石破茂首相が自民党の新人議員にばらまいたことで、一気に注目が集まる「商品券」。そもそも商品券はいつから始まったのか。その効能や現金にない魅力は。そして、庶民と政治家で使い方が異なるのか。今更ながら考えてみた。(木原育子)
◆「庶民の味方」が、あんなことに使われるなんて
19日、東京の金券ショップ激戦区・JR新橋駅周辺。「激安大特価」「ここが最安値」。店頭には派手なうたい文句や赤く印字された値段とともに、最前列に商品券が並んでいた。
「今も昔も主力は商品券。百貨店でしか使えない商品券より、お釣りは出ないがスーパーでも使える商品券が売れ筋かな」と店主。「物価高の中で商品券は庶民の味方だ」と別の店主も。
多くの人に愛される商品券だが、その歴史は古い。
国税庁租税史料によると、発祥は江戸時代半ばごろの仙台。仙台地方では、日頃の懇意へのお礼として冬至に豆腐を贈る風習があった。ただ、日持ちしない豆腐が集中するのを避けるため、好きな時に引き換えられる「御厄介豆腐切手」が広がったという。この「御厄介」は「お世話になった」ということを意味する。
宮城県豆腐商工組合(仙台)専務理事の上村修治さん(54)は「今も桐(きり)の箱に入った贈答用の豆腐を販売する店もあるが、商品券発祥の地だったとは知らなかった」とした上で「とは言っても、今回の石破さんの件はやっぱり、自民党は相変わらずだなと思ってしまう」と嘆息する。
◆江戸では和菓子、かつお節が…
さて、幕府の所在地だった東京はどうか。先駆的存在が日本橋でかつお節を商った高津伊兵衛。現在の「にんべん」の祖だ。
にんべん広報担当の中村拓美さんは「老舗和菓子店の『とらや』さんが、和菓子と引き換えられる饅頭(まんじゅう)切手を販売しているのをヒントに、江戸後期の1831(天保2)年に弊社でも始まった」と説明してくれた。
その「商品券」は紙ではなく、かつお節を模した小判サイズの薄い銀板製。表面に「二文」と金額が書かれ、当時高級だったかつお節と引き換えることも、銀として持っておくこともできた。中村さんは「斬新で、江戸でも注目を集めたようですよ」と目を細める。
◆商品券なら「現金の生々しさ」なくなる?
豆腐、かつお節…。商品券の源流は市民生活の歴史そのものだが、現在は一定金額の商品を提供してもらう権利を持つ有価証券に相当する。
東洋大の小川純生名誉教授(消費者行動論)は「昔は商品の販売促進の意味合いが強く、近年の自治体が行うプレミアム商品券は、商店街活性化などにつながっている。だが、今回の石破さんの行為はそういった目的から離れている」とし、「現金だと生々しいため、あげにくくもらいにくい。商品券を使えば、少なからずの後ろめたさを手放すことができる。商品券には現金性からいったん離れられるクッションの役割があるからだ」と指摘する。
◆自民党内で「石破下ろし」の声が広がらないのは
ただ、庶民が物価高にあえぐ中で、自民党衆院1期生15人に各10万円。しめて150万円の「クッション」とはいかがなものか。
長く永田町を取材してきたジャーナリストの鈴木哲夫氏は「歴代の首相はみな同じことをやってきた。自民党の慣例として続いてきた」と明かす。銀座の一流靴店の商品券10万円や高級紳士服店の30万円分の仕立券などが、かつて行き交っていたとし、「自民党内から石破下ろしの声がそこまで上がらないのは、党全体の問題に拡大し、ブーメランとなって夏の参院選に直結するのを避けるためだ」と話す。「石破首相は党内基盤が弱い。世論が彼を支えており、首相の命運は世論の判断にかかっている」と続ける。
参院選を前に、商品券は自民党にとって「厄介」な問題として尾を引きそうだ。
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