ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

涅槃仏

2014-07-31 21:50:07 | Weblog
先日、会社の机に置く観賞植物を買った。
いろいろとイライラするし、窓から外が見えないので、
憩いは必要だと思ったから。

ちょうど同じ頃、友人がタイ土産で、金色の涅槃仏をくれたので、
木の下に置いてみた。
なんとなく、正しい構図だ。

 

私がいろいろと毒を吐いているのに、
新芽がニョキニョキのびて、元気いっぱいだ。
きっと涅槃仏のおかげで、浄化されてるんだろう。

まだまだ新芽が出てくる気配なので、どこまで大きくなるか楽しみだ。

さて、暑い夏。
今日読み終わった本は、『ソ連が満州に侵攻した夏』。

敗戦時の悲惨な話は、中国残留婦人や孤児の話を通じたり、
体験者が少しずつ語る言葉で、なんとなくのイメージがある。
そしてシベリヤ抑留。

数年前にウズベキスタンに行ったとき、
日本人捕虜が造った建物が、凛々しくタシケントにそびえていた。
そして、ウズベキスタン人に、「日本人か。これは日本人が建てたんだ。
土台は日本人、上はロシア人。上はダメだけど、土台は素晴らしい。
やっぱり日本人は優秀な民族だ!」と、ものすごーく褒めてもらった。

タシケントで亡くなった日本人のお墓も、残されていた。
きれいに掃除されていた。

そして、十万人以上の日本人が満州の地で果てた。
お墓すらない。

ソ連が行った暴挙は、あまりにも酷い。

私は、無事に中国から日本に帰って来れた。
それだけでも、幸せなことだと思う。

いまはもう中国には長期滞在したいと思わないけど、
もしかして、また行きたくなるのだろうか。
そのとき何をやっているのか、あまり想像できないけど。

奉天三十年

2014-07-30 22:31:21 | Weblog
中国のウイグルでまたテロがあったのか。
そして、汚職で中国政府の重鎮が捕まったようだけど、
中国という国は、本当に、わかりづらい国だとつくづく思う。

民族、出身地、世代で、まったく考え方が違う。
本当にカオスそのもの。

この約100年で、3億人から13億人に人口が増えた国。
戦後、チベットを統合して、国土もすごーく大きくなった国。
そして、太平洋に出たくて、ちょこちょこ日本を刺激してくる
めんどくさい国。

人口の9割以上を占める漢族が、血眼になってお金儲けに走る。
現世利益しか考えていない人たちが、日本人の10倍以上もいる。

中共がつくった部分もあるだろうけど、
中国人とは、そもそもそういう人だったんだ~と、
改めて納得させてくれた本『奉天三十年』。

Amazonに出ていた岩波さんによる内容紹介。

19世紀末から20世紀初頭にかけての満州は、日清戦争、拳匪事変、日露戦争、民国革命など、
世界的な大事件の舞台となった。本書は1883年、この満州に伝道医師として渡来し、
その後老齢で故国に帰るまで40年間献身的に満州人のために尽くして民衆の信望を一身にあつめた
スコットランド人クリスティーの自伝的回想記である。

この本を知ったのは、石原莞爾のたしか『世界最終戦論』に出てきたから。
石原莞爾が、支那、満洲を説明するときに引用していた。

クリスティーが語る中国人は、まさにいまの中国人そのものだ。
外国の技術を少しでも学ぶと、中途半端でも「俺はできる」と
周囲をだましてでも独立して儲けようとする。

少しでも政情不安になると、機に乗じた暴徒が民家を襲う。

土間だろうが、家の中でも平気で痰を吐く。そのために結核が蔓延する。
いまだったらインフルエンザとか、すごい勢いで伝染していく。

あの国の人は、変わらないのだと思うし、
中共のおかげで、よくなったわけでも、悪くなったわけでもないのだと思う。

クリスティーさんは、中国人のために献身的に尽くした人だけど、
きっと、年に数回、故郷に帰るのを心待ちにしていたと確信をもって言える。
あえて、彼は書いてないけれど。

この本を読んで、
まるで居酒屋でクリスティーさんと一緒に酒が飲みながら語ってるような気がする日本人は、
きっとたくさんいるだろう。

夏本番

2014-07-27 18:31:18 | Weblog
昨日の朝、皇居の内堀を散歩した。



蒸し暑い。
マラソンしている人はいるけれど、基本は静かで、
虫の鳴き声と車が走る音しかしない。

東京よりもずっと多い人口が、
基本的に山手線の内側くらいの広さの土地にひしめきあってる上海と、
片道2時間以上かかっても東京に通い、
それでもプライベートな空間を大切にする日本。

日本は敗戦したけれど、日本を守り、
中国は戦勝国の一員になったけれど、共産党がすべてを壊した国だ。

今日、お寺の境内を歩いていたら、
雷雨上がりの石畳でよちよちと、
私のほうに向かって、歩いてくるものがあった。



蝉の幼虫だ。
脱皮できる場所を探しているのだろう。

そういえば、蝉はチベット高原にはいないらしい。
ということで、チベット人の友人に写真を送ったら、
「赤いね~」という反応だった。

赤ちゃんだからね。

夏本番だ。

危うし

2014-07-25 23:42:21 | Weblog
月曜日に休日出勤して間に合わせた仕事が、
よくよく見てみたら上海から来たデータが間違っていて、
これからの週末にかけて全部やり直しになるという・・・、
非常に「らしい」展開になった。

もう、怒る気もしない。

それよりも家の中が暑くて、じわーっと汗が出て来て、
喉が渇いて、飲み過ぎて、お腹がゆるくなり、
ついでに、夜中にトイレに行きたくなることの方が、ゆゆしき問題である。

今日は日清戦争の記念日で、しかもちょうど120年の節目の年のため、
中国では、相変わらずブームのように反日が盛り上がりつつある。

私にとっての日清戦争は、下関条約、李鴻章、北洋艦隊、三国干渉、
大陸の権利をすべて放棄し、台湾の権利をもらった。
アヘンで国内がぼろぼろになっていた清国と戦い、
このあと10年おきぐらいに大きな戦争があった、その最初の戦争。
「眠れる獅子」が本当に弱っちい獅子だと証明してしまった戦争、くらいな知識だ。

つまり、中国の歴史、とくにアヘン戦争以降の中国史に興味があるわりには、
あまり注目しなかった戦争で、教科書の範囲の知識を出ない。

ついでに中国では甲午戦争といい、日本人には馴染みのない呼び方のため、
中国でさんざん煽っていても、ますますピンと来ない。
今年の夏は、これから9月にかけて、どこまで反日が盛り上がるんだろうか。

中国は、別に好きになる必要はないし、ましてや土下座する必要もないと思うけど、
まったくの無関心も、やはり自らを危うい立場にすると思う。

今日、会社の採用面接で、幾人かの20代の人と会い、
中国と関係のある会社を受けに来ているわりには、
まったく日中関係に興味がなく、他人事であると言う感覚に戸惑った。

ただ、無関心の方が、中国人とうまくいったりするかもしれないと、
ちらりと頭をよぎったけれど、
攻撃的な中国人を無関心にやり過ごすほどの人格的な強さはなさそうなので、
日本は非常に危ういなあ、と思わざるを得なかった。

夏の1冊

2014-07-23 22:05:05 | Weblog
そういえば15年くらい前に、
毎年夏は、1冊、先の大戦関連の本を読もうと思った。

で、いま、
ほとんどそういう本ばかり読んでいる自分に気がついた。

昨日読み終わったのは『関東軍』(島田俊彦著)。
小さい頃、はじめてこの関東軍という言葉を聞いたとき、
関東地方を守っている自衛隊のことだと思った。
私が住んでいる東京は関東軍によって守られている、と。

全然違った。

戦前生まれの人が反省の気持ちをこめてまとめた本は、やはり重みが違う。
それは単なる土下座でもなく、中国に対するお詫びだけでもなく、
日本も含めた、あの時代への反省だ。

この本は、高度経済成長期に書かれ、
かすかに残っている祖父たちが語った戦争の話と、
その話から伝わってくる匂いを、思い出させてくれた。

今では、盧溝橋事件に関しては、コミンテルン陰謀説があるし、
ノモンハン事件も、その勝敗について、日本の勝利と言う説もあって、
この本で語られていることには、
すでに新たな研究に寄って書き換えられたれたものもあるだろう。
でも、あの当時を知っている人によって書かれた本は、
私たちの世代が知らない「実感」を伴っている。

同時代の人として語られる張作霖や張学良。毛沢東。
満洲という土地を踏んだことがある人による分析。

読後、つくづく思ったのは、関東軍はアメーバのような存在で、
どこかにしっかりとした頭があったわけではなく、
ずるずると実態なく広がり、南方戦線によって精鋭をそがれ、
そもそもの目的だったソ連に対しては、
組織的な反抗をできないまま崩壊した、やっぱりよくわからない軍隊ということだ。

名前が有名な割に、よくわからない。イメージ先行型すぎる。

関東軍だけじゃなくて、あの時代の日本が全体的にそうだったのかもしれないけど。
戦争中、あれだけ内閣が変わった国も珍しいだろうし。

でも、戦争をして、人を殺したり、殺されたりしたのは、軍じゃなくて「ある人」。
個人で背負うには重過ぎる運命だ。

悲喜こもごも

2014-07-22 22:09:26 | Weblog
今日の教育テレビの中国語講座のタイトルはよかった。
「人の役に立てるようになろう」

これは、中国大陸では使えない表現だな。
人民の国では「人をだまして、のし上がろう」「自己主張は激烈に」だよ。
誰かのためにというような謙虚な表現は、まず使わない。
台湾なら上の表現は使えるだろう。

上海の腐った鶏肉問題。
どうして、職員が現場を見せながらテレビ取材に答えてるかと言えば、
それは、金をつかませたからだろう。
金だよ。金。
メディアがとか、正義がとか、関係あるわけないじゃん。

さて、悲喜こもごも。

上海の会社のスタッフであるおぼっちゃま職員がついに退職という知らせを聞いて、
へ~行くところあるんだ、結構不景気なのに、と思ったところ、
今日は、なぜか仕事に関する連絡ばかりがたくさんきた。

尊敬している上司の紹介で、面接もなくスルッと転職が決まったという頼り。
すばらしい。プロとはこうあるべき。

次に、どうやったら職員をクビにできるだろう、という
愚痴だか相談だかが舞い込んだと思ったら、
違うところからは、体調を壊した結果、辞表を書かせられました、という人。

季節の変わり目だからか、いろいろ動くなあ。

韓国ではまた列車事故かい。。。

故障

2014-07-21 23:33:09 | Weblog
昔から、なぜか家電との相性が悪い。

小学生のころ、学校から帰ってきて、ちょうど留守の母に内緒で
こっそりとテレビを見ていたら、テレビが火を噴いた。

中学生のころ、たまには真面目に掃除機でもかけてみようと思ったら、
コードで遊んでいた当時飼っていた犬が、感電した。(命に別状はなかった)

携帯電話は、これまで2回ほど水にぽちゃんしている。
1台はiPhone。そしてもう1台のiPhoneは盗まれた。

もしパソコンを家電に数えるなら、これ以上の失敗の数々。
あまりに心が痛むので、パソコンについては触れたくない。

で、この連休、オーブンレンジが故障してしまった。
電気を入れるとブレーカーが落ちる。
ネットで調べたところ、コンセントを変えても同じようにブレーカーが落ちるなら、
おそらくオーブンレンジ本体の故障であるとのこと。

まさに、その通りの現象。
寿命と諦めよう。

三連休最後の日、今日が休みではない中国に合わせて会社に行った。
上海のスタッフたちは、私が今日、そもそも休日であることなんて、
まったく気にしてはくれない。

休みなのにごめんね、ありがとう、と言ってくれたのは日本人だけ。
上海の漢族のみんなは、自分たちの権利は必要以上に主張するけど、
相手の権利はしっかりと無視をする。

無視をするのはいいんだけど、お願いだから仕事の質は上げてくれ。
休日出勤&残業は、君たちの為には、決してしたくない。

帰宅し、ご飯をチンしようと思ったら、レンジが使えないし、
やっぱりへこむよなあ。

不寛容

2014-07-20 20:57:31 | Weblog
どうも日本に帰ってから体調が悪い。なかなか日本に馴染めない。

昨日、うちの団地の広報紙に出ていた内容に驚いた。
「ベランダでのおタバコもご遠慮ください」とな。

自宅のベランダでタバコ吸うのも、苦情の対象なのかい。
確かに風向きによっては、匂ってくることもあるけど、
そ、そこまで?!という印象。

この団地、高齢化が進んでるから、きっとどこかのおばあさんが、
「空調は嫌いだから窓を開けてたら、どこかの人が吸ってる煙草の匂いが」などと言い、
それが「正しい意見」として取り上げられたということなんだろう。

こういう人に限って、中国旅行に行くと「楽しかった。また行きたい」と言う。
そこら中が油でぬるぬるしてて、人民はタバコとビールで大騒ぎ、みたいなローカル店に、
ぜひ一度お連れして差し上げたいと思う。

自宅のベランダで、夜、つつましくタバコを吸うくらい、
ゆるしてあげようという気になるだろう。
そんなこと言ってると、若い人から「あなたは加齢臭がするから、横に座らないで」と
言われるようになっちゃうよ。

先日読んだ本『日本的霊性』(鈴木大拙著)。
日本の仏教史を書いた本はたくさんあるけれど、
魂を削るように修行した人が書いた文章というのは、本当に力があると思う。

日本人は甘い、他力本願だ。これは戦後のぬるま湯で・・・と言う人もいるけれど、
この本を読んで、そもそも日本人は他力本願だったんだなあ、と思った。
戦後の一時期ぐらいで、そうそう日本人の内面は変わらないだろう。

平安文学や鎌倉武士の精神性、そしてかつては国家鎮護だった仏教が
民衆に浸透して行く過程等、たいへんわかりやすい一冊だった。
仏教史から見る日本史は、学校では学ばない史観だけれども、
日本の歴史を穿つ重要な軸。
平家物語を読んでみようか、という気になった。

日本人の寛容さと不寛容さを理解するには、このへんのことをもっと知る必要がありそうだなあ。

琴線

2014-07-18 00:11:00 | Weblog
2日にわたって、友人と夕飯を一緒に食べた。

料理は美味しいのに今ひとつ満足感がない。
なぜだろうと思っていたところ、今日のレストランで、ふと気がついた。

昨日のお店も今日のお店も、コンセプトがしっかりあるお店で、なかなか繁盛している。
店員さんのお料理に対する説明も、なかなか丁寧だ。
「これは○○と△△で作った□□です」「お口直しに、××茶をお持ちしました」

わかった。料理に対する説明が具体的で、かつ長すぎるんだ。

料理は、まず目で楽しみ、香りをかいで、食感と味を楽しむ。
そして、これはいったいどんな塩梅で味付けしてるんだろう。
この食材は歯ごたえがいいな、きっと新鮮なんだろう、と思う。

なのに、最初から「新鮮で歯ごたえがよろしいお野菜を○○で味付けしました」と言われたら、
感覚が誘導されてしまって、楽しみが減る。
料理に対する自信のほどを、言葉で表してはいけない。

きっと彼らは洗練されたサービスを提供している気持ちになっているのだろうけど、
これこそヤボで興ざめな、最低のサービスだ。

味覚は、いつからそんなに知識専攻で、味わいのないものになったのだ。
しかも店員はゆっくり話すので、聞いているうちに、私は確実に飽きる。
実際に食すことができず、視覚と聴覚だけで味を想像する料理番組ではないのだ。

でもきっと、この一生懸命さが、日本人の違う部分の琴線に触れて、
繁盛してるんだろうなあと思った。

ただ、私には、辞めてほしい。
マニュアルで決まってるから、そうもいかないだろうけど。

あってほしい親切機能

2014-07-15 21:39:13 | Weblog
洋服を買おうと思って、ネットショップを見ていたのだが、
モデルさんがみんな細すぎて、まったくイメージできない。

例えば「5キロアップ」「10キロアップ」のようなボタンがあって、
それをぽちりとやれば、画像が自動補正されて、
自分の体型にそっくりな姿を見られるようになったら便利なのに。
ネットショップ全盛なのだから、このくらいの親切機能は、あってもいいと思う。

で、しょうがないので、帰り道、新宿の洋服屋さんをブラブラしたのだけど、
モノがいいのはわかったが、どれも1万円越えで、
ということは、人民元に換算すると1000元だなあ、と思ったところで、買うのをあきらめた。

まだいいや。あるものを着よう。
確かに、いいものはいい。日本で売っているものは、いいものばかりだ。値段相応だ。
それはわかっているけど、そこまで洋服にお金をかける気合いがなくなった。

経済活動に取り込まれると言うのは、大変なことだ。

中国では、ここのところ急に経済活動が活発になったせいで、
日本のバブル期のように、よくわかんないからブランドを買うとか、
素材を見る目がないから、とりあえず高ければいい、とか、
もともとの見栄っ張りな価値観が影響したりして、
みんなどんどん消費に走るようになったけど、
そこまでの富裕層でなくても、価値観の多様化によって、
意識が大きく変化して来ていると思う。

特に、ある意味、出自がその後の人生に大きく影響する中国では、
親の価値観と子の価値観が大きくずれたり、
すでに固定された階層の中であがいたりと、いまの20代、30代は大変だと思う。

そもそも中国では、時代の変動を血族で乗り切って来たのに、
その絆は共産党政権になってから大きくかたちを変えさせられた。
もとより、中国の文字や思想は、国を統治するためにあったので、
個人の生き様には寄与するものが少なかった上に、
学校でそんな古典すら学ぶことがない若い人たちに、
自分が拠って立つものを見つけろと言っても、不可能に近い。
しかも宗教はアヘンである。

そして、少数民族は、もともとの自分たちの文化を奪われ、
時代の変化を乗り越えるための新たな思想も、なかなか自分たちで醸成することが難しい。

せっかくだから、中国人たちも、ダライ・ラマ法王の本が読めればいいのになあ。
たくさんの智慧がつまっているから。