ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

ツボ

2013-01-31 23:20:52 | Weblog
毎日、大気汚染がひどい。
今日は地下鉄に乗ったら、車内のテレビでその報道をやっていた。
一緒にいた中国人の同僚に「なんで、こんなに空気が汚くなったの?」と聞いたら、
「工場の排気と急激に増えた自動車の排気ガスのせい」とのこと。

まあ、そうなんだろうな、と思っていた通りの回答だった。

「安全な水、安全な空気、そして安全な食べ物がもう上海にはない。
 どんなにお金持ちでも、もう手に入れられない」と、上海人も嘆いていた。

高度経済成長の恩恵を享受した上海だけど、
一般市民が、自分の健康というかたちで、ちゃんとツケを払わされている。
きっと、もっと田舎に行くと不法投棄とかひどくて、
環境問題はさらにヒドいことになっているんだろう。
たいへんな時代になるなあ。21世紀は。

さて、明日はいつもより早く出発して、上海郊外まで行き、
台湾系アメリカ人という人に会う。
もちろん中国語での会話になるのだけど、
どうやら先方は英語の方が得意みたいだ。
しかも、会話のそこかしこにジョークがちりばめられているというウワサ。

どうしよう。
アメリカのジョークも中国&台湾のギャグも、
あまりツボがわからないんだけどな。

まあ、相手が「笑え」という眼力で押して来たときに、
場を読んで笑っておくことにしよう。

道筋

2013-01-31 01:01:15 | Weblog
身体が疲れると眠くなる。
頭や精神が疲れると本が読みたくなる。

いまは、本が読みたくなっているとき。

先日ようやくジル・ドゥールーズの『アンチ・オイディプス』の上巻を読み終わった。
ふと思うと、ヨーロッパがアジア(中国)をおさえて、
世界をリードするようになったのなんて、たかだか200年くらいのこと。

これまでは、進んだ国の哲学のように思っていたけれど、
西洋哲学って、突然のギアチェンジの結果、いきなり成金になってしまった国々が、
自分を見失ったり、もっとお金持ちになりたくて他国を侵略したり、
いままで知らない異文化が国に入って来たりして、
偉そうな気分になったり、不公平を感じたりしながら、
「ああでもない、こうでもない」と一生懸命に考えていた道筋なんだな。

ギリシア哲学からの流れを汲んでいるとはいえ、
その文章が書かれ、読まれたときの「場の空気」がわからなかったら、
やっぱり何もわからない。
「当たり前」すぎることは「書かれない」ものだし。

中国でも春秋戦国時代に、思想界は大きく花開いた。
でも、孔子さんだって、人の内臓で作った塩辛を普通に食べてて、
みんなが当たり前に食べてるから、それが倫理的にどうの、なんてことは、書かれなかった。
大事に思っていた弟子の内臓でつくられた塩辛を前にして悲しんだけど。

ということで、「父親殺し」と「マザコン」は、
よく、人格的な特徴につけるレッテルとして使いたくなるのだけど、
とりあえずよくわからない「対象」をそのままにしておくと不気味だから、
「父親殺し」や「マザコン」などとカテゴライズして、
自分で勝手にホッとする以外には、あまり効果的なものではないのだろうなあ、という気がした。

さて、下巻は。

こういうところが

2013-01-30 00:21:19 | Weblog
こういうところが、中国の苦手なところなのだ。



なぜ置き石がまっすぐ並んでいないのだ。
これで固定されてしまっているのだ。
なぜだ。なぜだ。なぜだ。

なぜ、隣を見ないのだ。
周囲を確認するということをしないのだ。
どうして、視野が自分の前の30センチだけなのだ。

と、言いたくなるので、写真を撮った。

日本だったらやり直しになるところだけど、中国だと、そのままスルー。
たぶん、誰も気にしない。

仕事をしていると、こんなことのオンパレードなんだけど、
中国人の会社で、すごくうまく回っていて、
日本の会社よりもクオリティが高いものを作ったり、
パフォーマンスがいいところもたくさんある。

この違いは、何なんだろうなあ。

夜景

2013-01-28 23:12:28 | Weblog
久しぶりに、ちゃんとお月さまが見えた。
こういう月なら、李白が「月下独酌」を詠んだ気持ちもわかるというものだ。



月光が気持ちよくて、上ばかり見ていたら躓いた。
中国の道はでこぼこだ。
そして、あらゆるところに、いろいろなものが捨てられ、
ゴミがあふれ、イヌの糞と、酔っぱらいの残したものがあるので、
こけるのは、たいへんに危険だ。

自宅に戻って一眼レフを手にとり、屋上に上がって、月にピントをあわせたら、
なんだか、気持ちがスッキリした。

屋上から見える景色。



高速道路の黄色い電灯の光を見ると、「ああ、中国だなあ」という気持ちがする。

最近できたビル。
浴びたら人体に悪そうな色で光っている。



手すりにもたれかかると、そのまま落ちそうな気がしたから、
気をつけて階段を下りた。
ファインダーばかりのぞいていると、一瞬、目が見えなくなる。

体罰

2013-01-27 19:28:56 | Weblog
最近日本では、悲しい出来事ともに「体罰」について様々な議論があるようで、
ニュースのトピックスを見るたびに、中学の部活のことを思い出す。

中学の部活では、毎日顧問の先生に殴られていた。
殴られない日があると、チームメートとお祝いするくらいに殴られた。
もちろん、毎日時間が止まって部活の時間が来なければいいと思っていたし、
自殺しようかと思ったこともあった。
チームメートも同じようなことを言っていた。

2年生のある日、あまりにもすごく殴られ最悪な気持ちになっていたら、
引退した3年生の先輩が「いまの辛さは絶対将来役に立つよ。
受験勉強は苦しいけど、殴られない分だけまだマシと思って頑張れるもん」と励ましてくれた。
これは顧問の先生もよく使った言い訳で、「将来の根性につながる」とよく言われた。

ただ、あまりにも体罰がひどかったので、親の間でも「引継」があり、
「なるべく交代で練習を見に行くこと。親がいると顧問も手加減するから」と
先輩の親から母も言われたらしい。

中学時代はいつも母と一緒にお風呂に入っていたので、
私の身体についた青あざをみて、ある日母が「お母さんから先生に言おうか?」と言った。
私は咄嗟に顧問からの報復をおそれ、こう答えた。
「まだ我慢できるから大丈夫。もっとひどく殴られている人いるし。
 それに、私にはお父さんがいないから、ちゃんと叱ってくれる男の大人がいるのはいいことだよ」と。

そしたら、母に「ごめんね。でも、そういう考え方できるって嬉しいよ」と言われた。
私の咄嗟の言い訳が母を傷つけたわけだ。
母は褒めてはくれたけど、悪いことを言っちゃったんだなと思い、
それから、部活が辛いと言いづらくなってしまった。

そして引退して、受験勉強があって、
いろいろと苦しいときに、中学時代の体罰の記憶が支えてくれるかと思ったんだけど、
見事なまでに、まったく思い出さなかった。

私の性格は、「いま辛いけど、過去と照らし合わせて頑張れる」と思うのではなく、
「これを乗り越えたら、何かをやる可能性が広がる」と思うほうだった。
ということで、将来にやりたいことが明確なほうが、頑張れた。

実際、部活で辛かったことを我慢できたときだって、
これを我慢してついていったら、次の試合に勝てるかもしれないと思ったからであって、
それよりももっと過去と比較して頑張っていたわけではない。
部活をやっていた当時だって、両親が離婚した辛さが、体罰を乗り越える支えにはなってくれず、
かえって母を傷つけたのと同じだ。

体罰には絶対的な立場の違いが必要で、
弱い立場の者は、永遠に負債を返し続けることを要求されることで成り立つ。
中学や高校の部活の試合なんて、ルールすれすれのケンカと同じなんだから、
同年代の対戦相手と本気で戦えることのほうがずっと重要だ。
ミスをしたら顧問から怒られるというので萎縮したら、それこそ意味がないし、
体罰をする先生ほど「おまえらはケンカもしたことがない」と変なことを言うものだ。

ただし、だからといって、ある特定の先生や学校だけを問題視するのは、おかしいと思う。
そうやって絶対的な立場の違いから「負債の返済を求める」のは、体罰と同じ構造に見える。

偏見

2013-01-26 13:15:49 | Weblog
私なりに「偏見」について考える。

日本人にとって「上海で育ち、上海語を話す人」は上海人だけど、
上海人にとってはそうではない。
「あの人の両親は、もともと寧波」とか「もともと江蘇」などとよく言う。
江戸っ子は、三代以上、江戸東京に住んでいる人のことを言うようなものだ。
上海自体の歴史が、中国の歴史に比べると全然短く、
アヘン戦争後の100年程度だと思うと、
遣唐使の時代から立派な町だった寧波なんかのほうが、
もっと胸をはっていいんじゃないかとも思う。

ただ、現時点でまだまだ地域格差が大きい中国では、
私から見ても、外省の人と、上海人では大きく違うと思うことがある。
三代まで続かなくても、上海で生まれ育った人と、大学以降に外省から上海に来た人、
特にあまり裕福でない地方から来た人は、違いがある。

ざっくりと見た目で言うと、色彩感覚と服装センスがまったく違うと思う。

中国人の服装センスは、この20年間でかなりよくなった。
ビックリするような化粧も、雄鶏かと思うような女性の前髪もなくなった。
男性も、Gパンとスニーカーをオシャレにはける人が増えた。

でも、全体的にもっさりとしていたり、ちぐはぐな色づかいだったりすることが、
やはり外省の人には多い。
オシャレの基準が違う。
ということで、会社に新しく中国人のメンバーが加わると、
一目で上海人か外省人かは見分けがつく。
そして、たまに「それで上海人?」という人もいるのだけれど、
こういう人は、上海人の中でも、服装と言うよりは考え方として、
浮いてしまうことが多いようだ。(浮くことが悪いとは限らないけど)

まあ、私も「中国用」で購入したユニクロの安いダウンジャケットのせいで、
セーターに羽がたくさんついて、ダサイこときわまりないので、他人のことは言えない。

あと、昨日上海人の同僚と話し込んでみて、
現在30代の上海人は独立心が強いと改めて思った。
過去20年間で上海は猛烈に発達し、裕福になって、外国のものも入って来て、
その過程で、自分の目で見て判断する習慣がついたんだと思う。
だから、比較と批判と、そして自他の違いに基づいた信頼の観念がある。
外国との距離はわかっているけど、決して卑屈ではなく、
そのギャップをユーモアにする余裕がある。(←これ、日本人が忘れている点)

外省出身者は、どちらかというと素朴だけど、他人への依存心も強い。
これは、家族の規模や、地方共産党政府の強さの違いなんだろうと思う。

ということで、私と同年代から10歳若いくらいまでの上海人とは、
結構話があうことも多い。
これが、年齢が10歳くらい上になると、
腹の探り合いばかりになるか、金儲けしか考えない人が猛烈に増える。
育った時代と場所は、こんなにも人格に影響するのかと、つくづく思う。

そして外省出身の20代前半~中盤の女子などは、もうまったく話があわない。
彼女たちは中国を知る上では非常にいい指標になってくれる。
20代外省女子が求める結婚の条件。
・上海人であること。
 →結婚して上海戸籍がほしい。
・お給料は低くてもいいから家をもっていること。
 →中国人は住宅ローンを組まないから、
  旦那さんの親が、家を購入できるほど、バブルに乗って資産家になったということ。
  (ここで、中国は共産主義だから資産家なんていないはずなどと言っても始まらない)
・家事ができること。
 →上海人の男性は家事全般ができることで有名だったが、
  80后の男性には、料理ができない人も結構多い。
  もし旦那さん自身が料理をできないなら、お手伝いさんを雇えるほど資産家であること。
・自分よりも背が高いこと。
 →上海人は、平均するとあまり背が高くない。
  特に外省の中国人女性は、平気で10センチくらいのハイヒールをはいて、
  会社にヨロヨロとよろめきながら出社してくるので、
  少し背が高い女性だと「自分が思う最高のおしゃれ」をしたときに、
  男性のほうが背が低いという事態に陥ることがある。

日本人からすると「なめんな!」と言うようなことを、「当然の権利」として主張してくる。
すごいお金持ちのお嬢様が出す条件ならわかる。
でも、上のようなことを、地方の一般家庭で育った子たちが平然と言うから、
恐ろしいと思う。

こうなると、一緒に仕事をしていても「顧客満足」なんて概念が通じるわけがない。
彼女たちが「顧客満足」と言う時は、単に、
「私が怒られちゃったじゃないのよ。どうしてくれるのよ!」という上司や会社に対する
不満でしかない。

ということで、
付き合う時間が長くなり、その人柄が見えてくるにつれて、
一人の人間として「田舎者だからしょうがないんだよ」と思いたくなる時もある。
でも、このとき、どうして、
「田舎者」「外省人」「上海人」「中国人」そして、「日本人」と、
ひっくるめた言い方をしたくなるのかが、不思議だ。

そして、ひっくるめたときから、それは「偏見」に落ちてしまう。
単に、「私が話した中では、こういう傾向が強い」というだけで、
サンプリングの母数としては数が足りなく、そしてサンプルの集め方としても偏っているのに。

忘年会

2013-01-25 23:51:40 | Weblog
今日は、上海人の同僚と夕飯を食べに行った。
日本人にはわりと人気の焼き鳥屋さんに連れて行ったのだけど、
日本に住んだことがない上海人いわく「どれも同じ味に思える」とのこと。
油がない料理は、中国人にはウケない。

話題は、会社の話と個人的な話がメインになるわけだけど、
どうやら私は、会社の中国人にそこそこ人気があるとのこと。
理由は「てきとー」だからみたいだ。

というのも、彼らが話していた日本人評を聞いていると、
日本人には「できる」と言われる部分が、
彼らからすると、「単に細かいだけ」となる。

ということで「あの人は門番、あの人は受付」と、
日本人に貼られていくレッテルを聞いていると、
評価基準がまるで違うんだなあと改めて思う。

特に「門番」というレッテルは奥が深い。
つまりは「これはいい、これはだめ」「こうやって、ああやって」と
人をいい悪いで判断し、いい人しか「中に入れない」という意味だから、
非常に日本人の本質を突いていると思う。

日本人にとって「てきとー」であっても、
きっと中国人にとっては「てきとー」ではない、ということなんだろう。
単に、管理するのがめんどくさいだけなんだけどな。
日本人の上司からは、もっとちゃんと管理するようにと言われているんだけど、
これは、言うことを聞かないほうがよさそうだ。

まだまだKY

2013-01-25 00:13:42 | Weblog
今日、日本人と名刺交換をしようとしたら、
相手が私の名刺を見て、「あ、日本の方だったんですか」と言い、
あわてて手に持っていた中国人用の名刺を引っ込め、
名刺入れから日本人用の名刺を取り出した。

よくあることだ。

やっと木曜日が終わった、と思ったところで、
中国人の同僚が「いつご飯をごちそうしてくれるの~?」と。
実際におごってもらおうと思っているわけではなくて、
「食事しようよ」という意味なんだけど、そういう言い方をする。

まあ、実際に、お金を払う段階になったら、
「おれがおごる」「いや私が」と、
中国人はごちそうしてくれようとするわけなので、
永遠に貸し借りする仲になって、ずっと付き合おうよ、
という意味なんだろうと思う。

「今回はおごるから、次回はあなたが」という雰囲気なので、
一方的に甘えることもしなければ、おごってもらったことを忘れるのは不義理だ。
それが、相手になるべく心理的負担をかけないようにと思う日本人の
割り勘という習慣とはかなりニュアンスが違うため、
「おごって~」と言われ、すぐに「いいよ」というべきか迷う。

きっと、そこでも押し合いへし合いの言葉遊びがあって、
それを中国人同士では楽しんでいるんだと思うんだけど、
そのあたりが、いまひとつわからない。

ということで、中身はまだまだ、中国人からするとKYなんだ。

自己主張

2013-01-24 00:51:34 | Weblog
どうやらアパートの隣に、日本人男性と中国人女性が引っ越して来た。
壁越しのうなるような音でも、日本語のイントネーションだとわかる。
やはり中国語とは、全然違う。

どうやら男性は中国語ができないらしく、夜になると、中国語の練習が始まる。
まだ単語レベルの発音と四声を練習している。
目標は、中国語の歌をうたうことにあるようだ。

ここまでわかってしまうくらい壁がうすいことは、
あまり日本ではないことだから、日本人は考えないんだけど、
そろそろ気づいてもいいころだろうと思い、今日は壁をたたいた。

隣室より「あれ、聞こえた?」と聞こえて来た。
イントネーションだけで、ここまでわかるのだから、やはり日本人同士だ。
はい、ばっちり聞こえています。

私にもウキウキと中国語の発音を勉強していた頃があった。
覚えると嬉しいし、伝わると満足する。
でも、だんだんと、面倒になるものだよ。

今日は久しぶりに日本の大企業を訪問し、
日本の企業戦士さんたちと話をしたのだけど、
やっぱり、日本人って、ちょっと変わってる。
なんで会社のために、あんなに機械になれるのか、
機械になることが美徳だと信じられるのか、すっごく不思議。

でも、鬱の人が増えているんでしょう。
滅私奉公しているのに、自分が必要とされないジレンマなのかな。

中国人的な発想だったら、
滅私奉公するってことは、自分がないのと同じだから、
そりゃ誰も振り向いてくれないでしょ。
誰も自分の痛みをわかってくれない!って言うけど、当然じゃん、となるだろう。

難しいところだなあ。

春運

2013-01-22 23:50:10 | Weblog
今朝会社に行ったら、同僚の中国人が、
「春節に帰省するチケットが買えたよ!」と大喜びしていた。

今年の春節用チケットは、利用日の20日前に購入することができる。
去年は30日前だったらしいので、毎年このルールは変わる。
国のルールがこんだけ変わるのだから、
ルールなんて覚えているだけ無駄だ、と中国人が思う気持ちもわかる。

で、買えたのは行きのチケットだけだから、
帰りのチケットは、また20日前になったら、
押し合いへし合いしながら買わなければならない。

人力の無駄遣いだと思うけれど、これが中国だ。

もちろん帰省する必要がない上海人は、
こんな苦労を話では知っていても、経験したことはない。
特に、いまの80后は「中国らしい」体験をあまりしていない。

いまは座席が全席指定になったけれど、
たくさんの荷物を持っている人たちは、荷物を置く場所を確保するために、
やはりホームを走る。他人を突き飛ばす。老若男女関係ない。
春節の帰省は、本当にたいへんだ。

そんな話になったとき、私が、
「でも、いまはまだ窓が開かないだけいいじゃない。
 むかしは窓からまず荷物を投げ込んで場所を確保しつつ、
 みんな窓からよじ上ってたよね」と言ったら、
年配の同僚が、「え、知ってるの???」と大喜び。
もちろん93年の留学当時の長距離列車は、
それこそ劣悪な環境だったと言う話で盛り上がった。

若い上海人は、そんなこと全然知らない。
想像すらしたことがないらしい。
まるで私が中国人で、若い上海人が日本人のようだった。

いろんな経験をさせてくれる国なんだよ。中国は。