに民族紛争であったことが、
生き延びたモンゴル人への貴重な取材で浮かび上がってくる。

いつも、ウイグルやチベットに比べ、なぜ内モンゴルでは、
独立運動があまり盛んではないのかと疑問に思っていた。
それは、すでにほとんどのモンゴル人エリートが、
中国共産党の中央からの指示によって、巧妙に殺されてしまったことによるのだと、
この本を読んで、すごくよくわかった。
もちろん現場が暴走して多くの悲劇を生んだ部分もあるだろう。
でも、その暴走を容認し、かえって奨励していたのは中央だ。

モンゴルは、北をソビエトやモンゴル人民共和国と接し、
中国共産党が政権を奪取した当時からすでに最前線の土地だった。
だから、より早く「民族団結」という漢人中心の漢人の都合による政策が、
推し進められていたんだ。

ずっと、周恩来は、素晴らしい指導者なのだと信じていたのだけど、
ここ数年、少数民族の本を読むと、どんどん憎らしくなってくる。
毛沢東は、口先で何かを約束することがあっても、
それは約束ではなくて相手を陥れる戦術にすぎず、すぐ反古にするような人、と思っていたから、
モンゴル人による自治をいったんは約束したのに守らなかった、と聞いても、幻滅しない。
でも、周恩来は、モンゴルに対しても、チベットに対しても、
漢民族の利益だけしか考えず、踏みつけたと思えるから、
それまでの名宰相というイメージと違う側面に、かなりぐらついている。
まあ、人にはいろいろな側面があるし、
会社でも、どこかが利益を出したら、どこかの利益が減ることがある。
Win-Winなんて、そうそう実現できるものではない。
だから、どちらも周恩来なのだろうとは思う。

そういったことも含め、文革の歴史など、
1949年に中国共産党が中国の支配を始めるようになった後の歴史を、
もっと中国国内で出版したり、討論できるようになるといいと思う。
そして、日本もかなり中国に気をつかっているけれど、
もっともっとマスコミは、真実を伝える努力をすべきだと思う。
そうしなければ、共産党の軍隊である人民解放軍の国軍化が進んでいることや、
日本海でのガス田問題など、日本人が冷静に物事を判断する術を得ることができない。
ましてやビジネスで中国に進出する人たちは日々、
大きな大きな中国の国民性という壁にぶちあたっているのだから、
その根底にある中国という国の直近の歴史を知らないと、
日本は情報不足でどんどん不利になる。

私が中国に興味をもち始めた小学生のころで、1980年代だった。
当時は、人民服を着て自転車に乗った人がたくさんいる国というイメージで、
かろうじてリアルタイムのニュースは、中国残留孤児の肉親探しくらい。
あとはNHKの人形劇三国志、西太后やラストエンペラーの映画、歴史の教科書が接点で、
中国と言ったら漢民族の国だと思っていた。

1992年に初めて中国に行ったとき、人民元札には4つの民族が刷り込まれていた。
「なるほど。民族団結は全国民のスローガンなんだ」と思ったことを覚えている。
その後、いつのまにかお札が変わって、毛沢東の顔だけになってしまい、
ビジュアル的にかなりガッカリしたのを覚えている。

はじめて少数民族が住む土地に行ったのは、1993年の北京留学中で、
内モンゴル自治区のフフホト郊外にあるモンゴルの草原だった。
それまで北京では、日本人だというだけで肩身のせまい思いをしていたので、
モンゴルの人たちが親切にしてくれて、とても感動した。
そのときモンゴル人が、あまり上手ではない中国語で、
むかしは自由に草原で放牧することができた。
干ばつになれば、外モンゴルのほうまで行くことができた。
でも、いまは、中国政府が移動をゆるしてくれないんだ、と語ってくれたのを覚えている。
それから私は中国のいろいろなところに旅行したけれど、
だんだんと、漢民族の土地は敬遠するようになり、少数民族が多く暮らす土地を放浪するようになった。

中国に行って、旅して、はじめて中国は他民族国家なのだと思った。
もしかしたら、上海に住んでいて上海から出たことがない上海人は、
自分たちが他民族国家なのだということに気づいていないかもしれない。
もしくは、少数民族なんて、劣った民族だから気にすることはない、と、
本気で思い込んでいるかもしれない。
そのくらい、沿岸部と少数民族の自治区は違う。
しかも、少数民族の自治区は、うまいこと隣接する漢民族多数の省と
土地を分割するように区分けされていて、少数民族が団結しづらいようになっている。
私が昔見たお札の「民族団結」は、「漢民族化」ということだったんだと、いまは思う。

昔から「中華思想」という言葉は聞くけれど、
なぜ都市部の漢民族は、あんなに少数民族をバカにするのだろう。
劣った人間だと決めつけるのだろう。
日本人にもアジアの人をバカにする人はいるから、これはしょうがないのだろうけど、
差別というものは、本当に、麻薬のようなものなんだなあ、と改めて思う。

軸を動かす

2010-06-23 11:49:53 | Weblog
昨晩は、梅干しに赤じそを投入した。
梅酢がちゃんとあがった。いい匂いもする。
赤じその葉を茎からとって、塩で揉んでしぼってを繰り返してアクをとる。
最後、固くしぼった赤じそを梅酢でほぐしてから梅干しに乗せ、重石を置く。
終わってみたら、指先が少し染まっていた。

少し前まで、仕事で指先に力を入れることをやっていたので、
いまでも強く力を入れて何かをしぼったりしようとすると、
手首から指先にかけて、痛みが走ることがある。
もともとは中学生のころにバレーボールで突き指をしたような箇所が、
少し無理をすると、疲れや痛みを抱え込む。
昨日の作業なんて軽作業なのに、まだダメなんだな。
ピアノはまだ少しあきらめよう。

今朝は、ミニトマトの芽が出ていた。
先日、土を半分入れ替えたテーブルヤシとコーヒーの木は、見違えるほど元気になった。
毎日少しずつこういった変化が家の中にあるということは、
私にとってすごく大切なことなのだと感じる。

寝ている時間以外は仕事のことを考えるような生活も、経験してみるのはいい。
私生活なんて必要ないと思う時期があってもいい。
でも、目の前にある仕事ばかりを追いかけて、仕事を中心とした発想ばかりをしていると、
いつの間にか、ものすごく自己中心的な自分に陥ってしまうことがある。
みんなのしあわせのためによいこと、と発想を始めたはずが、次第にずれていってしまうんだ。
このことに、すごい危機感を覚えるようになった。

昨日、空海の『般若心経秘鍵』(金岡秀友現代語訳・解説、太陽出版刊)を読んだ。
仏教の勉強は体系的にしたことはないので、個人的な感想なのだけど、
空海の説く般若心経は、いままで私が読んできた解説本とは少し違った。
同じ262の文字を読むのでも、読み方の軸が少し違う。
アンテナが違うところに合っているような感覚。

これは、外国語を学んだ時の感覚に近い。
相手が何を言っているのか言語上ではわかる。だから直訳はできる。
でも、その背後に広がる心というか、真意のものさしが、微妙にずれていると感じることがある。
日本語で話しているときにも、こういった経験はあるものだけど、
外国語の場合、文化的な「あたりまえ」がより大きく異なってくるので、
その違和感も、もっと如実になる。

ふだん軸が違うことによる違和感は、どちらかというと居心地が悪いものだ。
ただ、空海の説く話は、その違いがぜんぜんイヤじゃない。
それどころか、心の奥の方がなんだか温かくなるというのが特徴だった。

私は一時期バイリンガルのネイティブスピーカーという人たちにあこがれたけど、
母国語が1つだからこそのよさもあるのだな、と最近思っている。
人は誰にでも、目に見えるもの、耳で聞こえるものを軸に判断する「現実」と、
それをいかようにも再構築する「心」がある。
そして、なにか隙間が見えたときに、それまでの軸を少し動かしてみる。動かしてみようと思う。
そこにすごく豊かな世界が広がる。

隙間はたくさんあるのだから、自分でそれに気づいて軸を動かす。
そうすると、いままで見えていた現実に、少し違う意味がついているのが見えて来る。
そして一番大切なのは、軸を動かすときに、思いやりの心をもてるかどうかだろう。
思いやりの心がもてなかったら、結局は自分勝手なストーリーの再構築という輪から
抜け出すことはできない。

サンスクリットから漢文に翻訳した作業自体が、ある意味では軸を動かす作業だった。
そして、お釈迦さまは、話す相手によって、いろいろな話し方をされたという。
相手のために軸を動かすこと、そのために軸が動ける範囲を大きく保つこと。
ずっと続けられてきたことなんだな。
見えないところにも世界が広がるというのは、安心をくれることなんだ。