ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

わがまま

2009-08-31 21:02:38 | Weblog
わがままは言った者勝ちなのかなあ、と思う。
キャラは、濃ければ濃いほど、最終的にはゆるされるのだろうか。

ここまで貢献しているんだから、これくらいのわがままは当然ゆるされるよね。

よく、こんな台詞を聞くけど、本当にそうなのだろうか。
もしゆるされるとして、その線引きは、いったいどこにあるのだろう。

実績をあげて、所属している団体に貢献しなければ、発言権はない。
いや、発言権はあるけれど、言ったところで誰も納得してくれない。
それは、そうだと思う。

ただ、仕事はチームでしているんだから、リスクはある程度、みんなでならすものだし、
目立たなくても、すごい人はたくさんいると思う。
ひとつ言えるのは、自分から一生懸命に発言しなければ、
その人がそんなふうに考えているなんて、誰も想像すらしてくれない、ということ。

でも、声高に意見を言って、特別にやりたいようにやる、ということは、
一時的には、その人の利益になっているように見えるけど、
長い目で見たら、決して得にはなっていないように思えるなあ。

でも、突き詰めると、会社での仕事は個人競技の集合体だから、それでいいのか・・・。
ああ、そうかもしれない。
どん欲に「自分にのこるもの」を追求していかなければ、
最終的には、ふるいから落とされてしまうかもしれないし。
みんなで競争して、一軍入りを競っているわけだから。
それが資本主義だから。

その意見ややり方が、団体全体の利益になると納得できることなら、
少々の厳しい意見は聞く用意があるつもりなんだけどなあ。
どうも、単なる個人のわがままに聞こえてしまうのはなぜだろう。
そして、一度そう聞こえてしまったら、
どんな人であっても、私は応援できなくなる。

心がせまいのか。嫉妬しているのか。
うむむ。

平和な国

2009-08-29 12:08:23 | Weblog
上の家の男の子がお母さんに怒られている。

どうやら、お母さんがつくった昼食を「食べない」と言ったために、
猛烈に怒られ、ベランダに出されてしまったらしい。
ドンドンと窓をたたいている。

さっき、ちらりとお母さんが出て来て、
「人がつくったものを食べないって、どういうこと」と一言。
そして、ピシャリという、おそらく頬をひっぱたいた音が聞こえた。

それにしても、謝らないなあ。あの男の子。
私だったら、「ごめんなさい、もうしません。ご飯を食べさせてください」と
泣いて嘆願するのに。

要は、餓えていないということなのだろう。
親がいなかったら、確実に飢え死にする、という逼迫感がないのだろう。

これは、親がいなくなるかもしれない、という不安もなく、
そして餓えるかもしれない、という恐怖もないということだ。
そういった想像をする可能性すらないということ。

なんとまあ、平和な国なのか。
上の家だけが平和なのかもしれないけど、
ふと、ネパールで会った女の子を思い出した。

カトマンズ郊外を散歩していたら、
5歳くらいの農家の女の子が、同行していた日本人の男性に話しかけた。
「私のいいものを見る? 1ルピーでいいよ」と。
あの子の瞳には、飢えをしのぐための方法としての「性」というものが、
すでに暗く宿っていた。

確か当時、1ルピーは日本円で10円にも満たなかった。
一緒にいた男性は、一瞬何を言われたのか、理解ができなかった。
娼婦風の女性に声をかけられるならまだしも、
3歳くらいの弟をつれた幼い女の子に、そんな声をかけられるなんて。

その後、ずっと、その日本人男性は落ち込んでいた。
きっと、誰かにそれがお金になると教えられたんだろう、と。

日本は不況と言っても、まだまだ豊かで、平和だと思う。

漱石と倫敦ミイラ殺人事件

2009-08-29 10:55:48 | Weblog
島田荘司著、光文社文庫。完全改訂総ルビ版。

久しぶりに総ルビの本を読んた。
もしかしたら、小学生以来かも。

最初は文章に入るよりも、この総ルビが気になって、
なかなかペースに乗れなかったのだけど、
読んで行くうちに気にならなくなった。

ルビのためか、文字も大きめだったし、
ところどころに挿絵も入っていて、
小学生の頃に読んだ、ポプラ社のホームズシリーズを思い出して
とても懐かしい気分になった。

ストーリーも、漱石とワトソン両者の視点から進められていて、なかなか面白い。
外国に行くと、こういうことあるよね~、という小ネタもはさまれ、
しかも、あまりグロテスクな死体も出てこないから、
島田荘司さんの本にしては珍しく、食事しながらでも楽しく読める一冊だった。

いつも思うけれども、
本を書く人、というのは、いろいろなことを、本当によく調べている。
きっとこの本も、自分なりの年表(日表)などを作って、書かれているのだろう。

論理的思考や、整理整頓が苦手な私としては、
物語の構成、シナリオ、というやつを考えられる人がうらやましい。

いつまでも苦手だ、と思っていないで、
少し文章のトレーニングでもしてみるかな、と思いながらブログを書き始めた。
梨をほおばりながら書いているうちに、なぜか猛烈な睡魔におそわれている。

まあ、今日は休日だから。

新しいピアノの曲

2009-08-28 23:14:12 | Weblog
昨日、友人からピアノの楽譜をもらった。

新しい曲にチャレンジするのは、およそ10年ぶりくらい。
音符を見て、すぐに音が浮かばないのは、もうしょうがない。
手が鍵盤に吸い付いていかないのも、これももうしょうがない。

でも、弾いていてすごく楽しかった。
音を追うごとに心の中にイメージが広がり、
そして、何かに触れたような感覚を味わう。

そんな感性が、まだ私の心にものこっていたのだなあ。

音にはいろんな表情があって、
昨日弾いた曲には、痛みにそっと触れるような
ひかえめで、そしてやさしい感覚があった。
とても薄くてやわらかい織物のような印象だった。

自分で弾く曲を選ぶと、私は悲しい曲ばかりを選んでしまう。
ロマンチックな曲も、あまり弾く気にはならない。
いつもは自分のために弾くのだから、それでいいと思っている。

でも、たまに、他人からもらった楽譜を弾くのもいい。
それが、その人の作った曲ならなおのこと。

そして、その人に向き合うのに、
私はいったい何をもっているだろう、と思う。

パスカルの哲学

2009-08-27 22:25:19 | Weblog
ジャン・ブラン著、竹田篤司訳、白水社文庫クセジュ。

読んだ後、なぜか六星占術にハマっていた知人のことを思い出した。
私は、生年月日から運勢を占ってくれる人に、いつも言ってみたくなることがある。
それは、「いまの私の状況から、私の生年月日を当ててみてくれ」と。

直観で人を見抜く、というのなら、まだわかる。
でも、生年月日から運勢を導くのであれば、それは占いという名の統計だと思うのだけど、
どうも数字を結束していく条件がわからない。
だから、「逆もまた真なり」なのかどうか、いつも気になってしまう。

「己れの悲惨を知らずして神を知ることは、傲慢をつくる。
神を知らずして己れの悲惨を知ることは、絶望をつくる」
この後、
「キリストを知ることは中間をもたらす。
なぜなら、彼の裡にわれわれは、神と自己の悲惨とを見いだすから」
と、パスカルの言葉は続く。

キリスト云々のくだりは、信者ではなく、聖書も読んだことがないので、よくわからない。
でも、その前の部分は、なんだかとても気持ちがいい言葉の流れだ。

等式のおよばないところに、信仰による真理はある。
それについては、なんとなく感覚的に理解できる。

そして、私にとって、ストーリーのない「単なる占い」は、
信じる・信じない以前に興味がないのだと気がついた。

私は、足下を見れば見るほど恐怖感におそわれる。
この過程こそが、私にとっては重要なストーリーだ。
これを「あなたは今年、どこそこに星があるからこうで、来年はこうなる」と言われても、
「私が苦しんでいるこのことは、いったいどこへ行ってしまうのだ。
そんなことで片付けないでくれ。いま、ここに恐怖があるではないか」と言いかえしたくなる。

恐怖につかまれてしまったら、逃れることはできない。
ごまかすこともできない。

だからこそ、最終的なところでの絶望もない。
矛盾しているかもしれないけれど、私はそう思う。

プロ野球観戦

2009-08-26 21:42:39 | Weblog
昨日、ほぼ初めて、マジメにプロ野球の試合を見た。
西武対楽天。

過去3回、球場に見に行ったことがある。
いずれも友人にもらったチケットだったので、あまりマジメに見てはいなかった。
テレビでも、まず野球を見ることはない。
なぜなら時間が長くて、じっとしていられないから。

昨日の試合は、投手戦だったのだけど、すごく面白かった。
投手が投げる動きに入った瞬間の、守備の人たちの動き。
これは、テレビではなかなか見ることができない。
特に、楽天の内野の選手たちは、目で見えるほど岩隈投手の呼吸にあわせていた。
野球は基本的に、「一騎打ち」の球技だと思っていたのだけど、
昨日は初めて「ああ、チーム競技なんだな」と思えた。

それにしても、あの応援は、もう少し静かにならないのだろうか。
見慣れないから、まず集中して見たいし、
いろいろと考えたいのに、太鼓だ、ラッパだと騒々しい。
22時を過ぎてからは鳴りもの自粛になったので、人の声だけになった。
そのほうが、ずっとずっといい雰囲気だった。

あと、風船を飛ばすのは、新型インフルエンザが飛び回っているようで、
少し恐怖だったなあ。
どうも潔癖なところがあるので、ああいうのは、見ているだけでも落ち着かない。

とはいえ、試合じたいは、とても面白く、
プロ野球はレベルが高いのだなあと感心した。
本当に上手な人がプレーしているのに、それでも乱れるときは乱れる。

昨日は、帰り道、頭の中が活性化されたと自覚するくらい、
いろいろな刺激をもらえて楽しかった。
野球は頭をつかう競技なんだ。面白いから、もう少し見てみよう。
って、今年はもう終盤か。

夏休み

2009-08-26 00:41:52 | Weblog
月曜はめずらしく夏休みだったので、秩父で川くだりをした。
ネパールでしたラフティングと違って、船頭さんが舟を操ってくれる楽チン舟の旅。

涼しかったし、川もおだやかで、とてもゆったりしていた。
そうだ。これを求めていた。
だから、ネパールでラフティングをしたときは、
ついついボーっと周囲の自然を眺めてしまい、
漕ぐのをサボっていると誤解され、
ガイドさんに注意されるハメに陥ったのだ。
今回ようやく念願がかなって感激。

手軽で気楽に遊べるよう、
日本のこういった観光地は至れり尽くせり。
秩父は東京からも近いし、ぼったくられ感もないし、
商魂たくましすぎもしないし、本当にちょうどいいと思う。

それにしても水の音は気持ちがいい。
そして日本の川は、ほんとうにきれいだ。

休みで気持ちが落ち着くと、視界が広くなる。
遠くまで、思念をとばせるようになる。
そして、水の小さな音も聞こえるようになる。

この平和がありがたい。

素朴なパン

2009-08-23 20:49:39 | Weblog
今日は、昼間すこし散歩をしたあと、家でパンを焼いた。

とてもシンプルな白パン。
はじめてのことだったので、お店で出てくるようなパンには
ならなかったけど、素朴でしっとりとした味になった。

確かこの味は、ギリシャのどこかで食べたのと同じだ。
日本の洗練された雰囲気とは違うけど、
とても美味しいと思ったあの味だ。

当分はまりそうな予感。
季節ごとに味を変えるパン生地と付き合うのも、面白そうだ。

今日、自分にはいったいどのくらいの年俸が必要なのかを考えた。
意外と少なくてもいけそうだった。
外で買うよりも、家でつくったほうが食べ物は安い。
当然ながら。
そして、料理がわりと好きなのだから、
忙しすぎて夜、つくる気力がなくなるような働き方をするくらいなら、
もう少し収入が減っても、今日みたいな一日をもつほうが、
ずっといいではないかと思った。

家でつくった料理は、素朴だけれども、すごく豊かな気分になる。
少なめでも満腹になる。
味も薄めでいい。

いいことづくしではないか。

ピアノの音

2009-08-22 13:43:12 | Weblog
うちの中でピアノの音がなっている。

私以外の人がピアノを弾くのは、調律の人以外では、すごくすごくめずらしい。
うちのピアノの音はいいなあ、と思う。
弾いている人の腕以前に、まずピアノの音に惚れなおした。

むかし私がピアノをマジメにやっていたころ、
いつも母は台所に立って、その音を聞きながら夕飯の用意をしてくれていた。

当時は、ピアノの音がどんなように家の中に響くのか、
他の部屋で聞いてみることができなかったけど、
いま、ゆっくりと家事をしながらピアノのを音を聞くと、
体中が、喜びに満たされるような気持ちになる。

CDで聞くピアノの音と、本物の音は、やはり全然違う。
空気全体が、震えるような、
それに私のすべても同調するような、何とも言えない感覚。
これがコンサートホールでの一流ピアニストの演奏ではなく、
我が家であることの贅沢。

電子ピアノもいいけど、
でも、やはり、リアルピアノを弾きたいし、聞きたい。
お金持ちになんか、なれなくてもいいから、できれば毎日、こんな時間をもちたい。

頼むから、上の家の子どもよ。走り回らずに静かにしてくれ。
ああ、きっと向こうも「今日はピアノの音がうるさいな」と思っているんだろうな。

湿布

2009-08-21 08:10:37 | Weblog
ここのところ肩こりがひどい。
原因は、運動不足と加齢だと思う。

夜、寝る前に簡単なストレッチをすると、少しラクになるんだけど、
最近は、それでも翌朝、背中に痛みを感じることが増えて来たので、
湿布を貼って寝ることにした。

胃の裏側が痛いので、そこに湿布を貼りたいのだけど、
自分一人ではなかなか上手く貼れない。
肩甲骨の間あたりに一人でもバッチリ湿布を貼ることができるような、
そんな補助具があればいいのに、と思っていたら、
最近、コマーシャルで「介の字貼り」と言っていた。

そうか、みんな私と同じように感じていたんだ。
そして、そんなときには「補助具」ではなく「配偶者」と
意識がいくものなんだな、と思った。
まあ、配偶者ではなく、ふつうに家族でいいんだけど、
イヌや猫は、いくら家族と同じ存在であっても、役にたってはくれないだろう。
何か、いい方法はないものか。

湿布を貼ると、一気に汗が出て来る。
それだけ血が止まっていた、ということなのだろうか。
湿布に加えてストレッチをすると、全身がリラックスする。
特に好きなのは、膝の裏側を伸ばすストレッチ。
これをやると、鼻がスッととおる。

もともと鼻炎もちなので、
このストレッチによって鼻がラクになった瞬間の恍惚感は、何にも代えがたい。
花粉症の人にも勧めているけど、効いた、という感想は聞かないから、
もしかしたら私だけのツボなのかもしれない。

そして、いま探しているのは、側筋を効率的に動かすストレッチ。
ヨガでもやるのが、一番てっとりばやいんだろうなあ。
でも、習いに行くのが苦手。DVDでも買ってみるか。