今年はどんな1年だったかと振り返る。
一言で言うと、私にとっては「信仰」の1年だった。
上海で知り合った得難い友人(日本人)とともに、
いろいろなところに旅行に行った。行き先は主に満洲。
日本の本当の姿は、日教組の習った姿とは違い、
はたまた中国共産党が国内向けのプロパガンダに使っているものとも違い、
確実に私とつながっている普通の日本人が、
一所懸命に生きた歴史とつながっていた。
そして、これまた何かの縁に引き寄せられたかのように、
ある日、上海でたまたま知り合った友人は、ほとんど酔っ払っている姿しか
お互いに知らないという間柄にして、
私に、新しい仏様の世界を開いてくれた。
私は生まれながらにして、とても恵まれており、
なんの努力もしていないのに、本物が集まってきてくれる。
友人、考え方、技術。
すべてが他力によって、私にもたらされたものばかりだ。
先日、ふと思い出した。
うちの仏壇には阿弥陀さまがいらっしゃる。
母が東京に出てきてから祖母が亡くなり、そして求めた阿弥陀さまだ。
小さいけれど、品がある。
その阿弥陀さまに向かって、最初は「南無阿弥陀仏」と唱えていた。
幼稚園のある日、母が「これからは、南無妙法蓮華経と言おう」と言った。
無条件にすくっていただける阿弥陀さまはありがたいけれど、
でも、私たちはまず、仏法を探求すべきだと思う。
その上で、本当の真理にどうしても近づけないと思った時、
阿弥陀さまのご慈悲におすがりしよう。
それまでは、自分なりに仏法を考え、実践することの方が先。
だから、これからは南無妙法蓮華経と言おうね、と。
母が、藤原四兄弟や光明皇后の本を、むさぼるように読んでいた頃。
唐の長安の話を聞いて、私が中国に憧れを抱いた頃のことだ。
ふと気がつくと、今年で母が亡くなって10年が経った。
来年は、母が倒れて植物状態になってから24年。ふたまわりか。
そして再来年は父が亡くなって10年。
もう、そんなに経ったんだ。
相変わらず私は、自分の人生を、自信をもって歩けずにいるなあ。
一言で言うと、私にとっては「信仰」の1年だった。
上海で知り合った得難い友人(日本人)とともに、
いろいろなところに旅行に行った。行き先は主に満洲。
日本の本当の姿は、日教組の習った姿とは違い、
はたまた中国共産党が国内向けのプロパガンダに使っているものとも違い、
確実に私とつながっている普通の日本人が、
一所懸命に生きた歴史とつながっていた。
そして、これまた何かの縁に引き寄せられたかのように、
ある日、上海でたまたま知り合った友人は、ほとんど酔っ払っている姿しか
お互いに知らないという間柄にして、
私に、新しい仏様の世界を開いてくれた。
私は生まれながらにして、とても恵まれており、
なんの努力もしていないのに、本物が集まってきてくれる。
友人、考え方、技術。
すべてが他力によって、私にもたらされたものばかりだ。
先日、ふと思い出した。
うちの仏壇には阿弥陀さまがいらっしゃる。
母が東京に出てきてから祖母が亡くなり、そして求めた阿弥陀さまだ。
小さいけれど、品がある。
その阿弥陀さまに向かって、最初は「南無阿弥陀仏」と唱えていた。
幼稚園のある日、母が「これからは、南無妙法蓮華経と言おう」と言った。
無条件にすくっていただける阿弥陀さまはありがたいけれど、
でも、私たちはまず、仏法を探求すべきだと思う。
その上で、本当の真理にどうしても近づけないと思った時、
阿弥陀さまのご慈悲におすがりしよう。
それまでは、自分なりに仏法を考え、実践することの方が先。
だから、これからは南無妙法蓮華経と言おうね、と。
母が、藤原四兄弟や光明皇后の本を、むさぼるように読んでいた頃。
唐の長安の話を聞いて、私が中国に憧れを抱いた頃のことだ。
ふと気がつくと、今年で母が亡くなって10年が経った。
来年は、母が倒れて植物状態になってから24年。ふたまわりか。
そして再来年は父が亡くなって10年。
もう、そんなに経ったんだ。
相変わらず私は、自分の人生を、自信をもって歩けずにいるなあ。